サンティアゴ巡礼の道−Camine de Santiago

キリスト教12使徒の一人である聖ヤコブ(スペイン語名サンティアゴ)の墓が9世紀初頭、スペイン北西部サンティアゴ・デ・コンポステーラで発見され、それ以来、ローマ、エルサレムと並び、このサンティアゴがヨーロッパ三大巡礼地の一つとして崇められ、キリスト教信者の心の拠り所となっています。中世には年間50万もの人が徒歩又は馬車でピレネー山脈を越え、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指したと言われています。その道程は約800kmにも及び、巡礼者は巡礼のシンボル(通行証でもあった)であった帆立貝の貝殻を提げ、水筒、杖を手に長い道程を旅しました。 巡礼ルートは2つあり「サンティアゴの道」といわれる本ルートは北部内陸を、もう一つの沿岸ルートはカンタブリア海沿いを通る海岸ルート。これら街道沿いには巡礼者の為の宿泊施設としても使われた修道院、教会、病院などが多数点在し、その時代の文化、芸術、歴史の足跡が色濃く残り、現在では歴史街道となっています。この巡礼街道はユネスコの世界遺産に指定され、又日本の熊野街道(和歌山)と姉妹街道にもなっています。
この聖人の祝日7月25日が日曜日にあたる年は「聖ヤコブ年」といわれ、大祭が行われます。又、これに因んでガリシア地方を中心に各種イベントが催されます。1999年は20世紀最後の「ヤコブの年」ということで、より多数の人が聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを訪れました。 今日においても、特に夏場はリュックサックを背負って街道を徒歩又は自転車で旅する人を多く目にすることが出来ます。

2004年も「聖ヤコブ年」にあたります。この年にサンチアゴに巡礼した者は全ての罪が許されるとされています。最初の聖ヤコブの年は1122年であり、以後11, 6, 5, 6年の周期でやってきます。
聖ヤコブの聖なる門(Puerta Santa)が1年間開かれ、 この門を通りぬけると全ての罪が清められると信じられています。 このことから聖なる門
別名免罪の門(Puerta del Perdon)とも呼ばれています。扉の石柱に彫られた十字架は、何世紀にもわたり人々が神の御加護を願いつつ十字をきったせいで真黒になっているそうです。

スペイン・サンチアゴ巡礼の道については、下記URLが参考になると思われる。
http://geo-g.com/04essay/contents/europe/tada/i/i.htm

サンティアゴ・デ・コンポステーラ…Santiago de Compostela
「巡礼の道」の最終地。キリスト教三大巡礼地の一つサンティアゴ・デ・コンポステーラ。サンティアゴ・デ・コンポステーラは今も中世の門前町の面影を残し、この地方特産の花崗岩の建物を縫うような細い石畳の道に鐘の音が響き、学生達や法衣姿の人達が行き交います。大聖堂に着いた巡礼者達は、スペイン広場に面した「オプラドイロの正面」から中に入り『栄光の門』へ行きます。そして、ここでヤコブの像の柱に手をついて祈りを奉げます。それから、仕切り柱の裏側にある『頭打ちの聖人』と呼ばれる石像に3度頭を当てるのが習わしになっています。こうすると、頭が良くなると信じられているそうです。地下礼拝堂に下りて聖ヤコブに詣で、その後、大祭壇の聖ヤコブ像を抱擁します。毎日12時には巡礼のミサがあり、運が良ければ世界最大の香炉ボタフメイロ(Botafumeiro 銀の香炉)が振り子の様に往復する光景を見ることが出来るでしょう。
http://nsidea.com/santiago1.htm
聖ヤコブはキリストの12使徒の1人。キリストの昇天後、使徒達はそれぞれ担当を決めて手分けをしてキリスト教の布教に歩く。
彼の担当はスペイン。当時『地の果て』(Finis Terrae:Finitre)と呼ばれたイベリア半島の北西端のGalicia地方に船で上陸し、ここを基点に6年間程スペイン中を布教に廻る。 その間にZaragozaのPilarのマリアのよ うな奇跡を起こすものの、説教が上手くなく殆ど弟子ができず、失意の内にイスラエルに戻る。
当時はヘロデ王のキリスト教徒への迫害が激烈を極めた時期で、彼はすぐに捕らえられ斬首刑に処せられる。12使徒最初の殉教者となる。屍は野ざらしにされ 野獣の餌にされるが、夜になって彼の2人の弟子がその屍をこっそり浜辺に運び 出したところ、沖から船頭もいない一艘の船が近づき、「乗れ」と言わんばかりに彼らの前に停まった。 「これは神が遣わした船に違いない」と天を仰ぎその奇跡に感謝の祈りを上げた後、師匠の遺体と共に乗り込む。船は突然動き出し、地中海を通りジブラルタル海峡を通り抜け、更に大西洋を北進してヤコブが宣教に赴いたときと同じUlla河を上って、現在Padronと呼ばれる川岸にたった一晩の内にたどり着いた。ここの川岸の小さな教区教会の祭壇には、現在もそのときにその船を繋いだ石が祀ってある。
2人の弟子は師匠の屍を川岸から少し離れた現在のイビア・フラビアと呼ばれる所まで運んで、そこにあった大きな大理石の岩の上に置いた。突然、その岩がヤコブの体の形に溶けそのまま石棺になった。
そのお墓もそのまま忘れさられて仕舞うが、800年後にまた奇跡が起こる。9世紀に、2人の牧童が、東方の3賢人が見たと同じ形をした星が執拗に呼んでいるかのように瞬いているのを見て、それにつられ森に入っていくと、星の光を反射して輝くこの石棺を発見する。無学の2人には勿論刻まれた文字が分からず、当時の司教Teodomiroに伝えられ、聖ヤコブの墓であることが知られるようになった。そして千年を超える巡礼の旅が始まることになる。
徒歩又は自転車で歩き、巡礼者のために用意されている指定の宿泊所でスタンプを押してもらい、はるか遠いサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指し歩きつづける。無事これを続けサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂に辿り着くと、めでたくも有難い「巡礼証明」がいただけるようだ。800kmにも及ぶ長い長い道のりを歩きとおす苦難は、並大抵のものではなかろう。大聖堂のミサにおいて、世界最大の香炉ボタフメイロを振り子のように往復させるのは、一説によれば、巡礼者たちがみな汗臭く、その匂いを消すためのものだったということだ。それほどの苦難をも跳ね返してしまう魅力がこの巡礼にはあるのだろう。中世ほどではないにせよ、今日でも多くの人が挑んでいるようだ。テレビの画面に映し出された巡礼成就者は、みな晴れ晴れとした表情だった。人生一度は体験してみたいものだ。
7月25日 聖大ヤコブ使徒(1世紀)  イエスの12使徒のひとりであるヤコブは、ガリラヤの漁師の家に生まれた。福音史家ヨハネとは兄弟である。彼が、大ヤコブと呼ばれるのは、使徒の中で最初の殉教者であり、イエスのいとこにあたる小ヤコブと区別するためである。彼は、パレスチナの王ヘロデ・アグリッパのキリスト教迫害の際に捕えられ、斬首された。
ヤコブは、スペインの守護の使徒と呼ばれているが、それは、遺体がスペインに運ばれたからだと伝えられている。数世紀にわたる迫害と民族移動によって不明となっていた墓は、813年に発見された。その場所は「コンポステラ」(星が現われて、聖人の墓の場所を示したという伝説による)と名づけられ、最も重要な巡礼地となリ、現在に至っている。
 

Back to 蘊蓄

Back to Home Page