開発主義というパラダイムを超えて
Beyond the paradigm of the developmentalism

〜平和を実現する脱開発コミュニケーション〜
-Post-development communication that realizes peace-

フェリス女学院大学大学院博士後期課程 平井 朗

Summary

The "development" of The Third World invented by President Truman in his Point Four Program on January 10, 1949 has become a paradigm like religious faith as developmentalism and expanded the destruction of the culture, the environment and a gap in economy into a global scale both in U.S. and Soviet camp. Most of the people concerned with the development thought that to be "Methods of development were wrong”, "It was not proper (inherent) development", and it became to insist on "alternative development” such as "human development" and "sustainable development". However, can peace be realized by continuing the development with undergoing a model change of the concept of development? Still the way of thinking which asks again the framework of the development (development paradigm) itself doesn't keep being the main stream.

On the other hand, the "development communication" appeared to push the development of the Third World on a background of modernization theory in early 1960’s. It insisted that traditional value with the Third World people obstructed the development, and placed a communication on the tool which changed that. But, after that, it insists on "alternative development communication" aims at the participation and empowerment, because "As a result that the general idea of the 'development' changed with the times from the main stream development on the modernization theory, the general idea of the 'development communication' changes in accordance with that, too". However, as the “alternative development communication” is still framed in the “development paradigm”, it can’t realize peace. Accordingly I propose the “post-development communication”.

The post-development communication is based on the self-reliance by the victim of the violence over the development. It is also an expression of the solidarity between the victims and other citizens. It reconstructs the relations between the individuals and commons that ensure the subsistence.

(Written by Akira Hirai, doctoral student, Graduate School of Global and Inter-cultural Studies, Ferris University)


序 本論文の目的

本稿では、ヨハン・ガルトゥングによって定義された暴力を克服する=平和を実現する一方法として「脱開発コミュニケーション」を提案し、平和学の立場から検証する。

1949110日、米国トルーマン大統領によって「発明」され、ポイント・フォー計画として発表された第三世界「開発」概念は、東西両陣営を問わず信仰の如き開発パラダイム[i]、さらに開発主義[ii]として世界に流布された。経済をすべてに優先させて成長させ、物質的な豊かさを実現することが敵陣営に対する勝利=平和の実現であるというイデオロギーは文化や環境の破壊と経済格差を地球規模に拡大した[iii]。開発に携わる人びとの多くは、問題が「開発のやり方が間違っていた」、「正しい(あるべき)開発ではなかった」ことに起因すると考え、「人間開発」や「持続可能な開発」のような「オルタナティブな開発[iv]」が主張されるようになった。しかし開発概念をモデルチェンジしながら相変らず開発を続けることで平和は実現できるのだろうか。さらに開発という考え方の枠組み(開発パラダイム)そのものを問い直す考え方は未だ主流とはなっていない。

一方、195060年代初期の近代化論を背景とする第三世界開発を押し進める道具として「開発コミュニケーション」が登場した。開発を妨げているのは人びとの伝統的価値観なので、コミュニケーションによってこれを変容させるという考え方である。しかしその後、近代化論的な主流の開発から「オルタナティブな開発」へと「『開発』の概念自体が時代とともに変わったのに伴い、『開発コミュニケーション』の概念もそれに合わせて変化し[v]」、最近では参加やエンパワメントを目指す「オルタナティブな開発コミュニケーション」が主張されている。しかしJICA(国際協力機構)や環境アドボカシーNGOIECInformation, Education and Communication=広報教育普及)専門家として働いた筆者の事例分析(後述)から「オルタナティブな開発コミュニケーション」も結局「開発パラダイム」の枠内にあることが分った。そのようなコミュニケーションによって暴力を克服することは可能なのか。そこで筆者は平和の実現のため、「開発パラダイム」から脱却する「脱開発コミュニケーション」を提案する。

本稿では第三世界の開発をめぐり、まず開発による直接的・間接的暴力の被害者自身による自力更生努力の一つとして脱開発コミュニケーションを位置づける。さらにその被害者と周囲の人びと、多くの場合その暴力を引き起こす先進工業諸国の市民との間の連帯としての脱開発コミュニケーションを、経済的機能に分断された人間存在を人間として再統合し、人びとの中の新たな共同性を構築する実践として検討する。

 

1.       「開発コミュニケーション」と開発

(1)    開発とコミュニケーション

「開発コミュニケーション」の提唱者の一人であるダニエル・ラーナーが「一国の経済発展の水準は、マスメディアが拡大するかどうかを決定する。工業の発達した国ではどこでも、マスメディアの体系が生み出される[vi]」と述べたように、1960年代にはマスメディアは近代化に向けた社会変動の主要因であると考えられた。メディアの拡大=近代化であり、第三世界においても「先進工業国の情報を電波や活字メディア、映画などによって積極的に伝達して、人びとを啓発し社会を近代化する必要がある[vii]」として放送・新聞などの大量投入が行なわれた。しかし1960年代以降先進工業諸国で経済発展にともなう環境破壊が激化する一方、第三世界ではごく一部地域の経済発展に対して大半はトリックルダウンが滴り落ちずに経済格差は拡大し、先進工業諸国の経済発展モデルを追従することが善であるという近代化論にかげりが見えた。第三世界諸国は、近代化論的開発を促進する開発コミュニケーションも先進工業諸国による一方的な情報の流入であり、「文化帝国主義[viii]」であるとして「新国際情報秩序[ix]」を主張した。

さらに1970年代に入ると、ローマ・クラブ『成長の限界』(1972年)、シューマッハー『スモール・イズ・ビューティフル』(1973年)などが発表されたように、開発主義が人間の存在や、人間もその一部である生態系・環境の持続を脅かすという根源的な警告・批判が行なわれるようになった。第三世界では、ダム建設のような大規模開発が地域住民の強制移住や環境・文化の破壊をもたらし、経済格差はさらに拡大して人びとのサブシステンス[x]が破壊されるに至った。そこでそのような開発の改善策としての「オルタナティブな開発」が登場した。

それにともなって開発コミュニケーションのアプローチも、マスメディアを使って人びとに近代化を大々的に上意下達するものから、より限定された地域に対して、より具体的な目標をもって、より小規模で伝統的地域文化に基づく適正な(つまり安価な)メディアによって、人びと(開発対象地域住民)の参加を動員する方向への流れの変化が起こった。「オルタナティブな開発コミュニケーション」といわれるものが登場したのである。

 

(2)    開発コミュニケーションの領域

現在実際に行なわれている開発コミュニケーションは「第三世界のプロジェクトで見られるコミュニケーションに関わるさまざまな取り組みの総称[xi]」である。第三世界のプロジェクトとは開発プロジェクトを意味し、「あらゆる社会的相互作用はかならずコミュニケーションを伴うものであり、いかなる社会過程もコミュニケーション過程である[xii]」とすれば、開発は「開発するもの」と「開発されるもの」のコミュニケーションであるとも言える。つまり「開発」という社会変化の主な過程は「開発コミュニケーション」の過程である。具体的には第一に、筆者がJICA(国際協力機構)において携わってきた母子保健/家族計画プロジェクト、エイズ予防対策プロジェクト、マカデミアナッツ栽培普及のように「一般民衆、地域住民を対象に」、「マスメディア、小規模メディアを利用、また普及員・フィールドワーカー・保健ボランティアといった人びとの活動、或いは対象者の直接トレーニングなどによって」、「新知識の普及〜態度変容〜実践をはかる」活動で、JICA等でIEC (Information, Education and Communication)と呼ばれる普及型のコミュニケーションである。第二に、やはり筆者が携わったサンゴ礁保全管理計画における住民参加型沿岸管理(Community-based Coastal Management)のように、地域住民のプロジェクトへの参加を促し、また住民自らマネジメントする能力を高める参加型コミュニケーションがあり、第三に、開発プロジェクトを運営する、異なる文化背景や国籍を持った人びとの間の異文化コミュニケーションがある。JICAのような二国間援助機関やUNDPのような国際援助機関、さらに多くの開発NGOが現在実施している開発プロジェクトが、社会を開発する(企画・計画・実施・評価)という変化の全過程で必要とされるコミュニケーションのすべてが開発コミュニケーションの領域であるが、筆者が数々のJICAプロジェクトでIEC専門家としてアサインされていたように、多くの場合、専門家によって司られ、カテゴライズされる領域として捉えられている。

 

(3)    開発コミュニケーションの現状

開発コミュニケーションは、多くの場合、第三世界の開発プロジェクトのなかで地域コミュニティと住民に直接影響を与え、人びとをプロジェクトに巻き込む役割を担う。ここでは筆者が直接関わったバングラデシュ開発NGOの農村での活動におけるコミュニケーション事例から開発コミュニケーションの現状を検証する。

@     問題背景

デルタ地帯の国という印象の強い同国であるが、森林伐採は環境悪化の主因で、中部マドゥプル地域では独立後の30年間に、国家統計上「森林」とされている地域の実際の森林被覆率が5%にまで激減した。樹木を奪われた土地の土壌浸食、さらに流出土壌の河川流域への堆積による環境悪化(洪水の多発など)が起っている。その他、人間の様々な活動によって引き起こされた環境破壊のため、生物多様性が損なわれているばかりでなく、自然資源に生計を依存する多くの住民の生活を直撃している[xiii]

バングラデシュの「政府開発支出に占める援助の割合は、(近年のマクロ経済の改善に伴い)1980年代末までは100%近かったものが最近では40%まで急速に低下している。毎年4月にパリで開催される債権国会議で援助額が決まるまで国内予算が組めないといった異常な事態は、大きく改善されてきた[xiv]」という。しかし、バングラデシュは単に外国の援助に依存しているだけでなく、住民レベルでの地方行政の実体が皆無に等しく、ほとんどの行政サービスをNGOが政府にとって代わって行っているところに特異さがある。

300500世帯にも達する自然村(全国に約65,000)に何の行政機構もなく、人口23万人の単位にはじめて行政村(Union、都市ではMunicipality、全国約4,000)がおかれているが、選挙で選ばれたUnion Councilに議員9人とチェアマン1人、あとセクレタリ1人がいるだけで、その上の郡(Thana Upazila、全国約500)に至って初めて中央政府から派遣されてきた役人がいる。彼らは数年で異動し、しかもバングラデシュでは省庁縦割りの枠を越えた異動が日常なので、役人の地元に貢献する意識や専門意識は希薄で、中央の上役の顔色と私腹を肥やすことのみに注意を払う者が多い。前述の藤田教授によれば、「バングラデシュの官僚制の特徴を一言で言えば、『小さくて非効率な』政府」である。あらゆる意味で地方行政が脆弱で、NGOが住民レベルの行政サービスを代行しているのが現実である。例えば「大手NGOBangladesh Rural Advancement Committee (BRAC)は、1996年現在、22,000を越える自然村に34,000以上の非公式小学校を経営し、政府に代わって初等教育を施している」という。筆者は、このBRACと並ぶ巨大NGOPROSHIKA本部を取材したが、200112月現在、22,000の自然村、2,000の都市スラムをカバーする活動の組織人員265万人、裨益人口は1,120万人におよぶという。インタビューした自然資源部長は「我々はもう一つの政府(alternative government)と呼ばれているが、自分たちでそうあろうとしたことは一度もない」と語った。

このBRACPROSHIKAに、マイクロクレディットで有名なグラミンバンクを合わせてバングラデシュの三大NGOと称される。ダッカ市内に高層の本部ビルを所有し、ライフル銃で武装した警備員に守られるNGOの大手であり、その姿を見ると「バングラデシュ最大の産業はNGOだ」という声も冗談には聞こえない状況である。先に述べたように、政府の地方行政が弱体で腐敗しているため、外国ドナーが、政府を通さずNGOを通して貧困層を支援する道を選ぶ例が多いことが、NGOの肥大化を引き起こした。

バングラデシュの農村では、マクロ経済指標の成長の一方で「貧困」の解消は一向に進んでいない。地域住民の6割は自身の肉体以外の生計手段を持たない。日雇い労働の賃金相場は5060タカ(約1米ドル)であるが、農閑期である上に道路などの建設工事もない雨季の3ヶ月くらいは唯一の生計手段である日雇いの口もない。したがって「貧困」層の多くは森に入って薪を集めて業者に売るが、一日がかりで20タカ(約3040米セント)程度の収入であり、サブシステンスを完全に奪われた状態にある。農村で活動する小規模NGOPOUSH」によれば、その「貧困」が住民を森林の違法伐採のような短絡的生計手段の実行へと促しており、結果として住民自らの依存する自然資源を自分たちで破壊してしまう「貧困と環境悪化の悪循環」に陥っているという。

A     NGOの取り組み(開発コミュニケーション)

POUSHはその状況を打開するために、植林などの環境改善・自然資源回復活動と共に、住民に対する環境アウェアネス・キャンペーン、公立小学校に行けない子どもへの非公式学校教育[xv]などのコミュニケーション活動、さらに住民の収入向上活動などを統合的に行っている。

同国南東部ビルマ(ミャンマー)国境に近いハルバン村での2002年の植林プロジェクトでは、まず植林地を借り上げ(15年リース)、植林予定地周辺の住民を組織し、植林活動に関するトレーニングを行い、また地方政府の役人らも含めたワークショップを実施した。一方、訓練された住民らは苗木の種苗場を設置し、乾季の間に苗木を育苗した。苗木は2002年に植林されている。

植林地では周辺住民がメンテナンスを行っている。住民には労賃(小額のインセンティヴ)による収入向上活動の側面もあるが、樹が生長した後、そこから得られる利益の6割を住民が得られる(2割は地主、残る2割はPOUSH)ことによってモチベートされた活動である。

一方、同地域の一部で政府による植林(国有地)も行なわれているが、植林や管理への住民の参加が行われていないのでメンテナンスが悪く残存率が低いという。他方、POUSHを含め幾つかのNGOによる植林(私有地)活動は周辺住民の参加によって比較的成功しているが、カバー率は低い。

また、POUSHは同地域内でnon-formal schoolによる3年制の無料初等教育活動を行っている。ドロップアウトする者もいるが、ここでモチベートされ、公立小学校からさらに中学へ進む者も多い(公立校の授業料・教科書は無料、但し制服・ノート等の費用がかかる)。この学校は環境教育を重視しているが、他に一般住民向けの環境アウェアネス・キャンペーン等、様々な活動も実施している。

Non-formal schoolで環境教育を行うのは、(a) 環境保全を重視するのはPOUSHの方針、(b) 一般の学校教育では環境教育は全く行われていない、(c) 子どもを通して両親や周囲の大人の環境への理解を深める、という狙いがある。教材として『バングラデシュの樹』『バングラデシュの鳥』『バングラデシュの魚』を作成し日常の授業で使用、また近隣の自然環境の観察も行う。さらにビデオ教材『樹は友だち』を作成、non-formal schoolの生徒を中心に、子どもたち、近隣の大人たちも集めた上映会活動をしばしば行っている。娯楽の無い農村では、この種の活動は非常に人気があり効果も高いようであるが、電気の無い農村での実施にはTV・ビデオ一式以外に発電機も用意せねばならず、回数を重ねることの困難がある。識字率が低いこと、村の寄り合いのようなものが無い、という農村の特性から、戸別訪問または小規模寄り合いによる環境アウェアネス活動が有効であるというのが、NGO現場スタッフの見方である。

筆者はこのビデオ教材制作の技術指導と評価に直接関わったが、主人公の少女が学んでゆく形式を取り、前半では「樹がどのように人びとの生活に役立っているか」、「樹が自然環境の維持にどのように役立っているか」、「樹がなくなると何が起こるか」を解説し、後半では具体的に「どのように苗木を得て」、「どのように植えればよいか」を示す単純明快なものである。インタビューによれば、「樹は二酸化炭素を吸収して、私たちに酸素を与えてくれる」といった科学的解説も、人びとに十分理解されていることが分った。

B     分析と検証

現在の農村「貧困」層の大人(二十歳代以上、特に女性)のほぼ全てが非識字であり、土地などの生産手段を所有しないため、日雇い肉体労働以外に生きる術が全くない。インタビューによれば、彼らの最大の願いは常雇いの仕事があること、もしくは何らかの定収入が得られる小規模事業を自営できるようになることである。ただ具体的な事業のイメージは乏しく、家畜・家禽飼育、淡水魚養殖、もしくは小さな商店といったところで、本人の明確なプランはないようである。そこまで考えが至るに及ばぬほど「貧困」に慣らされているようにも見受けられる。

とはいえ、NGOの発するメッセージはそれなりに人びとに伝わっており、Non-formal schoolに通う子どもは増加しており、さらに公立小学校〜上級学校へ進む者も多い。その理由はひとえに「学校に行けば仕事が得られるのではないか」という思いに尽きる。賃労働以外に生計手段がない。それも非識字者が得られる仕事は著しく限られている。したがって…という帰結であるが、現実はさらに厳しい。

人びとはもともとは森林をはじめとする周辺環境に依存して生きてきたので、環境と共存する知恵は持っている。ビデオ教材を見て、樹が二酸化炭素を吸収し酸素を出すことも十分に理解している。それでも樹々が切られ、植林がなされないのは、環境にかかるアウェアネスが無い、コミュニケーションが不足しているからではなく、まして開発が不足しているからでもなく、むしろ社会構造の中に原因があるのではないか。

つまり住民の直面する困難は構造的暴力であり、「開発」の枠内にあってその構造そのものを問わないコミュニケーションでは克服できないと考えられる。

(a)    人びとの困難とニーズ

POUSHは農村「貧困」層のなかでも底辺の、しかし多数の、自身の肉体以外に生計手段を持たない人びとを対象とするターゲット・アプローチをとっている。インタビューしたこれらの人びと全員が困っていると答えたのは、「お金がないこと」である。お金がないので栄養のある食物を買えない、服を買えない、病院に行けない、子供を学校へやれない、といったことが問題で、お金がない原因は仕事がないか少ないからであり、解決のためにはパーマネントな雇用、家畜飼育・養鶏などの収入向上策や、現時点で定収のない人びとでも簡単に利用できる小規模融資などを求めている。誰が解決できるか、という質問にはNGOと答えた人びとが大部分である。一部に政府がすべきという声もあったが、政府はお金がないからできない、外国ドナーの支援を得られるNGOに期待するという人もいた。しかし、コミュニティ、あるいは家族親族を含む自力で何とかするべき、できる答えた人は一人もいなかった。

(b)    NGOの活動(プロジェクト)の「ニーズ」との関係

上記(a)の人びとの答からすれば、NGOが活動のニーズと考えているものと、人びとの願いはまさに一致しているかのように見える。たしかにこれらの人びとの、魚や肉はめったに食べられない、病気になっても医者にかかれない、という状況が生存の危機であることは間違いない。

しかし、お金がないことがなぜ即、生存の危機に直結する、つまり「お金がないこと=貧困」なのか。一つには、サブシステンスとしての自然環境が、持てる者もしくは政府によって完全に囲い込まれており、人びとの合法的アクセスが不可能なことである。人びとが生きる手段は、不十分な賃労働以外にない。現在政府が所有する林地は、1952年に国有化されたものであるが、それ以前に林地は入会地(コモンズ)ではなかったし、現在も入会地ではない。さらに、バングラデシュの村落では村の集会、寄り合いというものがないことに驚かされる。「いわゆる日本のムラのような強固な組織はおろか、東南アジアに観察されるような相互扶助と協力を是とする緩やかなコミュニティすらない。『寄り合い』はもちろん、村を挙げての祭も存在しない[xvi]」のである。したがって、多くのNGOが、「貧困」農民の組合や相互扶助グループを組織することを、農村での活動の第一歩としている。この原型は1950年代終り頃に登場した「コミラ・モデル」と呼ばれる、政府主導で農民協同組合を通して金融・技術普及・灌漑・農業土木組織事業を行う開発モデルであるが、1970年代後半には頓挫。その頃登場したNGOも、農村で「ショミティ」という自主的組織を通して支援を行うことで人びとの共同的自立の促進を企図しているのだが、実際には、自身の肉体以外に本当に何も持たない層の組織化は、直接的な金銭インセンティヴがなければ難しく、組織化は進んでいない。比較的、組織化に成功した、最底辺よりは少し上(若干の土地、定収入などのある)の「貧困層」でも、micro-financeがある程度行き渡った後に組織を持続できるところは非常に少なく、自立へ向かうのはさらに困難を極めているのが実態[xvii]である。人びとの自立という理想を目指しながらも、ドナーの求める「実績」に縛られ、永続性のない「開発」を続けるバングラデシュのNGOに対して、ただただ経済的な「御利益」がNGOから降ってくることを待ち望んでいる人びとという依存→従属の関係性が作り出されていて、自力更生に逆行する構造が乗り越えられない状況がある。

(c)    人びとは、森林や環境をどう考えているのか。例えばその重要性を本当に知らないのか。

(d)    もし知っていながら環境を破壊しているならば、そのわけは何か。

(e)    もし知っていながらも、植林などの環境回復が困難であるなら、そのわけは何か。

現在までの環境教育やキャンペーンの努力もあり、大部分の人びとが、一般的な意味での環境の重要性、植林の必要性は十分に理解している。しかし現実に小規模大規模な違法伐採や環境破壊が起されているのは、本来サブシステンスを維持するために必要な、利用可能な自然への持続性を持ったアクセスが60%の人びとに対して閉ざされているのに対して、一部の金持ち層による過剰な自然の搾取という不均衡が存在することに起因している。

POUSH代表のサノワ・ホセインは筆者のインタビューに対し、彼らの環境へのアプローチを「貧困層の中でも最底辺のターゲットグループによる自然資源へのアクセス、復元、管理、賢明な利用は、彼らに持続可能な生計を与え得る。地域の全人口が自然資源へのアクセスにインヴォルヴされるわけではない。ターゲットグループのみが、彼らの生計を得るための復元・管理・賢明な利用へのアクセスを得る。しかし地域の他の人びとは無形の利益を得る。このようにしてそれは自然資源管理の持続可能な方法となるだろう」と述べている。しかし、この「自然資源へのアクセス、復元、管理、賢明な利用」は、ごく一部の打ち棄てられた私有地を、ドナーからの資金で地主から借り上げて、人びとに金銭インセンティヴを出して、続けられているのが現実である。

(f)     環境教育やキャンペーンをはじめとする、NGOのコミュニケーションは、結局のところサブシステンスの回復、構造的暴力の克服につながるのか。

サノワ・ホセインは、収入創出活動がグローバル経済への従属の強化、自然環境の新たな搾取につながるのではないかという筆者の危惧に対して、「収入創出は、工業化に代わる自営業の創出を意味する。そこに自然資源の再悪化の余地はない。自然資源の再生と持続可能な管理のために、その賢明な利用は保証され、絶え間のないプロセスとなるだろう。貧困層の中の最底辺の参加によって、人びとが所有者か、共有者になる。如何なる森林もしくは再生可能自然資源を基盤とした産業を設立する前にも、それらの適切な管理と賢明な利用が持続可能な方法によって保証される。ここでいう開発とは、自立(self-reliant)と貧困層の人びとの持続可能な開発へ向けた持続可能な生計を意味する」という。この自立(self-reliant)は一見して自力更生(self-reliance)ときわめて似通っているように見えるが同じではない。

まず、現実の「環境の回復と自然資源へのアクセスの回復」がイコールでサブシステンスの回復に結びつくのだろうか。農村の60%の人びとは土地を持たず、コモンズも奪われている。しかし、だから森林を回復し、それへのアクセスを作り出せば、サブシステンスが回復し、構造的暴力が克服されるのか。日雇い肉体労働以外に生計の道がなく、その仕事も雨季の三ヶ月は絶たれて飢餓に陥ることは自ら選んだ道ではなく、同じ地域の40%の人びとには存在しない苦痛であるから、潜在的実現可能性から離れることを強要される、不条理な苦痛である。したがって森林資源へのアクセスの回復は、一面、「苦」を減らすことのように思われる。しかし、人びとがそのような状態に置かれている原因は、コモンズの喪失だけにあるのではない。奪われている人びとの対極には奪っている人たちがいて、その格差を維持し拡大する構造が人びとを「貧困」の状態に貶めているのである。それは資源の一部へのアクセスの回復や収入創出のような経済行為(市場原理への参加)、即ち「快」を増やすことでは克服することができない、むしろ資本主義という格差(競争)の構造を強化する(勝者と敗者を生みだす)ことになってしまう。人びとの置かれているシステムを放置して、コモンズだけを作り上げても、サブシステンスは回復できないのである。

次に、「プロジェクト」の将来を具体的に考えてみると、農村の人びとの60%もがターゲットグループであるのだから、自然資源への対象者全員の最低限のアクセスを実現するだけでも、(現在のようにごく一部の未利用私有地に植林するのでなく)国有林地のほとんどをプロジェクトサイトとして利用することになる。2004年、バングラデシュ政府がパイロット・プロジェクトの実施を決定した。バングラデシュのNGOは、政府が問題の所在を認め、住民の「参加」を認めた画期的な政策と評価しているが、プロジェクトの本当の主体が誰なのか、それが住民の自力更生に結びつくものなのか、即断はできない。

先述のように、現状においてもバングラデシュの地方行政は脆弱で、人びとは政府には何も期待せず、NGOが何かをやってくれることを期待している。「参加」という美名の下に動員された人びとのなかに自力更生の主体も形成されないままに、格差の構造を問い直すこともなく、NGOが政府の代わりを務めながらさらに巨大化すれば、「もう一つの政府」は必ず腐敗し、変革のエージェントならぬ格差の構造を守るエージェントになってしまう。

バングラデシュのNGOを組織し、運営している人びとの多くは、自分たちは地域にとっての「触媒[xviii]」であるという。しかし、彼らが活動している農村の大部分の人びとからすれば、首都からやってきた雲の上のエリートである。どんな高邁な理想を掲げて活動していようと、NGOを職業として選んだ人たちであり、「遅れた民衆を救う指導者」や「外国ドナーの代理人」になってしまう危険と常に背中合わせなのだ。

環境を守る、環境を回復することを目指すコミュニケーションではなく、なぜ環境が破壊されるのかを知り、環境を自分たちのものとして取り返す。NGOは、そのような人びとの自力更生の営為を促し、支援する運動(としての関係性、コミュニケーション)でなければ、より良い環境をより効率的に収奪できる構造を強化することにつながってしまうだろう。格差の構造を放置して、字が読めれば出稼ぎに行ける、より高収入が得られるからNon-formal educationを行えば、「貧困」層の中に新しい格差を生み出してしまうことも同様である。

同じバングラデシュ人といっても、その財源を外国のドナーに依存し、地域の部外者であるNGOが、民衆に対する新たな「行政」ではなく、「指導者と大衆」でもない関係性をかたちづくるコミュニケーションがあるとするならば、それは民衆自らの自力更生を支援する(カッコ無しの)援助[xix]に通じるものである。援助を行うのであれば、自力更生のための「三通りの望ましい援助[xx]」であろう。この場合、バングラデシュのNGOが減らし除去するべき(民衆の自力更生をつぶそうとする)外力とは、例えば民衆に被害を与える外資・外国「援助」にたよって「開発」をすすめるバングラデシュ政府の政策そのものである。また、例えば民衆が共同してアクセスできる自然の回復支援や、その自然資源に基づく自営業(収入)創出支援も、あくまで人びとの自力更生主体確立までの緊急支援と位置付けるべきであって、収入創出が自己目的化すると、それは逆に格差を拡大し、その構造を強化してしまい、本末転倒である。

バングラデシュのNGOは、職業としてのNGO、エリートとしての指導者、正しい知識・技術の普及者であることをやめ、他人のではなく自らの生活に降りかかった「苦」を減らすために自分の場で立ち上がった個人としての自己を、援助の対象とする地域の人びとのなかにさらすことによって、初めて地域の人びととお互いの痛みを感じあえる、連帯する関係性、お互いの「意識化[xxi]」によって現実を変革できるコミュニケーションを構築できる。それは「階層」や個々人に分断され、消滅した共同体の新たな形での構築でもあるのだ。

 

2.       脱「開発」コミュニケーション

(1)    「オルタナティブな開発」から「脱開発」へ

バングラデシュでの活動で知られる日本の国際協力NGO「シャプラニール」のネパール駐在員として、土地を奪われ農奴状態におかれた「カマイヤ」の人びととともに199499年に活動した定松栄一は、NGOと住民の関係を「困難な状況下で多少のリスクをも引き受けながら行動するだけのモティベーションを我がものとするには、私はまず一人の人間として再定住地の人びとと向き合うべきだった[xxii]」と反省している。現実の開発の、開発コミュニケーションの中では「開発の言説が『主体』と認めるようなある特殊な『主体』に自分自身を変えていかなければならない、そうしなければ(開発に)参加できない状況が生まれている[xxiii]」として、NGOの存在意義は、「政府や国連ではなかなか『介入』できない貧困の政治的・構造的な要因に対しても、沈黙を守ることなく抗議の声をあげ、その解決のために具体的な行動を起していくことにある[xxiv]」と、「オルタナティブな」といわれるものも含めた「開発援助」からの本質的方向転換を主張している。

先述したバングラデシュの開発コミュニケーション事例においても、実際には意識化されない脱開発コミュニケーション的要素が含まれている。ただしそれは意識化されていないがゆえにコミュニケーションを担う彼我の従属関係を変革できず、結局は開発主義の枠内から脱け出せない。

「参加型開発」や「エンパワメント」を謳いながら、「あるべき開発の理想像に合致した主体」に変身しなければ参加できない開発、つまり「善きもの」を増やそう、「あるべき理想像」に近づこうとする「快」志向の開発パラダイムから、「苦」を減らすサブシステンス志向の平和パラダイムへ転換しなければ平和は実現できないのだ。

(2)    脱開発コミュニケーションへ

脱開発コミュニケーションが暴力を克服し平和を実現する手段であるならば、それは単に「開発コミュニケーション」へのアンチテーゼであるだけではなく、開発主義によって歪められ傷つけられた人間と人間との関係性、および自然生態系とその一部である人間との関係性を回復し、こうした諸関係性に歪みや破壊をもたらす構造(的暴力)から脱却するものである。新たな関係性創造の行為そのものであり、暴力の文化(開発パラダイム)から平和の文化(平和パラダイム)への転換を促す対話のコミュニケーションでもある。

中村尚司が『地域自立の経済学』で「単一の活動だけをする人間の住む社会から、多元・多重の生活者が住む社会に代わると、関係性の創出がすすむ[xxv]」というこの「関係性」を創出するもの、豊かにするものこそ、脱開発コミュニケーションなのである。

 

3.       平和の実現のために

さらに脱開発コミュニケーションの条件を明らかにする。このコミュニケーションにおいては当事者自身が意識化するだけではなく、同時併行してその過程やそこに生まれた新しい変化をさらに多くの人びとに伝え、共有してゆかなければ、平和の文化と呼ぶような大きな力とはなり得ない。そのために例えば当事者自らが周囲へ伝え、さらにその過程や成果を強力なメディアとして構成し、より多くの人びとに伝える。そのメディアに接する人びとが、自分が訪ねられない場所での開発に係る暴力とそれに対する自力更生営為を極々一部であっても「経験」することによって、脱開発コミュニケーションは直接の関係者を超えた広がりをもつ。

第三世界諸国と先進工業諸国のそれぞれにおける暴力を克服する自力更生営為をつなぐ脱開発コミュニケーションによって開発主義を「はさみうち[xxvi]」することが平和の実現につながるのである。したがって、脱開発コミュニケーションでは補完的にメディアを通した代理経験が行われることはあっても一方的な伝達はありえず、双方向、多方向の対話(ダイアログ)に始まり、意識化の過程をもって成立する。

開発パラダイムから平和パラダイムへの転換をすすめ、従属のない豊かな関係性を構築し平和を実現するもの、それが脱開発コミュニケーションなのである。

(フェリス女学院大学大学院博士後期課程=国際交流、Akira Hirai



[i] 「開発は国策どころか、あたかも『国教』と化した。…(中略)…日本社会を含む人類社会の『メインストリーム』がこれを信ずるところとなり、考え方の前提となる枠組み、つまり『開発パラダイム』としてこれが定着するにいたった」横山正樹「国際貢献のあり方とODAの実像−開発パラダイムから平和パラダイムへ」、日本平和学会『平和研究』24号、199911月、55-56頁。

[ii] 開発パラダイムを前提に「開発を諸政策の最優先目標に掲げて国家的動員をはかるイデオロギー」(横山正樹「第三世界と開発・環境問題」、横山正樹・涌井秀行共編『ポスト冷戦とアジア−アジアの開発主義と環境・平和』、中央経済社、1996年、42-43頁)であると同時に、人びとに稀少性の支配を押し付け、市場や計画といった経済の囚われ人にする論理、信仰、もしくは幻想。

[iii] Ivan Illich, “Peace is a Way of Life”, Resurgence (No.88 September/October 1981), p.17は「開発」が平和の意味を簒奪し、暴力となったことを指摘している。

[iv] 経済成長を進めれば貧困層も物質的な富の一部を享受できるというハーシュマンのトリックルダウン仮説は、さらなる貧富の差の拡大という現実によって打ちのめされた。その主流の開発の流れに対するさまざまな批判を統合したものが「オルタナティブな開発」であるとされ、その唱道者たちは「開発パラダイム」からの「パラダイム転換」であると主張している。

[v] 久保田賢一『開発コミュニケーション』明石書店、1999年、13-14頁。

[vi] ダニエル・ラーナー「近代化に関するコミュニケーション理論をめざして−考察の一枠組み」、L・パイ編著、NHK放送学研究室訳『マス・メディアと国家の近代化』日本放送協会、1967年、321頁。

[vii] 岡本幸雄「開発とコミュニケーション−インドネシアでの実例を中心に」、日比野正明編著『現代の国際関係とマス・メディア』玉川大学出版部、1997年、135頁。

[viii] 非常に幅広く多様な概念を包括する概念であるが、ここでは現代世界で支配的な先進工業諸国の政治・経済・文化などの社会システムの構成要素が、強制力をもって第三世界諸国に普及することを指す。

[ix] 197811月、ユネスコ第20回総会で「マスメディア宣言」が採択されたが、先進工業諸国と第三世界諸国の主張の対立とともに、論議に東西対立が持ち込まれ、結局さまざまな主張の妥協の産物となった。

[x] もとは食糧などの生活用基本物資を指す一般用語であるが、横山正樹らはK・ポランニー〜I・イリッチによる「人間生活の自立と自存」、あるいはR・ルクセンブルグ〜M・ミースらの「サブシステンス・パースペクティブ」論を経て、「生命の存続と再生産を支える生命維持系としてのサブシステンスを『個人と集団がその本来性を全うし、さらに人類として永続し得るための諸条件のすべて』と定義し、人間と自然生態系との関係および社会関係のすべてから暴力をなくしていく『サブシステンス志向』を提唱した」(横山正樹によるサブシステンス解説『国際協力用語集 第3版』国際開発ジャーナル社、2004年、93-94頁の要約)。

[xi] 前掲『開発コミュニケーション』14頁。

[xii] デニス・マクウェール『コミュニケーションの社会学』川島書店、1979年、1頁。

[xiii] Haroun Er Rashid, Bangladesh Factsheet 1 LAND (POUSH, 1992).

[xiv] 藤田幸一「発展の兆しと構造的制約」『アジア周縁諸国経済の現状と今後の課題(第2章第3節バングラデシュ)』報告書、財政金融研究所、20006月、51頁。

[xv] 識字教育などとともに環境教育を重視するnon-formal schoolである。

[xvi] 前掲「発展の兆しと構造的制約」59頁。

[xvii] 「ショミティ」の例などを参照。長畑誠ほか、「NGOプロジェクトの評価(「シャプラニール=市民による海外協力の会」の事例)」、『平成11年度 経済協力評価報告書』、外務省、1999年、http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/kunibetu/gai/h11gai/h11gai027.html2003118日アクセス。

[xviii] ジョン・フリードマン『市民・政府・NGO−「力の剥奪」からエンパワーメントへ』新評論、1995年、232頁。

[xix]横山正樹『改訂新版 フィリピン援助と自力更生論−構造的暴力の克服』、明石書店、1994年、80-83頁。

[xx] 同上。(1) 緊急援助・救援、(2) 自力更生を阻害する外部要因の相殺・除去、(3) 集団的自力更生のための調整活動への支援、がある。

[xxi] Conscientization。自分たちのおかれている状況を「信号の受け手ではなく認識主体としての人間が、みずからの生活を定めている社会文化的現実と、その現実を変革するみずからの能力とを深く自覚する過程」を経て現実の変革へ至るという(パウロ・フレイレ『自由のための文化行動』亜紀書房、1984年、59頁)。

[xxii] 定松栄一『開発援助か社会運動か−現場から問い直すNGOの存在意義』コモンズ、2002年、237頁。

[xxiii] 同書249頁。

[xxiv] 同書247頁。

[xxv] 中村尚司『地域自立の経済学 第2版』日本評論社、2001年、43頁。

[xxvi]井上澄夫『歩きつづけるという流儀』晶文社、1982年、114頁。日本からの公害輸出に反対する論理を「ばばぬきの論理からはさみうちの論理へ」と表現。