ある女性ピアニスト、仮に高橋とも子としておこう(仮名なのだぞ!念のため・・)
年は多少食っているものの中山美穂似の端正な顔立ちの美人である。
そんな彼女の率いるカルテットに時々参加することがある。
彼女の演奏技量はメジャーなライブハウスからはまだブッキングの声がかからない
段階であるものの、マイナー系の店では着実に演奏実績を残し始めつつある。
その夜は、渋谷の外れの小さなジャズクラブ「元禄(仮称)」でのギグであったが、
レギュラーベーシストに替わりエキストラとして私が呼ばれたのだった。
バンド業界は大変な不景気であるが、アコースティックベースのプレイヤーは人材
が不足気味である。ということで私のような中途半端な活動をしている人間にもブ
ッキングの声がかかるのである。(これはホントのことなのだ・・)
彼女と私、そしてサックスプレイヤーの坂野正文、若手ドラマーの谷本啓二のカル
テットにシンガーの本多尚子が加わりその夜のギグは始まった。(繰り返すが全部
仮名なのであるぞ!)
客の年齢層がかなり高いそのジャズクラブでは、選曲はオーソドックスなスタンダ
ードジャズを中心に演奏することが要求された。
「But Not for Me」「How High the Moon」等の軽いスタンダード曲でステージは
開始された。
あまりテンションの高い刺激的なジャズはこの店では好まれない。 したがって演奏
は耳触りよくソフトな傾向になるのだが耳の肥えた常連客が多いため演奏の手は決
して抜くことはできない。(いわゆるジャズ蘊蓄オヤジ達ですな・・・)
こうして淡々とステージは進行したのだが、2ステージ目にちょっとした事件が起こ
ったのである。
ボーカルのバッキングについてシンガーの本多尚子からクレームが出たのだ。
高橋とも子は、ピアニストとしてのキャリアは長いのだが、もともとはホテル等の
ソロピアノの仕事が多かったためか、グループ演奏で特にボーカルのバッキングを
つける場合などにしばしば未熟さがでるのだ。
シンガーからのクレームはピアノから始まる前奏の後、歌い始めるタイミングがなか
なか掴めないというものであった。
私が聞いた限りでも彼女の前奏にはあきらかに初歩的なミスがあった。
そのために演奏の出だしで素人が聞いても分かるような破綻をきたしたのであった。
問題の起こった曲は「枯葉」である。
メロディがシンプルで曲想もわかりやすいためか、ジャズ演奏を始めた初心者が好
んで取り上げる定番曲である。
しかし和音進行から見たとき、初心者向きというイメージと裏腹に「枯葉」は意外と
複雑な構造をしているのである。
このタイプの曲は前奏の和音を選択するのが難しいのだが、彼女は適切でない和音
を選択してしまったため、曲の調性がわかりにくく、シンガーが出だしのきっかけを掴
めなかったという事態が先のステージで起こったのだ。
私は彼女のこの種のミスが今回だけでなく以前にも何回かあった記憶があり、前々
から一度指摘した方がいいと思っていた。
そこでステージの合間に、思い切って彼女に和音の選択に間違いがあることを指摘
した。
高橋とも子はめっぽう頭の回転の速い女性だ。私の指摘を聞いた彼女は一瞬で私の
指摘を理解し少し動揺した表情を見せた。
次の瞬間である。
突然彼女は大粒の涙をボロボロとこぼしはじめたのであった。
気丈で男勝りの性格の彼女が、急に泣き出したことに私はちょっとびっくりした。
彼女とはもっとひどい口喧嘩をしたこともあるのだがちょっとやそっとで涙を見せる
ような性格ではないのである。
その後、気丈な彼女のことである、すぐに気をとりなおし明るくて大ボケギャグを
連発するいつもの高橋とも子に戻ったのである。
このちょっとした波風の後、またいつものペースで演奏は続けられた。
少しの破綻があったもののギグは概ねお客には好評で、ジャズクラブ「元禄」での
演奏はいつも通り順調に完了したのだった。
しかしプロとして10数年のキャリアのある彼女がこんな初歩的ミスをするとはどう
いうことなのだろう?
しかもそのミスに気づいてあんな動揺を見せるとは!?
プライドを傷つけるので面と向かって彼女に理由を聞くわけにもいかない。
彼女との対話の中で心の内を推理するしかないのだ。
推測される理由とはこういうことなのだ。
彼女は10数年間この種のパターンの曲の前奏でセオリーに反する不適切なコード
付けをして演奏し続け、しかも10数年間それを指摘する人が誰もいないままに現
在に至ったに違いないのである。
そしてその間違ったやり方が正しいものとして彼女のキャリアの中で彼女の頭に
刷り込まれてしまったものと推測されるのである。
彼女が示した動揺は、例えば漢字の書き順とか英単語の綴りを間違って覚えていて、
そのつまらない間違いが、例えばかしこまった会議の席とかで露呈されて赤っ恥を
かいたとかそういうショックと似た種類のものだろう。
ところでジャズを志す新進ピアニストが得る仕事の多くはソロピアノであるという
現実がある。ここに一つの問題があるのだ。
ホテルのラウンジやパーティ会場、盛り場のクラブなどのいわゆる「営業仕事」の
場に新進ミュージシャンはプロとして食べていくため、腕を磨くために飛び込んで
いくのであるが、そもそもグループで演奏できるような「営業仕事」の場がまずめ
ったにないのである。
商業的な演奏の場では経費削減のためグループでの演奏は成り立つことが少なく、
必然的に生演奏をするための最小単位、すなわち「ソロピアノ」に行き着くケース
が多いのである。
ところがジャズの世界では、演奏上のいろいろな技術やプロとしての振る舞いや精
神はグループでの演奏の経験の中で伝承されていくのである。
「ソロ」では共演者との音楽的な対話の中で技術やアイデアや魂を吸収するという
ことが出来ないのだ。
「ソロ」のキャリアの長い人は往々にして一人よがりの間違った解釈や表現が染み
付いてしまい「グループ演奏」に参加すると破綻を見せる場合がある。
とはいえピアニストにとって食べていくためには、ソロピアノの仕事をこなしていか
ないといけない。営業的なソロピアノのギャラに対してグループ演奏のギャラはあ
まりに安いのだ。
にもかかわらず高橋とも子は、ここ数年あえて高収入のホテルなどのソロピアノの
仕事よりギャラの安いグループ演奏の仕事を優先的にブッキングし続けているの
である。
彼女はソロピアノという狭い世界に音楽的な行き詰まりを感じ取ったに違いない。
そしてグループ演奏の世界で自分の音楽の幅をもっと広げたいという意識がある
に違いない。
逆に言えば、音楽的な向上という面では少なからず問題のある営業的ソロピアニ
ストとしてキャリアを積んできた自分自身にある種の負い目を感じているのだ。
彼女の動揺はそういう自分が歩んできた不本意な境遇に対するやり場のない怒りや
くやしさが、一つのミスをきっかけに一挙に噴出したということであったのだろう。
その後の彼女のプレイを聞けば、この表現上の問題については著しく改善されて
いるのは明らかである。しかし長年刷り込まれてしまった癖を矯正するのは大変な
ことのようで多少ギクシャクした部分が残っているようだ。
努力家の彼女であるから、近い将来完璧にこの問題点を克服することだろう。
しかし、十数年のプロのキャリアの中で初歩的な間違いが指摘も矯正もされずに来
たということになんとも割り切れない気持ちが残る。
盛り場のいたるところにバンド演奏の仕事場があった時代には、ジャズ演奏の現場
には明らかに伝承のシステムが存在した。
若手ミュージシャンの初歩的なミスは、共演するベテランから怒鳴りつけられること
によってたちまち改善された。
こういった伝承システムは現在ではほとんど消滅しているのである。
現在この現場での伝承システムに取って代わるものが「教育」である。
アメリカのバークレイカレッジなどの専門大学にいけば短期間に効率的にジャズの
あらゆる語法を効率的かつ正確に詰め込み教育をするカリキュラムが存在する。
こういうところに行って一定の努力をすればそこそこの技量で演奏現場に登場する
ことが可能である。
伝承システムが喪失した中で現場で暗中模索している演奏家達、アメリカの均質で
システマチックな金太郎飴的演奏技術を持ち帰った演奏家達、そういう人たちが混
在しているのが東京のジャズ界の現実であろう。
このことを思うとまたもや割り切れない気持ちに襲われるのであるが、一人の女性
ピアニストの話に始まって少しテーマが大きくなりすぎた。
また別の場でこのテーマについて考えてみたい。
私が身近に出会うジャズの世界にはこのように色々な問題がある。
大した問題ではないではないかと思う方も多いかもしれないが、「問題である」と
考えた方が話のネタとしては面白いのである(・・・おいおい!)
・・・いや、ちょ、ちょっと待て!開き直ってる場合ではないのである。
私はいみじくも現代ジャズ界の救世主となるべき使命を帯びているのである。
(おい!気は確かか?)
取り組まなければならない問題は山ほどあるのだ。
これを読むみなさんの中に私と同様の問題意識を抱き、かかる世紀末においてジャ
ズ救世軍創設こそ急務なりと確信するジャズファン諸氏が少なからずいるはずであ
る。(そんなもん誰もおらんぞー!)
ジャズ監督庁、ジャズ再生委員会の創設もすでに現実のものとなろうとしているの
であるぞ!(嘘つけぇ〜〜〜〜!)
今こそ決起すべき時ではないだろうか!(ホントいい加減にしろよ)
諸君の熱い支援を期待するのみである!!(やっぱ一回病院へ行った方が・・・)
むむーーー・・・結局支離滅裂になってしまったか・・・(汗)
勘弁してくだされーーー!!でも熱い情熱だけは理解してちょ!
駄文をここまで読んでいただいた方、本当にありがとうございます。 |