月を見たら。



上海に渡った当日、英語が全く通じないことに焦り、必死に中国語を勉強し始めた。
そんな日記裏表紙の殴り書き。 右上の「中国語しゃべれない」が泣かせるポイント。




とりたてて好きなわけでもなんでもないけれど、
星新一、という作家がその昔居て、
その中に妙に心に残るショート・ショートが幾つか有って、
そのうちの一つは、例えばこんなのだ。

人生において、
富も、名声も、愛も、全てを得てしまった老人が居た。
その富でありとあらゆる欲しい物を買い漁り、
その名声で全世界の賞賛と尊敬をその身に浴び、
その愛でたくさんの美しい女性や、一人の魅力的な妻や、何人もの誇るべき立派な子供を得た。

全てを得た後に、何か満たされなかった。

老人にとって
今や、世界3大珍味など、珍味でもなんでもない。
どんな栄誉も礼賛の言葉もスズメのさえずり程度にも心に響かない。
銀座No.1ホステスとのセックスも腰を前後に動かすだけの労力にしか感じられない。

そう、彼は全てに飽きてしまったのだ。

そんな老人のもとに一人の博士が現れ、一つの薬を提示する。
それは全ての記憶を無くす薬なのだと。

飲んだ老人の前に、全く新たな世界が広がっていた。

ココイチのポークカレー390円は涙を流すほど美味しいものだった。
優しいね、というその一言が素晴らしく嬉しい言葉だった。
道行くOLの春風に煽られたスカートの奥がとてつもなく深遠な花園に見え、思わず鼻血がつたり落ちた。

、とまぁ、
僕の記憶の曖昧さと文章の拙劣さが、星新一という作家の文章の質をかなり貶めているのは
疑いようの無い事実であるにしろ、
だいたいこんな感じのショート・ショートだ。(たぶん。)


全てに飽いてしまった老人。

2ヶ月後に就職を控え、全く終わらない修士論文をせこせこと焦って書き綴っていた3年前の僕は、
まさに旅における「老人」だった。

旅に飽いてしまっていた。

高校を卒業して6年間、世間的に見ればどうであれ、
自分としては既にもう十分だろうよオマエと感じられるような旅をしてきていた。

ロサンゼルスからニューヨークまでのアメリカ横断旅行、
タイ、カンボジア、ラオス周遊旅行、
日本縦断バイク旅行、
エトセトラ、エトセトラ。

そう思いたくなかったし、そう言いたくはなかったけれど、
旅の回数を重ねれば重ねるほど、確かに、確実に、
旅から得られるハズのいろいろなもの、
(それは例えば、知見だとか、感動だとか、あるいは人生に対する何らかの示唆だとか、
 そういう言葉で表されるものだけれども。)
それが、見事なまでの単純減少を続けていた。

19の夏にアメリカ西海岸を800ccのバイクでかっとんでいたあの頃の、
体中からアドレナリンが噴出してくるような感動。
あるいは自分の人生の指針が180度、とは言わないものの、
20度や30度くらいは十分に変わっちまうような経験。
「旅」というシチュエーションにおいてはもう二度と味わうことはできない。
そう薄々気づいていたし、
新しい街を見るとか、遺跡を見る、とか、
そういう旅行としての「愉しみ」は有るにせよ、
少なくとも、「旅から得られるもの」はもうほとんど何も残っていないのではないか。
半ば確信めいてそう思っていた。

そんなわけで、24の僕は、
卒業旅行という絶好の機会を目の前にして、
旅に出るという行為に対しすこぶる消極的だった。

あちらこちらで卒業旅行のプランを練る友人の姿を傍目で見ながら、
2年目にしてようやく慣れてきた東京の街で遊びまくったろうか。
なーんてぼんやりと考えていた。


そんな僕の気持ちを変えたのは「月」なんです。

なんて言ったら、そりゃああまりにもあまりに乙女ちっくなのだけれども、
実際それはそうなのだからしょうがあるまい。なのだ。


それが何月何日のことだったのか、もう覚えちゃあいない。
覚えちゃあいないのだけれども、
あの時のシチュエーションは3年後の今でもはっきりと思い出すことが出来る。

真冬の深夜の2時だったか、3時だったか、4時だったか、
とにかく草木も爆睡するような時間の大学の屋上。
修士論文の執筆の合間、革ジャンをひっかぶり、煙草を咥え、
フェンスの上に両腕を載っけて、ぼーっとしていた。

結構な勢いで吹きすさぶ北風に体中の体温を奪いとられながら、
煙草の煙を夜空に向けて勢い良く吐き出した瞬間、
煙草を咥えた顔先に満月が浮かんでいた。

フラッシュバック。

モニュメント・バレーの荒野で、
アンコールワットの寺院群の頭上に、
高知県の砂浜の先の海の上に、
今と同じように浮かんでいた月達。

あんな月達を、もう一度だけ、旅の空の上に見つけたかった。
もう一度だけ、灼熱の太陽にこの身を焼かれたかった。

そんな衝動が心の奥底からフツフツと湧き上がってくるのを明瞭に感じ、
そして僕はぼんやりとしながら煙草をコンクリで揉み消し、
真っ暗な学校の階段をポツポツと下り降り、
研究室に居た同級生にボソリと告げた。

「やっぱ俺、旅いきますわ。」



もちろん全ての原因を「月」におっかぶせるわけでもない。

旅に行くべきか、行かざるべきか。
絶好のチャンスってのは良く分かってる。
でもなんとなく、旅に行きたいってゆう、そんな気持ちが湧き上がってこないんだよなあ。

そんな風に逡巡していた僕のテンションを5%か10%か、
せいぜいその程度アップさせるだけの存在であり、
それ以上でもそれ以下でも無いのかも知れない。

だけれども、
何故旅に出る気になったのか。
そう考える度に僕の脳裏に決まって浮かんでくる光景は
あの時の紫煙の行く先にポッカリと浮かんでいた満月なのであり、
だから僕は、
あの日の月の満ち欠けのタイミングや、
あの時刻の東京上空の雲の流れ方や、
我が大学の屋上管理のユルさや、
毎日深夜まで論文を書き続けないと到底間に合わなかった自分の計画性の無さや、
そういったもの達に、なんとなく感謝の意を覚えている。



05.07.04


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