極私的読書案内

あるいは貧困なる読書体験の告白

あまり褒め言葉は並べてありませんが、 ここに出した本は、志田の限られた読書体験の中で 特別な地位を占めるお勧めです。

何をするにも最後には国語力が効くということは、 常に感じています。 まずはむさぼり読むことしかありません。

2003年01月21日みうらじゅん+いとうせいこう追加
2001年01月9日一部加筆
2000年8月14日三田村鳶魚追加
1998年10月19日中村元追加
1998年02月17日一部加筆
1997年05月17日一部加筆修正

見仏記
文:いとうせいこう, 絵:みうらじゅん

1993 年に中央公論社より単行本発刊. 1997 年に角川文庫に収録される.

平成の知性はどこにいるだろうか. 八方探しているなかで,第一候補として浮上してきたのが 「みうらじゅん」である. みうらじゅんはなぜえらいか.

  1. 「流行」以外の場所から,新しい価値を発見する眼力がある. すなわち「マイブーム」である.
  2. 自分の確信に基づいて研究を推進する自信がある.
  3. 命名による再発見(カテゴライジング)がうまい. 「とんまつり」,「いやげもの」,「カスハガ」,「ムカ絵馬」など.
  4. しかも,その価値判断が偏屈・マニアックな領域に留まっておらず, 他人を説得できる普遍性をもつ(注).
  5. 取り上げる対象は,むしろ学問的にオーソドックスなものが多い. 「見仏記」なら仏像,「とんまつり」なら民俗学であり, 怪獣,レコードなども現代文化論の対象になる素材である. そのオーソドックスな対象を,みうらじゅんの視点で扱うことによって, アカデミックな取り扱いには興味を示さないであろう層に訴求する力 が生まれる.
  6. イラストを描き,アートの感覚がある.
  7. つまり,現代日本における「エデュテイメント」の第一人者といっていい.
上に挙げた要素はすべて,学者の資質として決定的なものであり, みうらじゅんの仕事はフィールドワークと呼んで何ら差し支えない. 梅原猛の仕事と比べてみれば,共通点が分かるだろう. とくに美大出身でアートのセンスがあるのが強みである. 唯一の弱点は理論だが,それは いとうせいこう がこれからやればよい. まだ40歳台と若く発展途上であり, すでに枠組の固まった赤瀬川源平とはスケールが違う. 今後どのように展開するか実に楽しみである.

(注)偏屈で不毛な価値判断とは,たとえば, オーディオアンプにおける真空管 VS トランジスタの議論とか, V型6気筒の日産スカイラインはアリかとかの類である. みうらじゅんが,この種の不毛さを免れていることは驚くべき ことであり,彼の知性の健全さを表している.

<参考文献>

  1. いとうせいこう, みうらじゅん, 見仏記(2)仏友編, 角川文庫, 1999.
  2. いとうせいこう, みうらじゅん, 見仏記(3)海外編, 角川文庫, 2000.
  3. いとうせいこう, みうらじゅん, 見仏記(4)親孝行編, 角川書店, 2002.
  4. (DVD) ザ・スライドショーコンプリートボックス, パイオニア LDC/角川書店, 2002.


三田村鳶魚全集 第十,十一巻 (全二十七巻)
三田村鳶魚著 中央公論社

司馬遼太郎に続いて 1999 年には中村元まで亡くなってしまい, 寂寥の感(ひっそりとしてもの淋しいこと)がひしひしと身に迫るが, ひるがえってみると明治大正には恐ろしい奴がごろごろいたらしい. 赤瀬川源平が注目した風刺とナンセンスの大成者宮武外骨 (みやたけがいこつ)や, 博覧強記の博物学者である南方熊楠(みなみかたくまぐす)は, 才気が溢れかえっているけれど,その分鳶魚ほどの抑制が効いた凄みはない.

三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)は大正期を中心に活動した江戸学者, つまり江戸時代の風俗をあらゆる角度から調べたマニアで, 以降の歴史小説はほとんど例外なく鳶魚を種本にしている. その視界は大名のお家騒動から囚人の生活,相撲や芝居に及ぶが, 江戸期の性風俗をまとめた 10, 11 巻こそ,現代の私たちにとって示唆に富む. 僕がもっとも印象深いエピソードは「小便組」である. これは十代後半くらいの美少女で,大身の旗本あたりから請われて 支度金を取って奉公に出るのだそうだ. それが一週間か十日くらいすると殿様の布団へ寝小便をする. 殿様へきえきして実家に返すと,また次の奉公へでる,という商売だそうだ. 奉公にとった方でも表沙汰にしかねるため一時期流行したが, それを退治るのに,おねしょ治療として特大のお灸を据えることにしたら, 小便組の方で悲鳴を上げて以後やんだというなんともユーモラスな話.

現代日本の性道徳の様子を前代未聞と思い,アメリカから来た自由恋愛の 思想によるものか,フェミニズム思想に基づく女性解放によるものか, それにしてはアメリカとは大部様子が違うようだが… といぶかる向きは是非一読を. 江戸時代にも,今と寸分違わぬ状況があったのだ. これは日本がもともと持っている素質だったのである.

もちろん大部の鳶魚全集のその部分だけを強調することは間違っているが, 鳶魚を読んで封建制度の論理とその矛盾について考えることは, 異なった原理で組み立てられた現代社会についても, あるパースペクティブを与えてくれるだろう.

一方,鳶魚が書いた人物評論を読めば, 思想家としては評価されない理由が分かる. 日本でもっとも早い時期に共和制を考えたといわれる横井小楠 (よこいしょうなん)は,廃帝論を抱いたというので, 鳶魚からは罵倒されている. 日本初の通史である「日本外史」を書いた頼山陽は, 処女を何人も犯したというので儒者にあるまじき者とされている. しかし,女のいい分も聞いてみなければ本当のところは分かるまいから, 凡人並のずいぶん低い感情からでた評論とも思われかねない.


中村元選集 14 原始仏教の成立 (全 32 巻別館 11 巻)
中村 元著 春秋社

先年金沢に所用でいったついでに北陸海岸をドライブして、 吉崎御坊によることができた。 吉崎御坊は加賀一向一揆の本拠地の一つとして、 後で紹介する隆慶一郎の小説にも何度か登場することから、 興味があったのである。 しかし、ややさびれた雰囲気のお山も資料館も蓮如一色で、 一向衆のことは一切触れられておらず、得心がいかなかった。 当時一時的に一向衆が浄土真宗本願寺派の吉崎御坊を 武力占拠していたのであり、あれは吉崎御坊の歴史の一部ではないのだ、 というつもりなのであろうか?などと考えつつ早々に引き上げた。 それにしても、蓮如君ときたら奥さんが 5 人子ども 20 人いて しかも宗教者として後世まで尊敬されるとは、 スーパー大成功の人生といえよう。

科学を学んだものにとって仏教に対する疑問点の一つは、 形而上的な人生の真理を求める一方で、 客観的事実を大切にしないことであろう。 自分の寺の歴史を取捨選択するようでは、ちょっと信用できない。 中村元(なかむらはじめ)によると、これは日本の仏教に特有なことではなく、 仏教が成立した国インドの思考方法に根ざしたことらしい。 その証拠に、インドには中国のような正史がなく、 古代の国の興亡や王の在位期間などの暦年を確定することが 学問的に困難らしい。

もちろん、学問的な仏教学の系譜の中に位置付けられる研究であろうが、 僕が中村元を読んだ印象は、そのようなうさんくささから仏教を解放する ヒーロー、というものである。 驚かされたことを並べてみよう。

  1. 仏陀はインドの宗教的雰囲気の中にいた一人であり、 彼自身は特別な宗派を建てたつもりはなかったのだという。
  2. 大乗仏教は仏陀自身の教えを否定している点が多い。
  3. 日本に伝わった仏典は漢訳であるが、 これは中国人に受け入れられるよう儒教的見地から意図的に 書換えられている。
中村元自身は遠慮して書いていないが、僕の感想は以下の通り。
  1. 漢訳仏典により日本には歪んだ仏教が行なわれている。 仏弟子の名前一つにしても、目連あるいは目健連と呼ぶのと モッガラーナと呼ぶのでは心象風景は全く違う。
  2. しかも各宗派によって特定の経を重視するため、全体像が見えない。 それは、仏の信仰というのは名目で実は宗派の開祖信仰だからである。
  3. チベットなど漢訳以外の仏教の研究もだいぶ進んだようなので、 この辺で、仏教の再構築をする必要があるように思われるが、 それをやれば立脚点を失う宗派も出てこよう。 したがって、そのような動きは出てこないであろう。
僕はまだ全巻を読んだわけではないが、 どの巻を読んでも碩学の見識に圧倒される。 今まで読んだうちでは、冒頭に上げた 14 巻がまとまっている。 また 22 巻の「空の論理」は圧倒的で、 11,12 巻の「ゴータマ・ブッタI,II」も仏伝としてよい。 一方、いまいちなのは 23 巻「仏教美術に生きる理想」は、 写真が鮮明でないため、自分の頭の中に仏教美術のデータベースの ない人はよくわかならい。

24 巻の「ヨーガとサーンキヤの思想」は、著者も実践的なもの といっているヨーガを文献から論じようというもので、 パンチがない。「空の論理」などに比べてずいぶんうすっぺらく 感じられるのは、思想そのもののせいか、中村元のせいか分からない。 ヨーガで得られるとされる超能力、地中を泳ぐとか月に触れるというのは、 麻薬による幻覚であろうと考えられる。 ヨーガでは薬草を使うと簡単に触れているだけで、そのへんが 論じられていないのは、さすがの碩学もまじめ過ぎるのであろうか。


海女と天皇(文庫上下)
梅原 猛著 新潮文庫

知性はそれ自身では何も生み出さない。 データベースや推論ルールの集まりに過ぎない。 何かを生産するために、知性は モティベーションによって駆動される。 モティベーションには価値判断が伴う。 価値判断は感情的である。 従って、感情のない知性はあり得ない。

梅原猛(うめはらたけし)の本を読んで感じるのは、 知性を駆動する情熱の強力さである。 彼の著書が普通の歴史書と全く違う印象を与えるゆえんである。 そして研究書でありながら、ロマンである。

文学でないものが文学になってしまうのは、 よほどの素養がなければできないことだ。 例えば、民族学の柳田国男がそうだし、 「天気清朗なれど波高し」の日本海海戦の連合艦隊参謀 秋山真之(あきやまさねゆき)もそうだ。 但し、司馬遼太郎の「坂上の雲」によると海軍大臣 山本権兵衛(やまもとごんのひょうえ)は、「秋山の美文はよろしからず」 と、これを嫌ったらしい。 確かに、秋山自身はそういうことはなかったのだが、 それ以降の将校がこれを真似したため、昭和期に至って 美文が先行し、現実認識を曇らせ大害をなしたとはいえる。

理工学の書物がそのまま文学というのは更に難しく、 初めから筆すさびの随筆として書いたものを除けば、 ほとんど不可能なのではないかと思われる。 ドナルド・クヌースの本にはその雰囲気があるが、 ファインマンは随筆であってもそうではない。

もともとは哲学者であるが、古代史に魅せられた梅原猛の本は 多数あり、柿本人麿(かきのもとのひとまろ)を扱った 「水底の歌」(みなそこのうた)、 法隆寺を論じた「隠された十字架」、「聖徳太子」、 高松塚を論じた「黄泉の王」(よみのおおきみ) などが代表作であろう。 正直いって、彼の説がどこまで正しいのか、 僕には判断できない。 彼自身初期の著作の未熟さを後に認めていることもあり、 鵜のみにするのは危険である。

例えば、小墾田宮(おはりだのみや)の所在地として、 飛鳥、豊浦、大福の3つの説を検討して大福を取る部分の論証は、 かなりの紙面を費やして精密に論証している。 しかるに、道成寺(どうじょうじ)建立を奉行したという 道成(みちなり)卿が、紀氏、橘氏、藤原氏であったという 3つの伝承から、紀氏説を取るときには、論証らしい論証は 全くされておらず、納得できない。

完璧といえない部分はあるものの、いずれも既成の常識に 挑戦した血の熱い本であり、しかもきちんとした知的な 作業の裏付けがある。


竜馬がゆく (文庫版全8巻)
司馬 遼太郎著 文春文庫

演劇集団キャラメルボックスの役者 上川隆也(かみかわたかや)が 読んで「圧倒的に感動」したとパンフレットに 書いてあったので、手にとってみた。 司馬遼太郎の小説は好きで何冊も読んでいたのだが、 竜馬がゆくは大学の学部生の頃一度読み掛けて 他の作品に比べ印象が違うので途中でやめて しまったことがある。 この作品は読者を煽ってくる。 1993年から通読して、はまった。 志や、仕事について考えさせられた。

司馬遼太郎は昭和30年代後半から40年代前半に かけて、多くの歴史小説を発表したが、 「竜馬がゆく」は比較的初期の作品に当たり、 作品も若い印象を与える。

土佐高知城下の郷士(下級武士)坂本竜馬が、 幕末風雲に目覚め脱藩、空前絶後の倒幕貿易会社である 海援隊を組織し、薩長連合、大政奉還を実現させるという、 3つの大仕事を成し遂げた直後に暗殺されるまでの 生涯を描いている。 それに加え、西郷隆盛、桂小五郎、中岡慎太郎、武市半平太、 など大役者の生き方、多くの土佐藩の若者の群像を描き、 司馬流史観講義もふんだんに盛り込まれている。

司馬遼太郎の小説は戦国時代を取り上げた作品群と、 幕末を取り上げた作品群とそれ以外がある。 戦国時代の長編だけでも 「国盗り物語」(斎藤道三、織田信長)、 「新史太閣記」(羽柴秀吉)、 「播磨灘物語」(黒田官兵衛:くろだかんぴょうえ)、 「覇王の家」、「関ヶ原」(徳川家康)、 「城塞」(豊臣秀頼)、 「功名が辻」(山内一豊)、 「早春のもののふ」(長曽我部元親) があり、その他無数の短篇がある。 これらを読むことにより、斎藤道三から豊臣の滅亡まで 戦国時代のメインストリームと、その他の地方政権、 侍大将、脇役が描かれて、武士の社会での戦国時代の全貌が 浮き上がってくるようになっている。 この中での佳作は物語として「国盗り物語」及び「新史太閣記」、 を挙げたい。

幕末ものでは「世に住む日日」(吉田松陰と高杉晋作)、 「花神」(大村益次郎)で長州、「竜馬が行く」で土佐、 幕府側では「最後の将軍」(徳川)、 「新撰組血風録」(幕臣)、 「峠」で佐幕藩の運命を、 さらに維新の成立を断絶と捉えず、 「歳月」で江藤新平を軸に初期の明治政府を、 「翔ぶが如く」で維新後の西南の役までの薩摩を、 「坂の上の雲」で日露戦争までを描いている。 これらの作品群により幕府の終淵と明治国家の完成までが 重層的に描かれているのだ。 「竜馬が行く」以外での佳作として 「花神」及び「坂の上の雲」を挙げておく。

余談だが、司馬好みかもしれない挿話で、 「坂の上の雲」から洩れているものに触れておく。 信濃丸から「敵艦見ゆ」の報を送った三八式電信器を開発したのは 木村駿吉で、凱旋後連合艦隊指令長官東郷平八郎が木村を訪れて 礼をいったことは司馬も書いているが、この駿吉は、 感臨丸の提督格だった木村摂津守喜毅(せっつのかみ よしたけ) の子だそうだ。

再読、三読した後、もっと幕末について知りたくなり、 参考書も調べてみた。 すると、事実とは認められない記述がいろいろあると 分かった。 竜馬の生き方を学ぼうとする時、 事実とそうでないことははっきりさせなければなるまい。 これは3種類に分類されるだろう。

  1. 執筆当時は巷に流布されていた伝説が、 その後の研究で誤りと分かったこと。
  2. 竜馬についてのまとまったもっとも古い伝記小説は、 明治時代の「汗血千里駒」(かんけつせんりのこま) だそうである(志田は未見)。 司馬もこの小説を元にしているらしいが、 「汗血千里の駒」のエピソードのうち、 作者の創作になるものと、いい伝えとして存在するものの 区別が、今では困難な部分があろう。
  3. 作者が意図的に事実を変えたり、 素材を取捨した部分。

1については作者に責任はなく、 2については灰色といえよう。 明らかに3に当たる、史実を曲げて創作した点を挙げると、

  1. 「福岡のお田鶴さま」とのエピソードは創作。 竜馬の恋人の一人として重要な役割を果たすお田鶴さまだが、 どうやら実在しないらしい。 三条家に一時期奉公したり、竜馬から高まち袴やブッサキ羽織 など用意すべしという手紙を受けとったのは実在した別の 恋人平井加尾(物語ではほとんど無視されている)である。
  2. 禁門の変の時、勝海舟が大阪から偵察に出たが、 この時竜馬が同行したとは勝はいっていない。

また作者が知らなかったせいか、 伝説がその後訂正されたり、 物語に書かれていない事実は次のようなものがある。

  1. 現存する千葉道場の免許状は薙刀のものである。 従って、竜馬が剣術がどの程度強かったは立証できないらしい。 とすると竜馬が桶町千葉の塾頭であったことの裏付けも ないのだろうか。 また、山内容堂主催の安政御前試合を記述した文章は 存在するが、これは事実ではない創作ではないかと 疑われている。
  2. 脱藩に当たり、姉お栄は竜馬に名刀陸奥守良行を 与えたことをを責められ自殺したという伝説がある。 小説もこれを採用しているが、調査の結果脱藩とお栄の 死亡時期は脱藩より早く、関係は認められないという。
  3. 脱藩した竜馬は薩摩に行った。 物語では脱藩した後下関から舟で京に登ったことに なっているが、実際には九州を回ったらしい。
  4. 寺田屋のおかみ お登勢は後家ではない。 最初お登勢は夫と死別したことになっており、 あとで微妙な表現に変わっているが、 実際には夫は生きている。 遊び人で仕事はせず、お登勢と折り合いが悪く、 妾の家に住んだりしていたらしい。
  5. 勝海舟は女好きである。 物語では女性には行儀の良い人物ということに なっているが、明治後赤坂氷川坂下に住んでいた頃は 妾が3、4人はおり、屋敷の使用人にもほとんど手を つけていたということである。
  6. 竜馬と千葉さな子は関係があった。 これは確証はない。 が、さな子が墓に「坂本竜馬室」 と刻ませたことには、相当する関係があったと 考える方が妥当であろうと言われている。
  7. 竜馬は梅毒にかかっていた。 そのため額が禿げ上がっていたという 中江兆民の証言がある。

このように竜馬の身辺の比較的細かいところは、 意図的な部分がある。 いうまでもなく夜待ノ藤兵衛は創作上の人物であるなど、 小説として読ませるための工夫、 あるいは昭和30年代の道徳に擦り合わせた部分が散見される。 しかし幕末の歴史認識に関しては誤ってはいない、 と思われる。

史実に残っていないすき間を創作することは 小説である以上許される。 しかし、読んで興奮した後でそれが史実を曲げてまで する意図的に盛り上げに引っかかったと分かれば だまされた気分になる。 作者にもそれが分かったのだろう。 後の作品になるほど事実に忠実になり、 登場人物を美化することが減っている。 遂には創作を不可欠とした小説を書かなくなり、 歴史随筆のみになってしまった。

「竜馬がゆく」は司馬遼太郎の小説作法としては 未完成の作品であるが、 読んで自分を鼓吹するには最高である。

<参考文献>

  1. 池田敬正, 坂本竜馬, 中公新書69, 1965.
  2. 平尾道雄編, 坂本竜馬のすべて, 新人物往来社, 1979.
  3. 新人物往来社編, 坂本竜馬七つの謎, 新人物往来社, 1989.
  4. 勝部真長, 勝海舟 上下巻, PHP研究所, 1992.


ミルトン・エリクソンの心理療法セミナー
ジェフリー・K・ゼイク編 成瀬吾作監訳 星和書店
Teaching seminor with Dr. Milton H. Erickson

言葉とコミニュケーションの最大限の可能性を教えてくれる。 ミルトン・エリクソンは1980年に死んだ天才的催眠療法家で、 アイデンティティ論で有名なErik Ericksonとは別人である。 その技法は独特で、フロイド/ユングの精神分析とも、 ロジャースなどの対話的療法とも異なる。 機知に富んでいるという点のみにおいて、 パールズのゲシュタルト・セラピーにやや近いかもしれない。 この本は後進の心理療法家グループ向けに自宅で行なわれた 一週間の教育セミナーの記録である。 しかし、実際にエリクソンが行なったコミニュケーションのうち、 この本から意識的に汲み取れることは、 言語による部分(verbal communication)だけである。 その何気ないエピソード、言葉の表現のなかに、 どれだけ重層的な意味があるかは、解説にもある通り。 それに加え言語によらない部分(nonverbal communication)が どれほどあるかは、想像するしかない。 小児麻痺で後半生を車椅子で過ごしたが、 効かない体を克服して磨かれた独特の コミニュケーションテクニックは感動的である。 淡々とした言葉でエリクソンが語るケースにおける、 クライアントに対するエリクソンの異常な指示、 それに対する患者の行動、劇的な結果などは 本当とは思えないほどであり、 合理的過ぎる思考をする人には、受け入れるどころか そもそも意味がとれないかも知れない。 志田は、Be Youセミナーで僅かに近い体験をしたことがある。 学術書でありながら、 エリクソンのメッセージは無意識に働きかけてくる。 ユニークな本。

<参考文献>

  1. R. Bandler and J. Grinder著, 吉本, 越川訳, リフレーミング, 星和書店, 1988.
  2. R. Bandler著, 酒井一夫訳, 神経言語プログラミング, 東京図書, 1986.
  3. R. Bandler and J. Grinder著, 酒井一夫訳, 王子さまになったカエル, 東京図書, 1987.

影武者徳川家康 (文庫全3巻)
隆 慶一郎著 新潮文庫

司馬遼太郎の歴史小説に慣れると、 他の歴史小説が読み難くなる。
あまりにも表現がぶっきらぼうで魅力に欠けるか、 逆に文章が感情的に熱過ぎて我慢できなかったり、 説教臭いものが多い。 前者には、どうしようもない下手くそ津本陽、 イタリア歴史物の塩野七生(しおのななみ)などが挙げられる (塩野七生の随筆には教えられるところが多い)。 しかし隆慶一郎の作品は、異和感なく読める。 司馬の本を読むことが、 司馬歴史学講義を受けることと同義であるように、 隆の本は隆人間学講義であるといえるほど、 登場人物の心理、行動の説明には、 隆の体験が色濃くにじみ出ている。 着想やストーリの面白さも文句なしという以上に、 ただの娯楽に終らぬ深さを備えている。 あるいは象徴主義を専攻し、 大学で仏文学を教えていたというアカデミックな基礎があり、 さらに学徒出陣した戦中派としての面、 その後シナリオライターとして筆を鍛えるとともに、 酒を好む無頼派風の行状を身につけ、 60歳を過ぎて初めて歴史小説を書くという、 経歴に秘密があるかも知れない。 一点選ぶとしたら、隆慶一郎のテーマを凝縮した デビュー作「吉原御免状」か、質量ともにもっとも 充実したこの「影武者徳川家康」のどちらを挙げるか 迷うところである。

隆は関ヶ原の戦いから三代家光までの 徳川幕府の成立過程に当たる時代を得意とする。 僅か5年間の活動期間に、この時代を繰り返し描いた。

作家なら作品群に一貫性を持たせ、 独自の小世界を作りたいという欲望に勝つことは むずかしいだろう。 シリーズものを量産する屑作家は言うに及ばず、 アイザック・アシモフさえ晩年ロボットものと ファウンデーションものの橋渡しに奔走したのである。 しかし、隆慶一郎のすごみは、「影武者徳川家康」 であれほど「論証」した家康影武者説を、次の 「捨て童子松平忠輝」(文庫全3巻)では全く利用して いないことである。 時代もエピソードも多く重複しているにも関わらず、 「そんなことどっち だっていいんだよ」といわんばかりの 豪胆さには、 論理的一貫性ばかりを重視する自分の理系的センスを えぐられる思いがした。

ここに挙げた以外の佳作として「花と火の帝」上下、 「吉原御免状」の続編「かくれさと苦界行」、 「死ぬことと見つけたり」上下がある。 週刊少年ジャンプで人気を博した「花の慶次」は 隆の作品の漫画化であるが、 志田は僅かに落ちる作品と感じている。


UP K. Shida