<2001年8月11日(土)放送分>


藤原京で生まれた大宝律令partU


今回のミステリアス藤原京は、前回に引き続いて、701 年に制定された大宝律令に関連するお話の第2弾です。前回同様、奈良文化財研究所資料調査室の研究員、山下信一郎さんにお伺いしました。

 
Q:大宝律令によって、地方についても変わったんですね?
・地方行政については、国-郡(こおり)-里がその単位となり、
 今の都道府県や市町村に相当するものができた
・郡は、それ以前は「評」と書いて、こおりと読んでいたが、
 この時に変わった

Q:何を目指してそうしたのですか?
・行政単位をこのように変えたと同時に、中央政府から派遣した役 人である“国司”の権限を強め、逆に、地元の豪族が兼ねていた 地方行政官の“郡司(ぐんし)”の力を弱めた
・具体的には、地方の倉庫の管理を国司が握るなどした
・このようにして、中央集権国家を誕生させた
   
Q:大宝律令の時に始まって、今なお続いていることは?
・元号が決められた(大宝という元号)。そして、役所の文書には、 必ず元号を使わなければいけなくなった
・文書を中心とした行政事務のあり方も決まった(書類主義)。
 元号を使い、印鑑を押し(公印の制度)、署名をする文書の形式 が決められた
   
Q:大宝律令で始まった国家のあり方は、
  ずっと日本の国の基礎になってきたんですか?
・大和朝廷の制度は、南北朝時代で衰え、江戸時代ではなくなっ  たが、常に支配者にはバックボーンとして存在してきた
・明治維新になった時も、朝廷が復活し、朝廷制度を見直して、国 家の制度を作った
・今は、中央省庁が減り、地方分権が進みつつあるが、少なくとも 20世紀までの日本の行政の組織のあり方の基礎は、大宝律令  で始まった

   

今年の秋、橿原市では、大宝律令制定1300年を記念するビッグなイベントが開催されます。詳しく決まりましたら、ご紹介します!