母と息子とラーメン屋

相変わらずの雨の中で僕は、
いつしか峠にさしかかっていた。

「ど」が2つも3つも、あるいは4つも付いてしまうほどの田舎だ。
既に辺りは暗く、すれ違う車も無い。

行く手の左に、ぼんやりと灯をともすガソリンスタンド。

「雨宿り雨宿り」

うわごとのようにそう呟いて僕は、
震える体をガソリンスタンドの方角へ傾ける。

僕の震える体に呼応してゆっくりカラダを傾けていく僕のドラッグスター。

「メシメシ」

ドコドコ唸るエンジンの真上で、平べったいタンクがそう呟いている様だ。



「レギュラー満タン。」

それだけの言葉を発すると、
僕はよっこらせとバイクを降りる。

本日三回目の雨宿り。
とっくに芯の芯までずぶ濡れに濡れきっている。

相変わらずガタガタ震え続ける僕を苦笑気味に見て、
ガソリンスタンドの兄ちゃんが言う。

「休憩室で休んでいきなよ。」



休憩室には2人の先客が居た。

おばちゃんが一人とおじちゃんが一人。
二人とも漫然とタバコを吹かしている。
地元の人なのだろうか。
そのタバコの吹かし方が見事なまでにその常連臭さを醸し出している。

かったるそうに有線から甘く流れる
ホワイトベリーの「夏祭り」。

おばちゃんが笑顔で僕にこう話しかける。

「兄ちゃん、メシはもう食ったんかい?」

かぶりをふる僕に、身をのりだしてこう言う。

「それなら、ラーメン食ってきなよ。
 ちょうどこのスタンドの隣にある店なんだけどさ、
 美味しいんだよ。これが。
 ここいらで一番美味いって有名なんだから。
 食べてかなきゃ損だよ。なぁ?」

急に話をふられたおっちゃんも、
相変わらず北海道新聞を読みながら

「んだんだ。あそこはほんとに美味い。」

と同調する。


もとよりラーメンには目がない方である。
この雨の中、峠を越えるというのも気が進まない。

雨宿りがてら、夕飯を美味いラーメンで、
というのも悪くあるまい。

そんなような事をおばちゃんに告げると、

「んだんだ、それがええ。」

おばちゃんはにっこり笑うと、やがて店の外へと消えていった。

僕も休憩室の扉を開け、
外でぼんやりタバコを吹かしている兄ちゃんにこう告げる。

「ちょっと隣の店でラーメン食ってきます。
 なんかおばちゃんにえらく美味いって聞いたんで。」

ニコっと笑うと、兄ちゃんは相変わらずぼんやりと、タバコを吹かし始める。



ラーメン屋はほんとうにガソリンスタンドの隣に有った。
当然の如く空っぽな駐車場。
営業中は営業中らしい。

「○○軒」

そう書かれた真っ赤なのれんが、
夕闇の中、心もとなげに風に揺れている。

ガラっと扉を開けると

「いらっしゃいっ」

カウンターの中から聞こえる景気の良い声。

なんのことはない。
それはさっきの休憩室に居たおばちゃんその人の声なのだった。

呆気にとられて苦笑するしかない僕に、
悪びれた様子もなく、おばちゃんは

「ちょっと待ってナ、準備にちょっと時間がかかるからサ。」

、なんて言いながら、一生懸命チャッカマンで鍋に火を点けているのだった。

手持ちぶさたな僕は、
とりあえず入り口近くのテーブルにちょこんと腰掛け、
店の本棚から
「ろくでなしブルース」なんかを取りだし、
パラパラとページをめくり始めるのだった。

数十分後、
僕の目の前にドカンと置かれた
4つのドンブリ。

唖然とする僕を尻目に、おばちゃんは笑顔で言うのだった。

「ちょうど夕飯に良い時間だし、うちの家族も一緒にメシ食うからサ。」


そしてラーメンが出来あがる頃、

「うー寒い寒い。」

なんて口々に言いながらおばちゃんの「家族」が扉を開けて入ってきた。

なんのことはない。
それはさっきのガソリンスタンドに居た兄ちゃんとおっちゃんなのだった。



4人で僕らはラーメンをすすった。

なんとも有り得なさすぎるシチュエーションでは有ったが、
確かにラーメンは美味しかった。


すっかり底が見えたラーメンの向こうの窓は漆黒に塗りつぶされている。

それを見ながら、

「兄ちゃん、もう遅いし、雨も止みそうに無いし、
 泊めてやるよ。ここの店の座敷使えば良いベ。」

つまようじをシーハーさせながら、おばちゃんは笑うのだった。

「んだんだ、それが良いベ。」

つまようじをシーハーさせながら、おっちゃんも笑うのだった。


んで、僕はありがたくその申し出を受けさせていただいたのだった。



座敷に寝転がり、久しぶりの久米宏をぼんやり眺める僕。

兄ちゃんとおっちゃんは近くにあるのであろう家へと戻り、
おばちゃんは一人黙々と明日の食材を用意している。

「兄ちゃん、コーヒー飲むべ。」

ふと気づくと、僕の横には、
湯のみを二つ持ちながら笑顔で立っているおばちゃんが居るのだった。

寝袋の横のテーブルで
ズズーっとコーヒーをすするおばちゃんと僕。

「・・・・兄ちゃんはよ、どっから来たんだ?」

「東京っす。」

パーッと輝くおばちゃんの顔。

「東京かあ。
 私もな、若い頃は東京に住んでいたんよ。
 んで、東京のどこだ? ああ、○○か、
 よーく知っとる。
 ○○って店あるだろ?
 よーく知っとる。
 私もな、そこの近くにずーっと住んでたんだ。
 生粋の江戸っ子だったんだ。」

ひとしきり、東京バナシに花を咲かせた後、
なぜか沈黙するおばちゃん。
タバコの煙の行末を見つめながら、ボソッと呟く。

「・・・・・・それがなぁ、
 こんな田舎に嫁いでしまって。
 ほら、あんたも見たように、ここらへんはなーーんにもないだろ?
 ・・・・・・こんななーーんにも無い所で30年。私は暮らしてきたんだ。」

ため息と一緒にタバコの煙を吐き出す。
何も言えないでいる僕。
黙って、ただタバコの煙を吐き出す。


「・・・・・ほら、さっき私の息子が居ただろ?
 あの子は、東京の大学に行かせたのさ。
 ○○大学ってさ、知ってるだろ?
 ここらへんじゃぁ頭の良くて有名な息子だったのさ。
 ・・・・・それがなあ。
 卒業したら、この村に戻ってきてしまって。
 この街で父親の跡を継いで、ガソリンスタンドやりたいんだと。
 自分には東京は合ってないんだと。
 この村で暮らすのが良いんだと。
 ・・・・・ヘンな子だよ。まったくさ。」


相変わらず、窓の向こうは漆黒の闇だ。
何も見えない。
雨の音の隙間で、かぼそく鳴く虫の声。

何も無い街だ。
峠のふもとに、たった数軒の家が肩を寄せ合う街だ。


結局、
母にとって、この街はあまりにも狭すぎ、
そして息子にとって、東京はあまりにも広すぎた。
ただ、そういうことなのだろう。

互いの根底に生きづくのは
生まれ育った街に与えられた明確なる価値観。
アイデンティティーと呼び替えても良い。
そして人はそこから決して脱却し得ない。
望もうと。望まざろうと。



翌朝、テーブルに置かれたカレーライスはやっぱり4つだった。
そのカレーライスをかきこみ、

「んじゃ、行ってくるわ。」

兄ちゃんはそう言って、シーハーさせていたつまようじを灰皿に捨てた。

「おぅ。いってらっしゃい。」

息子のカレーライスを片付けながら、そう言っておばちゃんは笑った。



03.01.12


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