今ソコにある自由 その2

翌日、そんな気持ちを抱えたままバイクを走らせた。
目の前に現れてきたのは阿蘇の山なみだった。



快晴だった。
どこまでも続く緑の草原と雄大なる阿蘇の山々よ。
9月のススキがそよそよと風に揺れていた。
いつしか夢中でバイクを走らせている僕。
アクセルを捻る度、体を傾ける度、ギヤを一段上にガチコンと上げる度、
日常が、徐々に僕のアタマからヒリヒリと剥がれ落ちていくのを感じた。
目の前の自然が僕の心情をあっさりと書き換えていく、そのプロセスに夢中だった。


こういう経験は前にも覚えが有った。
思い悩む心、晴れやかな心、逡巡する心、
それらが自らの内から湧きあがっていたものであれ、
あるいはそもそも自然により付与されていたものであれ、
そうした心の模様を
圧倒的なまでの力で、力ずくな強引さで、
あっというまに描き換えちまう力が、
確かに自然には有る。

開陽台の雲の向こうの神々しさや、
岩手山のテントから滴りおちた水滴や、
霧のトンネルを抜けるとそこは岩手磐梯山だった、や、
そうしたものにより力ずくで半ば強制的に描きかえられた我が心情。
否応がナシに与えられた感動や憂鬱や畏敬。

自然という大海原の中で
木の葉の様に揺れている小船たるのが我がドラスタ号とその主人たる僕なわけで、
そう。この旅の全てを最後に支配するのはいつだって自然だ。


そんなことを考えながら、
いや違うな。そんな概念的で小難しいことは、後で初めて認識できることであって、
その時の僕はただ、
アクセルを捻ったり体を傾けたりギヤを一段上にガチコンと上げるのに夢中だった。
心模様が自然という存在によってあっというまに描きかえられていく、
この旅を始めて何度目かのその経験にただ恍惚としていた。

そして、そこに極めつけの道が有った。
今思えばそれはなんの変哲のない道だったかもしれない。
だけど、旅を終えて3年経った今も妙に心に残っている道。
そんな一本の道が、僕の行き先に延びていた。
まっすぐ、天に登っていくように、目の前に開ける道。



瞬間、日常なんてものは完全にどうでもよくなっていた。
旅は確かにあと3日で終わり、
その旅の先には確かに日常が有り、
そこでの僕は相変わらずの怠惰で漫然とした毎日を淡々と過ごすのかもしれないけれども、
だけど今の僕はサイコーに気分が良く、
そして限りなく自由だった。

不思議なまでに爽快な気分のまま、僕はバイクを降り、
その道を写真に収める。

再びバイクに乗り、キュルキュルとイグニッションをまわす。
この道の先には熊本が有り、霧島があり、桜島があり、佐多岬があり、
そして終わり無き日常が続いている。
だけど、今の僕はこの瞬間確かに爽快であり、サイコーであり、自由であり、
いったいそのほかに何が必要であり、何を求めることがあるのか。
何を思い悩むコトがあるのか。

そこまで思った後、アクセルを一杯にまわし、僕はその道を登っていった。

さらば日常。これからも宜しく日常。
だけど今の僕は確かに自由だ。



・・・また描きかえられちまった。



03.11.24


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