【2001年1月の日記】

1月31日(水)バンザイクリフ

 サイパンへ行ったからには、ぜひとも足を運びたいと思っていた場所。

1月30日(火)サイパン「失敗」水中写真

 EINをリンクしていただいている海女さんのホームページに触発され、サイパンで水中デジカメ写真(オリンパスC−3000&防水プロテクタ)に挑戦。してみたものの、あえなく失敗した。サイパンの魚に日本語は通じないらしく、こちらの意のままに止めたり動かしたりすることができなかった。これが伊豆の国産魚だったらうまく撮れていたかも知れないが。

 でも折角なので「私の恥ずかしい写真」を、無料でお見せします(何の話だ…)。

リュウキュウスズメダイみたいな魚

モンガラカワハギみたいなヤツ

塩焼きにして食べたいサヨリの群れ

南国の海に迷い込んだ若アユ

 ちなみに、最後の「若アユ」と私は無関係で、撮影に際しては本魚の承諾のもとに行われたものであることを申し上げておきたい。

1月29日(月)帰ってきました

 私が日本を離れた直後に首都圏は大雪、悲しい軌道事故、インドでは大地震。このような状況下、私のサイパン話など口が裂けても…。一応ライセンスは取得できたのですが。

1月26日(金)飛行機事故の犠牲になったびし山周治さんの、涙をさそう最後の更新

 今日から3泊4日の日程でサイパンにダイビングのライセンスを取りに出掛ける。日本は真冬だがサイパンは常夏。成田まで着ていくダウンジャケットは空港の預かりサービスを利用することにしよう。あと問題は百匹だ。これも空港に預けていくことにするか(^o^;)。では皆さん、29日の更新再開まで、ごきげんよう。

1月25日(木)こういうブレンドもある

 もう15年ぐらい前の話だけど、自宅近所にあったインド料理屋のマサラチャイ(香料入りミルクティー)が私の大好物だった。あるときその店でいつものようにチャイを注文したところ、「今日はもうカップ半分ぐらいしか残っていないから、もう半分はコーヒーを入れて飲んでほしい」とインド人の店長に勧められ、私は眉をひそめた。「そんなものは飲みたくない」と店長に言うと、「これがすごくおいしいんだよネ。インド人はチャイとコーヒーを半々で飲んでるヨ」とのこと。だったらということで試しに飲んでみると、これがすごく美味だったのである。それからというもの私は、その店ではチャイとコーヒーの「ハーフ&ハーフ」しか頼まなくなった。

 その店長はやがて行方をくらまし、新たなインド人店長がやってきた。その新店長になってから初めて店を訪れた日、「コーヒーとチャイを半々で飲ませてくれ」とオーダーすると、「そんなものは出したくない」と眉をひそめられた。「だってインドの人はそういうのを飲んでいるんでしょう?」と聞くと、「そんな奴はいない」と言うではないか。どうやら私は旧店長に一杯食わされた(飲まされた)らしい。でも本当に美味だったのだ。皆さんもチャイとコーヒーの「ハーフ&ハーフ」を、ぜひ試していただきたい。

 あと美味だったのは、タカナシ乳業の飲むヨーグルトと、ビールを半々に混ぜた「ビアグルト」。だまされたと思って、こちらもぜひお試しいただきたい。

【注】よい子は絶対にだまされてはいけません

1月24日(水)新感覚の飲み物発見!

 カイシャには給湯・給茶機はあるが、社員が自由にレギュラーコーヒーを飲めるサーバー(メーカと言った方がいいのか)はない。仕方がないので私はインスタントコーヒーを1瓶買い置きし、気が向いてはコーヒー粉をカップに入れて、お湯で溶かして飲んでいる。

 が、今日の昼間に飲んだコーヒーはいつもと違って、ひどく不気味な味がした。一体どうしたんだ? 一夜にしてコーヒー粉が腐ったのか? 原因を確かめてみたら、私は給湯ボタンと間違えて給茶ボタンを押していたのであった。コーヒーのお茶割りだ(^o^;)。

 コーヒーと日本茶のブレンドは生まれて初めて飲んだ。一口飲んで捨ててしまおうかとも思ったが、「資源」を無駄にしてはいけないと、最後まで飲んだ。半分までは気持ち悪かったが、6割方飲んだところで「こいつもなかなか悪くないな」と思い直し、さらに8割方飲んだところで「なかなかオツな味じゃないか」と。そして全部飲みきったころには、「コーヒーのお茶割りはうまい!」と確信した次第。失敗は成功の母。新世紀にはこういう新感覚の飲み物がはやるかもしれない。

 私が飲んだのはインスタントコーヒーと安いお茶のブレンドだったが、例えばエメラルドマウンテン6割に対して、宇治のかりがね茶4割、などといった混ぜ加減などがいいかもしれない。研究の価値がありそうだ。みなさんもだまされたと思って、コーヒーと日本茶のブレンド、ぜひ一度お試しくだされ。

【注】よい子は絶対にだまされてはいけません

1月19日(金)マックに祝われ老いを実感

 夜遅く帰宅し、久々にマッキントッシュを立ち上げて驚いた。起動画面に「Happy Birthday!」の文字が。あ、そか、今日(もう20日になっていた)は私の誕生日ではないか。でもうれしくはない。走ったり、階段を上り下りしたりするときに、著しい体力の衰えを感じるようになった今日このごろだ。

 でもカイシャでアルバイトをしている大学生たちに、「私って何歳に見える?」と聞くと、大抵は8歳ぐらい若く見られるのだ(精神年齢の低さゆえか)。だったら明朝からは9歳若く見られるぞ。とはいえ「何歳に見える?」攻撃も、もう以前のような効力を発揮はすまい。だって今ではほとんどのバイト君が、正解を知っているんだもん(^o^;)。

1月17日(水)膿よ、って何でこれが第一変換候補なんだ!

 26日から3泊4日の日程で、サイパンのダイビングツアーに行くことが本決まりとなった。サシツマを見たライターの石●里●嬢からは、「私も年末に海外で衝動的にCカードを取ったよ〜」と自慢メールが届く。メルマガ「R●D●C●」主宰のめ●る●ん氏も、彼女に触発されたのか、ライセンス取得に意欲を示しているらしい。挙げ句のはてに●原●紗嬢は、「びしさんも●た●ま●も、全く海が似合わない人ですね」だと。冗談じゃない。「●A●I●A」の主宰については彼女と同意見だが、この私は違う。膿の、じゃねえや、海の薫りが今もぷんぷんするじゃないか。もっとも横浜の造船所街で生まれ育った私の場合、海とはいっても重油系の薫りなんだけど。

 よし、サイパンの真っ青な海で、体にしみついた油臭さを落としてくるぞ。同じアブラでも脂を落とすのに情熱を燃やしている(?)Kさんと手に手を取って(^o^;)。←やっぱり薔薇系か

1月16日(火)恋の(?)1人組合

 所用で本社に足を運ぶ機会がある日、なぜだか大抵、私は社長に接近遭遇する。それは本社に向かう路上だったり、あるいは社員食堂だったり。今日も偶然、最寄駅でばったり社長に出くわした。で、こういうときの私は「1人組合」と化す。通常は一記者が社長室にねじ込むなんてことはできない。が、偶然の遭遇だったら鬱陶しい社長室長もいない分、思いのたけを心ゆくまで吐き出すことができる。今日のテーマは「記者のメンタルケア」について。激務の部署では精神のバランスを崩す記者が出兼ねない。そうならないように、カイシャには記者のメンタルな部分まで含めた労務管理が不可欠なのだ、と。こういう話を「今日のお天気」の話を交えながら直訴する楽しさは格別だ。

 あるとき同僚に言われた。「お前は偶然を装っているのではないか」と。その後、こともあろうに、「あいつは社長に恋してる。社長と一緒にいるといつもニコニコしている」などというあらぬ噂も。違う! それは間違いだ! ユーミンの「待ちぶせ」(古いんだよ)と一緒にしてはいけない(^o^;)。

1月10日(水)おめでとうZ記者

 オレバカ新作で紹介したZ記者の初日の出写真に、社内で賞が出ることになった。こいつはめでたい。自分自身がほうびをもらうよりもはるかに。

 その直後に日本新聞協会から電話が入る。私が執筆を担当している連載記事への問い合わせだった。え? もしかしたら私の連載に新聞協会賞をくれるとでもいうのか? 一瞬色めき立ったが、そうではなかった(^o^;)。記事を読むだけでは内容がよく分からないので、真意のほどを取材・執筆した担当者に直接聞いてみたい、という趣旨だったらしい。まあ理由はどうあれ、自分が書いた記事が注目を集めるのはいいことだ(ii)。

1月9日(火)Kさんの英断に拍手

 3日のサシツマに書いたCカード取得サイパン旅行だが、くだんのKさんから「行く」という言質を取り付けた。絶対にダイビングなどしそうにない2人だから、サメも驚く珍道中になるに違いあるまい。が、溺死だけは何としても避けたいものである。で、旅の顛末をEINで紹介しようかな、とも思ったけれども、諸般の事情があってやめることに。そっちはKさんのサイトに一任じゃ。読んでみたい方は2月の初旬ごろ、検索エンジンに「Kさん」と打ち込んで、探してみてくだされ。

1月8日(月)不安的中も…

 私宛てに新たな年賀状が届いているというので、実家に取りに出掛けた。

 お元気ですか? お久しぶりです。

 この度は16年前に書いたポストカプセルなどという大変変わった いや 大変失礼な手紙をありがとうございました。

 残念ながら今のところ、離婚はしておりません。

 追伸:1度声をかけたら無視された…ヒドイ

 F井M香

 悪い予感が見事に的中した。F井M香は16年前、私が家庭教師をしていた女子高生だ。ひどく勉強が苦手で、おまけに不良っけがあって、母親から「娘を何とかしてほしい」と頼まれたように記憶している。彼女の返事から察するに、「ポストカプセル」には恐らく「君は思いきり馬鹿な生徒だった。16年も経てば結婚のひとつもしているかもしれないが、どうせ今ごろは離婚しているに違いあるまい。いい気味だ。わっはっは!」などと私は書いたに違いあるまい。

 彼女から届いたはがきには、1歳になるわが子の写真も張ってあって(プリクラらしい)、誇らしげに「どうだ。かわいいだろ!」と一言。私の不安は見事に的中したが、読んでいてうれしくなった。願わくは幸せな家庭を維持してほしいものである。

1月7日(日)寒うっ!

 自宅の窓を開けて外を見たら、夜だというのに真っ白だった。目の前の桜の木をデジカメでスローシンクロ撮影。東京の多摩地区は寒いけど、雪景色は美しい。でも明日、雪の中を出社しなければならないのかと思うと気が重いわい。

1月6日(土)自分や家族だけならいいが…(昨日の続き)

 16年前の自分の行動に、今更ながら大いなる不安がよぎる。私は「ポストカプセル郵便」を自分や家族だけでなく、よもやまさか、そのころつき合っていたご婦人とか、大ファンだったアイドル歌手とか、密かに思いを寄せていた殿方(そーゆーのはいなかったと思うけど)などにも書き送ったりしたのではなかろうか、と。もしそうだったら、一体どんなことを書いたのだろうか、と。「ボクたちの子供は今ごろ、中学受験で大変な時期かな?」とか、「アイラブいーっよちゃ〜ん! お〜っ!」とか、「ヒロシ、16年後の告白をさせてくれ。俺は赤銅色のお前を愛していたんだ」とか…。

 差出人が転居していたなら、手紙は「宛て先不明」で私の実家に戻ってくるはず。だがそれが戻ってこないところをみると、バッチリ本人の手に渡ったか、はじめから手紙そのものを出していないかのどちらかだ。ああ、どうしよう、手紙の返事が来ちゃったらどうしよう。ヒロシと「老いらくの恋」が芽生えちゃったらどうしよう(^o^;)。

 全国津々浦々には今、16年前の軽率な行動を激しく後悔している人々がたくさんいるに違いあるまい。あるいはその逆に、16年前の思いも寄らぬ人から「私はあなたが好きでした」なんて手紙をもらってドギマギしている人が。できれば私は後者でありたかったが、そういったのは1通も届かなかった…。

1月5日(金)私からの手紙

 横浜の実家に足を運び、私宛ての年賀状をもらい受けて仰天した。何と私が私に宛てた手紙があるではないか。1985年につくばで開かれた科学万博で、2001年のだれかに宛てて手紙を送る「ポストカプセル郵便」が企画され、私は興味本意でそれに応募していたらしい。全く当時からバカな奴だったのだな…。早速封を切って読んでみた。

 拝啓。私はびし川秀二。●●歳。16年前の君である。16年前の君は、大学を休んでごろごろし、家庭教師2件と本屋のバイトで食いつないでおり、●●通りで古美術屋を開こうとしていたのだが、いま君は一体何をやっているのかね? もしかして死んでいるのではないかえ? それも自殺?

 まあいい。兎に角、16年前の君のまわりの出来事をここに書いておく。さて、いくつ思い出せるかね?

 とんねるず、戸川純、上野耕路、ウーパールーパー、うさぎ3匹、ロコサトシ、バグワン・シュリ・ラジニーシ、七福神人形、藤井美香、英研の親友・岩井俊二、町内のそば屋に下宿しているロック馬鹿の後輩イナバ、広瀬剛、タモリ、ビートたけし、「写真時代」、赤瀬川原平、宮武外骨、田口ゆかり、「忘れな草」、mtx50、「エロイカより愛を込めて」、蛭子能収、「晴れときどきぶた」、渡辺熱帯魚店、「What'sマイケル」、スキゾキッズ、考現学、國領経郎、みなとみらい21、「時をかける少女」、ケーナ、リリコン、岡野プール、キリヤマ隊長の「何?」

 どうだね? 君はいくつ覚えているかね? 半分も思い出せないようならもう、じじいだね。もっとも君は16年前からじじだったけどね。まあ、これからもがんばってくださいよ。

 敬具。

 1985年6月11日(火)

 あきれてモノが言えない…。こいつは16年後の自分を試してどうするつもりだったのか。全部覚えていたけどね。それにしても、16年前の親友と馬鹿な後輩が、今や日本のメジャーな映画監督とロックミュージシャンになっていようとは、想像だにしなかったわい。チキショーメ、あのころは日々の食い物にも事欠いていた奴らだったのに。

 「ポストカプセル郵便」はこれだけではなく、私が母に宛てた手紙も届いていた。

 拝啓。

 お元気ですか。この手紙を書いているのは16年前のあなたの息子の秀二です。

 お母さんは16年前に、黒沢明の「乱」を見て感動していましたね。ろくでなしの3番目の息子が一番親思いの良い息子だったという話でした。

 あなたの3番目の息子は今、何をしていますか。もし親不孝をしているなら、この手紙を16年後、つまり2001年の私に見せて怒ってやりなさい。

 1番目の小学校教員をしていた息子は今、何をやっていますか。

 2番目のファッションデザイナーをやっていた娘は元気ですか。

 あたなた今、生きていれば70歳ですね。相変わらず太っているのですか。少しやせたほうが体にいいと思いますよ。まあこれからも長生きしてくださいよ。

 敬具。

 1985年6月11日(火) あなたの息子・秀二より

 ほお〜、こいつって意外と孝行息子じゃん。われながら涙が出たよ…。

1月4日(木)Fカードを取らない理由

 きょうはGカードの書き換えで、東京・立川警察署に足を運んだ。閲覧者の諸姉兄はGカードをご存じだろうか。原付免許のことである(^o^;)。私が勝手に命名したのだ。

 16歳でGカードを取得して以来、今まで幾度となく更新を繰り返し、揚げ句の果てに交通課の担当者から「その年で原付免許だけってのも珍しいねえ」と笑われたこともある。余計なお世話だ!

 GカードからFカード(これは普免ね)にグレードアップしないのには、それなりの理由がある。私が自宅で太陽光発電を試みたり、極力外食を避けていることなどから、あいつは環境に配慮して車を運転しないのだ、と思い込んでいる仲間も少なくない。だがそうではない。自分の性格からいって、あれやこれや考え事をしながら運転することは目に見えており、その結果人をはね殺す恐れが多分にあるからなのだ。尊い人命に配慮してのことなのである。

 で、最近は原付にすら乗らなくなってしまい、近距離の移動はもっぱら徒歩か自転車。そして遠距離は電車。だがひとたび地方支局に異動になったならば、こんな暮らしは望むべくもない。そのとき一体どうするか。車を運転するのか、それともカイシャをやめるのか。そんな選択を迫られる時期が刻一刻と近付いている。

 普通に車を運転している皆さんからすれば、こいつはアホかと思われるかも知れませんが、その通り。私はアホです。でもど〜〜〜〜〜〜〜しても車を運転する気にはなれないので、「そのとき」は恐らくカイシャに辞表を出すでしょう。

 車を運転しない、というより運転できない記者は、私を含めてワガシャに2人。もう1人がFカードを取らない理由は分からない。果たして全国に「無免許記者」は何人いるのだろうか。この2人だけだったりして(^o^;)。

1月3日(水)Kさん、Cカード取りに行きましょうよ

 年末休みが取れなかった代わりに、1月の末ごろ3泊4日でサイパンへ行くことにした。「Cカード」と呼ばれるダイビングのライセンスを取りに、である。私はこれまで心身のリハビリのために陶芸をやっていのだが、より良い作品をつくって人を感動させたい、などという姑息な向上心が首をもたげ、結果として血相を変えて土いじりをするようになってしまった。こりゃまずい、もっと自分自身が感動し、心底リフレッシュできるダイナミックな趣味を持たなければ、という思いが私を海へと駆り立てた次第である。しかし自分ひとりで行ったんじゃつまらない。サイパンへは同じ志を持つ仲間を募って出掛けることに。「犠牲者」の1人として私は、絶対にダイビングなどやりそうにない某硬派サイトの主宰者・K氏に白羽の矢を立てた。 「Kさん、サイパンでCカード取りましょうよ」「いいですねえ、行きたいですねえ」。Kさんは興味を示していたが、「行く」という言質をとりつけることはできなかった。Kさん、もしサシツマを読んでいたら、メッセージボックスに「行く」と書き込み、来たよボタンを押してくだされ。待ってます。

 EINの閲覧者さんの中にも、ダイビングを趣味とする方がいらっしゃるはず。何も分からない私に、いろいろとご指導いただけたら幸いです。ぜひメールをくださいませ。ゆくゆくはEINの海中オフ会でも開きたいものです。

1月1日(月)今年もよろしくね

 新珠の、年の初めの御ことほぎ、めでたく申し述べます。年賀メールをくださった閲覧者さまには、深く御礼申し上げます。今日は午前6時に出社し、イライラしたり、怒ったり、悲しんだり、喜んだり、先が思いやられる慌ただしい一日でした。でも儲けもの。その顛末を明日、「オレバカ一番搾り」としてアップできそうなので。今年もEINをご愛顧のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。 

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