2日         更新 202057 

大八木医院新聞
      第135号

20年61日発行)




目次
第一面
遠くて近いものを食べる
           大八木 明
ご同輩に捧げる老人雑想
           富田博信様

新聞切り抜き抄      医事科


人生論ノートC    渡辺泰明様
余生の隋談
     大八木医院新聞愛読者様         






遠くて近いものを食べる
           大八木 明
 昔からわが国に伝わる言い伝えに「遠くて近いものを食べ
よ」という言葉があります。遠いと近いは反対語で何だかよく
わからない言葉ですが、意味がわかると誰でも納得されること
と思います。
 後半の「近いものを食べる」です。これは昔から「地産地
消」という言葉がありますが、これとほぼ同じ意味です。つま
り、その土地その土地で、気候風土が違います。それぞれの気
候風土で育つ物を食べるべきだという考えです。暑い地方には
体の熱を取るような作物ができます。寒い地方の人が熱帯地方
の作物を食べますと、ますます体を冷やしますので具合が悪く
なるのです。逆に、暑い地方の人が、寒帯で取れる作物を食べ
ますと、ますます体を温めますので、これも具合が悪いのです。
 前半の「遠いものを食べる」の意味です。人間の食べるもの
は、水と塩を除いてすべて生き物です。日本人の考え方により
ますと、他の生き物を食べることにより、食べたものの生命を
いただき、自分の生命を延ばしているのです。その場合、人間
から見て遠い生き物を食べるべきだという意味です。
 世界中には猿を食べる民族がいますが、きわめてまれです。
猿は人間に一番近い生き物なので、多くの民族は食べないのだ
と思います。牛や豚を食べますがこれも脊椎動物であり、人間
には近い生き物です。ですからこれもよくありません。魚にな
ると、脊椎動物ですが恒温動物の人間とは違い、変温動物です。
つまり、人間は暑くても寒くても体温は37.5度でほぼ一定
であるのに比べ、魚は水温と同じ体温で季節によって体温が変
わります。すると、牛や豚よりは魚の方が人間から遠いという
ことになります。同じ海の生き物でも、貝やエビ、カニ類は脊
椎動物でもありませんから、魚よりもさらに人間から遠くにな
ります。
 お野菜やお芋類になりますと、人間が動物にあるのに比べ、
植物ですからさらに遠い存在になります。分類上まったく別の
存在になってしまいます。ですから植物を食べることは基本的
に良いことと考えられています。
 ここからはわたしの独断を書いてみます。以前騒がれた鳥イ
ンフルエンザも、サーズも、全部中国が発生源です。
 ウイルスでも細菌でも、人から動物に、動物から他の動物に、
動物から人に感染を繰り返すうちに進化(人間にとっては凶悪
化)することが知られています。中国は、「四足のものは、机
以外は何でも食べる。飛ぶものは、飛行機以外は何でも食べ
る」といわれている国です。以前、テーブルの中央に猿の頭を
固定して、スプーンで生きた猿の脳を食べている映像をテレビ
で見て、びっくりしたことがあります。人間に近い物を食べる
と、人間と共通のウイルスや細菌がいて、とっても危険なこと
なのです。その点、植物は共通のウイルス、細菌がいないか、
極めて少ないので安全度が高いといえます。牛や豚のように人
間に近い動物を食べることは、特に猿のように極めて近い動物
を食べることは、ある意味命がけの行為になりますので、注意
が必要だと思います。そういえば、以前の狂牛病も、病死した
牛の肉骨粉を牛に食べさせた結果起こったものでしたね。




ご同輩に捧げる老人雑想
           富田博信様

最近「人生百年時代」という言葉を頻繁に見聞きするが、当
然全員が百歳まで生きられるという訳ではない。もちろん戦争
も起こらず、災害にも事件にも遭わず、病にも冒されずに平穏
無事であるという絶対条件付きです。
 例えば、電気製品のひとつでも寿命10年の保証付きであって
も、わずか数年で故障したり、10年以上も壊れない場合もある。
 百歳人生とは申せ、年齢を重ねるとどうしても老いや病に敏
感となり、関心も高まるのは必至。他人様は『老い』をいかな
る時に自覚し、意識するのか? ある日突然鏡をのぞいていた
時に白髪が増えた・・・と気付いた瞬間から? 新聞の字が読
み辛くなった時から? 居間の薄い敷物に躓(つまず)いて転
びそうになった時点から? 等々、身体の変化を契機に自覚す
るのが大方でしょう。不意に老いへの強迫観念に囚われる場合
もあるかも・・・そうなるともう自分がまるで別人になってし
まった気分になり急激に老いてしまいます。
 法的、社会的に決められた老人でもなければ、外見から判断
される老人でもない。我が身の内なる老いである。
 先日、書店で「老人の取扱説明書」なる本を見つけて、即、
買い求め読んでみました。もちろん内なる老いを払拭するため
に・・・。
 その要諦は、五感―いわゆる視・聴・嗅・味・触のすべてが
年齢を重ねるごとに衰えるのは必然であり、どのように対処す
べきかを詳細に説いてくれています。
 視覚―老眼になります。
 聴覚―体温計などの電子音を聞き逃します。
 嗅覚―60代以降は低下します。
 味覚―味が濃くなります。
 触覚―本のページがめくりにくくなります。
そうそう・・・と頷き、気持ちが楽になりました。
 これからは老いと真摯に向かい合っていきましょう。
 老いを感じたことのあるご同輩!




新聞切り抜き抄     医事科

朝日新聞に土井達明様の俳句が掲載されました。

 

松山の 路面電車に 乗りて春

(ふもと)には 酒の神様 山笑ふ

 

人生論ノートC    渡辺泰明様
 人それぞれに、思い出はあります。わたしは、「団塊の
世代」昭和二十三年生まれ。生まれてから、消えるまで何かと
世間に多くの影響を与え続ける大きな塊です。そんなわたしに
与えられた「人生ノート」も誕生日のページから始まり、天真
爛漫な小学生時代を送っていた夢男君から、少しひげが濃く
なってきた中学生時代へとページは進みます。
 三つの小学校生徒が集まり「銅駝(どうだ)中学校」へと進学しました。
女子たちの勘違いで、放送部の部長に祭り上げられ『部長=便利屋』を
やっていたわたしも、いよいよ受験準備に突進する時期になりました。
 我が家の女帝おばあちゃんの鶴の一声で家庭教師についた同志社大
学生の先生が大事件を起こしてくれました。その頃生徒のランク付けを
するため、北大路書房の北大路模擬テストを各学校で定期的に実施し
ます。テスト結果上位十人までが掲示板に張り出されます。当然、わたし
の名前などどこを見渡しても載ったことなどありません。
 テストが実施される前日に家庭教師が、今回実施する「北大路模擬テ
ストを回答付きで持参しました。「これ、何!」驚きの目で見るわたしに、
家庭教師曰く「問題をよく見て答えを覚えろ!」と言いました。内容が良く
飲み込めない状態で言われるままに覚えました。いわゆる、問題の漏洩
ですね!
 テストの当日はトイレで昨日覚えた答えをもう一度カランコロンと音がす
る脳みそにすり込み、テストに臨みました。家庭教師曰く「何カ所か間違
うこと!
 幾らスカスカの脳みそでも簡単に問題は解けて無事終了。数日後、テ
スト結果の順位が掲示板に張り出され、わたしの名前が七番目にありま
した。すぐ職員室に呼び出され担任の先生から急に成績が上がった理
由を聞かれました。まさか、夜も寝ないで昼寝して頑張りました。なんてこ
とは言える訳もなく、心を入れ替えて懸命に家庭教師共々猛勉強しまし
たと報告。担任先生曰く「当然、次回のテストも大丈夫だろうね!」と念を
押された時、褒められたのかそれとも‥‥‥どちらか解らなかったがはっ
きり解ったことは脇の下にどっと汗が流れ出していたことだけは確かです。
 家庭教師に結果報告をすると頷きながら「後戻りはできない、本番はこ
れから」と言って、毎日実行する勉強方法が書かれた紙を渡されました。
わたしは、なぜ回答付きの模擬テストがあったのかを聞くと、彼が教えて
いる他校生徒の模擬テストを持って来たのです。要するに模擬テストは
全校同時実施ではなかったのです。兎にも角にも、今後やる事は掲示板
に名前を載せることです。
 毎回、課題が出され、勉強→試験の採点この状態が続きました。英単
語をひたすらノートに書く、苦手の数学は小学校まで遡り基礎のやり直し、
記憶科目は寝床の天井や襖などに張り、可能な限りの方法を実行しまし
た。結果、掲示板に名前が載ったのは数ヶ月後です。この頃からわたし
に向けられていた疑心暗鬼の雰囲気も変化しました。
 しかし、本心は高校へ行かず商売がしたかったのです。祖母だけに本
心を打ち明けたら、なだめすかされ「高校へは行きなさい」と言われ、大
好きで、いっぱい世話になっている祖母を悲しませることはできません。
ツバメの雛やお寺さんの鳩を持って帰り、困っていたのを助けて貰ったり、
後を付いてくる犬を頼み込んで飼っていたら数日後に飼い主が現れ、大
変だったのを解決してくれたり、言い出したら切りがない悪戯を処理して
くれたスーパーレディの祖母には、頷くばかりです。これで進む道は決
定です。
 後は、高校進学にまっしぐらとはいっても団塊の世代の競争率はもの凄
く、公立高校の合格率は約七倍です。それも、担任の先生が模擬テスト
の結果で取捨選択した強豪者たちを相手にした数字です。この頃は保
険として私立高校を受験するのが当たり前です。さぞかし、親は大変
だったと思います。
 以前の号に同じ親から生まれても出来不出来があるのを受験システム
で思い知らされましたと書きました。わたしには保険が必要で、弟には保
険が全く必要なかったことです。そんな不出来なわたしにも否応なしに受
験日は刻一刻と近づいて来ます。
 いよいよ受験戦争に突入、公立高校受験の前に私立高校の受験があ
り、人によれば三校くらい私立高校の滑り止め受験をします。わたしは、
一校だけで見事というか運良く合格して入学金を払います。その後、山
科にある「洛東高校」で受験をしました。合格発表の張り紙を見てもわた
しの名前はなく、がっくりと肩を落として帰ろうと思っている時、もう一枚合
格番号の書かれた紙が張り出されました。なんということでしょう! 明確
になんと書かれていたかは覚えていませんが(ここに書かれている番号
の者は、洛東高校以外の高校に行く事)のような文言だったと思います。
団塊世代は、収容人数の関係で収容可能な学校に編入されたのです。
高校入学後もお騒がせ人生は、数多く出てきます。漫画のような文章で
すが書く機会が与えられれば続きはまた。まだまだ未来に対して多くの
夢を見たいなー。
 人生アクティブに‥‥‥。


余生の隋談
     大八木医院新聞愛読者様

過日。親しい同輩と暫し、四方山(よもやま)話を。友曰く
「この間、少々風邪気味で病院へ行こうと思い診察券を探して
いたら、なんと! ないのは小児科と産婦人科の診察券
け!」と大爆笑。
 わたしも同類! 同じ穴の貉(むじな)で体の各所に少々難
ありではあるが、まあどうにか健康といえる。
 平均年齢や健康寿命云々が寄ると触ると話題に挙がるが、や
はり残りの余命を気にします。
 改元は昭和と平成と令和の3回、五輪(オリンピック)は
近々開催で2回、そして黄泉(よみ)の国からお呼びがあった
ら、少しだけ待ってもらって万博も2回観たい。
 そして、この世の空気を吸っている間にやりたい事が3つあ
る。それは、
@
今までの人生を振り返って、新たな欲を湧かせること。
A
やり残している事をリストアップすること。
B
残りの日々で実現できそうなものを実行すること。
急ぎたいところです。
 現役を引退して毎日が日曜日! 365連休の身であるだけ
に、あせらず、あわてず、あきらめず・・・3つの「あ」を肝
に銘じながら、頑張っていこうと思っています。








大八木医院新聞
      第134号

20年41日発行)




目次
第一面
食の文明化は肥満を招く
           大八木 明
トイレットペーパー騒ぎ
           田中 収様

新聞切り抜き抄      医事科


棄老と養老と貴老   富田博信様
グレートマザー 母性の明暗」
                津田直子様






食の文明化は肥満を招く
           大八木 明
わたしたちの食卓は、どんどん文明の度合いを加え、加工食品が大き
な割合を占めるようになりました。玄米食は、白米食より原始的といえま
すし、生米は、炊飯したお米よりさらに原始的です。中村天風師は、イ
ンドのヨガの村に修行に行かれたとき、食べ物は、水に浸したヒエやア
ワを生で食べていたと本に書いておられます。一番原始的な食べ方で
す。これだと、そうおいしくありませんから、食べすぎることはありません。
ところが、これでは美味しくないので、ヒエやアワは米に変わり、いつの
時代からか、さらに米を炊いて食べるようになりました。玄米食です。さ
らに、江戸時代になると、お米を搗(つ)いて白米にすることができるよ
うになりました。それ以後、日本人は白米を常食とするようになりました。
 このように、食べ物にどんどん手を加えるようになり、美味しく食べるこ
とができるようになったのですが、一方で、欠点も目に付くようになって
きました。一つは脚気の流行です。
 江戸時代には、江戸では白米を食べていましたが、田舎では相変わ
らず玄米が中心でした。奉公人が田舎から江戸に出てきて2、3年もす
ると脚気になります。こうなると働けませんので、『病気療養』という名目
で里に帰されます。まあ、体の良い解雇です。田舎に帰りますとなぜか
脚気が治ってしまうのです。そこで脚気のことを当時の人は『江戸わず
らい』と呼んでいました。「水が合わなかった」ということになったのでしょ
うね。脚気の問題はかき消されましたが、現代では、多食による肥満、
肥満と関係する糖尿病、高血圧、高脂血症などの蔓延が問題になって
います。
 本題に入ります。玄米を粉にして、炊かないで食べる人がおられます。
その人たちに聞いても、食べるのはせいぜい二合が限度だといわれるそ
うです。ところが、玄米を炊飯しますと、ずっとたくさん食べられます。宮
沢賢治の『雨ニモマケズ』の詩には、「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野
菜ヲタベ」とあります。こんなにたくさん、食べられるという意味ではありま
せん。これだけの小食・粗食で我慢するという意味です。宮沢賢治に
とっては、四合のご飯は最低限の提示だったのです。
 わたしの父は、満州に戦争に行っていました。陸軍では、一日白米六
合が標準だそうです。一食二合のご飯です。木こりや開墾など重労働を
する人では、『一升飯を食う』という言葉がありました。白米のご飯を一升
食べたのです。
 つまり、玄米の粉をそのまま食べますと、二合が限度といわれているの
ですが、玄米を炊きますと、四合のご飯は少食なのです。ところが、玄米
を搗(つ)いて、白米のご飯にしますと六合は多いとしても五合くらいは
標準的なのかもしれません。女の人でも、三合くらいは食べていたので
はないでしょうか。パン食になると、もっと食べられそうです。さらに進ん
でスナック菓子になると、おそらく際限なく食べて、肥満のみではなく、
腎臓障害を起こす人までおられます。
 このように、文明の発達により食品に手を加えれば加えるほ
ど、たくさん食べるようになる傾向があるようです。ですか
ら、食べるコツは、できるだけ原始的な方法で食べることの
ようです。




トイレットペーパー騒ぎ
           田中 収様

新型コロナウイルスの感染に関わって、多くのスーパーマーケットやド
ラッグストアでトイレットペーパーが売り切れになってしまったという。政府
や業界関係者はトイレットペーパーの在庫は十分だし、生産能力もあり、
マスクと同じ原材料ではないので、心配はいらない、すぐに流通のベルト
に乗せると躍起になっているが、現実は店の戸棚にトイレットペーパーが
なく、毎日使うものなので人々はそんな話にお構いなく、トイレットペー
パーを我勝ちにと買い求めている。
 少し前オイルショックの時も誰からかの噂で、トイレットペーパーが店先
から姿を消したことがあった。この時のことを庶民は忘れていないのだろ
う。マスクとよく似た材料で作られているので、トイレットペーパーがなくな
ると直感的に考えた人がいたのかもしれない。そんな人が発した声が瞬
く間に世間に拡がり、トイレットペーパー騒ぎになったみたいだ。
 噂を流し始めた人は悪意がなくても、こういう噂はすぐに拡まる。庶民は
自分の生活に直接関わることには敏感である。悪意がなくても、ちょっと
した火種のような発言が瞬く間に大火になったのかもしれない。言い出し
た人には悪意がなくても庶民の生活感覚、自分の生活を脅かすことに対
する鋭敏な感覚に、周りの人の思いがスッと入ってしまって野火のように
拡まってしまった感じである。このトイレットペーパー騒ぎは悪意のあるも
のではないのではないか。庶民が自分の生活を守る鋭い動物的感覚か
ら発したものではなかったか。
 今の世の中、情報の伝達スピードは速く、一人一人の思惑をはるかに
上回るスピードで拡まるのだろう。噂が拡まるには噂が拡まる素地要素が
十分に存在していなければ簡単には拡がらない。拡がる要素が人々の
暮らしの中にあって、それと結びついたのではないだろうか。 
 TVなどで毎日報道し、いろいろなイベントやスポーツ大会が中止にな
り、小・中・高校まで休校し、人々に外出を自粛するよう政府が声高に叫
び、マスコミがそれに供応して、コロナ、コロナと映し出している。そんな
騒ぎの中の一コマがトイレットペーパー騒ぎなのかもしれない。
 毎日つつましやかに暮らす庶民、その庶民には自分の生活を
守る鋭い感覚と生活の知恵が備わっている。毎日精いっぱい生
きている大多数の庶民と為政者の感覚の違いをこの騒ぎの中に
見ることができる。国会のやり取りを見ていても為政者にはそ
れほどの緊迫感はない。税の使い方など気楽なものだ。庶民が
苦しい暮らしの中から納めた税金を我が物顔で使うことに何の
ためらいもなさそうである。この為政者と庶民との感覚の違い
がトイレットペーパー騒ぎの根底に存在しているように思える。


新聞切り抜き抄      医事科

朝日新聞に土井達明様の俳句が掲載されました。

   瀬戸内や いま陽炎(かげろう)と 浮島と

 
新聞にのられた方をひとりでも多くの人に知っていただきたくて、記事を転載させ
ていただいています。今後もわたしたちも目を光らせておりますが、お気づきの記事
などがございましたら、ぜひお教えください



棄老と養老と貴老   富田博信様
 高齢化社会に伴って老いや病や健康、さらには癒しへの関心
が極めて高く注目されるようになってまいりました。これから
先、いかように老いて
いくのか? 老いとどう向き合っていけばベストなのかが、ま
すます切実な課題であると共に家族や社会、共同体の問題でも
あります。
 老いの課題を典型的に表す説話でまず、頭に浮かぶのが棄老
の物語で、映画や芝居にもなったご存じの姥捨山(うばすてや
ま)の話です。年を重ねた老母が周囲から疎んじられ役立たず
の厄介者として排除され、人里から遠く離れた奥山に捨てられ
る・・・この悲しくてやるせない棄老説話は、人間の生きる業
や家族としての絆を切々と訴える。ついには捨てるのを思いと
どめて連れて帰るという養老の話となり「めでたし、めでた
し」となる。これが人情でしょう。
 中国の説話を幼い頃に聞いたことがある。ある棄老国の親孝
行の大臣が老母を捨てに行かずに秘かに隠しておいて、敵国か
らの無理難題を老母の知恵でことごとく解決し、老母の存在を
知った国王は感嘆して、棄老政策国から養老国に転じた・・・
という話。
 この2つの話から関連して思い出したのが子供の頃に口ずさ
んだ「唄を忘れたカナリヤ」。記してみましょう。
1
唄を忘れたカナリヤは
  うしろの山に捨てましょか
  いえいえ それなはりませぬ
2
、唄を忘れたカナリアは
  背戸(せど)の小藪に埋(い)けましょか
  いえいえ それはなりませぬ 
3
唄を忘れたカナリヤは
  柳の鞭(むち)でぶちましょか
  いえいえ それはかわいそう
4
唄を忘れたカナリヤは
  象牙の船に銀の櫂(かい)
  月夜の海に浮かべれば
  忘れた唄をおもいだす
 この歌詞の中に潜んでいることは棄老と養老だと思います。
 今さら、言うまでもなく、年寄りの知恵や永年培ってきた教
養は、共同体を維持し支えるためには、欠かすことのできない財産です。
 定期健診の帰り際に大八木新聞と共に頂戴する「ちょっとい
い話」シリーズの中に、貴老を目指すというタイトルがありま
した。それは、年齢と共に肉体は衰えてきます。しかし、年齢
と共に人間的魅力を増し、人間的成熟を深めていく人はたくさ
んいます。そういう人を貴老の人といいます。同じ年を取るのなら貴老の人を目指したい!
 この先、どう生きるべきか、どう生きてきたのかを堂々と自
信を持って語れるように、精進したい・・・希望ですが、ね。



グレートマザー 母性の明暗」
           津田直子様
 前回の投稿で採り上げた「ユング心理学シリーズ」の第2
弾です。前回は「影―もう一人の生き切れなかった自分」が
テーマでした。テレビドラマの中からこのテーマに相応しいも
のに焦点を当てて述べていきました。NHKの大河ドラマ「真
田丸」と朝の連続テレビ小説「あさが来た」を採り上げて、兄
弟姉妹の関係とそれぞれの思いに目を向けました。第2弾の今
回は「グレートマザー(太母)」がテーマです。「太母」と
いっても太っているお母さんという意味 ではありません。こ
の意味するところは一言で表現すれば、母性の明暗ということ
です。わかりやすく言えば母性の持つ温かい面と恐ろしい面で
す。
 母性は時代、文化、民族を超えて採り上げられてきました。
ギリシャ神話では地母神(大地の女神)デーメーテールです。
彼女は娘ペルセポネーを巡って冥府の王ハーデースとやり合っ
た肝っ玉母さんです。日本でも母性のイメージを体現する神様
がいます。東京の早稲田の近くに鬼子母神を祀る神社がありま
す。この鬼子母神はもともとインドの女神です。自分の子ども
を溺愛する反面、人間の子どもを捕えては食べる恐ろしい存在
です。困った人々はお釈迦様に助けてくれと訴えます。お釈迦
様は鬼子母神の子どもを隠します。狂ったように子どもを探す
鬼子母神の前にお釈迦様が現れ「子どもを隠されてどんなに心
配したことか。同じように子どもをお前に食べられた人間の親
の気持ちが分かったかと諭します。
 この言葉にこれまでの自分の行いを反省した鬼子母神は「こ
れからは心を入れ替えて母親と子どもを守る神になります」と
誓います。鬼子母神は子どもを深く愛する面と、子どもを食い
殺す恐ろしさを象徴しています。
 さて、テレビドラマでこのテーマを感じさせるものを探して
みました。時々スペシャルドラマの枠で放映されている内田康
夫氏のサスペンス「浅見光彦シリーズ」で登場する主人公の母
親、浅見雪江さんがイメージに近いです。テレビドラマでは、
それほど明確に表現されていませんが、原作ではその「太母」
ぶりがしっかり描かれています。賢く強い母親でありながら、
息子の自立を意識せずに阻んでいるという要素が感じられます。
 日本の伝統的な文化では、母性を肯定的に評価する傾向があ
ります。母性的といわれて反発する女性は少ないでしょうし、
母性的な女性を避ける男性も少ないはずです。でも、その陰で
母性の持つ恐ろしい面が見えにくくなっていることは、知って
おくべきです。また、このことは母親と息子の間でより現れや
すいことも覚えておいていただきましょう。世のお母さん方、
あなたの「太母」度はいかほどでしょうか。





大八木医院新聞
      第133号

20年21日発行)




目次
第一面
連合国と国際連合   大八木 明
西光寺山登山 2019年11月
           石田皓久様

仲秋の蔵王への旅   安永清之様
竹林公園から移された二つの石仏

                土岐 実様

新聞切り抜き抄      医事科






連合国と国際連合   大八木 明

 
 第二次世界大戦は、ドイツ、日本、イタリアが敗戦国で
り、米ソ英仏蘭濠が戦勝国です。この戦勝国のことを『連合
国』と呼んでいます。第二次世界大戦の戦記を読んでいます
と、『連合国』と『帝国』という言葉がよく出てきます。前者
は、米ソ英仏蘭濠などの後の戦勝国のことで、後者は日本のこ
とです。
 連合国は英語では、ユナイテッド・ネーションズといいます。テレ
ビを見ていますと、屋根にUNと大書したジープが映し出されている
時があります。あれは、ユナイテッド・ネーションズの頭文字です。
 ところがこのユナイテッド・ネーションズの日本語訳がおかしなこ
とに、『連合国』と『国際連合(以下国連と略記)』の二つあるので
す。中国語では両方とも「联合国」で一つです。ドイツ語でも
Vereinten Nationen」で一つです。韓国語では「유엔(ゆえん)」
で一つです。なぜか、日本だけが『連合国』と『国連』と分けて訳し、
あたかも別物であるかのように装っています。おそらく、外務省が日
本語に訳すとき、別々に訳を作ったのだと思います。その結果、多く
の日本人は、『連合国』と『国連』は別のものと思っているのではな
いかと思います。
 第一次世界大戦の終りで、戦勝国が寄り集まり、国際連盟を
組織しました。第一次世界大戦では、日本は戦勝国でしたので、
国際連盟の当事国でした。これと同じです。
 第二次世界大戦の戦勝国が、自分たちの思い描いているよう
な世界を作るために、寄り集まって作ったのが国連です。です
から、敗戦国が出る幕は最初から用意されていないのです。
ひょっとしたら、それを悟らせないために、『連合国』と、
『国際連合』の二通りの訳語を作ったのかもしれません。
 現在、国連安保理事会の常任理事国は、米、ソ、英、中、仏
の5カ国ですが、日本はそこに仲間入りするため多額の拠出金
を出しています。でも、国連の成り立ちを考えたら、安保理事
会の常任理事国になれるわけがないのです。敗戦国が戦勝国に
なるなんて、ありえないことだからです。もしなれたとすれば、
それは国連が役目を終え、形骸化したときだと思います。それ
が証拠に、農業国フランスにはエアバス社という巨大航空機
メーカーがあります。アメリカには、ボーイング社とロッキー
ド社がありますが、フランスよりも工業国であると考えられる
ドイツは、日本と同様、中小の航空機メーカーはありますが、
ロッキード、ボーイング、エアバスに比肩しうる航空機メー
カーは作らせてもらえないのです。
 外務省は、できもしない常任理事国入りを、あたかもできる
ような嘘を言って、日本国の富を外国に貢いでいるのだと思い
ます。外務省ともあろう省が、こんなこともわからないのか、
とわたしは長い間思っていたのです。何という認識の甘さかと
思っていました。
 ところが、最近、ふと、いや、外務省は知らないのではなく、
知っていて、確信犯的に、日本の富を国連に貢でいるのではな
いかと思いつきました。本当のことは、当事者の心の中にしか
ありません。




西光寺山登山 2019年11月
           石田皓久様

 11月の「A・山の会」例会で西光寺山に行きました。西
脇市と篠山市に連なる標高720M、西脇市の最高の山で「ふ
るさと兵庫50山」にも選ばれています。9時30分、登山口
の「中畑林間ファミリー園」にマイクロバス到着。男性3名、
女性9名の中高年「二十四の瞳」は、白内障手術後や老眼もあ
りですが、後ろ姿は青春でした。
 青空が広がり、無風で温かく「ふもと・色づく」「山頂・見
ごろ」の紅葉だよりで、期待感で身体が軽い。リーダーからの
本日のルート説明後、歩き出す。階段状になった登山道に落ち
葉が積り、カサカサと乾いた音色がリズミカルで心地よく、時
より樹間からの陽射しも背中を押してくれた。急坂を登り切れ
ば巨岩の「こもり岩」。リュックを置いて小休止後、狭い岩間
を身体を縦に捻りながらくぐり抜ければ「家内安全」?「健康
長寿」?とにかくガヤガヤと童心に返って、無事通過でひと息
入れました。
 登山道は狭くなり、つづら折りが続くが、先頭を行くリー
ダーの絶妙のペース配分で息の乱れもなく、「ウバメガシ群落
地」に着く。ウバメガシは暖地の海岸に生育するブナ科の常緑
樹、成長は遅いが大気汚染に強く、有名な「備長炭」の原料。
本来は海岸性であるが、40kmも離れた内陸部の標高の高い
ところに大きな群落を作るのは珍しく、西脇市の天然記念物に
指定されている。これで「焼き鳥は最高!」と誰ともなく口に
し、食欲の秋が顔を出した。
 登りにつれて、黄色から赤色に変化する葉を横目で見ながら、
トラロープの助けを借りて登りつめれば、パッと明るい山頂
だった。
 三角点、小さな祠、東屋が直線に並び、長方形の広場になっ
ていた。天高く、澄み切った空、背の高い常緑樹を背景に色と
りどりに紅葉した樹木群、ひときわ目立つ「サルトリイバラ」
の真っ赤な実が印象的、遠く眼下に町並みがキラキラ。小春日
和を浴びながら弁当を広げました。カップヌードル、おにぎり、
みかんと質素でしたが、新鮮な空気、小鳥のBGMは三ツ星レ
ストランにも負けず劣らず、これも登山の楽しみのひとつ。続
いてコーヒーに「竹鶴」数滴のサービスには破顔一笑! エビ
ス顔になったところで記念写真一枚。稜線を望む平地まで下り、
振り返れば紅葉前線が山頂から麓まで迫ってきていました。


秋の夕日に 照る山紅葉 濃いも薄いも 数ある中に・・♪ 
と口ずさんでいると下山口広場。迂回したマイクロバスに乗り
込み「こんだ薬師温泉」に直行。入湯券売り場で、シニア割引
の有無を確かめて湯船にドボーン! 汗と疲れを洗い流し、手
足を伸ばせば「いい湯だなーー」で脱力放心状態。「ゆで蛸」
寸前、大きなガラス越しには、残照にキラキラ光る紅葉があり
ました。暖まった身体に冷えたビールで乾杯! ボランティア
のつまみ(枝豆、ソーセージ、柿の種、梨)が広げられ、4時
間30分の山歩きの汗と涙、紅葉のグラデーションなど、ナン
ヤカヤを「サカナ」にミニ反省会。やや疲労感は残るものの、
充実した一日を仲間と共有できました。12月は「納山会」で
熊野古道。手帳が埋まると「ポパイにほうれん草」。




仲秋の蔵王への旅   安永清之様
 わたしは妻と、昨年九月二九日から二泊三日、憧れの「蔵
王」へ旅してきました。二人とも蔵王は初めてで、楽しみは
「御釜」を見ることと紅葉狩りでした。大阪空港から仙台空港
への途中に、まだら雲の上に、富士山が鮮やかに浮かび上がっ
ているのが機窓から見えました。冠雪はしていませんが、眺め
ているだけで心が和むようでした。空港から電車と路線バスを
乗り継いで宮城蔵王の麓の遠刈田温泉へ到着したときには、う
す暗くなっていました。
 二日目はタクシーで「御釜」へと向かいます。ドライバーさ
んのお話しでは、前日はガスが出ていて「御釜」は見えなかっ
たようです。また、見られるのは年間で百二十〜三十日位だと。
宮城蔵王と山形蔵王をつないでいる山岳道路の蔵王エコーライ
ンに入ると、山麓の木々が色づき始めているのが見えます。道
路は徐々に曲がりくねり、急勾配となっていきます。陽光に映
えて美しい山腹の紅葉が、めまぐるしく変わってゆく景色に
うっとりしている間に、刈田岳山頂(標高1758m)に近い
蔵王ハイライン駐車場に到着しました。
 必死に歩くことおよそ五〜六分で、刈田岳展望台に到着。目
の先に「御釜」の“エメラルドグリーン”の湖面が輝いている
のが見えます。美しいと聞いていましたが、目を見張るほどの
まさに絶景の一言! 湖面の周りは荒涼とした山肌で覆われて
いて、火口湖だとひと目でわかります。ドライバーさんのお話
しでは、陽光の当たり方でさまざまな色に変わるので“五色
湖”とも呼ばれているようです。「御釜は蔵王の象徴だと聞
かされていましたが納得でした。まだまだ見ていたかったので
すが後ろ髪を引かれる思いで、山形蔵王へ向かいました。
 蔵王エコーラインをおよそ三十分で蔵王温泉駅に到着。ここ
で、タクシーとお別れ。山形蔵王は単独のゲレンデの数と温泉
が楽しめるスキー場として、国内一番人気のようです。温泉駅
から鳥兜山頂(標高1387m)へはロープウェイで、蔵王温
泉街の美しい景色を眺めていると、およそ七〜八分で到着しま
した。
 山頂からは色づき始めている広大なゲレンデ、最上川が流れ
る山形盆地、蔵王連峰も、また、かすかに、百名山の月山、朝
日連峰の素晴らしい眺望でした。
 わたしが蔵王という名を知ったのは、トニー・ザイラーの主
演映画「銀嶺の王者」です。広大なゲレンデの中に「ザイラー
コース」やトニー・ザイラー氏の顕彰碑が建っている場所があ
ると知って以来、一度は訪れたいと思っていましたが、想像以
上の風景に感動しました。ここ山頂からおよそ二十〜三十分で
そこまで歩いて行ける距離ですが、現在のわたしには無理なの
で眺められただけで充分でした。
 この日を、「蔵王」の感激を、しっかりと心に刻みつけよう
と、ゆっくりともう一度ふり返り、蔵王を後にしました。蔵王
温泉駅に戻り、路線バスで山形駅前へ。そして、高速バスと路
線バスを乗り継いで、遠刈田温泉に戻ったときにはうす暗く
なっていました。
「御釜」を見たいと思ったのは、新潟在住の知人に会ったとき、
「御釜」のことを聞かされたのがきっかけでした。「蔵王」と
はスキー場と樹氷と温泉が楽しめるところと思っていたので目
からうろこが落ちる思いでした。
 三日目の朝、目覚めるといつもより気分が清々しい。前日の
風景が心に浮かび、さらに記憶の中を、映画「銀嶺の王者」を
観てからおよそ半世紀はとうに過ぎているのに、映画のシーン
のような蔵王の広大な雪のゲレンデと樹氷が走馬灯のように過
ぎていく。来てよかったと思うことと、時の流れの速さと懐か
しい青春時代を思い起こさせてくれた楽しい旅でした。

竹林公園から移された二つの石仏

                土岐 実様


「竹林公園の石造物群」
 西京区大枝北福西町に所在する京都市洛西竹林公園の一角に
は、地下鉄烏丸線の調査で出土した石造物361点が設置され
ており、これらは「旧二条城関係の石造物群」として京都市指
定文化財に指定されています。旧二条城は永禄12年(156
9年)に織田信長が将軍足利義昭のために築造したものですが、
築城に際し石仏や石造物を壊して運んだことがキリスト教宣教
師によって記録されています。竹林公園に並べられた石仏21
体中壊された痕跡がみられることは、その裏付けでもありま
す。
 東端を囲うように並べられた石仏の中でも南端の二体は、線
刻・墨書をもつことから特に珍しい石仏として知られていまし
たが、屋外展示を続けるとさらに劣化が進む懸念があり、関係
機関が協議した結果、当館に保管替えとなりました。

「墨書をもつ阿弥陀如来坐像」
 各部に墨で線を入れた珍しい石仏です。石材は花崗岩製で、
石材を割り出した際の矢跡が、左側面と底面に残されています。
仏像の種類は「阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)」で、
光背の前に厚肉彫りで表現されています。頭頂部が一段盛り上
がった「肉髻(にっけい)」は如来形であることを示します。
左右の耳は墨線で描かれ、首の三道(さんどう)も墨線で描か
れます。衲衣(のうえ)は、右肩の一部と左半身を包んだ「偏
袒右肩(へんたんうけん)」で、右肩と左半身のひだを墨で描
きます。胸の筋肉下の輪郭も墨で描きます。



新聞切り抜き抄      医事科

朝日新聞に土井達明さんの俳句が掲載されました。


釣瓶(つるべ)落とし 

       早や門閉ざす 

              地蔵院










大八木医院新聞
      第132号

19年121日発行)




目次
第一面
体からの声に耳を傾けよう
           大八木 明
自分発掘の策は?   富田博信様


人生ノート      渡辺泰明様
新聞切り抜き抄        医事科

年末年始の休診のお知らせ 医事科






体からの声に耳を傾けよう
           大八木 明
 先日、ある人が診察に来られたときのお話です。風邪を引い
て、食欲がないので、ご飯が食べられません。しようがないの
で、お茶かけをしてご飯を流し込んでいました、とおっしゃっ
ていました。これについて思ったことを書いてみます。
 そもそも人間に限らず動物の体は、そのときそのときに必要
なことを、体からの情報として、わたしたちに送ってきている
と考えられます。
 たとえば、汗をたくさんかいた後など、体の中の水分が減り
ますので、のどが渇いたと感じ、わたしたちが自分から水を摂
るように促します。同様に、体の中のエネルギーが枯渇しそう
になったとき、空腹感を感じさせ、何かエネルギーになるよう
な物を口に入れるようにと促します。疲れたときも、眠くなり、
って体を休めるように促しているのです。
 逆にいえば、空腹感がないということは、体がエネルギーを要
求していないということなのです。そのときは、食べないのが
正解なのだと思います。
 西洋科学は理屈の上に成り立った科学です。ですから、病気
を治すには、体力が必要だ。だから、栄養になる物をたくさん
食べるべきだ、と考えるのです。
 動物は食べた物を消化・吸収するのに多大なエネルギーを
使っています。何と驚くなかれ、肉体の活動に要するエネル
ギーの約二倍のエネルギーを使っているのです。三、四日から
一週間の短期的に考えると、食べない方がエネルギーが少なく
てすみ、病気と闘うには有利なのです。
 動物はもっと素直に体からの声を聞いているように思います。
が小さいとき、家で飼っていた犬がジステンバーになりまし
た。犬は縁の下にもぐりこんで、一週間くらい出てきませんで
した。もちろんその間、飲まず食わずです。
 つい最近では、飼っていた猫が風邪を引いたことがあります。
そのときの猫も、ソファーの下に入り、四、五日間出てきませ
んでした。もちろん飲まず食わずです。考え方によっては、彼
らのほうが人間よりうまく病気をやり過ごしているように見え
ます。
 人間ではどうでしょうか。西洋医学は、「科学的」と称して
理屈でものを考えます。たとえば、風邪を治すのには、ビタミ
ンCが必要です。ですから、風邪のときはミカンを食べると良
い、となります。ネギは体を温め、風邪を治す作用があります。
すから、ネギを食べたほうが良い、ということになります。ま
た、生姜も体を温めます。これらも必要だ、となります。結果、
カンも食べて、生姜も食べて、ネギも食べて、となり、食べ
過ぎてしまうのです。こうなりますと、食べないという選択肢
から随分離れ、あれもこれも食べなければならないとなり、い
わゆる科学的な『どつぼ』にはまってしまいます。
 わたしたちの体は、その時そのときの状況に従って最適な情
報もわたしたちに送っているのです。「動物に習って」といい
ますと、動物と一緒にするなとお叱りを受けそうですが、わた
したちはこの情報を無視するのではなく、からだから発信され
る『体からの声』に耳を傾けた方が良いと思うのですが、いか
がでしょうか。





自分発掘の策は?   富田博信様

 最近わたしが所属する自治会や老人会の集まりに顔を出し察
することがあります。それは諸氏を拝顔し、年齢よりもずっと
若々しく生き活き輝いて見える方や、真逆に年齢以上に老け込
んで生気がなさそうに見える方もいられることに気が付きます。
別段、常時意識をして気に留めてはいないものの、なぜか妙に
年々歳々気になってくる自分につい苦笑する。
 その変化をわたしなりに解析してみたところ、年齢よりも若
く見える方の共通点は大別して3点に集約できるのでは? と
思う。
@
社会との関わりをしっかり持ち続けている。
A
常に話題が豊富で笑顔。
B
自分の人生に貪欲なほど、積極的である。
 現役を退き、余りある自由時間ができ、それを持て余して毎
日退屈で仕方がない・・・と自嘲気味に話される方、ウォーキ
ングを楽しんだり、ボランティア活動に取り組み、社会との関
わりが大事と考え、懸命に行動範囲を広げていらっしゃる方も
大勢いられます。
 人は世間との関わりが失せてしまうと往々にして服装は無頓
着となり、外出も疎ましくなり、誘っても拒絶するようになっ
てしまう。こうなると末は明白! 生気が消え生活のリズムが
狂ってしまう。いわゆる無い無いづくしで最悪のスパイラルに
陥ってしまいます。
 わたしも年老いた両親の介護から二人を送り、刎頸(ふんけ
い)の友や尊敬していた義兄とも別れてからは、しばらくは、
脱力感に苛まれた日々を過ごしていた。その最中に急病で緊急
搬送。大事に至らず無事に退院! 後に一念奮起し、籠ってい
た殻から抜け出し、積極的に世間との関わりを持つように努め
ました。
 足腰が丈夫で動ける間は、動こう! 他人様に喜んでもらえ
るのなら・・・役に立つのなら・・・この考えを変えることな
く貫徹したい!。
 末筆に一言!
 先日ウォーキングの機会に恵まれて門真市にあるパナソニッ
クミュージアムを見学してまいりました。そこには松下幸之助
94年の人生観満載で感動しました。その中で参加者の多く
の方が目を輝かせた松下幸之助翁の〈ことば〉を記します。
『青春とは心の若さである。信念と希望にあふれ勇気にみちて
日に新たな活動をつづけるかぎり青春は永遠にその人のもので
ある。』
 若い気持ちを堅持し日々少しずつ変化させるという気概を持
ち続けることが肝要と思います。「計」や「目標」を改めて持
たなくとも、今日は昨日のままでなく、明日は今日のままで
あってはならないことを悟り、帰路についた。
 自分が変われば周りも変わるという変化の伝播を信じ、いつ
までも青春でありたい・・・ですね!





人生ノート      渡辺泰明様

それぞれの人々に、思い出はあります。わたしは、「団塊の
世代」昭和二十三年生まれ。生まれてから、消えるまで何か
と世間に多くの影響を与え続ける大きな塊です。そんなわたし
与えられた「人生ノート」も誕生日のページから始まり、天
真爛漫な小学生時代を送っていた夢男君から、少しひげが濃く
なってきた中学生時代へとページは進みます。
 三つの小学校生徒が集まり「銅駝(どうだ)中学校」へと進
学しました。
 話はそれますが、高瀬川のほとりにある「立誠小学校」。正
門前は「先斗町」。周りを飲食街に囲まれた非常に賑やかな場
所にありました。現在は2020年7月の開業を目指し、ホテ
ル、商業施設、図書館などの複合施設「ザ・ゲート立誠京都
(仮称)」を建設しています。「銅駝(どうだ)中学校」は、
「京都市立銅駝美術工芸高等学校」と生まれ変わり、出身校は、
大きく変貌を遂げ、昔の感慨にふけることもできず悲しくもあ
り、立派になることで嬉しくもあり、複雑な心境です。
 本題へ戻ります。中学校で、初めてクラブ活動を知りました。
体育会系は何となく怖そうで、文化系の「弱電部」へ入部しま
した。ゲルマニウムラジオが流行していた時代です。現在はテ
レビが主流ですが、昭和三十年頃はラジオが活躍していた時代
です。そんな時代背景もあり「弱電部」で戦後の標準的な家庭
ラジオ(5球スーパーラジオ)を制作することに没頭しまし
た。図面を穴の開くほど見ながら組み立てるのですが、先輩な
どの制作された物は見事に音が出ます。同じ部品を使い、同じ
設計図で組み立てるのに音が出ない。先輩が後輩に優しく指導
するなんてシステムなどなく、徒弟制度のように見て覚える方
式なので全て自己責任。音が出ない・・・音が出ない。クラブ
活動の時間は制限があるのでわたしが、幾ら時間を費やそうと
思っても不可能です。かすかな音らしきものが聞こえたのは、
半年後でした。音が出ない原因は、部品同士をつなぎ合わせる
のに使用する「ハンダ(はんだという金属を溶かして電子部品
などを接続)」の分量が均一でなく、各部品同士に上手く電量
が流れない。わかってしまえば簡単なことですが、どんな製品
を作られた人でも同じような苦労をして素晴らしい物を生み出
されたと思います。
 ラジオ作りに没頭し勉強はまったくのお留守です。当然、成
績は最悪です。父から大目玉の雷を落とされクラブは退部です。
といっても勉強など頑張る気もない。祖母がわがまま放題に可
愛がったので、自分勝手で協調性がない性格のわたしにできる
友達もなく、あるのは時間だけです。本が好きなので、時間が
許す限り図書館にある本を全部読んでやろうと思い乱読しまし
た。今思えばこの頃が一番読書をしたように思います。その割
には知識としてはうーん???です。
 図書館の横に「放送部」があり部員の女の子が何を勘違いし
たのか、本をよく読んでいるわたしを賢いと思い(全くの見当
違い)突然放送ができなくなったので助けて欲しいと言ってき
ました。お調子者のわたしは、訳もわからず放送部に行き、並
でいる機械類をあれこれ触ると偶然に音が出て放送可能にな
りました。懸命に作ったラジオは鳴らなかったのに皮肉です
ねー。放送部は女の子ばかり、わたしが役立つと思われたのか
是非部長になって下さい。なんて懇願されれば超お調子者のわ
たしは二つ返事で「はい!」なんて引き受けました。最初は偶
然に音が鳴ったのに再び放送不能になった時には音が出ないの
で女子達には白い目で見られ、自己嫌悪。以後、猛烈に機械関
係を勉強した結果少し本物の部長になりました。役割といえば、
重い物の移動や壊れている箇所の修理、校長先生に新しい機械
購入をお願いするなど、早い話が「便利屋」上手く乗せられま
した。それでも女子達に囲まれあれこれとお願いされる毎日は、
楽しい時間でした。
 そんな楽しい時間も容赦なく過ぎ、わたしも三年生になり高
校受験の準備です。不思議ですね! 同じ親から生まれたのに
出来不出来があり、弟は秀才、兄は鈍才。親子面談で、公立高
校は危ないので保険として私立高校も受験するように言われま
した。頭を振ればカランコロンと音が出るような脳みそでは
少々のことで学力が上がる訳もなく、そこで我が家の女帝おば
あちゃんが鶴の一声で家庭教師をつけることを宣言。最初に
やって来たのが京大生真面目一徹、わたしは時間が来るまで鶏
のように追いまくられ、心中(モーコケ結構)性格の不一致で
学力も上がらず先生の交代です。次の先生は同志社の学生さん、
この先生が京大生とは正反対で自由奔放、決められた時間内
「好きなようにやんなはれ」「わからんところがあったら聞き
なはれ」勉強に身が入らない時は外に連れ出し屋外授業。不思
議、わたしの適当な性格に合致したのか成績は驚くほど上がり
ました。まだまだ事件は起こります。続き物の漫画のような文
章ですが、書く機会が与えられれば続きはまた。
 まだまだ未来に対して夢を多くみたいなぁー 人生アクティ
ブに。



新聞切り抜き抄        医事科

朝日新聞に土井達明さんの俳句が掲載されました。
ご紹介します。

戦時中 運動場は 芋畠

地下足袋の 小鉤(こはぜ)きりりと
          松手入れ



年末年始の休診のお知らせ

12月30日からお正月3日までの5日間、お正月のお休みを
いただきます。
お正月休みの前日の12月29日が日曜日ですので、ご注意
ください。



 大八木医院新聞に対するご質問・ご要望                                   

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