彼の事件に際して。

たまには時事ネタでも。

植草教授、捕まりましたね。
アノ事件に対する世間の反応といったら、
そりゃもうしゅんごいもので、
潮見も、ほぉーっこりゃびっくりだぁ。
みたいな感じで興味深々でヤフーニュースなんぞをつらつら読んでおりました。

んで、思った事3つ。


一つ目。
まぁ、そりゃぁ、見ちまうわなぁヽ(´ー`)ノ 。

昨今の東京の女子高生のスカートの短さっつったらそりゃもう、
とんでもないものがあるわけで、
(これは地方に行ってもおんなじなのかもしれないけれど。)

はっきし言って、
健全な「おったてる」事を出来る日本男児としては、ですね、
見たいと思わないほうがおかしい、っつうか。
むしろあれは見てくれって言ってるようなもんだとおもうわけで。
(まあ当然言ってないんだろうけど)

んで、その健全なる日本男児の一人としてさらに言わせてもらうならば、
あの「スカートの短さ」とか、
あるいはギャルの「ワンショルダー」やら「チューブトップ」やらってのはさ、
本人たちはかわいさ、あるいはカッコ良さ、
あるいはちょっとしたせくすぃーなつもりなのかもしれないけれども、
それを街中で否が応にでも鑑賞させられるオスどもとしては、
ありゃどー見ても単なる「エロ」っつうか
控えめにいっても、生物学的なメスとしてのオスに対するセックスアピールにしか見えないわけで、

そういうエロチシズムを公共空間においてぷんぷん発散させておきながら
一方では
階段昇るときに必ずその短いスカートを手で抑えてみたり、だとか、
あるいは、
お互いイキオイまかせでヤっちまった後に「責任取ってくれるんだよねえ(- -メ)」、だとか、
そういう言動に対して一人のオスとしてなんとはなしに違和感を覚える、というか
なんと言いますか。

あかんあかん、脱線気味ですね。。。

というわけで、1つ目の結論。
見たくなるのは同じオスとしてちと同情しちまうわなあ。。
ってこと。

まあ、さ、
「手鏡」っつうのはやっぱり一線を超えちまった。。。
と言いますか、
満員電車での痴漢と同じで
それをやっちゃあオシマイよ。。。
という部分なわけで、
そこの部分に関して彼を擁護するつもりは毛頭無いんだけれども、さ、
それでも、
見たくなっちまう気持ちってのは、同じオスとして、
ちと同情しちまうなあ。。。なんて素直に思う潮見がここに居るわけでございます。

まあ、自分に女子高生くらいの娘が居たら
そんなことは思わない、
あるいは万が一そんなことを思っても
口が裂けてもそんなことは言えないんでしょうが。

公共の電波で彼を叩きまくっている
(かつての植草氏もそうであった)インテリゲンチャの皆々様も
公共の電波が電波なだけに、そんなことは
口が裂けても言えないんでしょうが。

おんなじオスとして、
「ああ、植草ちゃん、誘惑に負けちまったのね。。」
ってさ、同情しちまう部分ってのも
(人として同情の多少はあれども)あるんじゃあないですかぃ?
ってのをなんとなく声を大にして言って見たかった。


二つ目。

これは、昔から思ってて、
ことあることに言いたかったことなんだけれども、
そーゆー「インテリゲンチャ」的な人間、モノ、組織が
なんらかの不祥事を起こした際の、
執拗なまでの、もしくはヒステリックなまでの
批判、中傷、煽り。

あれはなんとかならないんでしょうか。

官僚の天下り。
早稲田のスーパーフリー。
そして今回の植草教授。

別に彼らがしてることを肯定するわけではない。
俺の中にも彼らがしてる事に対する憤り、というか糾弾したいキモチはある。

ただ、さ、
チマタで行われている彼らに対する糾弾ってのは、
「純粋なまでの正義感に起因した純粋な糾弾」とはとても言えないんじゃん?

官僚、だとか、
早稲田、だとか、
教授、だとか
そういう「インテリゲンチャ」的な人、モノ、組織に対する
はっきし言っちまうなら、僻み、やっかみを常日頃抱えて鬱屈してた世間、人間がさ、
ここぞとばかり、「彼らは悪である」という錦の御旗をふりかざして、
その僻み、やっかみを
彼らに対する「正当な糾弾」というカタチで発散させている。

そういう構図が明らかに出てるよね。
多分、それは「正当な糾弾」を聞いている人達も、
実は「正当な糾弾」してる本人ですらうすうす気づいて自覚してる事なんだと思う。

もちろん、さ、
俺にだって
そういう「正当な機会」に乗じて、
普段うらやましいなあ。。とか偉ぶりやがって。。。
だとか思ってるヤツラを糾弾してひきずり落としてやりたい。。
ってキモチはちっとは(いやかなり?)あるよ。

だけど、
チマタに溢れてる正当な機会に乗じた正当な糾弾。
それを透かした先に
やっかみだとか僻みだとか、人間のもっとも汚らしい部分が見えちまうと、
俺にはむしろ
罪を犯した「インテリゲンチャ」な人やモノや組織なんかより、
そういった汚らしい部分のほうがよっぽど罪深く卑しいものに見えちまう。

正当なる糾弾は時に激しく醜い。糾弾されるべき彼らが犯した罪よりも。


って、なんか俺聖職者みたいだ(笑)


最後に3つ目。

結局、彼がその「一線」を踏み外しちまった原因ってのはさ、
ここからは単なる想像なんだけれども、

自らの内面にたいしても外面にたいするソトヅラ的にも
「インテリゲンチャ」たりえなければならない
っていう自制心、というか、
自らに対して課した規律、というか
そういったものに抑圧され続けちまって
その抑圧に耐えきれなくなっちまったところで
今回の事件を起こしちまったように思うんだよね。
(いや、だから想像なんだけれども)

地位とか名誉とか手に入れて
上流階級、インテリゲンチャになって、
そういった地位とか名誉に抑圧されて
結果こういう事件を起こしてしまう。

そうやって考えてみると、さ、
地位とか名誉とか成功とかってのはいったいなんだろか。

世間一般の人々が目指している、
より上へ、より地位を、より名誉を、
ってのが行きつく先ってのはいったいなんだろか。

ってなんか儚く思ってしまったのでした。



てなわけで、
植草氏の事件を通じて考えた事、
3つ書いてみました。

この書きなぐりテキストに関する議論、討論は
しんどいからしたくないけど、
俺もおんなじこと思ってたよ!
なんて方がいたらbbsにでもメールにでも書きこんでもらえると
「あ、異端者は俺だけじゃなかった」
なんて思えて嬉しいス(笑)



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