機械式時計に降参する

19/Oct/2003
K. Shida

はじめに

昔のこの記事に書いたように, 僕はかなりのクオーツ時計派であった. しかし,敬愛する山本智矢氏の記事 マクロな時間とミクロな時間(機械式時計は不正確か?) 世紀末時計売り場のナゾ などの一連のシリーズを読んで,少しずつ考えた. ここには,僕の知らない世界があるのかもしれない… 漫然と思っているうち,昨年の春のことであるが,ある友人がいうには,

「予は腕時計せぬ党なり. 上司同僚予に自慢してローレツクスやゼニツトを見せたるも, 未だ感銘を受けず. 腕時計とは詰らぬ物と見えたり」
そこで僕は答えた.
「汝の感性は確かなり.いざ我と共にデパアトメントストアへ行かむ. 汝に最上の品を見せん.そののち思案するも遅からじ」
そこで,たしか新規開店したビックカメラ新宿店を見にいったついでだったか, 小田急百貨店に寄って,パテック・フィリップやブランパンなどをご覧に 入れたのである.彼はとくにバセロン・コンスタンチン(ヴァシュロン・ コンスタンタン)が気に入ったようすであった.
「さても美麗なるかな.得心々々.ならば予にふさわしき物を探さむ」
というわけで,三十万円くらいの予算で買いたいという. 彼は数ヶ月の間相当研究しているようであったので, 何を選ぶか楽しみにしていたのだが,秋になっていざ買ったときいて 僕はひっくり返ってしまった. ジャガールクルトのマスター・パーペチュアル(ピンクゴールドケース)という, 予算より一桁高いものであったからだ. 魅入られたとしかいいようがない.

僕はまた思った.「これは大変なことである. このような美術工芸品を身につけて毎日会社に行くということには 特別な意味があるに違いない.きっと本気で出世するつもりなのだろう. いやいや,教えるつもりが教えられたわい」 僕は先を越されたわけであるが, 自分でも多少無理をして中古の機械式時計を買い, その意味について考えてみた…

機械式時計の意味

1. 美術工芸品として

ブレスレットや文字盤に宝石の入った宝飾時計もあるが,ここではその意味ではない. 入念なデザインと工作が施されているという意味での機械工芸品として みるに耐える腕時計は,機械式時計のホンの一部のクラスしかない. ほとんどすべてのクオーツ時計,大部分の機械式時計には, よく見るとおかしなところ,下品なところがある. 秒針が細すぎたり,針が文字盤から浮きすぎていたり, 日付が文字盤から引っ込みすぎていたり,正面から見て ガラスを取り巻くベゼルが太すぎたり細すぎたり, ベルトを取り付けるアシの形が変だったり,文字盤の字体がおかしかったり, デザインがうるさすぎたり…

たとえば, ランゲ&ゾーネの1815 を思い浮かべてみるとよい. 美術工芸品ではなく,工業製品として作られているクオーツ時計で, 1815と並べて見劣りしないものはまず存在しないであろう…. ただしパテック・フィリップには例外的にクオーツモデルがある. ちなみに1815は僕が買った時計ではない. 1815は36mm径あるが,もう一回り小さいものが好みである.

2. 秒針の控え目な存在感

山本智矢氏は,機械式時計のほうが秒針の運針が細かいために, ミクロな時間で勝る,と表現されている. 僕の表現でいわせてもらえれば,クオーツ時計の秒針はうるさすぎる のである. 動物の目は動くものにひきつけられるという. クオーツ時計は秒針が毎秒瞬間移動するが, これは自然界にはない極めて不自然な動きなので, 一秒ごとに注意力が秒針にひきつけられてしまう. 日常生活の中で,秒針を読まなくてはならない頻度は時針, 分針に比べて低い.いわばもっとも重要性の低い針がもっとも 注意力を奪うわけで,人間工学的に間違ったデザインなのである. スモールセコンド式にすればそれほど目立たなくなるが, スモールセコンド式のクオーツ時計は,クロノグラフであることが 多いので,無駄に盤面がうるさくなり,良し悪しである.

この点機械式時計は秒針の動きが細かくて連続的といっていいほどなので, 目ざわり感が薄い.スモールセコンド式三針時計ならなおよい. クオーツでも,掛け時計では連続運針のものがあるのだから, ぜひ腕時計でもそうしてもらいたい. 水晶発振の分周率を下げればいいだけの,ごく簡単なことである. セイコー・スプリングドライブは毎秒128ビートでほぼ連続運針だが, この秒針の動きには惚れ惚れする. この点に関してはゼンマイ式であることに意味があるのではない.

3. 機能と形態の関連性の回復

昔の機械は,機能と形態が一つのものであった. 蒸気機関車や,オープンリールテープレコーダを思い浮かべてみるとよい. どういう動きをするか,ということがそのまま形になっていたのである. それが電気仕掛け,電子仕掛けになるにつれて,すべてがただの箱になり, 内部の動きは人間の目から隔離されてしまった. 現代の僕たちは,機械の動作原理から疎外されている. あらゆるハイテク機器に取り囲まれながら,それらの原理に無知な 「都会の野蛮人」になる危険性がどんどん増大しているのである.

この流れに対するささやかな抵抗として,機能と形態の アイデンティティを残しているメカニズムを身に付けること, それが機械式時計の意義なのではないか. だから,裏側がガラス張りになっていて機械の動きが見えるモデルに 人気があるのかも知れない.


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