4月1日(木)悪魔の鍋
新年度の到来とともに「俺」は退き、再び私の登場だ。昨日の日記を見て、私は「俺」の愚行に思わず頭を抱えてしまった。彼に日記は到底任せられない。今日から心機一転、頑張るぞ。
手始めに、横浜市内にある能楽堂に足を運ぶ。 「あのう、昨日取材に来たときに、傘を忘れちゃったので、取りに来ました」 新年度も前途多難である(^o^;)。
仕事を終え、夜は中華街の萬珍食坊で、「影の担当医」とTMD対策について話し合いながら食事をする。メーンは「悪魔の鍋」。日本の寄せ鍋とかとさほど変わらないのだが、鍋のまん中に仕切りがあって、一方はトリガラスープ、もう一方には激辛スープが入っている。牛肉やトリ肉、野菜などを好きなスープの方に入れて食べる、という趣向なのだが、いやあ凄かった。トリガラの方はともかく、激辛スープで具を煮て食べたら口から火を吹きそうになり、汗がドバドバと出た。しかし「担当医」は全然へっちゃらで、あまつさえ「甘い」とのたまった。一体どうなっておるのだ。にしても、鍋一杯を2人でつついて2400円は、あまりに安すぎないか。よし、また来よう。99年度のテーマは「悪魔退治」に決めた(←脳天気)。
4月2日(金)神戸の春の味覚
未明から腹が痛い。やっぱり「悪魔」は手強い。朝は白粥を食す。
取材を終えて会社に戻ると、小包が机の上に。阪神淡路大震災で取材した被災者夫婦が、この時期にしかとれないイカナゴ(子魚)の佃煮を送ってくれたのだ。ああ、嬉しいなあ。お礼の電話を入れると、懐かしい声。 「びしさん、また遊びに来てや」 しばらく音信不通だったから心配だったんだけど、元気でいてくれてなによりだ。
夜勤前にいったん自宅に戻り、白粥の上に佃煮をのせてガシガシ噛み砕いて食べる。うまい。神戸の春の味覚。震災現場での過酷な取材を思い出しながら味わった。当時の取材相手の中には、いまだに仮設住まいで連絡が取れないお年寄りもいる。夏にでもまた神戸に足を運んでみよう。佃煮を食べながら、現地で出会った人たちの顔が、次々と脳裏に浮かんでは消えた。
4月4日(日)酔っぱらいオヤジとの一日
今日は横浜能楽堂で「こども狂言会」という催しがあり、これを見に行くのを前々から楽しみにしていた(去年も行った)。狂言師の家系ではない一般の子供が半年間けいこを重ね、その成果を披露しようというもので、日本ではここだけしかやっていない珍しい企画。明日は新聞が休刊なため、事前に告知記事を書いて掲載しておいたので、今日は取材抜きでのんびり鑑賞するつもりだった。
ところが、だ。午前10時に自宅を出ようとしたら、いきなり電話が鳴り、知り合いの酔っぱらいオヤジ(35)=営み&朝帰り=が「俺、今お前の家の近所にいるんだ」とベロベロになって助けを求めてきた。オヤジの自宅は東京。仕方がない、酔漢とはいえ知り合いを放っておくわけにはいかない。オヤジを救出に向かい、自宅に連れてきて(途中で隣家の美人妻に出くわしたのが痛恨の極み)寝かせる。まあ半日ぐらいはグースカ眠っているだろう。オヤジが寝ている間に自分は能楽堂で狂言を見よう、と思いあらためて支度をしていたら、オヤジは1時間もしないうちに起き出してきて、「おいびし、ビールを飲ませろ〜!」とからんでくる。だがビールはないので、代わりにもらいもののシャンパンを飲ませることに。これで大人しく寝入ってくれるだろう。
ところがこのオヤジ、「びし、お前のホームページを見せろ。日記は更新したのか?」とのたまい、あまつさえ「俺が見ているから、今日の日記を今すぐ書け」と私に強要した。2度、3度と断ったが、酔っぱらいに逆らうことができず、こうして昼のひなかに日記を更新している次第。ただいま午後1時。トホホ。
で、こうやってキーを叩いている最中にも、酔っぱらいオヤジは私の後ろにいて、少しでも気にくわないことを書くと、両手で私の頬をバシッとひっぱたくのである。しかし幸いなことに、シャンパン1本飲み干したところでオヤジ、また寝た。しめしめ、「狂言会」は午後6時近くまでやっている。今のうちに能楽堂にダッシュだ。
と思ったらオヤジは今度、寝ぼけわざを繰り出してきて、「水をあげないと!」「水をあげないと!!」などと訳の分からないことを口走り始めた。こりゃーオヤジ1人にはしておけんぜ。「こども狂言会」は通しげいこを見ていることだし、本番は諦めることにしよう。
そうこうしてるうちに夕方になり、オヤジは「お腹がすいた」と目を覚ましたので、オートミールを食わす。ここでまた酒が飲みたいとせがまれ、駄目だと言ってもきかないので、ビールを買ってきて飲ます (^o^;)。午後6時が過ぎ、オヤジはベッドで本格的に寝入る。これから11時まで寝かせておこうと思っていたら、9時に起きてきて、またぞろ「おいびし、酒が飲みたい」、「びし、日記を読ませろ」。せっかく酔いがさめたのにオヤジはまたビールと焼酎を飲んで酔っぱらってしまい、結局私はオヤジを東京の自宅まで送ることに。帰宅は5日の午前1時。トホホ…。
でも私、なぜかこの酔っぱらいオヤジがたまならく好きなのだ(ホモではない)。オヤジとはずっと仲良くしていたい。だから酒、あまり飲まないでくれ。
4月5日(月)TMD診察報告その2
ツルッパ(鶴見大歯学部付属病院)にTMD(顎関節症)の治療に出かける。ボクシングで使うマウスピースをプラスチック製にしたような「副床子」(スプリント)という器具を担当医から渡され、「夜寝るときに装着してください」と命ぜられる。はああ〜、話には聞いてはいたが、こんなんでTMDは治るのかいな。
試着して具合がよくないところを削った後、「次回は3週間後(26日)に来てください」と言われ、診察は終わり。飛び込みの手術が入って1時間待たされた揚げ句、診察は10分だった。治療費は社会保険で3200円だったので、国保なら4800円か。
にしてもツルッパの担当医は、スプリントを口にはめたままで私を帰宅させやがった。ケースとまでは言わないが、せめてビニール袋に入れて持たせるぐらいの気遣いがほしかった。仕方がないのでスプリントをはめたまま会社に戻り、会社のトイレで外してハンカチでくるんだ。ああ、寝ている間とはいえ面倒だなあ。自分がプロボクサーになった夢でも見そうで嫌だ。どうせならガッツ石松ではなく、あしたのジョーになって、力石徹と対戦したいなあ。スプリントの使用感や症状の変化などについては、追って報告します。
4月6日(火)スプリント使用報告
昨晩はツルッパからもらったスプリントを口にはめて眠った。朝目が覚めてから外してみると、上の歯と下の歯の間に数ミリの隙間ができるクセがついており、何となくボリボリ感が薄れた気もする。でも夢見が最悪だった。第1部はスプリントを口にはめて、「カチカチして嫌だな−、嫌だな−」と言っているだけの夢。第2部は私がシンガーソングライターになっている夢で、コンサートが明日に迫っているのに何を歌うかも決めておらず、ギターもここ数年弾いておらず、大いにうろたえる、という訳の分からないシチュエーションだった。あしたのジョ−になれなくて残念だ。
「寝るときだけでなく、食事や取材以外は口にはめておいた方がいいよ」という「影の担当医」のアドバイスで、スプリントを装着したまま出社。今日は原稿執筆だけだから問題ないと思ったのだが、電話はかかってくるし、上司には呼ばれるしで、外している時間の方が長かった。今の仕事では業務中の装着は無理か。やっぱり寝るときだけにしよう。
今日は直属の部長さんと昼飯を食べる。「次の異動では地方の気楽な支局に行きたい気もしていましたが、忙しくてもいいから私を実家の近辺に置いてください」と直訴する。その理由は明日、書くことにしたい。
4月7日(水)びし「介護記者」デビューへ
母の付き添いで、横浜市内にある某国立病院に行く。今日から母は入院することになった。消化器系のトラブルで、病状については詳しく書けないけれども、虫垂炎とか胃潰瘍といったレベルではない。かなりの長期戦になりそうで母は今後、入退院を繰り返すことになるだろう。いよいよ私も「介護記者」デビューだ。
動揺したり、不安にかられたり、凹んだりしていることは、ぜーんぜんない。私は介護にかかわる取材をこれまでそれなりにしているし、人間生きていれば遅かれ早かれ、こういうシチュエーションは必ず訪れるものだから。でも自分が気丈でいられる最大の要因は、数年前から始めた「母さん積立」のお陰であろう。うちは兄弟が3人いるのだけれども、「母さんが重い病気で入院したり、突然倒れたりした場合に備えて、毎月1人1万円づつ積立をしよう」ということで話がまとまっていたのだ。これまでの合計金額なんて微々たるものだが、毎月まいつき積立をしていたお陰で、いざの時の心構えが自分の中で培われていたようだ。1万円が千円でも構わないけれども、親の介護を想定した積立を、今のうちにやっておくことを閲覧者諸姉兄には、ぜひお勧めしたい。腹が据わるから。
とは言いながら、もし自分が那覇支局とか奄美大島駐在になってしまったら、どうにも太刀打ちができない。兄は教員で朝早く夜遅い生活。姉は3人の幼子を抱えている。オヤジは30年前に「写真」になった。自分が介護の主体になるので、とても田舎の支局でのんびりできる状況ではなくなってしまったことは間違いない。そこで昨日私は直属の上司に、遠隔地への異動を見合わせてもらうよう、願い出た次第なのである。
どういう苦境に立たされようと、EINを楽しみにしてくださる閲覧者さんがいる限り、私はホームページの更新をやめるつもりはない。でももし一時的に更新が滞ることがあったなら、そのときは勘弁してくだされ。
4月8日(木)びし「園芸記者」デビュー
今日から私の生活は変わった。母が入院した病院は完全看護だから、自分が常に付添う必要はないが、その代わりに実家での母の「日常業務」を肩代わりしなければならず、これが結構厄介なのだ。
洗濯や食事だけならまだいい。なにしろ面倒なのが、実家の庭の草花の手入れ。母は園芸が趣味で、実家の庭は花だらけ。水をやったり、雑草を取ったりするのが大変で、この作業だけで朝の1時間ぐらいは簡単に潰れてしまう(8月12、13日の日記参照)。でも花の一部(今はチューリップとか)を切って病院に持っていくと、母は自分が丹精込めた花を見て喜んでくれるし、こちらも一切金はかからないし、まあ一石二鳥といったところだ。
またこれまで私は、仕事がある日は1日1食(実家で食べる残飯整理の朝食で、馬に食わすほどの量)だったのだが、今日からは朝軽く、昼も軽く、という1日2食の生活に切り替えた(夜は人と会って食事をする以外は何も食べない)。
取材と執筆と見舞いを済ませ、帰宅。母が加入している複数の保険に入院特約がついているのかどうか、ついているとすれば1日いくらなのか、今から調べないと。事前に調べておけばよかったのだが、本人を前に「母さん死んだらいくらもらえるの? 入院したらいくらもらえるの?」とはさすがに聞けないもんね (^o^;)。
今日はたくさんの閲覧者さんから激励のメールを頂戴した。御礼申し上げたい。私も今件を日記に書くべきか否か大いに悩んだのだが、自分と同世代の閲覧者さんが、将来的に予測される親の入院や介護に不安を抱いていることを知って、書いて良かったと今では思っている。いつもこういう話ばかりではないけれども、私の日記が将来の介護に不安を抱える閲覧者さん(とりわけ男性)の参考になればと思っている。
4月9日(金)ジャガーの眼
朝早く、実家の草花に水をくれていたら、町内の老人会の顔役である一二三(ひふみ)ばあちゃん(推定82歳)がやってきた。
「あら優ちゃん、珍しいわねえ」「いえ、僕は『秀ちゃん』の方です。名前負けしている劣等兄弟の、弟の方です。で、今日は何ですか?」「老人会の会費をもらいにきたのよ」
私が月額の600円を支払うと、一二三ばあちゃんは「22日に老人会の総会があるから、お母さんにも出席してほしいのよ」と言う。そして私が間髪を入れずに「母は22日は出席できないですねえ」と返答すると、一二三ばあちゃんの慈愛に満ちた優しい眼差しは、獲物を見つけたジャガーの鋭い眼光に一変した。ヤバイ! だが時既に遅し。
「お母さん、どこか具合が悪いの?」
恐るべき「老人力」。母親の代わりにセガレが庭の草花に水をやり、「老人会に母は出られない」という物言いで、すべてを見すかしてしまうのだから。私がアーウーと言い淀んでいると、ジャガーは「じゃあお母さんによろしくね」と言い残して去っていった。
思うに、「お母さんは今、どこにいるの?」とは聞かないところがお年寄りの特性なのだ。私が「実は今、病院に入院してまして」とでも言おうものなら、逆に機嫌を悪くしてしまう。なぜならご近所のお年寄りにとっては、「びし山さんは病気にでもなったのかしら。入院でもしているのかしら」などと詮索し、噂することが何より楽しいのだから。老人会は明日の朝おそらく、別の追っ手をびし実家に放つことであろう (^o^;)。こちらもクマの着ぐるみなぞ身に着けて応戦したいところではあるが、支度がないので諦めよう。
今日は原稿執筆を済ませた後、横浜美術館に足を運んだ。明日から始まる恩師(こないだ死んだ)の個展の内覧会が開かれたのだ。会場で恩師の油絵を見て感慨に浸っていると、大学時代の別の恩師(工芸)に出くわし、10年ぶりに言葉を交わした。「劣等生ですみません」「いや、畑は違っても元気でいてくれれば、それでいいよ」
美術館を後にして今度は母親の病院に足を運び、一二三ばあさんとの一件を報告。母は笑ってた。それから会社に戻って新たな原稿を打ちまくる。結構厳しい状況ではあるが、毎日が充実しているし、楽しい。
4月10日(土)恵みの雨
雨が降った。花の水やりは休み。この天気では老人会も新たな追っ手を放ってくることはないだろう。午前中に休日返上で取材を一件済ませ、午後は久々に自宅に戻る。この1週間というもの、ほとんど実家に寝泊まりしていたのだ。
戻ってみてびっくり。日曜日に酔っぱらいオヤジと飲み食いした食器類が洗われぬままで、しかも異臭を放っているではないか! 慌ててコップや皿や鍋をガシガシと洗い、窓を開けて室内の「酸っぱい臭い」を追い出した。
洗い物を済ませてから、ホットカーペットの上に寝転がって毛布にくるまる。酔っぱらいオヤジの「残り香」(^o^;)。ピーターポール&マリーのCDを聞きながら寝る。「500マイル」「風に吹かれて」。そのうち自分は夢の中で、どこかの砂浜に佇んでいた。傍らには女性。それが誰だかは分からなかった。
盛りだくさんの1週間だった。
4月12日(月)声高らかに彼は歌わん
知人から面と向かって厳しく批判された。
兄はミッションスクールで教員をする傍らバンドを組んで、「歌う伝道師」として活動しているカソリック信者(昨年クリスマスイブの日記参照)だ。賛美歌を日本の民謡やロック風にアレンジしたり、オリジナルの楽曲を作ったりしてCDまで出している。このCDが今、宗派を超えてクリスチャンの方々にえらく評判が良くて、売れているらしい。
で、私はクリスチャンの知人から「びしのお兄さんのバンドはすごく人気があるよ」と教えられて、「兄の活動には全然興味がないから知らない」と返答したのだ。私自身は信仰を持たないので。そしたら「実の弟なのに」と前述の批判を浴びせられ、彼から兄のCDを手渡され、「いいからこれを聴いてみろ!」と脅かされた次第なのである。
初めて兄のバンドのCDを聴いた。そしたら不覚にも、涙が出た。
ドアを開けたら開けっ放し、電気はつけたらつけっ放し、パンツは脱衣場の床に脱ぎっ放しの兄。基本的な生活習慣すらできていないのに、神様もクソもないでしょ〜に! というのが私の思いだったが、聴く側の信仰心の有無はともかくも、歌を通じて「辛いけど生きようよ」と訴えている兄の存在を知人から教えられて初めて知り、自分で自分が情けなくなってしまった。
涙は兄の歌に感動したからなのか、今まで兄のことを知ろうともしなかった自分自身が恥ずかしいからなのか、よく分からない。いずれにせよ自分は今、兄の仕事を尊敬できるようになった。それが私にはとても嬉しい。
でも私には、家族はどうあれ信仰を持つ気はない。
4月13日(火)スプリント使用報告その2
今日は取材の後に泊まり勤務に突入するので、朝のうちに日記を打ってしまおう。
顎関節症(TMD)治療用のスプリントを睡眠時に口にはめるようになってから、1週間が過ぎた。最初は強い違和感があったけれども、今ではすっかりワタシ、スプリントなしでは眠れないカラダになってしまって…(^o^;)。
でも治らん。いまだに顎がボリボリ鳴っているぞ。まあ1週間程度では治る訳があるまい。
閲覧者さんのTMDカミングアウトも延々と続いている。お気に入りサイトの主宰者さん(ご婦人)からも「私もぼっくんぼっくん顎が鳴るんです」というメールが届き、その「ぼっくんぼっくん」という表記に大笑いしてしまった。「パリパリ」という人も、「こきこき」という人も。音の違いは症状の度合いによるものなのかどうか、よくは分からないけれども、早いとこ近場の口腔外科で診察を受けることをお勧めしたい。
ストレスは身体のいろいろな部位に現れる。でも時代は今、顎関節方面がナウでトレンディー(死語2連発)なのかも。今私がはめているスプリントは透明樹脂製だが(5日の日記参照)、これからはファッション性が重視され、蛍光ピンクとか紫とかの色付きスプリントも出てくるのではないだろうか。iMacよろしく患者が色を選べるサービスがあると、もっといい。「私はストロベリーでお願いします」「旧タイプのボンダイブルーはないんですか?」みたいな。口にはめるとスーッと清涼感があるミントフレーバーなんてのも楽しい。
あとはスプリントを入れて持ち歩くケースも必要だ。特に今日は私なんか、会社で寝なけりゃならないから、どうやってスプリントを携行したものか妙案が浮かばずに困っておるよ。だれか早く開発してくれ! 今なら実用新案も取れるはず。例えばポストペットのキャラクターをあしらったスプリントケースなんて作ったら、爆発的に売れるのではないだろうか。キティちゃんとか深田恭子ちゃんとかもいい。もしメグ・ライアンの写真入りケースが出たら、私は絶対買う・(←掟破りの機種依存ハートマーク)。
とりあえずケースが開発される間のつなぎとして私は、空になった名刺入れにスプリントを突っ込んで持ち歩くことに決めた。うむ、スケルトンタイプもなかなかイカス(←大馬鹿者)。
ところが、だ。スプリントを携行して勇躍出社すると、夜勤と泊まりの人員配置を記した白板に、私の名前がないではないか! えっ、私の泊まりは明日なの? これまた失礼しましたあ〜。
4月14日(水)税期預金
今日が本当の泊まり勤務。出社前に銀行に出向き、定期預金(自動積み立て)を全額おろす。何しろこの時期は税金が辛い。とりわけ土地家屋(マンション)にかかる固定資産税と都市計画税が。こーゆー時に家族が入院したりするのはすこぶるタイミングが悪いが、「税期預金」をしておいたことが不幸中の幸いと言えよう。でも税金のためにせっせとお金をためるのって、すごくせつない(^o^;)。
さて、これから役所に払い込みに行くか(ついでに取材も)。では本日はこの辺で…。
4月15日(木)気丈な病人とヌケサクのせがれ
泊まり明け。帰って眠りたいところだったが仕事が立て込んでいるため、朝から取材に突入する。レギュラーコーヒーの製造工場、ジャズダンスの主婦サークル、最新鋭機器を備えた動物病院、観音さまの石仏など計5本(何の脈絡もなし)を一気に取材。それから母が入院している病院に向かう。今日は腹部血管の造影検査があった。ふとももの付け根から針を刺して管を入れ、造影剤を注入して肝臓、胆のう、膵臓、胃、腸、腎臓などの血管を調べるのだが、病院によるとこの検査の名称は「アンギオ」というのだとか。名は体をあらわすというが、いかにも痛そうだ。もう少し病人にやさしい名前に改称できないものか(^o^;)。
私が病院に着いたころには既に検査は終わっていて、母は憔悴し切っているかと思ったのだが、あにはからんや、ベッドの上で猛り狂っていた。私の顔を見るなり開口一番、「あたしはだまされた!」。なんでも局所麻酔をかけてから検査に入る時に、担当医が「それでは執刀します」と言ったらしい。「これは検査じゃない。手術だ!」と母。「検査でもメス使うときはあるんだってば」と私。それにしても「アンギオ」とか「執刀します」とか、不用意な物言いをする病院だ(苦笑)。
「ところでクリーニングに出しておいたあんたのクレリックシャツ、取りに行ったの?」「行ってない」「なにやってるのよ! それにちゃんとごはんは食べてるの?」「食べてない」「だめじゃないのよ! じゃあ部屋に入れっ放しのプルメリア(南国の植物)、外に出したの?」「出してない」「あ〜もう、あんたもっとシャキッとしなさい!」「スンマセン…」
「アンギオ!」って言うくらい辛い検査を終えた後でも気丈なところを見せていた母に、私は安堵した。病人には「私がいなければ」という気持ちを奮い立たせることが大事。こうった意味合いにおいても、せがれは如才ない奴よりヌケサクの方がいいのである(^o^;)。
4月16日(金)太郎は生涯の伴侶
取材にかこつけて夜、既婚女性とデートする。相手は「太郎が俺を憎む」の腹話術師・E子さん。ひょんなことから彼女に連絡を入れる機会が訪れ、会うことになったのだ。会う前に「太郎は連れてこないでください」とお願いしておいたので、彼女は「1人」でやってきた。E子さんと会うのは1年ぶり。40の大台に乗ったとはいえ、とっても可愛らしい女性。でも二重人格 (^o^;)。
横浜駅近くのスペイン料理屋で食事をしながら簡単な取材をした後、「太郎が〜」のプリントアウトをE子さんに手渡し、読んでもらう。「すごく面白い!」と彼女は笑い転げていた。
「E子さん、太郎ではない別の人形とコンビを組むことはできますか?」「絶対に無理です。太郎とは夫以上につきあいが長いですから」「でももう太郎は顔がひび割れだらけでボロボロじゃないですか」「一度は補修も考えましたが、なまじ手を加えると別の人形になってしまいますから、今のままでやっていくつもりです」「太郎は生涯の伴侶ですか?」「私が死んだら棺桶に一緒に入れてもらいたいです。でもプラスチックの人形は一緒に燃やすことができないので、それがすごく残念なんです」
デートの後、会社に戻ってE子さんの話を小さなコラムにまとめる。原稿を打ちながら、「とてもE子さんとは不倫はできないな」と思った。もしそんなことをしたら、私は恐らく太郎に殺されるだろう…。
4月19日(月)恐怖の「惑星直列」
私が働くカイシャの新聞には、複数の記者が持ち回りで記事を書く「シリーズもの」がやたらと多く、それぞれ1週間〜3カ月程度のサイクルで仕事が回ってくる。日々の業務(本来3人で分担すべき仕事を2人でやっている)でさえ青息吐息なのに、持ち回り仕事に当たると大変な労働過重となる。
そして今週、恐怖の「惑星直列」が私に襲う。これまで適度な間隔で担当していた持ち回り仕事が、この1週間のうちに4シリーズ(計11本)、私に集中するのである。それぞれ違ったサイクルで太陽の周りをぐるぐる回っていた惑星が、ある時ずらりと一直線に並ぶようなものだ。太陽と言えば聞こえはいいが、「惑星直列」で私は一気に暗く落ち込むのであった (-o-;)。
でもこれは、記者に限った話ではない。人の仕事って、天体の運行みたいなものだ。ある時期には「惑星直列」や「グランドクロス」みたいな状態が必ず訪れる。それを早めに予測して手を打っておく天文学的な素養が、人には必要かもしれない。で、異常事態への対処法としては、やっぱり前倒しで働くしかないんでしょうな。「ハレー彗星の大衝突」を回避するためにも。
というわけで、日記の更新も前倒し。まだ19日の朝だっていうのに…。
4月20日(火)太郎話で日米関係修復へ
米国国務省から、カイシャに日本語研修生がやってきた。40代の女史で、6月から米国大使館に勤務するにあたり、日本のマスコミの姿を勉強することが目的だとか。日米関係に傷をつけないよう、丁重におもてなしした。
「手始メニ、コレ読ンデクダサ〜イ」
「Taro hates me …!?」
「オーイエ〜」
日本のマスコミの実態を知ってもらうには、「太郎が俺を憎む」の英語バージョンを読んでもらうのが一番と判断した (^o^;)。
女史は刷り出しに目を通し、なぜか頬を赤らめて笑っていた。「私もこういう失敗をしたことがあるし、米国の新聞記者にもこの手のヘマは日常茶飯事。でもこれから記者になろうという人に、これはなるべく見せない方がいい(苦笑)」といった旨のご感想だった。
で、私は「コレ記念デ〜ス」と称し、EINのURLを付記して刷り出しを進呈した。太郎話は女史を通じて米国国務省ならびに米国大使館に配信されることであろう。EINがブックマークされるのも時間の問題だ。よし、この際だから英語バージョンの充実を図るぞ。日米関係の修復に貢献できて、私は幸せ者だ(勘違い)。
4月21日(水)インフォームドコンセント
母のアンギオ(4月15日の日記参照)の結果が出たというので、仕事を終えてから医師の説明を聞きに行く。この病院はインフォームドコンセント(患者や家族に対して病状を十分に説明した上で、治療の実際に関しての合意を得る)が進んでおり、現在の病気の状態と治療の方法、それによる副作用などを懇切丁寧に教えてくれた。また医師の説明から、治療に対して相当の自信があることがうかがい知れ、ああ、この病院にかかってよかった、と心底安心できた。
が、肝心の母は最初、医師の説明を聞くことを拒んだ。怖かっただろうし、まあ無理もない。その割には子供たち3人が医師の話を聞いた後で病棟に戻ると、「私は死ぬのか」とか「あんた顔色が青いよ」などと突っ込みを入れてくる人なのだ (^o^;)。私は笑いながら母に言った。
医師は次に、母が不安にかられないような方法で、もう一度やさしく説明してくれた。結局話を聞いて、母も安堵した様子だった。インフォームドコンセントも、あいまいな説明では患者や家族の不安が倍増するし、度を越しても逆効果となるし、そのサジ加減は実際の治療以上に難しいようだ。今回はたまたま「当たり」だったけれども、病院を選ぶときには治療の技術もさることながら、その病院がインフォームドコンセントに対してどのようなスタンスを取っているのかをよく調べておく必要があるなあ、と思った次第。
4月22日(木)「三日スプリント」
とはいえ(?)自分の方のTMD治療は滞りがちだ。ツルッパで作ってもらったスプリント(5日の日記参照)を近ごろ、口にはめるのを忘れて眠ってしまうのである。未明に目を覚ましてスプリントの未装着に気付くこともあるのだが、トイレに起き出すのと同じぐらい面倒なので、大抵はそのまま寝入ってしまう。
これではイカン、と反省し昨晩、ベッドわきの電気スタンドに「スプリント」という張り紙をしてみた。よし、これで自己治療を怠らずにすむぞ、と安心したものの、けさ目を覚ましたら、またぞろスプリントをせずに眠っていた自分が、そこにいた(^o^;)。
4月24日(土)本名を忘れそう
「びし」というのはハンドルネームであって、決して本名ではない(当たり前じゃ)。ところが最近は、プライベートで人と会うときでも「びし」と呼ばれる頻度が無茶苦茶高まっていて、ともすれば本名を忘れてしまいそうになる。つい先日も役所に提出する書類に自分の名前を書こうとして、本名を思い出せなくなる瞬間があったくらいだ (^o^;)。
あまつさえ近ごろは、EINを閲覧している同僚記者らまでもが「びし原さん」「びし山さん」などと面白がって呼ぶために、生活の中からどんどん本名が失われていく脅威(恐怖?)をマジで味わっている。本名を秘匿しているライターさんやタレントさんはいくらでもいるけれども、そういった方々と一会社員の私とでは、その意味合いが違う。インターネットの力ってスゲー、とあらためて実感した次第だ。もしかしたらそのうち、「びし」の方がお金を稼いでくれるようになるかも。そしたら本名の私は会社をブチ辞めて、のんびり遊んで暮らそうっと。仕事は全部「びし」に任せるんだ〜い(←バカ)。
4月25日(日)次が気になる
統一地方選挙・第2ラウンドの本社要員として、夕方から出社。今日は取材ではなく、現場の記者から携帯電話で送られてくる情報を受ける役目なので、先日「オレバカ歳時記」に書いたような騒動の当事者にはならなくて済みそうだ(^o^;)。
私なぞは投開票日だけの要員なので、いたって楽なのだが、カイシャには何カ月も前から選挙報道のための「事務局」として準備を進めてきた同僚記者らがいる。本当にご苦労(徒労?)さまでした、と申し上げたい。同業他社の方々にも。
で、気になるのは衆院選。うわさでは秋口に解散とも。2000年4月に介護保険がスタートすれば、さまざまな問題が浮かび上がってくるので、そうなる前に連立与党が「仕掛けて」くるのでは、との憶測が飛び交っている。もし解散したら私はその日から、「衆院選世論調査事務局」なのだ(iへi)。
4月26日(月)TMD診察報告その3
「びし神さーん」「はいは〜い」「今日は保険証持ってきてますよね」「あっしまった。忘れちゃいましたあー」「困るんですよお。この間も保険証忘れたから、今回は絶対に持ってきてくださいって言ったじゃありませんか」「どもスンマセン…」「次回は必ず持ってきてくださいよ」「ええもう、必ず持ってきますけん」
「びし小路さーん」「はい〜」「それじゃ、スプリントを出してください」「あっしまった。忘れちゃいましたあー」「困るんですよお。今日はスプリントの調整をするのが目的だったのに、モノを持ってこなければどうにもならないじゃありませんか」「どもスンマセン‥」「次回は必ず持ってきてくださいよ」「ええもう、必ず持ってくるでごんす」
という訳で、今日の診察は不発に終わった。治療費120円。次の診察日は5月13日。恐らく次回の診察でも私は、保険証とスプリントを忘れるに違いあるまい。もし私を哀れに思う閲覧者さんがいらしたら、5月12日に「おいびし、明日は保険証とスプリントを忘れるでないぞ!」というメールをご送信くだされたし (^o^;)。
4月27日(火)ケーヒケーカンモンミヤクソクセン術
母が表題のような名前の手術を受けた。これは予備的な手術で、本手術は5月の半ばにある。この「ケーヒケーカン〜」は新しい医療技術で、メリットも大きい半面、リスクもデカイという代物。これを受けるか否かをめぐり、家族間でモメた。が、結局実施と相成った(こういう局面は、今後もあるのだろうなあ…)。私は術前に病院に足を運んで母に付き添ったが、仕事が立て込んでいるためにノートパソコンを持参し、病室でチャカポコ原稿を打ちまくった。記者は取材さえ終わってしまえば原稿はどこででも執筆できるから、こういう状況では非常に具合がいい。普通のサラリーマンの方々より、よほど恵まれているのだ(でも病院で原稿執筆するバカは、そうはいない)。母と世間話をしながら原稿を打っていると、兄と姉がやってきたので、母を手術室に送り出した後で付き添いを交代し、自分は会社に戻って原稿執筆を続行する。
今日の手術は1時間程度の予定だった。ところが原稿執筆を終えて再び病院に足を運ぶと、まだ手術は終わっていないという。だって手術開始から4時間もたっているじゃんか! 手術室から出てきた母はさすがに憔悴しきっていたが、子供らを心配させないようにと努めて陽気に振る舞っていたので、こちらの胸はひどく痛んだ。でも手術そのものは医師団が慎重を期したために遅くなったとのことで、予定通りの処置が済んだと聞き、ほっと一安心する。安心したら、どっと疲れが出た。
で、5月2日から5日まで、母は一時帰宅が認められた。この間は私も幸い勤務がないので、「在宅介護」じゃ。私もこの間ばかりは仕事のことは忘れ、のんびりするつもり。決して原稿打ちはせぬぞ(^o^;)。
4月29日(木)締め切り明日じゃんか!
実家の冷蔵庫のドア−に、1点だの2点だの点数券が張り付けられた台紙が、磁石で止めてあった。なになに「ヤマザキ春のパンまつり」とな?。ヤマザキパンを買うと点数券がついてきて、それを20点集めるとパン皿が店頭でもれなく1枚もらえる、という趣向らしい。合計点数を数えてみると、58点。あと2点で皿が3枚もらえるのだな。年老いた母は、点数をためてパン皿がもらえる日を楽しみにしていたのだろう (^o^;)。締め切り日を確認してみたら、明日じゃんか! こいつはヤバイ。年寄りを落胆させるのは不本意だ。明日は私が代わりに2点分のパンを買って、皿を3枚もらわなければ。
閲覧者諸姉兄の中にも、ポイントを集めておきながら締め切り日に無頓着な方がおられるかもしれない。「ヤマザキ春のパンまつり」の締め切りは、明日だぞ! (そんなもん集めてる閲覧者はいね〜よ…)
4月30日(金)これで3枚もらえる
「うーっす」「びしさん、どうしたんですか。食パンなんか手にぶら提げて」「あ、ああ、これね。『新食感宣言』ってやつだ」「え、なんですか?」「つまり『表面はカリッと、中はもちもち』ってやつ」「それ、今日の昼飯ですか」「いや、いつも通り昼飯は抜き」「相変わらず分からない人ですね」「わっはっは」
という訳でポイント2を獲得し、計60点。これでパン皿が3枚もらえるのだ。
昨日の日記を読んだスジャーターゆすぎ派の女性閲覧者さんから、「私も『春のパンまつり』の点数を集めています」とのメールが届いた。今日で20点たまったらしい。おめでとう (^o^;)。ちりも積もれば何とやら。点数集めに情熱を燃やすご婦人方を見習って、私も今日からハギワラ酒店のサービス券(100点たまると100円おまけ)を捨てないで集めることにしようっと。
いやー、それにしてもしんどい1カ月だった。ソメイヨシノが八重桜に代わり、そしてツツジへと、「花景色」の変化がいつになく早く感じられた。来月も大変そうだなあ…。