<2001年11月10日(土)放送分>

 
 
ミステリアス藤原京

戸籍や住民票、国勢調査があった藤原京時代

藤原京の時代は、その都の造営においても、また、701 年に制定された大宝律令による政治の面においても、日本で初めての本格的な国家づくりをしていった時代でした。ですから、藤原京で行われた制度の中には、今もなお続いているものがいくつかあります。今回、焦点をあてるものは、戸籍や住民票、また、国勢調査が藤原京の時代に、既にあったというお話です。それと、当時の税金についてです。これらについて、奈良文化財研究所・資料調査室の研究員の山下信一郎さんに興味深いお話をお伺いしました。

   
 

Q:藤原京の時代に、既に戸籍があったとのことですが、本当ですか?
   
・今とは、少し違った戸籍が、670 年から存在した
・今の戸籍は、子供が生まれたり、結婚したり、人が死んだりしたら、その都度、届け出て戸籍を書き換えるが、当時は、国勢調査をして状況を把握して、それで戸籍を作った
・最初に国勢調査をして戸籍を作ったのが670年で、その年の干支(かのえうま)にちなんで、庚午年籍(こうごねんじゃく)と呼ばれている
・その次の国勢調査は690 年。
・大宝律令が施行されたあくる年の702 年からは、原則として6年ごとに国勢調査をして戸籍を作ることになった
・つまり、制度として定期的に行われるようになったのは、藤原京時代
   
Q:戸籍とは別に、住民票もあったとのとこですが…
   
・大宝律令によって、地方の行政単位が、国-郡-里と決められた。今でいう、都道府県-都市-町村
・戸籍が国の単位で調べられ、作られたのに大して、郡の単位で、毎年作られたのが計帳(けいちょう)で、今でいう住民基本台帳にあたるもの
   
Q:計帳は何のために作られたんですか?
   
・課税のための基礎帳簿として使われた
・戸籍については、そのデータが中央政府に送られたが、計帳に書かれた個人データについては、都と畿内に住む人たちの分だけ、中央政府に行われた
・それ以外の畿外の国々の分は、人口の集計だけが中央政府に送られて、税収の予測に使われた
・国民の把握の仕方は、全国一律ではなかったということ
   
Q:当時の税は、どんな風になっていたのでしょうか?
   
・都の人たちが華やかな生活ができたのは、地方に住む人たちの労働あったからこそ
・当時の税のシステムは、地方の人々の負担をいかに吸い上げるかという仕組みだった
・年に60日に及ぶ雑徭(ざつよう)という労働力の提供
・稲や特産品などを納める
・兵役
・いずれも重かったが、ただし、地元での負担
・もっと重かったのが、みやこでの勤務。衛兵(えし)と呼ばれる兵士としての勤務や、仕丁(しちょう)と呼ばれる雑用係としての勤務
・また、納税品を都まで運ぶ運脚(うんきゃく)は、物品だけでなく往復の交通費も納税者の負担だった