ドコモ君は鳴らないし。

さて、就職活動まっさかりである。

巷ではバレンタインデーとかいう名の催しが有ったりなんかして
褐色の物体をもらったりもらわれたりしているようだが、
女日照の僕には、まるで遠い異国のお話のようである。

とかいいつつ、
秋の日本縦断中に愛想をつかされた彼女から
突然電話なんかかかってきちゃったりなんかして・・・・
なんて、
普段バイブにしている携帯の音量を最大にしている僕がいるわけだが・・・


うんともすんとも言わない僕のドコモ君。

残るは男のめめしさ、ですか。

めめしさがてらにもう一つ言っとくと、
”慣れ”っつーのは怖い。

彼女と別れて、すぐ次の彼女と付き合って・・・
てな感じで
彼女が継続的にいる時の人間というのは、
もう、なんというか、女のコなしでは、日々の生活を送っていけないカラダになっているのだ。
たぶん。

それが、彼女いない歴が長くなった人間と言うのはどうだろう。
(ていうか、これ僕。)
彼女がいらないわけじゃない。
でも、彼女がいなくても”生きて”ゆけるカラダになる。
洗濯もできる。(コインランドリ−で100円玉使いまくって)
晩飯にもことかかないようになる。(でもいつも野菜炒め)
掃除もたまにはする。(少なくともアジアのドミよりはキレイ)

つまり、慣れてしまうのだ。
いや、慣れてしまうというより、
彼女がいないという事が”常態”となってしまうと言った方が的確か。

そして、”彼女”の存在をことさら求めなくなる自分。
必然的に進んでいく、
欲求の減退。
女日照の激化。


・・・あーあ、慣れたくなかったんやけどなー。

慣れちゃいました。



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