地図に無い村で。

人、というのは、
というか、潮見、という人間は、
とかく恩知らずになりがち、というか、
人の施しや優しさや義理や、はたまた人情ってなもんを
平気で忘れて踏み躙っちまう存在なんであり、
そして今日、僕は、旅で出会った二人への初めての手紙をしたためた。

4年前のあの旅で出会った彼らへの、初めての手紙だ。


4年前。
ぱいなっぽー(注:パイナップル)の呪いにやられちまい、
命からがらカンボジアからバンコクへ帰還した僕は、
帰還したその夜に、北バスターミナルでノーンカーイ行きのバスを待っていた。
目指すはラオス国。
日本への帰国便まであと五日。ハッポン・ロードにしけこんじまうにはまだ早すぎる。

国境の橋は外人・老人バックパッカーの2人と越えた。
ノーンカーイの街に日本人の姿は無く、
いったいどうやって国境を越えたら良いものか、おろおろしていた僕に、
「ノープロブレム。ジャストフォローアス。」
実に力強く響いたその言葉にすがりつき、
僕は無事国境を越えるコトができた。

国境からラオスの首都・ビエンチャンまではピックアップトラックで30分。
走り去りゆくその街並みに、思わず苦笑が漏れる。

「いちおう一国の首都なんだよなあ。ビエンチャンてのはさ。」

田舎。絵に描いたような、田舎。
その言葉が一番しっくり来る、一国の首都へのこの道程。

「首都」へ向かう道程を辿ると共に、
人々は加速度的に増加し、街並みは喧騒を増し、そして
我々は「田舎」から「都会」へと辿り着く。

そんな「フォーマット」はどうもこの国では通用しないようであり、
僕が乗るピックアップトラックは田舎から田舎を通過し、
人々は若干増えてはいくものの、喧騒は大して増えていくわけでもなく、
そして着いたビエンチャンは、あくまで田舎のママなのだった。

そんな田舎町、首都ビエンチャンに、日本人の姿はやっぱり無かった。
、というか、バックパッカーの数が極端に少ない街だった。
二時間散々ゲストハウスを探した後、一つのゲストハウスに寝床を決定。
四時間寝た後、フロントの男(pongという青年だった。)から
レンタサイクルを借り、僕は街をふらつきに出た。


大いなる田舎・ビエンチャンの街は案の定というか、実に狭く、
「タット・ダム」という名のちっちゃな塔と、
パリの凱旋門にそっくりな(それをじかに見た事は無いが)
ミニチュア・凱旋門(それは街の中心部に建っていた)を眺めた後は、
さて、さしてすることも思い浮かばないのだった。


ちっちゃな塔


ミニチュア・凱旋門

これから三日間、わしゃ何をすればいいんだべか。
バックパッカーも全然居ないし、独り葉っぱでも食らって孤独に過ごすんだろか。
そんなことをぼんやり考えながら、
ミニ凱旋門の前で半ば呆けた様に座っていた。
そして僕はそこで「彼ら」と遭遇したのだった。


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