ブッダと良寛さん

志田晃一郎

2001 年 6 月 1 日

1. はじめに

東急 Bunkamura で開かれていた「良寛さん展」を見に行きました(2001 年 2 月). 展示は書がほとんどで,万葉仮名の草書が多くて ほとんど読めませんでしたが, 名前しか知らなかった良寛さんの生涯に, 初めて触れました.

良寛さんの伝記を読んで, 「ブッダと似てるところがあるぞ」 と感じました. そこで,調べてみました.

良寛に関する本は,百冊以上ありとても目を通せません. どんな人と対比して論じられているのか,題名だけからみてみると,

○一休
一休は室町時代の人. 良寛と共通しているのは,禅宗の僧であり, 奇行とも見える逸話が多いこと.

○道元
良寛が修行した曹洞宗の宗祖. 貴族の出で,実に真面目な人だったらしい.

○一遍
13世紀の人. 浄土宗の一宗派である時宗の宗祖. 踊り念仏で鎌倉時代のまずしい人々の心をとらえた. 寺を持たず,生涯遊行した.

○西行
12世紀の人. もと北面の武士佐藤憲清. 23歳で出家し「漂泊の歌人」と呼ばれる.

○松尾芭蕉
芭蕉は俳人,良寛は和歌と漢詩で,俳句はやらなかったが, 文学つながりであろう.

○小林一茶
一茶も俳人. また,二人を妙好人とみる人もいる. もともと「妙好人」は,浄土真宗の在家信者で, ある境地に達したものをいう. 浄土真宗は,親鸞を宗祖とする他力門である.

○アッシジの聖フランチェスコ
13世紀イタリアの修道僧.清貧に生き, 説教には鳥たちが集まったという. 良寛と貞心尼の交友を,フランチェスコと聖クララの「霊的」交友 に対比するものか.

○宮沢賢治
19世紀の作家,農業指導家.法華経(日蓮宗)に傾倒した.
などであり,ブッダは挙げられていません. 良寛と対比される基準は,
  1. 放浪生活をおくった僧または文学者
  2. 人を魅了する人格のもちぬしで逸話が多い.
という点のようです.

ブッダもまた,いうまでもなくこの基準を満たしています. そこで,良寛とブッダと生涯の共通点について, 自分でまとめることにしました.


2.ざっとどんな人か

2.1 ゴータマ・ブッダ

紀元前に生まれた仏教の開祖. シャカ族の王子として生まれ29歳で出家. 35歳でさとりを開き,やがて教団を形成する. 何もないところから仏教を作ったわけでなく, 当時のインドの宗教的な雰囲気の中で出家し,修行し, 一つの宗派の指導者として活動したことを理解すべきである. 生前の著作はない. 最初の経典は,死後数十年弟子たちの聞き書きとして成立したものである.

BC463 今のネパール国ルンビニーにシャカ族の王子として生まれる.
BC434 29 歳で出家する.
BC428 35 歳でブッダガヤーの菩提樹のもとでさとりを開く.
以降,ガンジス川流域の中インド各地を周遊し, 人々に説法し,教団を形成する.
BC383死亡 80 歳.

年代は中村説による. 学者によって百年くらい幅がある.

2.2 仏教の展開

仏教が,チベットや東南アジア,さらに中国と東へ 伝搬する過程で,各地の僧により長期間に渡って さまざまな経典が作られた. よって,その思想は幅広く, 大きく上座部仏教と大乗仏教に分かれる. その後,インドでは衰退するが,東方世界には根強く残り, 世界三大宗教の一つとされる.

2.3 日本の仏教

仏教は日本に 538 年に渡来した. 大きく見れば大乗仏教だが,めぼしい宗派が13宗ある. その中で,禅宗は,自力救済を目指し坐禅(瞑想)と作業を 重視する宗派で,曹洞,臨済,黄蘗宗に分かれる. 日本の仏教の特徴は, ブッダは尊敬されるが,その教えを直接知ろうというより, 日本的に解釈し直した宗祖の思想が色濃いことである.

2.4 良寛

江戸時代の僧.新潟の名家に生まれるが18歳で出家. 33歳で曹洞禅の印可を受けたが,その後各地を漂泊. 後半生は故郷の近くの五合庵に住んで,托鉢生活を送る. 漢詩,和歌を良くし,書は在世中から珍重された. まとまった著書はなく,寺も持たず,一宗を建てたわけでもないが, 当時から現在に至るまで人柄を慕う人が多い. 子どもと手毬やかくれんぼをして遊ぶなどの逸話が多い.

1758今の新潟県出雲崎町の名主山本家に生まれる.
1775 18 歳で出家する.曹洞宗の寺で禅の修行をする.
1790 33 歳で印可(さとったという証明)を受ける.
以後,諸国をめぐったり,故郷近くの草庵に住んだり して過ごす.
1831死亡 74 歳.


3. 類似点

○ 名家の跡継ぎという責任を捨て出家,生家はのちに亡びる

シャカ族の国は,ブッダの晩年あるいは死後, コーサラ国の将軍ヴィドゥーダバの軍隊に滅ぼされる. 伝説では,ブッダは,三度侵攻を止めさせたが, 四度目は見過ごしたことになっている.

良寛の出家後,父以南から次男由之に家督を継がせるが, 二人とも行政者向きではなく,家運傾く. 隠居した以南は京都で謎の入水自殺をし, 由之は訴訟に負けて免職,家財没収,所払いとなる. 良寛は,暮らしの派手な由之に意見したことはある.

中村元によると,ブッダの伝説には次の教えが含まれているという.

  1. 集団共通の宿業のいたすことはいかんともしがたい. シャカ族のうちには個人としては立派な人も大勢いたであろう. しかし共通の運命に対しては抗しがたい. それに対する策としては,将来このような悲惨事のおこらないように つとめるだけである.
  2. いったん,悲惨事のおきてもはやどうにもならぬとき, 個人としては冷静に受け止めよ,ということである.

良寛71歳のとき,三条市を中心に大地震があり, 全市が焼け1413名以上がなくなった. このあと良寛が書いた地震見舞の手紙には,

しかし,災難に逢ふ時には,災難に逢ふがよく候
死ぬる時節には,死ぬがよく候
是はこれ,災難をのがるる妙法にて候
とある.

○ 恵まれた少年時代

ブッダは16歳で結婚,一子を設けた. 宮殿で歓楽の生活をおくった.

良寛は16歳で元服,遊女屋に出入りし, 放蕩児として過ごした.

一休は,少年時代は恵まれなかったが,悟りを得た後に, わざとらしく酒場や遊女屋に出入りした.

○ 無常を感じる

ブッダには,四門出遊という伝説がある. 世の中が悲惨で頼りないことを痛感し, やがて出家するもととなった,というのである.

良寛には,名主見習いとしての経験から, 無常さと,世渡り下手な自分の性格を感じた.

○ 寺を持たず,托鉢で生活

良寛に,非僧非俗という言葉が使われる理由は, 寺の住職にならなかったということらしい. しかし,その論理のおかしさは, ブッダも寺に住んでいないことを思えば分かる.

○ 人を惹きつける人格的魅力

ブッダはさとりののち,積極的に教えをとき, 多くの弟子を出家させて教団を形成した.

良寛は,自分から教えを解くことはなかったが, 人柄を慕う俗人の後援を受けたり,おしかけ弟子もいた.

○ まとまった著書なし

周囲の人が,その言動,逸話を多く書き留めた.

○ 遊女との逸話

ブッダは,高級遊女アンバパーリーから供養された.

良寛が,あるとき遊廊の前を通りかかると, とつぜん一人の遊女が出てきて,良寛のそでにすがって泣きだした. 良寛が理由を尋ねると, 「私は幼いころ身を売って,両親の顔さえ知りません. どうか両親に会いたいものと,心をこめて祈願していましたら, 昨夜の夢に,明日は父親が私を訪ねてくるというのです. 今あなたを父親だと思いました」

遊女との逸話は,キリストにもある.

○ 権力におもねらず,さからわず

○ 他の宗教に寛容であった

ブッダは,「仏教」という特定の立場を設けて他の宗教の 実践者を拒否しなかった.

良寛も,宗派心を持たず,曹洞宗で印可を受けながら, 真言宗の寺にある五合庵に住んだり, 浄土宗の思想を思わせる和歌を詠んだりしている.

○ 下痢で死ぬ.

ブッダは,鍛冶工チュンダのささげた,きのこ料理を食べて, その毒にあたって,激しい下痢に悩む. さらに旅を続けるが,クシナーラで倒れる.

良寛の死因は,直腸ガンかと推察される. 1830 年 11 月に激しい下痢を起こし,12月25日危篤,翌年1月6日入寂.

4. むすび

後世「僧にあらず俗にあらず」といわれた良寛の生涯は, しかし,ブッダの実人生と響き合うものがあるとすれば, 実は,もっとも僧らしい,といえるのではないか.

【参考文献】

良寛と貞心尼 http://www6.shizuokanet.ne.jp/murakosi/R_T.HTML (遺跡&関連図書あり)

安藤英男,良寛:逸話でつづる生涯,鈴木出版,1986 年.
中村元選集〔決定版〕第11巻ゴータマ・ブッダI,春秋社,1992 年.
中村元選集〔決定版〕第12巻ゴータマ・ブッダII,春秋社,1992 年.
上記の本を参考,引用させて頂きました.