タイタニックとカンボジアの雨 
−アンコールワットへの道−

そしてカオサンでのビザ待ちの怠惰な日々に僕は、3日目に終わりを告げた。
昨日の夜、遅くまで酒盛りを続けたドミトリーの隣のベッドの子にサヨナラを言い、
カンボジア行き乗合バスの
待合場所へと向かった。

はっきりいって、旅行慣れも、旅行づれもしているわけではない。
アジアはまだ2回目の、ゆうなれば、なんちゃってバックパッカーである。
そして、待合場所には、そんな”なんちゃって”達の顔が並び、
どの顔も、”カンボジア”というものが連想させる、漠然とした危険と言ったものに対し、
不安を募らせ、そして、期待を高鳴らせているようだった。

バンコクを出発して3時間。
タイ国境の町アランヤプラテートで国境を越え、
カンボジア国境の町ポイペトからピックアップトラックで7時間ほど走り、
僕達が目指すアンコールワットのある街、シェムリアップには今日の夕方に到着。
そんな予定だった。

そして、乗合バスは走り出した。
メンツは10人と少し。
ほとんどが日本の大学生で、その中に3人の外国人が混じっている。

名も知らない街での昼飯で、僕は一人の日本人と知り合った。
S君。21歳。フリーター。
英語も全く喋れず、一人旅。
生まれて初めての海外旅行でカンボジア。
それらの事実は、普段、我が物顔で下北沢の街を歩いていそうな彼を、非常なまでの臆病者へと変質させていた。

”でもねー、やっぱ、海外、行っとかないとって思ったんすよー。”
初めて降り立ったシンガポールの空港でどうして良いか分からず、思わず近くの日本人に助けを求めたこと
南の島の岬からたった一人で眺めた夕焼けに感動したこと。
そして、フリーターという立場にある自分の将来のこと。
そんな事を、熱心に語る彼に、僕は好感を覚え、
そして、それからの数日間を共に過ごすことになった。

昼下がりの国境の町は、猥雑さと人々の熱気に満ち溢れていた。
見よう見まねで必死に入国カードを記入したS君と
滝のように流れ落ちる汗をぬぐいながら、入国審査の列に並んだ。
ふいに聞こえた地雷処理の爆発音が、僕ら、特にS君をさらなる不安へと追い込んだ。


その先のゲートをくぐればカンボジア。

”ダンシングロード”。
地球の歩き方カンボジア編にはそう書いてある。
いわく、
”アランヤプラテートからシェムリアップまでの道は非常な悪路で
 カンボジアの中でも特にひどい道とされており、”ダンシングロード”と呼ばれている”、と。
カオサンでもそういったたぐいの話は腐るほど聞かされてきたし
ある程度の覚悟はできている、つもりだった。

幌さえついていない4WDトラックの荷台に飛び乗り、
僕らはいよいよ、カンボジアの道をひた走り始めた。


ただいま爆走中。といっても、僕が運転してるわけちゃうけど。


こんな橋だって、やっぱり爆走。


はじめてみるカンボジアの風景。
砂埃を上げながら爆走するトラックの横で、
果てることのなく続く大草原。
屈託もなく手を振る現地の子供たち。


少なくとも僕の何倍も澄みきっている、その目。

めちゃくちゃ良い気分だった。
鼻歌を歌いながら、歓声を上げながら、
使い捨てカメラで写真をとりまくった。

”あと、数時間もすれば、憧れのアンコールワットに着く。”
そんな思いが、僕らの気分をさらに高揚させていた。

そして、そんなドライブ気分を、
一粒の雨が打ち砕いた。
一粒の雨はやがて、猛烈な勢いのスコールへと変わり、
カンボジアの道を、単なる薄茶色のぬかるみへと変えていった。
いくらカンボジアが暑いとはいえ、
猛スピードで走るトラックの上で、Tシャツ一枚の体に雨が降り注ぐのはあまり良い気分ではない。
と言うより、鬼のように寒い。

突然、トラックを降り、
道沿いの掘建て小屋へと駆け出す運転手。
”え、なに? どゆこと?”
寒さに震えながらあっけにとられる、なんちゃってバックパッカー達。
停められたトラックの荷台はみるみるうちにプールへと変わってゆく。
”とりあえず、俺らも避難や避難!”
あわてて荷台を飛び降り、ぬかるみに足を取られながら、掘建て小屋へと向かった。

突然の来客に驚くにわとり達の声を聞きながら、
雨を眺めた。
すさまじい雨。台風と夕立が一緒に来たようなかんじ。
だだっぴろい草原のど真ん中、
呆然としながら、とりあえず雨がやむのを待つ。
しかし止まない雨。


掘建て小屋にて。

30分後、突然、掘建て小屋を出て、トラックの運転席に飛び乗る運転手。
”え、なに? どゆこと?”
あっけにとられる、なんちゃってバックパッカー達。
とりあえず、トラックのほうへ駆け出してゆく。

”で、誰が荷台に乗んねん?”
おもわず、そこにいるみんなが顔を見合わせた。
トラックの車内に乗れるのは運転手を含めて6人。
残りはプールに脛まで足を突っ込んで、土砂降りの雨と、それに伴う、すさまじい寒さに耐え抜かねばならない。
”荷台に乗ったら死ぬんちゃうか?”
冗談ではなく、そんな事を思った。

”○△×□・・・・・!! (ワリイけど、俺は車内に乗っちゃうで!!)”
たぶん、そんな感じことを叫んで、
外国人の一人が車のドアをあけ、その中に飛び乗っていった。
おいおい、なんでやねん。
心の中でつぶやきながら、自然と僕の足も車のドアの方へと向かおうとしていた。
少なくとも、まだ、僕はカンボジアの土になる気はない。

・・タイタニックやな。
土砂降りの雨に打たれ、ぼーっとする頭で
つい先日、遅れ馳せながらようやくビデオで見た、一本の映画のことを思い出していた。
救命ボートに乗れば助かる。船に残れば死ぬ。
車内に乗りこめば助かる。荷台に残れば地獄。
こんな時、俺はどういう行動をとるべきなのか・・・??

ふいにS君が叫んだ。
”○○さん(僕の名前)、もういいっすよ!!。荷台、俺らで乗っときましょうよ!!”
まじですか?? なんてことゆっちゃうの、S君?!
一瞬、めちゃくちゃびびった。
が、初めての海外旅行でびびりまくっており、しかも1歳年下なのに、
こんなこと言えるなんてS君、あんた、まじで漢(おとこ)やな!!と思い、
同時に少しだけ自分を恥じた。

”うぉっしゃぁ!! S君、いっとくか!!”
半ばやけになりながら、
同時になぜか高揚してくる気持ちを心のどこかに感じながら僕は叫び、
荷台(プール)へと飛び乗った。

一瞬感じた、そんな高揚した気分は、
土砂降りの雨の中にあっさりとかき消されていった。
寒い。とにかく、すさまじく寒い。
頭の上にかぶせたタオルは、
絞っても絞ってもすぐに芯まで水に浸り、
こんなタオルで廊下をふいたら、廊下が水浸しになって
先生がすべって大目玉を食らってえらいことになりそうな勢いだった。

特にひどかったのはS君だった。
中に入った外人さんが貸してくれたカッパをはおり、少しはましになった僕とは違い
依然としてTシャツ一枚のS君は、頭を垂れ、
がたがた震えながら、いつしか一言も声を発しないようになっていた。
唇は紫色を通り越して、いつしか土気色を帯びている。

見るに見かねた荷台組の僕らはトラックを止めてもらい
車内組との1対1の交換トレードを申し出た。
トレードは渋々ながら了承され、
”すいませんけど・・”
そういってS君は車内に乗り込んでいった。
しかしながら、すみませんと言わなければいけないのは僕の方だった。
僕以上にがたがた震えていたS君に、
カッパではなく、頭の上に載せていたタオルしか貸してあげれなかった僕の弱さ。

極限まで追い込まれた人間の心の弱さ。意地汚さ。
そして、そのトレードは僕ら荷台組の、彼に対する贖罪だった。

遠くで、時にはトラックの横で鳴り響く雷の音を聞きながら
ぼんやりとカンボジアの草原を眺めていた。
”カンボジアってすげえなぁ・・”
心のそこから、そう感じていた。

不意に猛スピードで追い抜いていく現地のトラック。
荷台には鈴なりになった人々の群れ。
”ゴー シェムリアップ!!!!”
拳を突き上げながらそう叫んで通りすぎていった。

”イエス、ゴー シェムリアップ!!!”
雨の音にかき消されないように叫び返しながら
僕らの心の中に、再び、ふつふつと何かがわきあがってくるのを感じていた。

トラックの目の前に、ぬかるみにタイヤを取られ、
立ち往生している車。
バラバラッと飛び降りていく荷台組。
脛まで泥につかりながら現地の人と共に車を押す。
呆れ顔で見ている車内組。
”どうや!!これが大和魂っちゅーもんや!!”
・・・雨や、寒さなんていつしか、どうでもよくなっていた。

結局のところ、道は、シェムリアップを前にして
ぷっつりと途絶えていた。
川の増水と前に通ったトラックのミスにより
ぼっきり折れてしまった橋げた。

そして、僕らを乗せたトラックは、橋の近くの名も知らない村へと撤退した。


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