時間は無い。お金は有る。

ダンブッラを下山した後は
3つ目の世界遺産、シギリヤへ一直線。

バスターミナルでシギリヤ行きのバスを待つ。

案の上、トゥクトゥクのおやじからお声がけ。

「シギリヤ行きのバスはあと1時間くらい来ねーぞ。(注:絶対ウソ)
 シギリヤまでだったらトゥクトゥクで300ルピーでつれてってやるよ。」

社会人バックパッカーになって、
いつも迷う瞬間だ。

学生のころだったら一瞥だにせず跳ね除けている。
でも今は、旅の時間が無い。お金は有る。

300ルピー。
トゥクトゥクでたっぷり1時間と30分の距離で、たかが300円だ。


でも僕は、なるべくバスで行きたい。
安易な道に走りたくない。
自分で、現地の人たちと同じ方法で、街を、国を巡りたい。
その中でしか見えてこないものが有るし、
苦難な経験こそが旅の後に残るものだから。
苦難の経験無くして、その後の感動は見出しにくいものだから。

当然、社会人たる時間の制約は有る。
どうしても時間が無いときには、タクシーでもトゥクトゥクでも、
ツーリストカーのチャーターでもすればよい。

ただそればかりだと、パックツアーに入るのと何も変わらないから。
自分の足で海外を歩いたことにならないから。

実にヘンな拘り。
そうも思う。
実はカノジョとも、昨晩のボロンナルワで喧嘩した。

カノジョは旅程が短いのだから、宿の主人の提案にのり、
ツーリストカーをチャーターしてダンブッラ経由、シギリヤまで行けば良いのだと言う。
でも、そうではないのだ。

そういうことをやっていたら、
聞いたこともない駅での人々との語らい、脱線事故、ラシクとの涙ウルウルの別れは存在しないのだ。

このヘンな拘り、バックパッカーにはわかってもらえると思う。

なんていうと、またカノジョに「はぁ」なんつーため息を吐かれるわけなのだが。


というわけで、傍にいた外人バックパッカー4人とバスに乗り込む。
東京の満員電車を彷彿とさせるバスで1時間と30分。
いつしか人はバラバラと降りていき、
黄土色の一本道のど真ん中。
バスは止まった。

車掌(というかただの兄ちゃん)に払ったお金は二人で40ルピー。

疲れきった眼前に、憧れのシギリヤ・ロックが飛び込んできた。





満員バスでヘロヘロになる。
それはさながら、巡礼の旅の苦難であるかのように。
眼前に飛び込むシギリヤ・ロック。
それはさながら、巡礼者だけが得られる聖母マリアの福音であるかのように。
ホラ、この「過程」がええやろ。
そうやって誰かに語りかけたくなる。



05.12.30


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