超えましてありがとう。(10000ヒットありがとう文)

1年と1ヶ月と少しの間、文章を書きつづけてきた。
カウンターの000001の表示が0010000になるまでの間、文章を書きつづけてきた。

彼女を失った寂しさと、長い旅を終えた空白感と、
就職活動を間近に控えた不安と、そして自分の可能性に対するわずかな、あるいは過剰な期待と、
それらの全ての想いの為に、僕は文章を書き始め、そして今までその作業を継続させてきた。
1年と1ヶ月と少しの間。

意味もなく鬱になって文章を書くことを2週間ほど止めてみたり、
何ものかから逃れるかのように、あるいは何ものかに挑戦するかのように連夜の更新を続けてみたり、
「さぁ、書くぞ!!」と意気込んで白昼のモニターに向かってみたり、
あるいは例えば今日みたいに、
心の奥底から湧きあがってくる衝動が、眠気を部屋の片隅に無理やり追い出し、
僕の脳内のアドレナリンが指令するまま、深夜の4時49分にただただ文章を書きつづけたり、
そんな風にして、文章を書きつづけてきた。
1年と1ヶ月と少しの間。

その結果。

AT&Tのwave/tabiサーバーにたまった2.14MBの駄作の数々と、
僕の肺内にとりこまれた、何百mg、何千mgという単位の(モニターの前において消費された)余計なニコチン。あるいはタール。

そして、もう一つ。
誤解や傲慢さを全く恐れずに言うならば、
僕は文章を書くことが「上手く」なった。

傍目には何も感じないかもしれない。
その程度のレベルアップであるにしろ、
スライムがスライムベスに変わった程度のレベルアップであるにしろ、
確かに僕は感じるのだ。
自分が文章を書くことが上手くなった、ということを。



ところで、かつて、うちの親は良くこう言っていた。
いや、今でも良く言っているのかもしれない。
「人は変われないよ。」 と。
一方で、巷に溢れる歌達はこう叫ぶ。
「人は変われる。望み、そして努力さえすれば、なりたい自分になれるのだ」 と。


「変われる。」 「変われない。」

「変わりたい。」 「変わりたくない。」

それらの言葉の狭間で、人は悩み、諦め、そして希望を抱く。


「俺は変われない。」
「俺は変わりたくない。」
そう諦める。

「俺は変われる。」
「俺は変わりたい。」
そう希望を抱く。

あるいは、よしんば「変われた」としても、
それはあくまで表層的な変化でしかないのか。
心の根っこにある、深い部分においては、人は変わり得ない生き物なのだろうか。
それが、かつて親が言っていた、
「人は変われないよ」という言葉の真の意味なのだろうか。
そんなことも思う。


だが、最後に僕は思う。いや、思いたい。
人は変われるのだ。と。
表層的な部分においてはもちろん、真の意味において、人は「変わり得る」のだと。


「文章を書くことがうまくなった」
例えば、こんなちっぽけな既成事実、
なんの裏づけすらない既成事実を、
大きな拠りどころにして、僕は今、「人が変わり得る」ということを必死に信じようとしている。

いつの日か、
自らが「こうでありたい」と望む自分自身になれることを。


変わりたいと望み、あがき続ける事。
それはパンドラの箱を開けた人類に課せられた、
あまりにも過酷な絶望であり、
そしてあまりにも尊い希望だ。



最後に。
10000ヒット、ありがとうございます。

潮見。





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