<2001年9月8日(土)放送分>


富  本  銭

 
橿原の地に栄えた藤原京の謎を探る“ミステリアス藤原京”の第6弾は、富本銭について、奈良文化財研究所考古第一調査室室長の安田龍太郎さんにお伺いしました。

 
明日香村での大量発掘がまだ記憶に新しい富本銭は、それまでの和同開珎に変わって、日本最初の通貨であることが分かってきましたが、明日香村の発掘よりも前に、藤原京でも見つかっていて、藤原京と大きな関わりを持っている通貨です。
     *写真は奈良文化財研究所発行”これが藤原京だ”より転載

  

富本銭は、これまで、いつ、どこで見つかっていますか?

昭和60年に平城京で1枚見つかったのが最初。
以後、大阪の細工谷遺跡、平成3年に藤原京の西二坊坊間路(にしにぼう・ぼうかんじ)の東側溝でも見つかっている。
奈良文化財研究所の発掘調査により、平成10年から11年にかけて、明日香村の飛鳥池遺跡から、33枚の富本銭が見つかる。また、平成11年には、飛鳥池遺跡から鋳型もたくさん見つかったので、ここで鋳造されていたに違いないことが分かった。
なお、その後、長野で以前に見つかったのも富本銭だと判明した。

明日香村での発掘以前は、どんな貨幣だと考えられていたのですか?

まじないなどに使うお金と考えられていた。この富本銭に銭がたまることを念じたのだろうと考えられていた。

それがなぜ、ちゃんと使われた通貨だということが分かったんですか?
   
日本書記には、天武12年、683 年に銅銭?銅のお金を使いなさいという命令が出たと、書かれている。しかし、和同開珎が作られたのは、708 年、藤原京だったから、この25年のギャップが埋まらなかった。
また、飛鳥池遺跡の富本銭が見つかった地層が、分析の結果、700 年以前であることから、その銅銭こそ、富本銭ではないかと考えられる。
   
大きさや形などは?

直径が平均2.4 センチ、真ん中に四角い穴があいていて、富本の文字が書かれている。
飛鳥池遺跡のものは、バリがついていて、6枚とかが棒状のものででつながっていた。ちょうど、新品のプラモデルの部品が棒状のプラスチックでつながっている状態。
おそらく、出来の悪いものが捨てられたのであろう。
   
富本銭と藤原京の関係は?

701 年から始まった律令体制の時には、既に通貨があったことになる。
藤原京の造営や国家運営は、唐のあり方を手本として行われたので、貨幣の面でも、唐を真似て、富本銭を中心とした体制を取ることにしたのであろう(唐の通貨の開元通寶と形が似ている)。
   

   
今年の秋、橿原市では、
大宝律令制定1300年を記念するビッグなイベントが開催されます。
詳しく決まりましたら、ご紹介します!