家に帰ろう。 その2

翌日。佐多岬アタック当日。快晴だった。
岬まであと50kmたらず。
25回目のパッキングを済ませた後、我がドラスタ号をパチリ。
ありがとう。今日が最後やで相棒。



残りの50kmが40km、30kmと単純減少を続けるにつれ、
僕の心はなぜか物凄く複雑だった。
嬉しいよな、嬉しくないよな、
悲しいよな、悲しくないよな。
着きたくないよな、着きたいよな、やっぱり着きたくないような。

「もっと走り続けていたいのに、走る道が無くなっちまった。」

ふとそんな言葉が心に浮かぶ。
そんな言葉を繰り返し口腔で転がしつつ、
そして最後の道路。佐多岬有料道路へ。

やっぱり、ちょっとだけ泣けてきた。
アクセルはちょっと捻るだけ。
2速で時速は30km。
誰も居ない道路で1人、のろのろ蛇行運転が続く。

やっぱり、すこしだけ、着きたくなかった。終わらせたくなかった。

最後の通行所。
中の兄ちゃんに聞く。
「後どれくらいすか?」
その声が裏返っているのが、自分でも可笑しいくらいにわかった。

やや涙目でバイクを走らす。
トンネルを抜けた瞬間、唐突に目の前に駐車場。
・・・まさかUターンもできまい。
逡巡するヒマさえ与えられず、
するすると駐車場に吸い寄せられる我がドラッグスター。

ブレーキをかけ、イグニッションを回し、スタンドを下ろし、バイクを左に傾ける。

「・・・・・ついちまった。」
胸の中で半ば呆然と呟く。

佐多岬へは残り1km。後は歩くだけだ。
この南にドラスタと一緒に走れる道は、もう無い。



2000年9月25日(月)

旅の終わりの日記というものは書きにくいものだ。
旅の経験、感動を最後に纏めておきたい等と考えてしまうから。
ましてや、上手い文を書こうなどと思えば、なおさら。

今、フェリーの中だ。
まあ、厳密に言うならば、まだ旅は終わっていないのだけれども。
だけど、帰る途中であることには間違い無い。

この旅を終え、佐多岬から帰るとき、ふと感じた。
走る道は確かに無くなっちまったけど、まだ世界が有る。
でも、世界一周を終えたとき、俺は何を想い、感じるんだろうか。

限界、終着が見える、あるいはそれを感じる事の怖さ。

結局、達成感ホリックなんだな。と自分の事を思う。

高校では学祭にそれを求め、
大学では旅にそれを求めてきた。
アメリカ横断、アンコールワットを目指す旅、
そして、日本縦断。

その中で、俺は計り知れない大きなものを学び、得てきたのだけれど、
もしかしたら、もうオーダーストップの時間なのかもしれない。
旅の楽しさ、至福、そういったものはこれからも常に味わえるのかもしれないけれど、
旅から得るものは、実はもうほとんど残っていないのかもしれない。

だから、僕は日常に戻り、社会人になり、
達成感を仕事に求めていく事が必要なのかもしれない。可能なのかもしれない。
また、達成感を得られるような仕事に就くべきなのではないか。と思う。

この旅の途中、
Sは○大に合格し、俺とTは別れ、
日本は4つの金メダルを取った。
巨人の優勝と阪神の最下位がほぼ決定し、
俺は15万程度の金を費やした。
そうして夏が終わり、秋は深まり、
もうすぐ旅が終わる。




川崎港につき、
家までの道程を辿り始めた。
もう地図は要らない。川崎は初めて走る街だけれど、
「東京」。その青い道路標識を辿っていけば家にはつける。

道路には渋滞の車の列。みな家路を辿っている。
忌むべき存在だったその渋滞が、
27日間の旅を終えた今、なぜか新鮮に映った。

渋滞の向こうには27回目の夕陽。
東京の空に落ちゆく夕陽。
僕も家に帰ろう。日常に、戻ろう。





04.03.04


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