ぐでーも良し悪し

ひさしぶりに
食う、寝る、テレビ、
食う、寝る、テレビ、
の「ぐでー」ヘヴィーローテで終わりを告げた7月第4週の週末。

何気にこーゆーのって1ヶ月ぶりくらいだったんだけど、
起き抜けの感想を一言。

ヤヴァイね。

もともと前々から「ぐでー」礼賛者のわたくしが
こうゆうこと言うのもなんだけど、
ヤヴァい。

あくまで「ぐでー」は適度にやることが良い訳であって、
それは例えば、
酒は適度に、とか、ビタミンBは取りすぎると逆に良くないよ、だとか、
そういうのと一緒であって、

「適度」を超えてやりすぎると、ヤヴァい。

(この適度、というのが、
 ぐでー前の体の疲れだとか、精神の疲れだとか、
 そういうものによって1日だったり二日だったり三日だったりするわけで難しいのだけれども。)

んで、起き抜けの、
うわ、もうなにやってんだろう俺。
的な、もんのすごーいローテンションな状態に
頭を打ちのめされ、
若干意気消沈しながらこの文章を書いている私がいるわけである。

仕事をしていて良かったと思える所以の一つがここにある。

明日から、否応無く仕事に駆り出されるわたくし。
ぐでーをしたいと思おうが、思うまいが、否応無く。
そこに自らの意思は必要としない。

学生のころは違った。

翌日の授業を休めばよい。
翌日のバイトを辞めればよい。
かんたんなこと。
ファイナル・ファンタジーをクリアするまで家から一歩も出ないなんて、
そんな芸当も可能。

例えばそんな生活。

傍目から見てうらやましそうに見えても決してそうではない。
アル中、ならぬ、立派なぐで中である。

ぐでー中毒になって、
全てを自らの怠惰心やら無気力やらに依存しきった非常にキケンな状態なのである。

それが青年時代の一時期の通過点の出来事ならまだ良い。
そんな状態を、自らの若さから生じる悩みや夢のせいにして
自分自身を納得させることは容易だし、
又同時に、その悩みや夢が有るが故に、
ぐでー状態を必然的に抜け出さねばならない時が、必ず来るからだ。

でも、たとえば、考えてみる。

老いた俺がぐでー状態にはまっちまったらどうなるのだろう。

仕事を辞めてぐでー状態にはまる。
そこから抜け出す策が見えない。
なぜか、明確なまでに死がその先にイメージできちまう。

なーんて書いてて、
そういえばあいつはどうなんだろう。
ちょっと気になってカノジョにメールしてみた。

オマエ週末なにしてた。

ゴハンくった+ねてた+ゴハンくった。

そんな生活良くないで

なんで。いいよとっても。

はあ私何やってんだろうって思うべ。

思わん。



例えばカノジョは
女性で、家族が同居していて、
たぶん俺より仕事がハードで。

そういういろいろな原因が有るにせよ、
たぶん、カノジョが老いた先、ぐでー状態にはまっても、
その先に死は見えないのだろう。

なんにせよ。 ぐでーは適度に。



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