夢破れ山河あり

例えば、
プロ野球選手になりたいとか、(時代的にはJリーグ選手かな)
モー娘みたいになりたいだとか、
そういう夢ってのをさも子供は持たなければならない存在であるかのような固定観念が有って、
だけれどもやっぱり
その夢は必ず破れ、残るは山河だけみたいな、
そんな状況が待ち受けている、というのが画一的なフォーマット、
あるいは暗黙の了解として世間には有る訳で。

、だけれども最近。
そういう夢(その言葉は20代半ばを超えたあたりから
将来のプラン、だとか、ヴィジョン、だとか、
いささか現実味を帯びた言葉に置き換えられるわけだけれども)
を持ち続けられる、「想いの強さ」ってのがあれば、
かなりの確率で、
その夢(あるいはプラン、ヴィジョン)は具現化するんじゃあないか、
なんて思っている。

もちろん「なれる」対象はプロ野球選手ではない。
(湘南の砂浜に落ちた一枚のコンタクト的な確率の才能を持ち合わせている場合を別にして)
無いけれども、
例えばそれはスコアラーであったり、
グラウンドキーパーであったり、
球団専属のマッサージ師であったり、

もしくはもっと間接的でも良い。

中学校の野球部の監督であったり、
野球少年団のバッティングコーチであったり、
タイガース私設応援団のトランペット吹きであったり。

名声であるとか、マネーであるとか、そういうものを抜きにして、
純粋な「野球」というものだけに拘るのならば、
それに関連した人生というのはほぼ確実に具現化し得るだろう。
才能ではなく、想いの強さ、さえそこに有るならば。


@自分の愛するフィールドの中で、A自分の存在意義を感じたい。

たぶんその二つの両方を兼ね備える事が人生にとっては肝要で、

@自分の好きでもないフィールドの中で A自分の存在意義を感じても
(ex:野球が死ぬほど好きなのになぜかクリケットの日本代表)

@自分の愛するフィールドの中で A自分の存在意義を感じられなくても、
(ex:テレビの中のナイター中継に向かい熱狂的な応援。視聴率のアップに多少貢献はしているとしても)

どちらも人生は儚いわけで。夢敗れて山河が残るわけで。

自らの強い想いが自ずと向かう対象内において、
爪の先ほどでも存在意義を感じられるのであれば、
たぶんその人生は多少なりとも幸福なはずであり。

って四ヶ月ぶりに更新したと思ったら
又クサいことを俺は。。。
もう少し更新の頻度を上げて行きたい。
長らくの休眠すんませんでした。



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