カメラ銘器列伝

1997年5月16日

1998年5月18日 Olympus L-20 追加


いきなり題名と矛盾するようだが、カメラに銘器は存在しないともいえる。 おっと、その議論の前には「銘器」の定義をしなければいけないが、 一般に、

なども銘器の定義として適当であろう。 しかし趣味的な立場から見て一番魅力のあるのは という定義である。 しかし、カメラに酔うのはどうにも無理のようだ。 つまりカメラが良く出来て手に馴染めば馴染むほど、 その良さは自然さの中に解消されていって、 意識にのぼらなくなる。 そしてその人にとってはそれが普通のカメラになってしまう。 たまたま他のカメラに触れたときに「何だこれは」という ことになって、初めて分かる、ということになる。

これは車やオーディオや、あるいは時計でさえ、 馴染んだ機械でもその動作によってユーザを 酔わせる瞬間が依然として存在するというのと対照的である。 銘カメラが人を酔わせるのは、ただ出来上がった写真に おいてのみある。


OLYMPUS OM-2n

一眼レフのM型Leicaというべき傑作である。 OM-1が1975年に発表されたときはM-1という名前を持ち、 ライカからのクレームによって改名したというエピソードに 象徴されるように、OMシリーズがM型ライカを強く意識して 作られたことは、ディテールのそこここに現れている。

まず、カメラの横幅136mmと、重さがLeica Mに合わせてあること。 OM-1の重さは510g, OM-2は515gで、これに電池の重さを加えると、 Leica M4の540gに一致する。 それまでの一眼レフはミラーボックスの分だけ距離計機より大きく、 ペンタプリズムの分だけ重くなるのは必然と思われていたので、 一眼レフがLeica Mの大きさに回帰したことは嬉しい喜びであった。 次に絞りリングを先端に持ってきたレンズのデザインである。 これは距離計機では普通だが、一眼レフではピントリングが 前にあるのが普通で、OMマウントのズイコーレンズだけが ライカ式になっている。 また絞りリング、フォーカスリングの回転方向もライカに合わせてある。 シャッター速度リングもそれらと同軸にレンズマウント基部 配置したことは、Nikomat FTから借りてきたアイデアであるが、 これにより、一眼レフの宿命であるミラーボックスの出っぱりを 視覚的に軽くしている。 また、シャッター形式もライカと同じ横走り布幕式で、 幕速を無理しない代わりシャッターショックが軽くなっている。 その結果OM-1/OM-2/OM-2nのシャッターは、ミラーの動作も含めて AF以前の一眼レフのなかでもっとも音・ショックの軽いもので、 距離計機に近い。無理に言葉で書けば「しゅた」という感じで、 ほぼ文句のない感覚だった。

その上ライカの真似だけに留まっていない。 第一の長所は、ファインダーがNikon Fシリーズに次ぐ 97%の視野率を持っていたことで、最近のAF一眼レフが視野率に関しては 非AF機より退化しているものが多いこともあって、この大きさでは 並ぶものがない。

また、1979年のOM-2ではマニュアル露出機のOM-1と同じサイズで 絞り優先AEを実現し、同時にフィルム面からの反射で測光するという アイデアを実現した。 これは、シャッターを切る前に露光時間を確定するのではなく、 実際の露光量を測定しながらいつシャッターを閉じるか決定する ものである。 ただし、フィルムの種類による反射率の違いという不確定要素も 持ち込むことになり、必ずしもその後主流になったわけではない。 つまり、ストロボ同調速度より速い速度では、ほとんどがシャッター幕 という反射率の管理された面からの反射を測ることになり、 問題は生じないが、より低速シャッター秒時では問題になり得る。 ただ、実際に問題になったというケースは聞いたことがない。 少なくともストロボ使用時においては、フィルム面からの反射を測って ストロボの発光量を制御するという、ストロボダイレクト測光以上に 確実な方法はなく、今日では常識となっている。 もっともストロボダイレクト測光はOM-2の翌年ミノルタが始めたもので、 オリンパスはOM-2nで取り入れたものだ。 1984年には、ついにライカがM6でシャッター幕測光を取り入れ、 オリンパスのアイデアがフィードバックされたのである。

OM-2nはもっとも洗練されたもので、OMシリーズではこれにとどめを刺す。 OM-10は廉価版なので感触は別物。 OM第2世代というべきOM-3/OM-4は、測光系において重要な改良が2点 行なわれた。第一は液晶リニアスケールメータにより 露光補正量がすぐ分かるようになったことで、3点LED表示や 指針よりずっと定量的である。 これは今のキャノンEOSが受け継いでいる。 第二は中央部重点測光とマルチスポット測光との良く考えられた 切替えができること。 ただし、その代償として測光用のサブミラーがメインミラーの 後ろに加えられ、シャッターを切った時の感触が 「きゃっしゃん」というように、大きく損なわれてしまった。 このサブミラーによる測光はニコンがF3で始めたものだ。 測光はカメラ本来の機能からいえば、ずっと後で組み込まれた付加回路であり、 そのためにより本質的なシャッターが損なわれてしまったのは 残念である。 OM-2nもOM-2spot&programにモデルチェンジしてサブミラー付きと なったとき、OMシリーズは実質的に「終った」。

PENTAX MZ-5

OM-2の魅力をAF時代に甦らせたのがペンタックスのMZ-5である。 OM-2n、Nikon FE2など手巻き上げ絞り優先AEでほぼ完成を見たマニュアル フォーカス機が次に目指す方向は、プログラムAEとワインダ内蔵であったが、 どちらも決定的インパクトに欠けていた。 しかしミノルタがαシリーズで先鞭をつけたAF化は、 たちまちほとんどのメーカを巻き込み、一眼レフに一大変革を起こした。 しかしAF、ワインダ、ストロボをカメラ本体に取り込んだことによって、 ボディ、レンズとも再びブクブクと肥大化し、MF機で大切にされた ファインダやピントリングの作りといった細部が無視されてしまうようになった。 だからこの変革は、僕にとっては破壊でしかなかった。 αを展開していく過程であの素敵なCLEを簡単に見捨ててしまったこともあって、 ミノルタは信用を失い、ハネウエルに特許料を大枚巻き上げられて以降、 ジリジリとキャノンに差を付けられてもはや落伍寸前なのは、 因果応報ともいうべき世の中の摂理であろう。 TC-1でハイクオリティコンパクトなどいっても今更だれが信用するものか。

さて、PENTAXだが、MF時代は「どんなにいいカメラでもペンタ部に PENTAXのロゴをつけた瞬間にカッコ悪くなる」といわれたくらい、 べったり貼られた「アマチュア向け」のレッテルは重く、 スクリューマウントからバヨネットマウントの 切替えに手間取ったり、AF機時代も鳴かず飛ばずが続いた (OLYMPUSよりは良くやっていたが)。 ただ、高く評価されるのはKマウントを公開したことで、 リコー、コシナ、チノンなどが採用して、共通マウントという基盤を 形成したことが、これら泡末メーカの生き残りを可能にしたといって良い。 独自マウントを採用した下位メーカはフジカ、コニカ、マミヤなど みな135版一眼レフから撤退してしまった。

まず第一に、AF、ワインダ、ストロボを内蔵してかつ横幅135mm という、MF時代のPENTAX Mシリーズと同寸法に回帰したことは、 OM-2の勝利を20年後に再び甦らせたといえる。 ボディの合成樹脂化やペンタプリズムをダハミラーに 置き換えたことにより、重量はむしろ400gと20%以上も軽くなっている。 ただしレンズの外形についてはどうしようもないようだ。 第二にシャッター音が非常に軽いこと。ミラーチャージをスプリングでは なくモータで行なうようになってミラーショックについては手巻き上げ時代 より有利になったが、ZX-5はこの点に関しても大変頑張っている。 サイレントEOSより、なんと距離系機でミラーがないContax G-1よりも シャッター音が静かで、現行一眼レフ中ではもっとも優れている。 もう一つ大きい問題であるシャッタータイムラグについても 最近のAF機は50ms前後とむしろMF機の70ms前後から 短縮されている。プログラムAEの導入にともなって一時期 タイムラグが100ms超まで伸びた機種もあったのだから、 これは大きな改善点といえる。 第三に、変てこりんな操作を廃して、MF時代とほぼ同じダイヤル式の、 あるべきところにあるべきものがあるシンプルな操作性を採用したこと。 この点でも現行AF機中最善で、ニコンが最悪である。 もっとも、一眼レフに最初にボタン操作を導入したのはPENTAX ME super だったのだから、これは皮肉な自己否定なのだが。

MZ-3 が上位版として出たが、機能的には優れているものの、 シャッターの高速化によって音質が悪くなってしまった。 MZ シリーズに共通する欠点は、質感の悪い材質による 擬古的なデザインである。

だから、このMZ-5も歴史に残る銘カメラになる、 と予言しておく。

Nikon F

上の二機種が「手に馴染む」という容れものから規定した作り になっているのと対照的に、Nikon Fシリーズは要求される機能を 積み上げていって結果的にこうなりましたというものである。 だから初代から最新のF5に至るまで、重過ぎ大き過ぎなかったことはない。 プロはそれでも仕事だから仕方がないけれど、アマチュアにはどうしても 負担になる。しかし、それでもFは無視できないのは、高過ぎるLeica Mが 無視できないのと同じで、カメラの歴史の中に占める位置がそれだけ ユニークだからである。

1950年代から60年代に掛けて、距離計機でライカを凌ぐことは難しいと 判断した日本の各メーカは、一眼レフに賭ける決断をする。 ニコンは後に銘器といわれるようになる距離計機S型ニコンを基にして、 一眼レフ化したFを作った。 まず、Fシリーズは M 型ライカより作りが堅牢である。 次にレンズの選択の自由度は特に望遠系では一眼レフが圧倒的に有利、 しかもニッコールレンズは決してライカのレンズに劣らないと いう評判が立ったことから、 報道写真などのプロユースを手初めに、 市場から距離系機が駆逐されてしまうことになった。

Fは15年間以上生産されたが、この時代は一眼レフの組み込み露出計の 進歩の歴史の前半に当たっている。 最初のモデルには露出計は付かなかったが、 Fはファインダー脱着式であるため、 技術の進歩にともなって露出計付きファインダーは何種類も作られた。 新しいファインダーは後付けで交換が可能であり、 これが長い商品寿命を可能にしたともいえる。 最初はCds外光式のフォトミックファインダーで、 TTLではないためレンズ交換に測光角度が連動しない、 露出系のスイッチは測光穴の蓋の開閉で行なう、 形も不格好、と洗練されたものではなかった。 その後フォトミックTファインダーでTTL化が測られ、 フォトミックFTを経てフォトミックFTnファインダーで 完成の域に達した。

Nikkorex samnail Nikon F の写真や実物は出回っているので, ここではやや珍しいと思われる Nikkorex の写真をだそう. F と同世代の Nikon 初の普及機で,Nikomat より古い. 上に載っかっているのはセレン式クリップオン連動露出計である. コパルスクエア縦走りユニットはシャッター音でかい. 十年以上前に新宿のサービスセンターに持っていったら,お姉さんに 「このカメラまだ写るんですか」と聞かれてしまったというシロモノ. 「もちろん」と答えたが,立場が逆だと思うぞ. レンズは 58mm F1.4.バックフォーカスの長い一眼レフでは, 50mm F1.4 レンズの設計が困難,なんていう時代があったのだ.

残念なことは、ボディの修理は現在も何とかなるらしいのだが、 これらの露出計はもはやサービスの対象にならないということで、 その上昔のカメラが良く使っていたH-D水銀電池が、 代替品の供給を日本の電池メーカがサボタージュしているために、 入手困難なことだ。 SR44を付けるアダプタはかろうじて存在するが、数千円して結構高い。 アメリカではPX625Aという型番でアルカリ代替品が売られている。 そこでニコンさん、これからはレトロフィットキットが流行る でしょうから、F用の新型ファインダーを作ったらどうでしょう。 Ai対応のマルチパターン測光付き、名前はフォトミックFAでしょう。 機構を共通にしたF2用と一緒に出せば、ある程度の数は出るのではないか。 少なくとも僕は、買うな。

こんなことを考えるのは気の変なアマチュアだけであろうか。 プロは撮影枚数が桁違いだし、機材との付き合いもビジネスライクだから、 短期間にモトを取ってしまえば、古い機械は捨ててしまって毫も構わない。 アマチュアは撮影枚数が少ないし、ギャラでモトを取る見込みもないから、 プロ用機材の金額を払って楽しもうとするときには、 それは、値段の分長持ちする、「ひょっとして一生もの!?」という期待に 転化せざるを得ないのだ。

何を作るどのメーカーも新しいものを買わせた方が儲かる、 アフターサービスはコストばかり掛かるというが、それはおかしい。 というのは、新しい製品を作るには、開発費、設備投資、 原材料費、宣伝費など色々なコストが掛かり、 利益率はそんなに高くない。 しかしアフターサービスは大部分が手間代、つまり 働いた分丸儲け(社員にとっては)なのだ。

高知県安芸市は、鉄道が通っていないこともあって観光客が少なく、 訪れると気持ちのいい場所だが、三菱会社の創立者岩崎弥太郎の 出身地なので、歴史博物館には意外な掘り出しものが残っている。 その一つは五島光学のアンティークなプラネタリウム本体装置なのだが、 説明によると、倉庫から発見されたとき会社に問い合わせたところ、 古い機種のため修理は不可能、と断られてしまったという。 従って、この展示物はかつてプラネタリウムであったガラクタに過ぎない。 会社の名誉にかけてレストアしましょう、という気概はないのか、 歴史を大切にしないといつか後悔するぞ、とそのとき僕はとても がっかりしたのでありました。

自社の製品に伝説的な評判があったら、と願う会社があるなら、 それは簡単なことである。一言「我社が存続する限り直します」 といえば良い。 ニコンは日本のカメラメーカの中でちょっと格別な存在と見なされているが、 旧型機をどんどんサービス終了品にしていくことで「ニコン伝説」 をも放棄し、自らを普通の会社におとしめているのだ。

Leica M6

ライカについてはあまりにも多くが語られ過ぎ、 ライカ賛話が先行して、偶像化されてしまった。 しかし、カメラを愛玩物やコレクションの対象としてではなく、 飽くまで写真をとる道具としての機能性で捉えようとする我々は、 特別仕様ボディやクラシックレンズの味についての蘊蓄は、 素通りしてしまって構わない。 そもそも記念限定品などでプレミアムを付けるような商売を メーカ自らやり出すということは、実用品としての立脚点を 放棄したことを認めたわけで、嘆かわしいことだ。 国産カメラと比べたとき、機械としてのMボディの価値は せいぜい15万円位が適正であろうと思われる。 上積み分は、Leica gmbhの維持会費のようなものであろう。

M 型ライカに価値を見出すかどうかは、 撮り手が一種のミニマリズムの持ち主であるかどうかに掛かっている。 望遠は135mmが限度だし、ズームも無理だから、 望遠の写真がとりたい人はライカを選べない。 マクロ撮影もできない。 かつてはマクロ撮影用のレンズや附属品が作られていたけれど、 明らか一眼レフのほうがずっと向いているのだから、 無理してライカで撮る意味はまるで無い。 ワインダーは付くが、自動露出も自動焦点もないから カメラに自動化を求める人にも向かない。 どうせ買うなら、最大限の可能性を持ったカメラを買いたい (これが正に、国産一眼レフシステムの唱い文句なのだが) と思うのは、ごく当然なことであり、 そのときM型ライカは視界の外に消えてしまう。

しかし、写真には二つの方向がある。 一つは肉眼を越えた世界を撮ろうとする方向で、 これには一眼レフが必須である。 もう一つは、自分の目に写るこの世界の感動をそのまま撮ろうとする 方向で、このスナップ写真という分野では人間の視野に近いレンズを使う。 自分の撮りたいものがはっきりし、一眼レフの可能性がそのまま 自分の必要性ではないということに気付いたとき、 M型ライカは、カリスマとしてではなく、現実の選択として甦る。 結局35-105mmズームで足りちゃうんだよね、とは良く言われること。 目で見る対象を全体として捉えたいときには35mm、 特に注視するものに焦点を合わせたときには90mmと この二本さえあれば良い。 必要なら、50mm、28mmだって使える。 と、考えると、貧弱に思えた M 型ライカのレンズ選択肢が、 実はスナップを過不足なくカバーするものであることに気付く。

また、大切な人の表情を捉えようと試みる体験を通じて、 一眼レフのシャッタータイムラグ、像の消失、ミラーショックが どれほど気になるものか、 便利には違いないズームも、旅行に出てみればあまりにもしばしば 起こる逆光ではやはり全幅の信頼はできず、また、開放f値の暗さと、 開放での画質低下が、どれだけ夜景の撮影を制限するものか、 次第に分かってくる。 大抵の一眼レフにはフラッシュがついているけれど、 フラッシュは何もかも台無しにする以外の役には立たない。 あれほど憧れた大口径レンズも、つくづく眺めてみると ひょっとしてただのペニスの象徴なんじゃなかろうか。 そんな風に思うようになったとき、M型ライカはあなたにとって かけがえのない選択になるだろう。

いわゆる「ブリッジカメラ」

ライカだって未来永劫今のままでいいわけではない。 過去にはバルナック型ライカからM型への切替えがあったし、 立ち止まったら徐々に死んでいくだけである。 距離計機の新しい姿を考えたい。

そのとき思い浮かぶのは、高倍率ズームを装備した 日本製ブリッジカメラの存在である。 これには距離計AFのOLYMPUS ISM300/330や CANON Autoboy Jetシリーズと、 レンズ固定式一眼レフのOLYMPUS ISM400 及び L シリーズ(次節参照)、 Chinon Genesis の二種類あったが、 ここで注目したいのは距離計式の方である。 現在このカテゴリには、より小型化された望遠コンパクトズームに とって代わられて現行製品がない。 その望遠コンパクトズームは、f値の暗さ、ファインダー倍率の 低さなど、本格的な撮影に使えるものではなく、 素人だましの望遠競争に堕してしまっている。 敢えて挙げるとすれば、CANON Autoboy SII は、オートボーイ JET135 の 性能を半分の重さで実現したものとして評価される.

しかし、例えばポラロイドスペクトラのように良くできた実像ファインダーは、 ライカのファインダーより見やすいし、組み込み視度調節機能は便利である。 一眼レフ用の標準ズームレンズ並の口径を持つズームと、 単焦点レンズを交換できる、実像ズームファインダー装備の 距離計カメラを、ライカの造りで作ったらどうかなあ。

ISM330 samnail OLYMPUS ISM330 は,このまま忘れ去られてしまうのは惜しいコンセプトの カメラ.格好いいでしょう. レンズもオートフォーカスもイマイチで,完成度は低かった. 当時これをメイン機にしようと企んだ僕は,何も分からず 青臭い理想に燃えていたのである.

Olympus L-20

一眼レフ式ブリッジカメラは、オリンパス L-20 一機種だが、
IZM-400 --> L-1 --> L-2/L-3 --> L-10 --> L-10 Super --> L-20
と歴史を経て、熟成を重ねてきた。 転機になったのは L-10 で、 短焦点側を 28mm に拡大し、 さらに非球面レンズを採用して構成枚数を 15 枚から 11 枚に 減らすことができた。 その代わり外装は安っぽくなったが、L-20 ではだいぶ回復してきた。 所詮作りはコンパクトカメラとチョボチョボなものの、 28-110mm のぎりぎり実用になる明るさ f4.5-5.6 のズームレンズを 装備して 620g の軽量コンパクトはこれだけである。 また、シャッターショックも軽く、PENTAX MZ-5 よりは大きいが MZ-3 並じゃないだろうか。 欠点は、本格的な一眼レフに比べてファインダー倍率/視野率が 若干低いこと、AF がすこし旧式なことである。

バルナック型ライカ使いとして知られたカメラマン木村伊兵衛は、 かつて、「カメラはレンズ込みで 500g まで」といったそうだ。 ライカ自身も M 型ではこの理想から遠ざかって久しいが、 実用になるズームレンズを備え、かつ木村伊兵衛の理想にもっとも近い カメラがこの Olympus L-20 だといえよう。

Rollei 35

カメラ屋の店員ですら、コンパクトカメラを指して 「こんな小さいレンズじゃ写りは期待できませんよ」、 ということがあるが、それはひどい。 コンパクトカメラの写りが悪いのは別のトレードオフの結果で、 レンズの大きさと画質には本来全く関連がない。 それを実証するのがこのRollie 35である。 最小の135版カメラというボディサイズや沈胴鏡胴に目が行くが、 ここではカールツアイスレンズの写りに注目したい。 というのは、金属性ボディの外板が割合薄く華奢なので、 毎日持ち歩くような超小型カメラに当然期待するような使い方をすると、 2, 3年でガタガタしてきてオーバーホール行きになってしまうからだ。

テッサー40mm f3.5 (3群4枚)と、ゾナー40mm f2.8 (4群5枚)の 二種類があるが、僕が知っているのはテッサーの方である。 市場ではゾナーの方が評価が高いけれど、焦点調節が目測式のため、 開放f値が明るくてもますますピントが合わなくなるだけで、 実質的な価値はないように思う。

このTesserレンズ、Summicron 35mm f2.0やNikkor-H 50mm f2.0 より良いように見えるし、サービス版の写真を友達に見せてもやはり そういうからきっとそうなのだろう。 データの裏付けもないし言葉で表現するのは難しいが、 撮ったときの空気にすとんと入っていけて胸がキュンとなる、 そんな感じがする。 色彩も、枚数の多いレンズに見られるペンキのような肉盛りの厚い色ではなく、 水彩風のすっと抜けていくような色である。 無理なくきちんと設計された構成枚数が少ないレンズの効果は それほどのもので、f2.0を実現するために変形ガウス型で6群7枚も あるズミクロンではとても敵わない。 理論的には、ザイデルの5収差を全て制御できる「アナグスチマット」 レンズの最小枚数が4枚なのだそうで、また枚数が少ないほうが 内部反射が少ないからコントラストは高くできるし、 製造時のバラツキも少なくなるだろう。

コンタックスやリコーのパンケーキレンズの根拠は、こんなところにある。