ニューヨーク市民の為に頑張る新庄剛志外野手

つい先ほどのアメリカテロの惨事を受け、

ニューヨーク・メッツの新庄剛志外野手が
ニューヨーク市民の為に野球を頑張るらしい。

シアトル・マリナーズのイチロー外野手も
ニューヨーク市民のために頑張っている。

ちなみに
新庄剛志外野手はつい1年前まで
大阪市民を盛り上げるために頑張っていたし、
イチロー外野手は数年前、
震災に沈む神戸市民の為に頑張っておられた。

いやちょっとまてよ。
と言いたくなる僕。

てゆうか、僕はこの手の美談をあんまり信用していない。

確かどなたかがどっかに書いていたと思うのだが、(←すいません忘れました)

いわゆる、
病に伏せるファンの子供の為に
名選手がホームランを打つ。
そんで子供が勇気をもらって手術が成功するとかというアレである。

その方は確かこう書いておられた。

「僕はその手の話があまり好きではない。なぜなら打たれた投手のほうにも
 病に伏せった子供のファンが居たかもしれないから。」

全くその通りである。

例え新庄剛志外野手が獅子奮迅し、
結果ニューヨーク・メッツが優勝したからと言って、どうなのか。
ニューヨークにはメッツの相手チームのファンは一人も居ないというのか。

まぁこんな事を思うのも、
かつて名古屋に住んでいたタイガースファンの僕が
ドラゴンズが優勝し、巷が盛り上がるたびに
ある種の苦々しさでやりきれなくなっていたからかもしれないが。

結局、ニューヨークメッツが奇跡の優勝をしようが
それはあくまでも、ニューヨークの「大多数の」市民に一抹の喜びを提供するだけに過ぎない。
ニューヨーク在住のブレーブスファンの市民は奇跡の逆転負けに、ただその肩を落とすのみである。

まぁ、民主主義の根本たる「数の論理」にしたがって、ニューヨーク市民の「大部分」が喜ぶ事ができればそれで良いと、
かの新庄剛志外野手は思っておられるのかもしれないが。

しかもイチロー選手に至っては、
いくら彼がニューヨーク市民の為に頑張ろうが、
ワールドシリーズでマリナーズがメッツに勝ってしまった日にゃぁ、
これはもうどうしようもない。
「数の論理」の明確なる破綻である。

大体、イチローも頑張ろう神戸とかゆって、
それこそ頑張っておられたが、
それじゃぁ神戸には近鉄バッファローズのファンは一人も居なかったのだろうか?
てゆうか、多分神戸に一番多いのは阪神ファンだろうし、
FAで阪神に移って優勝させるのが一番の方策だったのかもしれない。
「数の論理」で言うならば。

なんて言い出すとキリがないので、ここらへんで止めとくが。

結局の所、多分僕はスポーツ選手が「誰かのために」と言うのが、
あまり好きではないのだ。

スポーツ選手は誰かの為に戦っているわけではない。
阪神タイガース所属の新庄剛志外野手は大阪市民の為に頑張っていたわけではないし
ニューヨークメッツ所属の新庄剛志外野手はニューヨーク市民の為に頑張っているわけでもない。

彼らはあくまでも、自分自身の為に頑張っている。
自分自身が限りない名誉と金をその手に掴むために頑張っている。
自分と、その家族が明日のおまんまを食べるために頑張っている。


それで良いではないか。と思う。
その、自分自身の為に戦う姿勢が、世の中の人々を感動させ、勇気を与える可能性もあるわけで、
そこにまやかしの美談をあえて付け加える必要性は、何一つあるまい。


彼らはあくまでも自分自身の為に戦う。
それを見た人々は、自らも自分自身の為に戦わなければ、と思う。
それで良いではないか。


まやかしの美談は、そこには必要ない。


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