ワンパイナップル・プリーズ。

実際、それは凄まじい下痢だった。

プノンペンを発って3時間。
僕の体内で奏でられるボレロは、いつしか管楽器の独奏が終わり、
オーケストラ全員による大合奏へと移りつつあった。


何があかんかったんかなぁ?
いくら驚異的にうまいからゆうて、フランスパン食いすぎ?
いや、パンは関係ないやろ、パンは。いくら蝿たかりまくりだからとゆうて、
パンのせいにするのはまちごうとる。
小麦粉さんに失礼や。

昨晩、最後のカンボジアだからとゆうて、
調子に乗って吸いすぎた、あれか?
いや、あれで下痢になるなんて話は聞いたことあらへんがな。


・・・・パイナップル、・・・まさかお前なのか?!
俺を不幸のどん底に落とし入れた張本人は、
その黄色い豊潤な肉体を使って俺を誘い、
その甘い体で俺を虜にし、
眠れぬ熱帯夜も常に俺のそばに居てくれた、
他でもないお前だというのか??

まさか・・・・信じられん・・・・
あいつが、まさか、そんな・・・・
言葉にならない衝撃が頭を駆け巡る。

おそるおそる記憶を辿る。
つい数時間前、バスに乗る俺と永遠の別れを告げる前、
あいつはそのいつもと変わらぬ魅惑的な肉体を、
俺に惜しげもなく捧げだしてくれた。
キャピトール・ホテルのベッド(てゆうか皿)の上に横たわったあいつの肢体はいつもどおり甘くて、濃厚で・・・・
・・・そういえば心なしか、少し表情が曇っていたような・・・
・・・確かに、その体も、いつものお前とは違い、少し黒ずんでいたような・・・



・・・パイナップル、まさか、お前、病気持ち?


と、まぁ、そんなおバカな想像をいくらしてみようが、
僕の体内のボレロは一向に収まる気配がない。
てゆうか、今、ちょうど3回目くらいのアンコールが始まったところである。


懐かしのキャピトール・ホテル。フランスパンに浮気中。

やっと着いた海沿いの街、シアヌーク・ビル。
プノンペンで知り合った旅仲間はズボンを脱いで、海を目指す。
僕はズボンを脱いで、トイレを目指す。
ああ・・人生とはかくも残酷なまでに人の運命を分かつものなのか。
そんな事を考えながら、トイレの中でもだえ苦しむ。

トイレから出て、ベッドの上に身を横たえる。

目の前が真っ白になって行く。
ものすごい熱。

整腸剤を何十錠もかっ食らう。
一晩中眠れない。
ベッド、トイレ、ベッド、トイレ、トイレ、ベッド、ベッド、トイレ、トイレ、トイレ・・・・・
そして目の前に、白いもやがかかっていく・・・



延々と繰り返されるアンコール。
「・・・この回数は、間違いなく当劇場始まって以来の記録的数字ですぜ。」
劇場のおやじが笑いながらそう話しかけてくる。
「そろそろ、終わったりしてくれへんのかなぁ」
息も絶え絶えに聞く僕におやじは言う。
「そりゃぁ無理でさぁ。なんせ、当のオーケストラがアンコールを止める気がねえんだから。」
そういっておやじが指差した壇上で、
何かにとりつかれたかのように指揮棒を振りつづけるコンダクターは、確かにあの女、パイナップルだった。

・・・ああ、ごめんよパイナップル。
もう、お前を捨てて逃げようなんて、二度と思わないから。
いくらスイカやマンゴーがお前と同じ10バーツだからと言って
「もういいかげんパイナップルも飽きたしなぁ」とかゆうて、
浮気するのは止めるから。

だから、その指揮棒を、下ろして・・・・・



言葉とは裏腹に、その後も僕の逃避行は続いた。
・・・とにかく、バンコクへ。
考えるのはそれだけだった。
ちゃんとした病院があるところに行きたい、ちゃんと日本と連絡が取れるところに行きたい。
考えるのはそれだけだった。

シアヌークビルの海の蒼さも、
国境の海のモーターボートのぼったくりも、
突然動かなくなったバスの乗り換え作業も、
僕にはもうどうでもよかった。

とにかく、バンコクへ。



数日後、カオサンロード。
永遠に続くかと思われた演奏会も終わり、
スクリーンの中のロミオとジュリエットが恋愛をしている前のテーブルで
タバコをふかしている、僕。

ふと、眼前を、見覚えのある、あの姿が通りすぎる。
・・・あの女だ。
手押し車の上の、ショウケースの中で、
あいも変わらず甘美なその体を、惜しげもなくさらけ出している、あの女。

僕は思わずかけより、
そして、おやじにこう言った。
”ワンパイナップル、プリーズ。”



01.05.28


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