読書備忘録

これは,返さなければならない本についてのメモです. 単なる備忘録であって,読書日記でも,おすすめでもないです.

アメリカ高等教育におけるeラーニング日本への教訓

吉田文著,東京電機大学出版局,2003年.

p. 235 終章 9.進化か革命か より

 営利大学のようなビジネス主導で進むeラーニングは,キャンパスにおける教育や研究を行う 非営利の高等教育機関とは別種のもので,それまでを変えることはないという見方もある 一方で,ビジネス主導のeラーニングによって,研究大学の教育・研究活動が脅かされるのでは ないかという報告書が話題を呼んでいる.その報告書によれば,研究やキャンパスにおける 学生に対するサービスは,大学の使命としてコストを度外視して行ってきた活動であるが, ITの浸透によって大学は収益性を重視するようになり,予算配分の方法,大学経営の手法など が変化し,研究や学生サービスの機能が弱くなる恐れがあるという.その問題にどのように 対処すべきかが論じられているのである.

 また,eラーニングには職業と直結した内容が多くても,それはあくまでも訓練の世界であって, 教育に課せられた学問知の伝達や人間形成の重要性は減じることはないという考え方は 依然として根強くあるが,他方で,リベラル・アーツをeラーニング化することを使命とする Grobal Education Networkのような機能もある.

いかにも理工系の秀才らしい構成の明確な本で,僕らにとってはとても 読みやすいですし,内容も興味深いです.eラーニングをプロモートする 立場でありながら,問題点にも光をあてています.

 

高度情報社会の大学―マスからユニバーサルへ

マーティン・トロウ著,玉川大学出版部 2000 年 5 月.
2005年6月27日読了.

序文より

高等教育の課題およびそれへの対応策は,「エリート型」高等教育から, 「マス型」高等教育を経て,ついには誰もが何らかの形で 中等後教育を享受できる「ユニバーサル型」へと向かう大きな歴史の 流れとして展望してみると,より一層理会しやすくなるだろう.

オルテガ・イ・ガセットの 「大学の使命」(邦訳は同じ玉川大学出版部)では, 歴史的に見て大学は教養教育の場として始まったとしている. 産業革命のあと研究が過度に重視されるようになったが, 再び教養教育に戻るべしとガセットは論じている. この「高度情報社会の大学」では,ガセットの第二段階, つまり進学率15%未満で学者や官僚の養成を目的とする「エリート大学」 から考察をスタートさせ,進学率50%未満の「マス型」大学を経て 誰でも大学で学ぶチャンスがある「ユニバーサル型」への変化を 歴史的発展段階として捉えている.

これを日本に当てはめて考えると,いわゆる「大学全入時代」の到来は, 受験勉強をしなくてもどこかの大学に入れるのが日本型ユニバーサル化, ステータスの高いエリート型大学への受験競争は依然として残るのが 大学の多様化ということだろうかと考える.

幕末政治家

福地(源一郎)桜痴著, 岩波文庫 2003 年 11 月
2003 年 12 月.

「徳川幕府末路といえども,その執政・有司中あえて人材なきには非ざりき」. という源一郎の人物論. 解説の佐々木潤之介は,桜痴の同時代史だというのだけど, 桜痴自身,江戸開城当時はただ幕府のために残念に思うだけだったと 別の本でいっているから,幕府衰亡を必然とみての人物論は後知恵の回顧録と いうべきであろう. 衰亡しつつある組織にどんな人物が現れ,どんなことが起こるのか, 興味深い本である. 身動き取れない組織の老朽化,党派争い,連携の悪さ.

古いメディアが新しかった時―19世紀末社会と電気テクノロジー

キャロリン・マーヴィン著,吉見俊哉他訳,新曜社,2003年
2003 年 11 月.

新しいテクノロジーは,社会を変えるのか(技術決定論), それとも社会は既存の秩序を強化するようなやり方で技術を受容するのか, インターネット,携帯電話など,新しいメディアがつぎつぎ登場する 現代においても示唆に富む本.一種のデジャブ感すら覚える. 工学部の人間にとっては,電気技術者が技術リテラシーを武器に 非技術者を疎外し,自分たちの社会的ステータスを確立しようとした 過程は,現代につながる雰囲気があって面白い. 著者は女性だが,まったくそうと感じさせない筆致も興味深い.

アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー

マーク・トゥエイン著,砂川宏一訳,彩流社,2000年
2003 年 10 月.

タイムスリップした電気技師が,どうやって古代イングランドの人々を 教育していくのか,そのプロセスの描写に興味があったのだけれども, 期待は裏切られた. 主人公の組織内の人は都合よく教育され,それ以外の人は都合よく蒙昧である. 文明の只中にいながら,テクノロジーを利用するばかりで理解しようとしない人を 「都会の野蛮人」というそうだけど,そのような「都会の野蛮人」が 仮にタイムスリップしても,なすところないに違いない. その辺に大きな課題があると思うのだけれど,この本が参考になると期待したのは お門違いだった.

ビジョナリーカンパニー

ジェームス・C・コリンズ,ジェリー・J・ポラス著,山岡洋一訳
日経BP出版センター 1995 年
2003 年 5 月 20 日終り.

ビジョナリー(夢想家,予言者)というのは, 人のことをいうのだとずっと思っていた. スティーブ・ジョブスとか,ジュール・ヴェルヌとか. しかし,この本によると時を告げる「偉大なカリスマ的指導者」 が企業にいることは重要ではなく,むしろ時計を作ること, つまり特定個人の才能を越えて,人材を組織的に育成する会社を 作り上げる方が大切なのだそうだ.

新宗教と巨大建築

五十嵐太郎著 講談社現代新書 2001 年
2003 年 3 月.

新宗教と実は縁のないでもない志田ですが, この本は建築の本というより新宗教の概説書として読みました. というのは,志田には巨大建築への希求というのがまだ よく分からないからです.

中村元選集別巻二「普遍思想」

中村元 春秋社 1999
2001 年 12 月はじめ 2002 年 1 月 21 日終り.

261-262 頁より

「わたくしは修行僧のなかまを導くであろう」とか, あるいは「修行僧のなかまはわたくしに頼っている」と このように思う人こそ,修行僧のつどいに関して何ごとかを 語るであろう. しかし向上につとめた人は「私は修行僧のなかまを導くであろう」 とか,あるいは「修行僧のなかまはわれに頼っている」とか 思うことがない. 向上につとめた人は修行僧のつどいに関して何を語るであろうか. (「大パリニッバーナ経」二・二五)

このように説いたあとで,開くとすれば,

この世でみずからを島とし,みずからをよりどころとして, 他人をよりどころとせず,法を島とし,法をよりどころとして, 他のものをよりどころとせずにあれ. (同,二・二六)

と説いているのである. ゴータマ・ブッダは右の言からも明らかなように,自分が 教団の指導者であるということをみずから否定しているのである. たよるべきものは,めいめいの自己であり, それはまた普遍的な法に合致すべきものである.

ソフトウェア文化を創る1:ワインバーグのシステム思考法

G. M. ワインバーグ著 大野とし郎監訳 共立出版 1994
ISBN4-320-02706-X 2900 円
2001 年 10 月 3 日始め 11 日終り.

まえがきより

もし読者が質問応答機械の後ろでずっと長く足踏みしていたくないなら, 読者に必要な三つの基礎的能力があることをわたしは学んできた.
  1. 何が起こっているのかを観察し,観察の重要性を理解する能力.
  2. 難しい人間関係のなかで,混乱したり,腹を立てたり, あるいは逃げ隠れしたいときでも,一貫して行動する能力.
  3. 複雑な状況を理解する能力(この能力によって,プロジェクトを計画し, それを観察し行動し,あるいは計画を変更することが可能になる)

感想

ワインバーグの本は,どれも面白い. これも,単なるソフトウエア開発の本というより, マネジメントについての啓発書と読める. 日本の大学が困難に直面し,ますます泥ぶねの様相を呈しつつあるなかで, 図書館では,ワインバーグの本が日に焼けるばかり,というのは, 皮肉を感じる. しかし,そういうものかも知れない. 時代が進んで,いかに人類の知識の総体が増えようと, 一人一人がそんなに偉くなるわけではない.

どう書くか:理科系のための論文作法

杉原厚吉著(東京大学) 共立出版 2001
ISBN4-320-00563-5
2001 年 7 月 4 日

まえがきより

読者を楽しませたいという視点を私自身がもつようになった 直接のきっかけは,若い頃に学会での発表講演に何度か失敗して みじめな気持ちを味わった個とだったと思う 一生懸命に準備をして,一生懸命に発表したにもかかわらず, 言いたいことが聴衆に伝わらなかった. はじめは,自分のどこが悪いのかわからなかった. しかしそのうち,私の注意が自分のいいたいことだけに集中して しまっていて,聴衆が聞きたいことは何か, 聴衆の予備知識はどれほどなのかというところまで考えが及んでいない のが原因だと気づいた.

感想

「論文の書き方」の本はたくさんあるが, 文章構成法,用語,記号などミクロなテクニックだけの 本は憂鬱である.その本を読むこと自体が魅力的でない. 一方,作家が書いたような文章論は役に立たない. この本は,基本姿勢の部分と,具体的な部分が程良くミックスしていて, 僕自身が,教わったり考えてきたことに今のところ一番近い. ただし,発表の意図「聴衆を楽しませる」ことについて, まだ遠慮がちなところが不満. もっと強く,「聴衆に望む反応を引き起こすことが目的である」 言い切ってしまえばよかった. 「テクニカルライティング」の教科書にいいかも.

科学技術の社会変容

奥田栄著(日立総合計画研究所) 日科技連 1996
ISBN4-8171-6180-9 2800円
2001 年 5 月 28 日読む

まえがきより

科学技術と社会の関わりを扱う分野を科学技術社会学と 呼ぶのはごく妥当であろう. しかし,科学技術社会学なるものはまだ確立した学問分野とは なっていない. それは,科学社会学,科学史,技術史,また政治学や経済学のうち 科学技術にかかわる一部といった,さまざまな分野の寄せ集めに過ぎない. 現在,寄せ木細工の継目をなくそうとする努力がさまざまに払われており, 本書もそうした試みのひとつに位置づけられるであろう.

キーワード

  1. 技術決定論 p. 2
  2. スイフト,ガリバー旅行記, p. 28.
  3. クーン,科学革命の構造, p. 108.
  4. Hughes, Networks of Power, 1983, p. 128.

本が死ぬところ暴力が生まれる

バリー・サンダース著 杉本卓訳 新曜社 1998 (原著 1995)
ISBN4-7855-0652-1 2850 円
2001 年 4 月 24 日はじめ,5 月 14 日読了

「訳者あとがき」より

崩壊しつつある「自己」をとりもどすためには, 識字の根源にさかのぼって,口承世界での経験を大切にしなければならない. 声を回復することによってはじめて,本来の識字化が可能になり, そこから解決の糸口が生まれるだろうというのが, サンダースの考えの中核であろう.