30日        更新 20126 

大八木医院新聞
      第130

19年81日発行)




目次
第一面
たんぱく質だけが栄養?
           大八木 明
名前が出てこない
           田中 収様

ヨルダン・イスラエル世界遺産を行く          石田皓久様
函逆説の10カ条    岡崎厚子様







たんぱく質だけが栄養?
           大八木 明

 たいていの人は、栄養といえば動物性たんぱく質を思い描
かれるのではないかと思います。その起源は古く、ドイツの
フォイト博士による栄養学に始まります。フォイト博士は、当
時の軍隊と大工さんの食べている食べ物を調査し、たんぱく質
は何グラム、糖質は何グラム、脂肪は何グラム、合計何キロカ
ロリーが必要と割り出し、それを必要量としたのです。
 その栄養学は、日本の東京医学校(今の東大医学部の前身)
に教えに来ていたドイツ人医師、ベルツによって日本に伝えら
れました。西洋人ですから、元々肉食であった上に、軍隊も大
工さんも肉体労働者ですから、たくさんの栄養を摂らなければ
ならなかったので、結構多い量になってしまったようです。
 牛肉や豚肉は、人間の肉体と近い組成をしているため『良質
たんぱく質』と呼ばれ、最適のものとみなされているようです。

は、牛はどうしてこの『良質たんぱく質』を手に入れたの
でしょうか。そうですね、草からです。牛乳も『完全食』など
と呼ばれ、赤ちゃんに必要なミネラルからビタミンまで何でも
そろっているといわれていますが、牛はどうしてこの『完全
食』を手に入れたのでしょうか。そうですね、これも草からで
す。ということは、人間も、野菜を食べていたら、牛と同じ肉
体を持つことができ、牛乳と同じ様な栄養のある母乳を出すこ
とができるはずなのです。
 西洋科学は分析科学です。物質を分析して、すべての生物の
体は分子からなることを見つけ、分子を分析し、原子に至りま
した。さらに原子を分析し、電子や素粒子に至ったのです。栄
養学にしても、食品を分析し、〇〇にはビタミンが何ミリグラ
ム含まれていて、カルシウムが何ミリグラム含まれているなど
と分析したのです。その結果、どんどん袋小路に入って、全体
が見えなくなってしまったのだと思います。
 牛乳はカルシウムが多く含まれますから骨を強くするといわ
れているのですが、四大酪農国と呼ばれるアメリカ、スウェー
デン、デンマーク、フィンランドで、かえって骨折が多い矛盾
を、『ミルクパラドックス』と呼んでいるのです。当事国では、
々の背が高いので、転んだときの衝撃が大きいからだ、と説
明しています。
 米国食品医薬品局が推奨するたんぱく質摂取量は体重1キロ
グラムにつき0.8グラムです。これで適切だという意見と、多
すぎるという意見がありますが、少なすぎるという意見はあり
ません。
 以前、食事が不十分なときは、たんぱく質を摂りすぎること
はありませんでした。そしてたんぱく質の摂取が勧められてい
ました。その結果、今日では、たんぱく質の摂取は、必要量の
2倍にまでなってしまいました。過量のたんぱく質を摂るよう
になると、高脂肪、高コレステロールなどの好ましくない影響
が出てきます。また、たんぱく質の過剰摂取は、カルシウムの
排泄を促進し、カルシウム欠乏を起こすようになります。わが
国でも、骨粗鬆症の蔓延は、たくさんの人が、高たんぱく食を
摂るようになってからです。何でもほどほどがいいのですね。


名前が出てこない
           田中 収様
 最近、人の名前がスッと出てこない場合が増えてきたよう
に思います。は出てこないけれども、その人のイメージはしっ
かりと思い浮かべられますし、いろいろな出会いや事柄も思い
出せるのに、名前が出てこない時があるのです。喉のついそこ
まで出ているような感じなのですが、どうしても名前が出てこ
ない。思い出そうと、その人の名前の頭文字をアイウエオ順に
声を出してみても、その人の頭文字を素通りして思い出せない
ことがあるのです。
 夜、布団の中に入って、ふっとある人のことなど思い出した
りすることがあっても、肝心の名前が出てこない場合がありま
す。そんな時はそれが気になってなかなか寝つけないので、布
団から抜け出して年賀状などを取り出して、名前を確認してよ
うやく寝つくということもあります。
 人の名前だけではありません。草花の名前が思い出せない場
合も多くあります。また、家庭菜園の農作業をしていて、使っ
ている道具をそこらに置いて、次に使おうとすると道具が見当
たらないこともしばしばあり、そんな時はその道具を使ってい
た場所や、自分が動いた場所を順に回り、探すというようなこ
ともあります。
 人の名前や植物の名前、使っていた道具類をどこに置いたか
など、物忘れがだんだん増してきています。医学的には脳の前
頭葉の機能が衰えてきているのだといわれているので、その通
りだと思うのですが、わたしは自分勝手にまた別の解釈をして
いるのです。
 人が高齢になると余命は短くなります。当然のことで50
の人と80歳の人と比べれば80歳の人の方が後の時間が少な
くなるのは的を得た話です。高齢になると当然体力も弱ります
し、感覚まで鈍くなるのは当たり前のことだと思います。動作
も遅くなり安定感も弱まり、少しの段差にも蹴つまづきよろよ
ろします。身体の安定を欠き、動くときなど何かしっかりした
物につかまりたくなりますし、確かなものに頼りたくなります
 精神的にも肉体的にも老化というのは生き物として弱くなる
と、自分の生活の場や活動場面を狭くしていくことではないか
と思っているのです。
 それはやがて来るその時に備えて生き物としての準備をして
いるのではないかと考えているのです。その準備が「衰え」だ
と解釈しているのです。元気ハツラツな状態で最後を迎えたな
ら、本人だけでなくその周りの人達にも大きな影響があるだろ
うし、とてもつらいことだと思うのです。人間以外の動物でも
次の世代に引き継ぎをしていくように、人の世界でも次の世代
に引き継ぎをしていくのが動物として普通のことだと思うので
す。
 年齢を重ねてその時が近づくとそれなりの不安やさみしさを
感じるようになると思うのですが、身体的活動の鈍化や精神的
にも不活発になることによって、その時への不安や怖さに鈍く
なって自己防衛の役割を果たしているのではないかと思ってい
るのです。そのように解釈すれば人の名前が思い出せなかった
り、物の置き忘れなど、これも生き物の自然な反応なのだと思
えるのです。自分が今、そういう年齢に達したのだと思って素
直に受け入れるようにしようと思っているのです。

ヨルダン・イスラエル世界遺産を行く
 2019年6月   石田皓久様
 「そんな、怖い所に?」「何かあるの?」この旅行に行くと
いえば、異口同音の返事が返ってきました。まぁ確かに一抹の
不安が脳裏をかすめたのも事実。そこは旅行会社の現地情報を
信頼し、2019年3月18日23時35分、関西空港発の2
335機内に座っていました。
 ドバイ空港で成田組と合流、総勢33名となりこれには驚き、
おまけにおひとり様参加が11名で半数以上が若い女性とは? 
これまた想定外でした。「旅行マニア」か?「インスタ映え」
狙いか?「パワースポット」探しか?・・・と想像を逞しくし
ました。
@
イスラエル(エルサレム・旧市街)散策
 糞門から入り、セキュリティゲートを通過後「嘆きの壁
に歩み寄る。ユダヤ民族の心のふるさとで祈りの場。現在の高
さは21m、男性用、女性用のスペースに区切られ、男性は帽子
やキッパ(なければ無料レンタル)を着用、壁を前に横に並ん
だ数人が頭を押し当て懸命の祈り、その背後で聖書を読み込む
正統派の黒帽子、あごひげ、スーツ姿が黙然と坐っていました。
我ら異教徒・観光客は記念写真を撮ってワイワイ、撮られてガ
ヤガヤと不謹慎を絵に描いたようで、日本猿・四匹は反省しき
りで・・・スゴスゴ退散。
 次に向かったのは神殿の丘にある「岩のドーム」。預言者ム
ハンマドが天使を従え、天馬に乗って昇天したといわれている
聖岩を抱え込むように建つ。雲ひとつない青空を背景に、金色
のドームは大きく眩しく、威厳に満ち溢れ近寄りがたかった。
(ドーム内はムスリム以外入場禁止)

 ヴィア・ドロローサ(ラテン語・悲しみの道)イエスがロー
マ帝国の総監官邸で行われた裁判で有罪とされ、十字架を背
負って歩いたゴルゴダへの道(全長1q)。第1ステーション
(ピラトの官邸)からゴルゴダにある聖墳墓教会まで第14
テーションあり、キリスト教徒は1ステーションごとにそこで
起こったことを黙想しながらたどっていくそうです。狭くすり
減った石畳の路地をはぐれないように、デジカメするのが精一
杯。旅仲間のクリスチャンは表情硬く、目はうるみ遠くイエス
を追悼しているような・・・これ「忖度」。

Aヨルダン観光のハイライト(ペトラ遺跡・ナバタイの都)
映画「インディ・ジョーンズ・最後の聖戦」の撮影現場で知る
人は知る遺跡です。到着した夜は「ペトラ・バイナイト」。漆
黒の夜のローソク照明、民族音楽、紅茶を楽しみ、翌日は9時〜
16時30分までペトラ遺跡ハイキング三昧でした。約2000
年以上前、ナバタイ人により建てられたペトラはギリシャ語
で「岩」を意味し、岩の芸術ともいわれるほど、建物、デザイ
ン、色模様などが魅力的で旅行者の目を引き付ける。手荷物検
査の後、シークという狭い岩山の裂け目が頭上に迫り出し、崖
の高さは60m〜100mもあり、両側には水路、ダム跡が見
られた。そこを抜け出せば広場があり、遺跡で最も壮麗な「エ
ル・ハズネ・宝物殿」高さ45m、横幅30mが姿を見せる。
観光客がごった返す中、我先にとカメラ・ブレーク。(何枚
撮ったやろう?)やや落ち着いた後、ファサード通り、円形劇
場、柱廊通りと茶色の道をラクダを避けながら歩く。緑陰のレ
ストラン「バシン」でバイキング・ランチ。登山前のほどほど
の腹具合で、待望の「エド・ディル・修道院」へ・・・いざ!
出発! 徐々に細く、狭く急坂、両側にはベトウィン族の露店が
並び、風と遊ぶ民芸品を横目で見ながら足元を見れば、「ロバの
落し物」がアチコチ。ラスト約900段の階段を登り切れば、ペトラ
で最も巨大なモニュメント「エド・ディル」に到着。(ここまで
1時間弱)。ひと口水をゴクリ、小高いビューポイントまで足を
延ばす。ヤッター! 澄み切った青空、微風が心地よく眼下の
「エド・ディル」を再三眺めました。デジカメ終えれば達成感が
ヒシヒシ。じわっと喜びが込み上げてきました。「そんな怖い
所」じゃなかったし、「イエスの足跡」も歩けたし、「百聞は一
見に如かず」を実感。全員怪我なく無事帰国は何よりの「お土
産」になりました。33名の旅仲間、K添乗員さん、S現地添乗
員さん等の健康と活躍を祈りながら声を大にして「シュクラ!」
と。(アラビア語・ありがとう!)




函逆説の10カ条    岡崎厚子様

わたしはスピリチュアリスト江原啓之さんが大好きで、たく
さんの本を読み学び、毎日の糧としております。今回、「江原
啓之聖なるみちびき」の中で書かれておりますマザーテレサが
感動したという作家ケント・M・キースによる「逆説の10
条」を元にした詩を紹介いたします。人がいかにして生きて行
くべきかその真髄が記されています。
 人は不合理、非論理、利己的です。気にすることなく人を愛
しなさい。
 あなたが善を行うと利己的な目的でそれをしたと言われるで
しょう。気にすることなく善を行いなさい。
 目的を達しようとする時邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなくやり遂げなさい。
 善い行いをしてもおそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく続けなさい。
 あなたの正直さと誠実さがあなたを傷つけるでしょう。気に
することなく正直で誠実であり続けなさい。
 あなたが作り上げたものが壊されるでしょう。気にすること
なく作り続けなさい。
 助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。気にす
ることなく助け続けなさい。
 あなたの中の最良なものを世に与えなさい。けり返されるか
も知れません。気にすることなく最良なものを与え続けなさい。


 最後に振り返るとあなたにもわかるはず、結局はすべてあな
たと内なる神とのあいだのことなのです。あなたと他の人のあ
いだであったことは一度もないのです。この詩の中で人はいか
に「妬み」「嫉み」「嫉妬」を持っているのかと自分自身を戒
め心を正して生きることを教えてくださる大きな学びと感謝に
至ります。







大八木医院新聞
      第129号

19年61日発行)




目次
第一面
お任せの生き方    大八木 明
そうだ京都へ行こう・・・の現実は今
           富田博信様
新聞切り抜き抄      医事科
土井達明様の俳句が朝日新聞に掲載されました


『影』の話      津田直子様
函館の夜景         安永清之様








お任せの生き方    大八木 明
 こんな言葉を聞いたことがあります。
60
歳でお迎えが来たら、「ただいま留守」と言え。
70
でお迎えが来たら、「まだ早い」と言え。
77
でお迎えが来たら、「急ぐな。老後はこれからだ」と言え。
80
でお迎えが来たら、「なんの、まだまだ役に立つ」と言え。
88
でお迎えが来たら、「もう少し米を食べてから」と言え
90
でお迎えが来たら、「そう急がずとも良い」と言え。
99
歳でお迎えが来たら、「こちらから、ぼつぼつ行く」と言
え、というものです。
 長い間、わたしは、そのとおりだと思っていたのですが、
最近は、お迎えに来られたら、自分の都合は言わずに、「そ
うですか、もう時間ですか、じゃあ行きましょうか」とすん
なり付いて行ってしまうのではないかと思うようになりまし
た。
 若い頃わたしは、自分の人生は、自分のものですから、計
画を立て、計画を実現するべく、人事を尽くし、一つひとつ
実現していく。これが理想だと思っていました。でも、最近、
歳をとったからか、人間がなまくらになったからか、神様か、
仏様に自分の人生はお任せし、「良きに計らってください」
とお任せの人生もいいのではないかと思うようになったので
す。もちろん、何の努力もしないで、行き当たりばったりに
生きていこうというわけではありません。自分なりに一生懸
命努力はするのですが、その結果は、神様、あるいは仏様が
与えて下さるのではないかと思うようになったのです。
 どんなに努力しても、夢が実現しないことがあります。逆
に、大した努力をしたつもりはないのに、夢が成就してしま
ったということもあります。どうも人生は自分の意のままに
はならないようです。
 こんなことを何度も経験すると、わたしが「どうしても」
と思い、努力してきたことも、神様の目から見て、それが成
就しない方がわたしの人生のためになるとお考えになったら、
成就させてくださらなかったのかな、と思えます。逆に、簡
単に目標が成就したときは、それを成就させることがわたし
の人生のためになるとお考えになり、成就させてくださった
のではないかと思えるようになったのです。
 人生が意のままではないのなら、いっそ、神様、仏様にお
任せし、人生を歩むのも一法ではないかと最近思うのです。
「できても良し、できなくても良し」の心境です。必要なら
できるし、いくら必死になっても、できないものは、わたし
の人生に必要がないからだ、と思えばいかがでしょうか。随
分気が楽になると思うのです。少なくとも意地になることは
なくなると思います。
『人事を尽くして天命を待つ』という言葉がありますが、こ
のような生き方を言い表すなら、『天命を信じて人事を尽く
す』ということになりますでしょうか。
 何だか、最近、この方が本当の人生の生きかたのような気
がしているのです。





そうだ京都へ行こう・・・の現実は今
           富田博信様
 仏像と障壁画等々に造詣の深い親友が『京の冬の旅』で文化
財特別公開を知り入洛。久々に案内役を。先ずは目的のひと
つの建仁寺塔頭(たっちゅう)の三院をゆっくり拝観。門外
に出た友の顔は満面の笑みで安堵。次いで近くの花街祇園界
隈に向かった。そこにはレンタル着物に着替えた若い男女や
外国人観光客で大賑わい。新聞やニュースで承知はしていた
が吃驚仰天(びっくりぎょうてん)! 都の風情は何処へ。
 閑静な路地の民家の前はもとより、有名なお茶屋さんの玄
関前には、無遠慮に座り込み大勢で奇声をあげての写真撮影。
さらには偶々(たまたま)出逢った舞妓さんに触ったりで大
変! 駒札や立て看板には禁止事項等をアイソタイプ(視覚
文字)で示し注意を促してはいるもののどこ吹く風の知らぬ
顔! 
 そんな街中の喧噪(けんそう)から逃れて嵐山の静寂を味
わおうと思い、バスに乗り込んだら超満員。案じながら渡月
橋辺でバスを降りたものの、やはり人々の渦。竹林の小径は
自撮り棒の数々。静寂微塵もなければ京都が誇る侘(わび)
&寂(さび)は論外。まさに観光公害だ。
 1993年秋にJR東海が「そうだ、京都へ行こう。」と
バブル崩壊後に激減した客足を取り戻そうとして始まった広
告。俳優の長塚京三さんのナレーションと太田恵美さんのコ
ピー。その頃を妙に懐かしく思い出した。
 いまや京都は大変身して、まるでテーマパーク『京都ラン
ド』の有り体は否めない。いつの日かの新聞の読者の欄に
「今の京都を見ると価値あるものを見せるのではなく、外国
人観光客の価値観に迎合したおもてなしになってはいないだ
ろうか」と載っていましたが同感です。
 京都市では旅の本質を追求する観光戦略を打ち出し、その
中の一つに、「一部の人気観光地に観光客が集中しているこ
とを踏まえ、時間、季節、エリアの分散という三つの観点で
様々な取り組みを行うことで満足度の向上につなげる」と起
案しています。
 また昨年101から民泊も含めたすべての宿泊客に、料
金に応じて一泊一人当たり200円〜1000円の「宿泊税」
を課し、その徴収分を観光基盤の整備に充当する方針らしい
が、果たして入洛客に負担するに足る満足の笑顔を届けられ
るかどうかは未知数です。
 いま、公的な機関で配架されている「京プラン」や「旅の
道すがら近い時期の変化に乞うご期待! と伝えて駅質を
追求する観光戦略」で訴えていることを早急に実現していた
だき、2020年の東京オリンピックや2025年の大阪万
博で入国し、入洛されるであろう遠来のお客様に大満足をお
届けできる京の都になることを熱望する次第です。
 友の京都案内の道すがら近い時期の変化に乞うご期待! 
と伝えて駅へ


新聞切り抜き抄      医事科
土井達明様の俳句が朝日新聞に掲載されました

 春光や ゆっくり廻る 観覧車



『影』の話      津田直子様
 みなさんは「影」という言葉についてどのようなイメージ
をお持ちでしょうか。月影や星影といえばロマンチックです
が、少しミステリアスな感じもすると思います。
 わたしが関わっているカウンセリングにも「影」という言
葉を使うことがあります。人であれば誰でも無意識の世界を
持つとされ、それをイメージ化したもの(元型)の一つが
影」なのです。
 具体的に説明しますと、「なれなかったもう一人の自分」
となります。誰でも自分の人生に100%満足してはいませ
んよね。「あの時、別の道を選んでいたらよかったとか
「こんな境遇でなかったら」などと、思ったことのない人は
いないはずです。そのような思いが「影」なのです。
 2016年のNHKの人気番組の二つが「影」を効果的に
扱っていました。一つは大河ドラマの「真田丸」です。主人
公の真田信繁(幸村)は、自由奔放に振る舞いながら、愛す
べきキャラクターでファンを増やしていきます。関ヶ原の戦
いで父と共に西軍に味方して敗れ、九度山に追放されます。
この後、大坂の陣では豊臣方に加わり、持ち前の戦略を駆使
して縦横無尽の活躍をします。最後は華々しく討ち死にしま
すが、敵方からも「日本一の兵」といわれました。戦国最後
の武将の一人であり、現在でも高い人気を集めています。
 では、兄の信之はどのような人だったのでしょうか。ドラ
マでは生真面目な堅物として描かれています。関ヶ原の戦い
では東軍に従い、その後も徳川政権下で大名として明治維新
まで続く基を築きました。その結果から見ると、信之の判断
が正しかったと言えるでしょうが、本人の心の中はおそらく
違っていたと思われます。「わたしだって、弟(信繁)のよ
うに武将として華やかな生涯を送りたかった。弟がうらやま
しい!」と叫ぶ声が聞こえてきます。彼は九十年を超える長
い生涯、この「影」と戦い続けたのではないでしょうか。
 二つ目は朝の連続テレビ小説の「あさがきた」です。主人
公は明治初期の女実業家、白岡あさ。バイタリティ溢れる新
しいヒロイン像を創り上げました。彼女の姉のはつは対照的
な女性として描かれています。いわゆる女子力が高く忍耐力
も強い。昔風の生き方を貫きました。この二人がお互いに相
手をうらやましいと思っていたことを語り合うシーンがあり
ましたが、なるほどと納得できました。どちらの人生が幸福
だったかは、見た人それぞれの受け取り方で違ってくること
でしょうね。
「影」の存在を知ることで、自分への卑下や他者への羨望を
少しは客観的に受け取ることで、弱められるかもしれません。
心の健康のためにも、必要なことではないでしょうか。




函館の夜景         安永清之様

わたしは妻と昨年師走の大雪の頃に二泊三日、北海道へ旅
しました。楽しみは小樽の散策と函館山からの夜景を見るこ
と。
 大阪空港を八時四十分離陸の予定がエンジントラブルで11
時を過ぎ、新千歳空港に着陸したのは13時を過ぎていた。
 北海道は前日に強い寒気が流れ込み、札幌の日中の気温が
氷点下10度前後とのこと。札幌に着いたのは十五時前。小樽
を諦め、冬の風物詩として知られている「さっぽろホワイト
イルミネーション」を見ることにする。さっぽろテレビ塔の
展望台(地上90メートル)から遠くを見渡す。雲間に雪化粧
の山並みが見え隠れする。見下ろすと市民の憩いの場、大通
り公園がまっすぐに延びている先には大倉山シャンティ、高
層のビルも臨む。豊かな自然にぐるりと囲まれて、自然環境
を守りながら人々が暮らしていることを感じる。
 辺りが暗くなって「さっぽろホワイトイルミネーション」
が点灯されると、街並みの光景はがらりと変わった。あちこ
ちに色とりどりの輝きが見える。眼下の大通り公園は彩り鮮
やか。広場に降りるとそこには、〈ラブ・ツリー〉やハート
形の〈オブジェ〉がいっぱい輝いて、フォトスポットとして
大変な人気。広場の輝きは〈雪明かり〉となって舞う雪に映
えている。余情を残したまま登別温泉へ。
 2日目、函館への途中に洞爺湖に立ち寄る。降りしきる雪
でなんにも見えない。函館に着いたのは日没前。山頂へのロ
ープウェイ入口付近は中国系の人々でごった返している。展
望台に着いた時には辺りは暗い。妻は「わあ〜きれい!」と
感嘆の声・・・。わたしも見渡す。街並みの灯りが〈星くず〉
のように輝いている。両側を海に囲まれ、海に浮かんでいる
よう。桟橋に元青函連絡船の「摩周丸」がライトアップされ
て係留している。往時を思い出させてくれる。
 函館を訪れるのは妻は初めて。わたしは二度目。友人と二
人で京都から夜行列車と青函連絡船を乗り継いで踏みした地
が函館でした。遙か半世紀以上前です。中秋の頃で、学生時
代の最初にして最後の旅でした。青春の思い出がいっぱいで
す。その跡を妻と辿っています。
 S・ウルマン氏の『青春』の詩に「青春とは心の持ち方を
いう・・・」とあります。そんな人生をエンジョイしたいと
思っています。




大八木医院新聞
      第128号

19年41日発行)




目次
第一面
日本経済の停滞と反捕鯨運動
           大八木 明
洛西の秘境『水尾』  土岐 実様
新聞切り抜き抄      医事科
土井達明様の俳句が朝日新聞に掲載されました


『学徒動員』の記憶  阪原幸夫様
人悲しき愛宕山・表参道
019年1月         石田皓久様





日本経済の停滞と反捕鯨運動
           大八木 明

 バブル崩壊後、『失われた十年』と言われていましたが、
年を過ぎても景気は回復せず、『失われた二十年』と言い換
られました。二十年が過ぎた今でも景気に回復の兆候は見ら
せん。
よく、「米国は」という言い方をしますが、米国といえど
一枚岩ではありません。現在、トランプ氏が大統領ですが、
れは表の代表者です。大統領が誰に変わろうが、変わらずに
策を担当している陰の支配者がいます。これを、最近
『ディープステート』と呼んでいるようです。表の国家に対
て陰の国家という意味でしょうか。有名なところでは、外交
題評議会(CFR)とか、ローマクラブ、アスペン研究所な
の政策研究機関などが活動し、為政者に対して政策提言(強
?)をしているのです。そして、これらの政策研究機関を動
しているのがロックフェラー一族です。
 このディープステートが、『ゼロ成長主義』を提言してい
ので、一向に日本の景気が上向かないのです。一九七六年に
行された『ロックフェラー・ファイル』では、ロックフェラ
グループは、日本をゼロ成長主義に基づく諸政策に組み入れ
ため日米欧の三極の一極に入れたと指摘しています。東部の
スタブリッシュメントは日本の経済成長を望んでいないので

 た、反捕鯨運動も、このディープステートと深い関係があ
ます。ナクマラマは、アスペン研究所の創立会員ですが、後
世界銀行の総裁となったとき、原子力発電には一切融資しな
との方針をとりましたし、一九九七年に日本で行われた原子
産業年次集会にゲストスピーカーとして招かれたときにも、
私は環境保護運動を支持し、原子力発電には反対する」とは
きり言っています。
 CFRは、ゼロ成長政策を貫く一方で、食料とエネルギー
対する支配権を強化する方針を持っています。TPPはその
れです。捕鯨禁止のあと、牛肉、オレンジ、コメの自由化を
メリカ側は打ち出しています。日・米・欧三極委員会の日本
のメンバーも、賛成の立場を取っています。ローマクラブ、
極委員会のメンバーである大来佐武郎氏(元外相)は、スト
クホルム環境大会で、アメリカの捕鯨禁止提案に賛成してい
す。
 デイビッドソンは、彼の著書の中で、「アメリカの反捕鯨
動のリーダーたちは、クジラのことは何にもわかっていない。
鯨に詳しい人もいるが、この人たちはクジラを政治的に利用
ることを考えている。つまり、対日貿易や漁業の面で日本を
撃するために使おうとしている。アメリカは、核廃棄物問題
会議で話題にされるのを回避するためにクジラを引きずり出
た。アメリカの自然保護団体の運動家たちをストックホルム
動員し、現地でロビー工作をした勢力の中心はペンタゴン
国防総省)の人たちだ。」と証言しています。
 ジョージ・ケナンは国務省政策企画部長、駐ソ連大使など
務めた外交専門家ですが、環境会議にはアメリカ代表団の顧
として参加していました。彼は「軍事関係者たちは、核廃棄
の処理問題が討議されることを望まなかったので、捕鯨問題
関心を集めた。」と証言しています。
 実はこの会議の前に、米国は太平洋に大量の核廃棄物(死
灰)を捨てていたのです。それを突っ込まれると痛いので、
題をそらすために、『問題のすり替え』を行ったというわけ
す。



西の秘境『水尾』  土岐 実様


 京の西北、愛宕山の西麓に村里『水尾』があります。柚子
の里として一部の人に知られています。
 京の田舎の良さが残っている最後の山里かもしれない四十
戸あまりの農家は、広い柚子畑を持ち、道端、屋敷内、石垣
の間など至る所に柚子の大木が茂っています。なかには樹齢
二百年という古木も多いそうで、数年前から憩いを求めて訪
れる人も多く、各家庭で柚子風呂と鶏すきを提供して有名に
なりました。
 柚子風呂は、聖武天皇が冬至の賀を受けられた頃から民間
で始まったといわれているそうです。生柚子を二つ切りにし
て木綿袋に入れ、風呂に浮かせます。昔は冬至に一回浴した
だけで身を清め、邪気を払い、健康を保ったといわれていま
す。全身でビタミンを吸収し、芳香がいつまでも肌に残り気
分爽快です。
 冬の水尾も楽しいですが、今度は春にハイキングで野草を
摘んだり、草風呂に入ってみたいと思います。
〇水尾への順路
・JR 保津峡駅→水尾 (車で十五分)4キロ(徒歩約一
時間)自治会バス朝各二回運行)
・市内より丸太町通り西へ清滝街道(トンネル手前)一の鳥居
下六丁峠→落合→水尾




新聞切り抜き抄      医事科

土井達明様の俳句が朝日新聞に掲載されました

タグつけしまま 茹で上がる ずわい蟹

スキップで 下校する子や 日脚伸ぶ


『学徒動員』の記憶  阪原幸夫様
 太平洋戦争(第二次世界大戦)が熾烈になると、大学生は
もちろん、中等学校(当時旧制中学校・女学校)の生徒も、
学業を中断して、軍需工場で働くことになった。
 当時わたしは、京都師範学校の予科二年生(十六歳)で、
昭和十九年九月、同期生八十人と共に名古屋の住友軽金属工
場へ動員された。工場での作業は単純なことで、自分の扱っ
ている機材が、何の、どんな部分に使用されるのかもよく知
らないまま従事していた。
 昭和十九年十二月七日に「東南海地震」が愛知県付近を中
心に起き、それが合図のように、アメリカのB二十九による
空襲が始まった。
 二百機・三百機と編隊を組んで飛来し、工場地帯を中心に
執拗な爆撃が始まり、やがて、大都市だけでなく、地方の都
市にまで無差別な空襲が拡大していった。
 その後、度重なる空襲によって、工場は壊滅し、わたした
ちも他の工場へ異動させられることになり、昭和二十年六月
初めに舞鶴海軍工廠へ異動した。少しでも自分の家に近くな
った、と喜んだものの「学徒動員の歌」―ああ紅の血は燃ゆ
る―を高唱しながらの宿舎から海軍工廠への一時間近い通勤
の往復はかなり辛かった。しかも昭和二十年七月二十九日の、
原爆模擬爆弾による空襲では多くの死傷者が出た。仲間から
も九名を亡くし、十六名の負傷者を出した。(海軍工廠全体
では死者九十七名、負傷者百数十名と記録されている)。そ
して死者の遺体はいつの間にか軍部の手によって荼毘に付さ
れ、その上、舞鶴近辺の者四名の遺骨は、級友二名ずつの手
によって遺族の家へ届けさせられた。起須秀雄君の遺骨を届
けに行ったA君は、その時の辛かった気持ちを、次のように
記している。(なごや会編『凛として生きる』から)
『なんと言って玄関に立ったのか。ただ「こんにちは」と言
ったままであった。起須君と五つ違いの妹さんが顔を出し、
わたしたちの姿を見るや、顔色を変えてどこかへとんでいっ
てしまった。立ち尽くしていると、やがて、作業服のお父さ
んが、小走りに帰って来るなり「秀雄」と言うや、わたしの
胸から遺骨をもぎ取るように取り、胸に抱いて号泣された。
十七歳のわたしに何が言えるだろうか? ただ、生きて帰っ
てきたことの申し訳なさ、友を失った悲しさ、悔しさがこみ
あげ、お父さん・妹さんと共に声をあげて泣くのみであっ
た。』
 わたしは、避難した防空壕の中で、腹部を爆弾の破片が貫
通したK君を見つけ、通りがかりのトラックに頼んで病院へ
運び、五名の仲間と共に病室で一日中付き添い、息を引き取
るまで看取ったが、徐々に弱っていく姿を見ながらどうしよ
うもなかった辛さは、今も心の傷となっている。その後、同
期生の新聞の投稿記事を見たK君の妹さんから「その人はわ
たしの兄です」という手紙が届き、「日本海に面した兄の墓
に参ってきました」との報告を受けた。亡くなった仲間も生
きてさえいれば、きっと社会のために多くの貢献をしたに違
いない、と悔やまれる。
 このような、「学生が勉学を捨てて軍事に加担する」とい
う特異な体験は風化させてはならないが、高齢化と共に体験
者が減っていくのもしかたがないことであり、また、個々の
体験も徐々に薄れていくのも現実である。こんな悲しいこと
が二度と起こらないよう強く願うばかりである。
(注「なごや会」学徒動員によって一年近く名古屋にいたわ
たしたちは、万感の思いも込めて「なごや会」と名付け、毎
年同期会を開いてきたが、その仲間も今では数少なくなった)



人悲しき愛宕山・表参道
019年1月         石田皓久様

「山道を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。
情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。」・・・以下
省略。とは夏目漱石の「草枕」の冒頭ですが、多分これは青
空の下、ゆるやかな山道をのんびりと登っていた時の思考で、
足より頭が歩いていたのでしょう。
 一月二日、清滝・表参道から愛宕神社への山道。真逆で無
惨な光景に目を奪われ、声も足も止まりました。水に洗われ
た登山道は「石ころ」が露出、凸凹が激しく、浮石になり、
両側の大木は根こそぎなぎ倒され、行く手を阻み、小枝と葉
はトンネルとなって、頭を低くして通り抜けるというありさ
ま。昨年九月の台風二十一号の猛威に今更ながら「あ・ぜ・
ん」。そんな現場を何度か通り過ぎ、八合目の水尾・分岐で
一息入れました。積雪が汚れて、アイスバーンになり、一歩
一歩踏みしめて山頂に向かいました。
 二百もの石段を登り切れば本殿到着、お参りの一連の儀式
を終え、奥の院の「イノシシに跨がった愛宕太郎坊」の絵馬
を見届け、社務所に戻りました。新年恒例の「阿多古祀符・
火廼要慎」五体を買い求めました。この「お札」、以前より
百円値下げされ、聞くところによれば、最近はインターネッ
トでの注文が多くなり、それで差をつけたとか? 確かに急
坂の山道を往復五時間、汗水タラタラで買う人と、部屋内で
クリックひとつで買うのと同じ値段ではネー。「その分、送
料が高くつきます」とは陰の声。どちらにしても台所に貼り
付け、火災の予防になれば安い買い物です。
 今年は「亥年」、愛宕神社の象徴。山火事になれば「イノ
シシ」が一番早く逃げて「火事」を知らせるそうで、最近人
を襲ったり、農作物を食い荒らしたりと悪者扱いですが、す
べてを彼らのせいにするのは、どうかなぁ・・と思うこの頃
です。
 石段途中の青い鳥居の両側に「あ・うん」の「イノシシ」
が浮き彫りされていました。年男・三十六歳の男性がデジカ
メで写してもらい「インスタ映え」をとピース+笑顔。下山
時、小屋の中で「アイゼン」を装着。ザクザクの小気味良い
音を確認しながら神社を後に、八合目で「アイゼン」をはず
していたら、黒い手提げバックの男性が下りて来た。服装に
違和感を感じ「なんで?愛宕さんに?」「ご朱印帳集めで?」
「???」・・・。一緒に雑談しながら下りました。「月に
一回〜二回参ります」「往復五時間もかかり、ご朱印を頂く、
神社・仏閣はないやろなぁ―」「そうです」とニッコリ! 
満足げ。この山に「登山」、「お札」でもなく、「ご朱印帳
集め」で登っている人に会ったのは初めて、これも最近のブ
ーム、遂に愛宕山まで来たかと思いました。まぁ簡単、楽に
もらえるよりは「希少価値」がありそうで、これでまた、ネ
ットで買う人も増えるでしょう。清滝、赤鳥居でバイバイ、
ご朱印帳の一ページが埋まり意気揚々でした。
「伊勢は七度、熊野へ三度、愛宕さんへは月参り」の看板を
横目に、橋を渡りましたが表参道の荒廃に後ろ髪を引かれる
ようで、心身が重く駐車場まで遠く感じました。






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