<2001年12月8日(土)放送分>


ミステリアス藤原京

藤原京時代の日本と朝鮮半島との交流


 
遣唐使は、669年を最後に、藤原京時代の702年の復活まで、33年間派遣されませんでした。それでは、694年から401年まではの藤原京時代は、どのような交流をしたいたのでしょうか?奈良文化財研究所考古第一調査室・室長の安田龍太郎さんにお伺いしたところ、朝鮮半島との交流がさかんだったことが分かりました。

 
Q:669 年を最後に、遣唐使の派遣が33年間なかった理由は?
   
 ・新羅と唐に攻められていた百済に、軍事関係のあった日本は派兵して戦っ
    た。これが白村江の戦い。これに破れて唐との関係が悪化したため。

Q:では、その後は大陸との交流はなかったのですか?
   
 ・675 年に唐が新羅に負けて、朝鮮半島を新羅が統一して事情がかわり、
  白村江の戦いで仇敵だった新羅と、日本は友好関係を結んだ
 ・そして、2年に1度ぐらいずつ、お互いに行き来をさせるという蜜月時代が、
  奈良時代のはじめぐらいまで続いた
   
Q:藤原京時代(694 年以降)の記録は?
   
 ・いろいろとあるが、例えば、698 年の正月に新羅からやって来て、
  天皇に献上物を持ってきたり、お墓にお供えをしたり…
 ・700 年には、新羅から帰ってきた日本人が、クジャクを持って帰ったり…
   
Q:藤原京時代の日本と新羅の交流は、歴史の上で、
  どのような意味を持っているのですか?
   
 ・朝鮮半島は、大陸文化の一大窓口であり、日本は、藤原京を窓口にして、
  計り知れないほどの恩恵を受けた
 ・先程のクジャクの他にも、いろいろなもながもたらされた。
   例えば…藤原京の本薬師寺には2つの塔があるが、これは新羅の様式。
   また、新羅にしかないはずの焼き物も出土している。