行けるトコまで。

行くと決めてからの行動は素早かった。

まずは「世界の中で行きたかったところリスト」を
ルーズリーフの上に書きなぐった。

アメリカ西部のモニュメントバレー、グランドキャニオン
ニューヨークのタイムズスクエア
カンボジアのアンコールワット
インカ帝国のマチュピチュ
ヒマラヤのエベレスト・マウンテン
チベットのポタラ宮
そして、インドはバラナシのガンジス川


中学生の時から愛用している世界地図を床一杯に広げてウンウン唸り続け、

最後に行くならあそこしかないだろやっぱ。

もう一度ひとりごちて世界地図を目で辿る。

バラナシ。

バックパッカー最大の聖地・インドにある
ヒンズー教最大の聖地・バラナシ(英語名:ベナレス)。
人が焼かれ、聖なる川たるガンジス川に流される場所。
焼かれるために、ガンガー(ガンジス川)に流されるために、
余命いくばくもない死にかけのヒンズー教徒達が
全土から集まってくる場所。

怠惰な学生生活の終着点を、バックパッカー生活の終着点を、バラナシで迎える。

最高やんか、それ。

再度そうひとりごちて、問題は「そこ」に至るルートをどうするかだ。

ルート決定の肝は陸路で行ける場所をできるだけながーく繋げてゆくこと。
そんな、へんな拘りを持っている。

ニューヨークも、アンコールワットも、鹿児島県は佐多岬も、
皆、陸路でのそれまでの苦難な道のりが有ったからこそ、
あれほどの感動が押し寄せてきたわけで、
泥と汗にまみれながら最後に我が目の前に広がるガンガー。
そんな風景を今から思い描きニヤリとする自分がいたわけで。

「世界の中で行きたかったところリスト」をツラツラと眺める。

モニュメントバレー、グランドキャニオン ・・・行った。

タイムズスクエア ・・・行った。

アンコールワット ・・・行った。

マチュピチュ ・・・・バラナシとは地球の反対側だ。

「おっ」

世界地図の上に、一本のルートがスラスラスラーっと鮮やかに伸びていくような気がした。

上海から入り、中国をただひたすら西に。
チベットのラサに向かう。
ラサからヒマラヤ山脈を越えてネパールのカトマンズへ。
ネパールからさらに南下してインドのバラナシへ。

標高3600mに聳え立つ白亜の宮殿、ポタラ宮も
世界の屋根・ヒマラヤ山脈の世界一高い山、エベレストも
そして我が憧れのガンジス川も、
全てを網羅する欲張りといえばあまりにも欲張りなツアー。

修士論文を終えた直後の2月末に日本を出て、
会社の研修が始まる3月末までに帰ってくる約1ヶ月の旅程。

・・・行って行けないことはないよな。。。

急に高揚してくる心を無理やり押さえつけるように、
泡の消えた発泡酒をぐいと飲み込んだ。



翌朝。学校に行く前の書店で早速「旅行人・チベット編」を買い求める。
昼。修士論文そっちのけでWEBにて情報を捜し求める。
夜。バックパッカーの知り合いにノウハウを聞き漁る。

数日間の調査の結果は、この旅の困難さをこれでもかとばかりに指し示すものだった。

まず上海に入る。
中国の列車事情はすこぶる悪く、
何時間も並びに並んで、ようやく数日後の切符が取れるか、あるいは取れないか、とのこと。

上海から二泊三日列車の旅で中国中央部の街、西寧へ。
西寧からファイナルファンタジーに出てきそうな名前の街、ゴルムドへは
バスに揺られて24時間の旅路。

ゴルムドからチベット・ラサへの行きかたは二通りだ。
CITS(中国国営旅行社)での正規ルートと、闇バスルート。

正規ルートは形式的な「ラサ行きツアー」を組み、値段が張るものの、ほぼ確実にラサにつける。
(そもそも現在、チベットへの個人旅行は認められていない。
 チベットへ向かう外国人は全て、CITSお墨付きのツアーに入る必要があるわけだ。)
ラサについた後は、「ツアー離脱」という形を取り、ネパールを目指すこととなる。

ただし、4人以上の人間が集まらなければ「ラサ行きツアー」を組んでもらうことはできず、
こんな冬の時期の中国の最果てに、果たしてどれほどのバックパッカーがいるのかという不安が残る。

残る闇バスルートは、民間人と交渉を行い、
バス、あるいは自家用車、はたまたトラックに同乗させてもらいラサを目指すもの。
ただし、ラサへの道筋には何箇所もの検問が設けられており、
検問で引っかかった時点でジ・エンド。
罰金支払いの上、敢え無くゴルムドへ強制送還とあいなるわけで。

どちらかの方法を用い、いざラサへと向かうわけだが、
標高5000mの峠を二つ越える丸二日間の道程。
そもそも2月のこんな時期に、標高5000mの峠を車が越えることは可能なのか。
という実に素朴かつまっとうな疑問が湧き上がる。

チベットからネパールの国境越えもまたタイヘンだ。
正規なバスルートなどほぼ無いにひとしく
(当然列車など通っていない)
基本的にはバックパッカー同士、数人でランドクルーザーとドライバーをチャーター。
1週間くらいかけてエベレストを横目に見ながらヒマラヤ山脈を越えてゆくこととなる。
夏でも川の増水、崖崩れ等で、ルートが寸断され何日間もどっかの村に閉じ込められる、
なんつーことはママ有るらしい。

そもそも2月のこんな時期にヒマラヤ山脈を車が越えることは可能なのか。
さっきと似たような疑問が僕の中でふつふつと湧き上がる。

そしてネパールのカトマンズからバスでインドのバラナシへ。

バラナシから日本への直行便は無いため、
バラナシから又カトマンズへ戻ってカトマンズからネパール航空で大阪へ。


・・・・・考えただけで気の遠くなるようなルート。

ルート寸断によりヒマラヤの山中にでも閉じ込められた日にゃあ、
3月終わりから始まる研修はおろか、入社式にも間に合わないという
そこはかとなくデンジャラスな事態は容易に起こりうるわけであり。

旅行人と睨めっこしながら、ウンウンと唸る日々は続くのであった。


2月7日。
腹は決まった。

あれからいくらWEB上を漂ってみても、いくら人に聞いてみても、
この時期に上海からバラナシまで陸路で行けるかどうか、どうしてもわからなかった。

だから、
まずは上海からラサを目指す。
ラサにつけたらエベレストを目指す。
エベレストにつけたらカトマンズを目指す。
カトマンズにつけたらバラナシを目指す。

もし無理だったら。
その時は上海まで這ってでも戻り、
そこから鑑真号で日本に帰ってこよう。

取ったチケットは
日本→上海の2月27日の中国西方航空
カトマンズ→日本の3月23日のネパール航空

こうして25日間のサバイバル・レースは始まり、
そして2月27日。
僕は上海空港のイミグレに立っていた。



05.08.15


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