タイ人従業員との付き合い方のヒント
1.はじめに
筆者は長年サラリーマンとして社内の人間関係の中で生活し、現在は個人のいわば自営業であるが、それでも人との良好な関係は欠かすことのできない重要な問題である。極論すれば世の中は人間関係さえうまく行けば苦労はないと言っても過言ではなかろう。
ましてや、この文章の読者は文化も歴史も異なるタイ人従業員と仕事をされているのであるから、そのご苦労はさぞや大変で、想像を絶するものがあろうと思う次第である。
筆者は百人も千人ものタイ人従業員と仕事をした経験はないのであるが、事業運営のアドバイスをしながら、いわば側面的ではあるが日ごろ感じていることを今回は述べてみたい。このシリーズは「お役立ち情報」と名づけているが、お役に立つかどうか、何らかの参考になれば幸いである。
2.言語の問題は通訳の活用
どこの工場を訪ねても最大の問題は言語と言われることが多い。当然と言えば当然であるが、日本での大企業は別として中小の企業では英語の能力が十分とは言いがたい人物がタイの責任者になることが多い。タイ人の英語も欧米留学組や、そうでなくても大学で英語を専攻した者など一部を除き達者とは言えない。
筆者の英語もタイ語も中途半端で、細かいニューアンスを含んだ会話はとても不可能である。在タイの日系企業の責任者も失礼ながら同様の状態にある者が多いのではなかろうか。
意志疎通がうまく行かないとどういうことが起きるかであるが、タイ人従業員でも会社を良くしたいと願うのが通常であるが、その意志が伝わらないと折角の改善事業もお座なりになる。筆者の理解ではタイ人は自ら発言する習慣が余りないようである。それなれば日本人が積極的にタイ人の発言を引き出すように努めなければならないところであるが、それが伝わらない。日本人にもタイ人にも不満が溜まるということになる。
そこで、筆者が提案したいことは一流の通訳を月に1回でも2回でも定期的に雇ってお互いの言語でやりあうことが必要ではないかということである。社内に専従の通訳を雇える企業はそう多くない。人材がいないのである。また、いたとしても私が知る限り実力は今一でとても十分なコミュニケーションがはかれているとは言いがたい現実がある。
やはり、タイ語―日本語であれば日本の高校から修士まで終了した人材が欲しいところである。こうした人材はタイ政府の留学生の中にいるのであるが、政府との約束で、帰国したら、かなり長期間公務員として働かなければならないのである。しかし、工夫次第ではこうした人材を臨時に活用することは不可能ではない。また、それに準じた人材もあるのである。
とにかく、言語問題には最大の企業努力を払うことは欠かせないことと思う次第である。
3.民族性の問題―タイ人共通の幸福感
筆者の長年のサラリーマン生活の中で、一番気を使うのは、何を希望しているのか分からない部下、何をして欲しいか分からない上司であったような気がする。人様々でお金儲けが最大の関心事である人もいるであろう。仲間の中で抜きん出て出世することに最大の喜びを感ずる人もある。
しかし、お金をたくさん儲けても幸せが得られるとは限らないことは世の中に幾らでも例はあるのである。幸せは誰もが追求するものであるが、それが物で得られるより精神的な要素の方が大事で長持ちするように思われる。
それではタイ人はどのような幸せを求めているのであろうか。タイ人とて人様々であることには違いはなかろう。しかし、表面的なものを取り去ってタイ人に共通な幸福感があるのではないかと追求して行くと、やはり宗教にぶっつかることになる。
異論はたくさんあろうかと思うが筆者の経験では、タイ人は極めて宗教的であると言えるのではなかろうか。一方、日本は世界の潮流とも合致しているが宗教離れが進んでいる。日本の仏教も葬式仏教と化している面がある。タイ人は、日本人は仏教徒と理解しているが、実は無宗教もたくさんいるよと話すと驚くタイ人は多い。それでは何を頼りに生きて行くのかと問われたことは度々ある。
タムブンという言葉は今更説明するまでもないが、この世で徳を積めば、来世の幸福につながるという輪廻思想がタイ人の心の奥底に潜んでいるのは間違いないと思われる。そのよう輪廻思想をテーマとした小説、映画、テレビドラマがたくさんある。
1993年にタイの統計局が面白い統計を発表している。宗教、文化活動に関する統計であるが、全国の世帯をサンプリングして6歳以上のタイ人で、毎朝僧侶に食事のお布施をするタイ人は6%という数字がある。6%とは少ないと感じられるかも知れないが、筆者が在タイ時に住んでいた大きな屋敷では、翌朝お布施をするとなると大変である。前の夕方に買い物をし、朝3時ごろ起きて食事の準備にかかり5時ごろに来る僧侶を待つのである。昨日の残り物ではタンブンにはならないと聞かされた。それを毎朝続ける人が6%もあるというのは大変なことであると思わざるを得ない。
また、お父さんを亡くした人の葬式で、親族と話をしていたら、お父さんが亡くなったのは悲しいが、お父さんが来世で幸せをつかむかどうかはお父さんがこの世でどのような徳を積んだかによるので、自分の問題ではないと聞かされた。日本のようにお骨を拝む習慣はないし、自分の幸せは自分でつかむしかない、そのためにはこの世でタムブンをすることであるという徹底した個人主義のように思われる。
こうした、表面には現れない奥底にある心を理解することはタイ人従業員との付き合いでは欠かせないと筆者は考える。
その意味で南伝仏教の理解に有益と思われ、バーリー語の経典でよく読まれ、日本語にも訳された「法句教」(友松円諦訳、講談社学術文庫)や、「タイ仏教入門」(石井米雄著、めこん選書)を是非読まれるようにお勧めしたい。
4.タイ人のくせはどうにもならないものか
タイ人は知らなくても知っていると言う、分からなくてもうなずいているなどということは在タイ日本人なら必ず経験されたことがあるのではなかろうか。タイ人の言葉を信頼してとんでもないことになったということはよくあることである。しかし、タイ人にしてみれば、知らないと言うのは失礼であるから、とりあえず知っていると答えておいて、調べて期待に応えようという繊細な神経から来るものかもしれないのである。
実は、筆者は終戦後アメリカ人が日本へ入ってきて、同じような経験をするので日本人はしっかりしなければいけないという話をよく聞かされたものである。意味もないのに笑う。感情が表に出ないので何を考えているのか気味が悪い、時間を守らない、イエスとノーが明快でないなどなどたくさんあった。しかし、当時の日本人としては特に気にしなければならない欠点とは思えなかったのである。
タイ人のオフィスでの言動も長い伝統に裏打ちされたそれなりの理由があろうかと思われる。ただ、近代的なビジネスの場では困るというだけのことである。
終戦後、アメリカ人から気味悪がれた日本人も現在ではビジネスの世界ではそれなりにビジネスライクになっているのである。
われわれが気をつけなければならないのは、タイ人はだから駄目であると決め付けるのではなく、その背景を理解し、それなりに対応することではなかろうか。また、ビジネスはビジネスとして訓練することも大事なことであろう。
タイも経済力がつき、国際ビジネスの世界に足を突っ込んでいるのである。良い事かどうかは分からないが、ビジネスの世界ではそれなりにビジネスライクに変わって行くのではなかろうか。