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台湾経済、その強さの秘密
元田時男(1998年末執筆)

1. 元気の良い台湾経済
中国を除いて今アジアは経済危機以来低成長、マイナス成長を強いられているが、台湾は1997年も6.77%の成長を遂げ、98年も4.83%の成長をみている。台湾は1人当たりGDPが96年は1万3千198ドルと韓国を抜き日本の3分の1に達しており、すでに成熟社会に突入していると言っても過言ではないが、依然として高度成長を達成している。
特に最近目覚しい発展を遂げているのは、高度技術の分野であり、コンピュータ部門では、アメリカ、日本に次世界第3位の生産地となっている。例えば97年にはモニターは世界の53.7%のシェアーを占めており、外にもマザーボード60.5%、ハンデイスキャナー96.0%、マウス62.8%と、今やコンピュータの分野で台湾を抜きにして語れない状況になってきている。

2.輸出の拡大、外資導入、大型経済建設による高度成長
76年はアメリカのGSPが始った年で、台湾からの輸出が大きく伸び、輸出全体として53・8%の脅威的な伸びをみた年であった。75年の輸出全体の伸びがマイナス5・7%であったから、GSPの威力が如何に大きかったが分かる。
当時の主要輸出品はアメリカ、欧州には衣類など軽工業品、その他の諸国には家電製品、軽工業品が輸出の主力であった。台湾も輸出を軸にして経済成長を始めたのである。そのための資本、技術は外資に頼るというのが戦後台湾が一貫して取ってきた政策で、「外国人投資条例」、「華僑投資条例」、「技術合作条例」を軸に積極的に外資を導入、それは現在でも続けられている。特に1973年ころから外資導入は、件数、金額とも大きくなり、日本が最大のシェアーを占めていた。それは現在でも続いており、98年は日本がトップで228件、5億3千5百万ドルとなっている。
資源に乏しい台湾としては、70年代においても輸出用原材料は殆ど輸入に頼っていたが、73年から経済インフラの整備に力を入れはじめた。同年に着手された10大建設がそれで、鉄鋼一貫製鉄所、石油化学コンビナート、大型造船所、原子力発電所、道路、鉄道、港湾の建設が進められ、台湾の自給率は大きく改善されると同時に技術の集積が進んだ。

3. 台湾発展の原動力
台湾経済のこうした繁栄はどこから来たのであろうか。筆者は四つの要因があると考えている。一つは勤勉性である。二つは教育への情熱である。三つは外資、技術の積極的導入である。四つ目は中小企業だからである。これを一つ、一つ分析してみたい。
一つ目の勤勉性であるが、中国人は概して勤勉な民族である。昔からの儒教の伝統で家族の繁栄が目標である。儒教は近代化の邪魔になるという側面もある。民国革命の父孫文も家族主義から国家へ尽すことの重要性を唱えた。共産主義の大陸でも家族主義との戦いであったということができよう。しかし、家族主義は別の見方をすれば家族の繁栄のためには骨身惜しまず働くという側面もある。台湾の国民党は共産党と逆に中国古来の伝統を守るという方針を取って来た。これは、台湾では良い方向に働いてきたと思われる。更に、狭い台湾に押し込められ、資源もなく農業だけでは食べて行けないという現実が人々を海外へと目を向けさせ、輸出産業の勃興をもたらす原動力となったのではなかろうか。
二つ目の教育であるが、これは大陸も含め中華文化圏と言われる地域に特徴的なことである。日本も中華文化圏と言うことができよう。とにかく教育熱心である。日本の10分の1の広さ、2千万の人口で、大学と大学院が60もひしめき合い、それでも受験競争が激しく、塾は大賑わいである。高校卒業生の進学率は95年で56%に達している。しかも、台湾は伝統的に理科系への指向が強く、これが台湾の技術向上に大きく寄与している。
よく、最近日本が進出を始めた発展途上国では、技術を移転しようにも受け入れる側の人材が不足して移転が進まず、いつまで経っても日本人技術者が減らず高い人件費が経営を圧迫するという隘路があるが、台湾はその点優秀な技術者が揃っていると言える。
三つ目の外資、技術の果たした役割であるが、これは台湾当局の一貫した産業振興策で、かつ、台湾の企業も積極的に外資と組み、資本、技術の導入をはかってきた。これが台湾の工業化に大きく寄与した。GDPに占める農水産業のシェアーは1952年は32・2%
で、製造業は僅か12・9%であった。台湾は農業から出発しているのである。それが、1996年には農業は僅か3・3%となり、代りに製造業が28・1%、サービス産業が61・1%と日本にほぼ匹敵する工業地域となってきた。この間、日本の果してきた役割は大きい。1952年から96年まで外資導入件数の22%は日本からで、投資金額も28%が日本からである。また、台湾の人達も熱心であった。筆者が台湾にいた当時、日本での新しい技術の情報が入ると、競争して日本へ飛んで行き、交渉をしていた。こうした熱心さにほだされて、合弁に踏み切った日本の企業は多い。日本が台湾を利用したのではなく、台湾が日本を徹底的に利用したというのが筆者の実感である。
四つめの中小企業という理由であるが、これについては異論がある方もあるであろう。しかし、事実台湾の最大手企業の年商を見てみると日本では中堅企業程度である。元々中小企業が大勢を占めているのである。台湾の96年の中小企業白書によれば事業所の98%が中小企業であある。これが、小回りの利くという良い面が作用してハイテクと言われる部門で成功している。筆者が台湾にいたころ、日本人の間では台湾の悪口を言う場合、決って言われることは資本の所有と経営が分離していないということであった。家族経営であるから大きくなれない。経営も近代化しないというのが論点でうなずける話ではある。しかし、大きいことは決して良いことではないことは最近の日本で証明されている。総合電機メーカーも最近では、総合的、巨大であることが悪作用を起こし、分社化が進められているところである。台湾はむしろ小さいことにより小回りが利き、新しい分野にどんどん進出できたとも言える。誰もが一国一城の主になりたがるという気性がベンチャービジネスを生み出し、また、当局も資本を出して支援してきたのである。アメリカで最新の技術を勉強した連中が帰ってきて企業を起こしている。これが、今日のコンピュータを始めとするエレクトロニクス産業の繁栄をもたらしているのである。

4.台湾のエレクトロニクス産業と科学工業園区
それでは、台湾が今最も得意とするエレクトロニクスの分野を見てみたい。行政院主計処(日本の総理府統計局に相当)の発表によると、情報通信産業の分野において国際的大手メーカーのOEM生産は97年も好調で、各種の関連機器の生産額は、台湾域内、域外生産も含めて302億ドルに達し、前年比24・8%増、これはアメリカの942億ドル、日本の922億ドルに次いで世界第3位となっている。91年には69億8百万ドルであったことを考慮に入れるといかに急速な発展を遂げているかが分かる。
この分野の発展においても、外資の役割は大きい。97年の投資受入件数は683件、427億と過去最高であるが、特に日本は166件、アメリカは104件、しかも両国とも電子、電機の分野が多く、日本、アメリカの情報通信産業が台湾に生産拠点を移していることが分かる。
当局もこの分野の振興には力を入れており、現在ではIC並びにその設備に重点が置かれている。1970年代後半に台湾の新竹に設立した「科学工業園区」はハイテク産業の技術研究促進と関連工業の誘致を目的として設立されたものであるが、1980年にオープンしている。台湾には工業団地が70箇所あるが、ここは特にハイテクに特化していて異彩を放っている。オープン当初は鳴り物入りであったものの、入居企業も少なく、いつになったら埋まることやらと筆者は訪問の度に気になったものでああるが、以来17年入居企業は95年末で180社、従業員も4万2千人余りに達している。内外資が36社で、地元は144社である。業種別にみると、半導体(設計、製造)56社、コンピュータ並びに周辺機器41社、通信機器30社、光電システムユニット26社、精密機械18社、バイオテクノロジー9社となっている。
科学工業園区の入居企業に対する当局のインセンテイブは租税上のものが主である。まず、法人税は5年間免除され、免税開始年度を製造開始年度から4年以内に自由に選べる。
つまり、当初は赤字が多いので、黒字化するころから免税を開始できる訳である。また、免税期間終了後も法人税の上限は20%に押さえられている(台湾の法人税は累進制で所得が10万元を超えた場合、超過分には25%課税される)。機械設備、原材料などの輸入税は全額免除される。ベンチャー企業などの場合、当局が49%まで出資に参加することができるようになっている。そのほか、注目されるのは、条件を満たせば技術研究開発奨励金が提供されることである。
このように、ハイテク分野において科学工業園区の果している役割は大きい。更に南部において新たに台南科学園区が96年1月に着工され98年には運営が開始され、台湾のハイテク化に寄与することになろう。
おわり
参考文献
「中華民国統計月報」
「自由中国の工業」
Statistical Handbook of R.O.C.1998