Best Plays

このページでは、これまで見た演劇で印象に残ったものを選びました。 これらが優れているというよりは、 その時の心理と共鳴したのでしょう。 どんな劇団もいい時期は短く、 ここに上げる劇団も今は見る影もないものが多いです。 だからこそ、これらの公演にであえたことを幸せに 思います。 「」内は当時の観劇メモからの引用です。


まず、その年に見た全ての公演のリストです。
  1. 1984年10月20日19:00, 夢の遊眠社第25回公演「回転人魚」, 相鉄本多劇場

    初めて面白いと思い、演劇を見に行くようになったきっかけの作品。 当時他の作品を見ていないため評価は不可能。 しかし、感動で胸がつまる思い をしたことは覚えている。 自分の中のもやもやした想い、 言語化できず解放もできない想いを解き明かし、 代わりに全身で発散して くれる切実さがあった。

    その4カ月前に劇団四季の「Jesus Christ Superstar」を 見たのが本当の初めてだったのだがこれはピンと来なかった。 今から思えば走る、飛ぶ、指先まで動きの決まる野田秀樹を 見、竹下明子のちぎれる声を聞けたことは幸せだった。 駒場小劇場の頃はもっとすごかったと人はいうけど、 本当かも知れない。 半分は自慢だろうが、僕が知っているシアターモリエール の頃のキャラメルボックスを考えると、 小ささは重要なのだ。

    その他の観劇記録

    1985年2月11日19:00
    白夜の女騎士(ワルキューレ)、 新宿紀伊国屋ホール
    1985年8月1(?)日
    彗星の使者(ジークフリート)、
    筑波万博 でんでんINS館 野外劇場
    1985年9月4日(水)14:00
    彗星の使者(ジークフリート)、渋谷 パルコ劇場、
    その数日前野田秀樹公演中 (ラスト近く少年が天に登っていく場面で)梯子から転落、 入院のため円城寺あや代演
    1985年12月25日(水)19:00
    宇宙(ワルハラ)蒸発、下北沢 本多劇場
    1986年7月20日(土)14:00
    走れメルス、本多劇場
    1986年9月21日(日)14:00
    小指の思い出、本多劇場
    1987年5月2日(土)14:00
    明るい冒険-見よ、ポロロッカ 空に逝く!、青山劇場 だんだんチケットとりにくくなり、値上がり、 さらに「明るい冒険」は芯を失った奇怪な 抜けがらのようで、これ以降見るのをやめた。

    しかし役者には力があった。 第三舞台は例外として、他のどんな劇団を見ても 役者が素人臭く見えてしょうがない。 しまいには夢の遊眠社と 比べることが間違いなのだと諦めてしまったが。 主役の野田秀樹が舞台で怪我をしたとき、 円城寺あやが代役を勤めて大過なかったが、 野田秀樹の代わりが勤まる程の女優のいる劇団が 他にいくつあるか。 驚き である。

  2. 1986年7月5日18:30, 劇団あれが噂の電撃隊!9発目公演 「ジョーカーは上の空をノックする」, 上智小劇場

    「さすがに上智、観客は華やかに美しい女性、 素敵なカップルが多い。出演者も美男美女ばかり。 劇場にも恵まれているし、何と幸福な劇団 なのだろう。 アサ役の長井さんも、ジュンの大浜さんも、みんなきれい。」 学生劇団の中ではダントツのカッコ良さで、 いじけた大学生 だった僕は本当に憧れてしまった。 この時の座長は木内宏昌、出演は長井由紀、山敷進、 一杉義美などで、この代はのちプロジェクト・ヒトデを経て 劇団 青空美人となったはず である。 しかし、志田は見ていない。

    その他の観劇記録

    1986年3月8日(土)
    Birthday、上智小劇場16:00
    1987年4月4日(土)18:80
    ハート・ランド-クジラよりも眠い午後-、上智小劇場
    本当は3月の公演で一度だけ見た小川ユミさんが 好きだったのだが、10月には既に引退していたのは 今だに心残りだ。

  3. 1988年6月29日19:30, 自転車キンクリート第10回公演, 「ほどける呼吸」, 文芸坐ル・ピリエ

    「躍進するお嬢さん芸」のキャッチフレーズで快進撃を 続けていたころの、 自転車キンクリートの絶頂に立つ作品といえよう。 このころはみな可愛かった。 その後、志田の感覚に合わない作風になってしまった。 「待つ人がいるだけでもしあわせだと、そんな風には いえないよ。”ほどける呼吸”のテーマは 「たまには恋もしよう」。狭い劇場のかぶりつき、 さらにパワーアップした連発ギャグで、 初めて夢の遊眠社を見た時のような感動を味わった。 涙がこぼれたのは 素直になったからだけだろうか。」

    ル・ピリエは雰囲気のある劇場で、 これに匹敵するのは上智小劇場 しかない。 立体的な構造が客席の足元に暗い影を作り、 演劇の小妖精がそこから走り出てきそうだ。 最前列左側は、舞台上に作られた小さな滝の正面で、 しぶきが沢山かかった。

    ところで、自転車キンクリートのデビューは1980年頃の 日本女子大附属高校のもみじ祭での劇研公演 「11人の怒れる女」と雑誌の記事で読み、 気がついたのだが、 志田はそれを見ている。 当時ネクラな男子校生だった志田は、 女子校の文化祭を回って森林浴ならぬ女子校生浴を するのが僅かな楽しみだったのである。 もちろん、お友達が作れるはずも なく、 うろうろするばかりであった。

    その他の観劇記録

    1987年2月11日(水)19:00
    SINDBAD HI-NOON、新宿タイニイ・アリス
    1987年11月11日(水)17:00
    リンゴ畑のマーティン・ピピン、青山円形劇場
    1989年5月2日(火)19:00
    水に絵を描く、新宿スペース・ゼロ
    「水に絵を描く」があまりにも収まりのつかない 結末だったため、「高校の時みたいに花のグランド フィナーレをやれ〜」と叫びたかった。 つまらないと思ったのは自分のせいかと思い、 しばらくして出たCDブックも買ってみたが、 やはりつまらなかった。

  4. 1987年8月23日14:00, ALICE FESTIVAL'87 離風霊船「ゴジラ」、新宿タイニイ・アリス

    離風霊船は「ゴジラ」だけが突出したできであった。 これで名を上げ、大学劇研などが盛んに取り上げたが、 その後これに匹敵する作品は 出ていない。 劇団の総合力でいえば「夢の遊眠社」、「第三舞台」、 「キャラメルボックス」のラインよりは明らかに 下の第2水準であるが、 発想の斬新さ、松戸俊二のゴジラの役作り、 初演当時の神野美紀の可憐な魅力などは 何ともいえないものがあった。 今で言えば、惑星ピスタチオの「破壊ランナー」と 似ているが、「ゴジラ」の方が 場面にバラエティがあった。

    他の観劇記録

    1987年12月6日(日)14:00
    上智劇研による「ゴジラ」、上智小劇場
    1987年12月23日(水)
    慶応劇研による「ゴジラ」、日吉3号館アトリエ
    1988年2月15日(月)19:00
    はるまげどん、新宿THEATER/TOPS
    1988年12月25日(日)
    ゴジラ、THEATER/TOPS
    客出しで伊藤由美子さんからチョコをもらう。
    1989年11月25日(日)
    赤い鳥逃げた、ザ・スズナリ
    1990年7月11日(水)
    時代、すでに…、横浜 相鉄本多劇場
    1992年5月24日
    ゴジラ、二子新地 多摩川特設テント
    1992年5月26日
    ゴジラ、二子新地 特設テント

  5. 1989年12月17日19:30, 演劇集団キャラメルボックス '89クリスマス公演 「サンタクロースが歌ってくれた」, 新宿シアターモリエール

    キャラメルボックスを初めて見たのは、 同年8月27日の青山円形劇場で 「ナツヤスミ語辞典」だった。 夢の遊眠社のように伏線の分かりにくい 演劇 と引き比べてとても新鮮に感じた。 それより前の作品、 「子の刻キッド」や「不思議なクリスマスの作り方」 をビデオで見る限り分かりにくくて全然駄目なので、 「ナツヤスミ語辞典」がキャラメルボックスの 中学生にも 分かるスタイルが 完成した作品だったようだ。 その時期に巡り合ったことはこれも好運だった。

    「ナツヤスミ語辞典」は高速巡行状態というかあっさりした 作りで、 特別盛り上がる仕掛けはなかった。 次の「サンタクロースが歌ってくれた」では、 オープニングの音楽に乗せて劇中映画の予告編をやる場面の のりの良さとタイミングが完璧で、 キャラメルボックスの力量を見せてくれた。 また、クライマックスの盛り上がりも申し分なく、 最高傑作とおもう。 そのオープニングが再演ではつまらない回想シーンに なってしまったのは痛恨の一事である。

    その他の観劇記録

    1989年8月27日(日)18:30
    ナツヤスミ語辞典、青山円形劇場
    1989年9月1日(日)
    ナツヤスミ語辞典、青山円形劇場、満席のため二階で照明さんと一緒、1000円
    1989年10月15日(日)18:00
    演劇集団アリストテレスによる「グッドナイト将軍」、
    目黒福祉センターホール
    1989年11月3日(祝)17:00
    創価大劇研による「グッドナイト将軍」、創価大学S201、 池田大作講演のため16:00の予定変更
    1989年12月17日(日)19:30
    サンタクロースが歌ってくれた、新宿シアターモリエール
    1989年12月18日(月)13:00
    秘蔵ビデオ上映会「子の刻キッド」、シアターモリエール
    1989年12月21日(木)13:00
    秘蔵ビデオ上映会「不思議なクリスマスのつくりかた」、 シアターモリエール
    1989年12月23日(土)13:00
    秘蔵ビデオ上映会「銀河旋律」、シアターモリエール
    1989年12月23日(土)16:00
    サンタクロースが歌ってくれた、シアターモリエール
    1990年4月20日(土)20:00
    広くて素敵な宇宙じゃないか、シアターモリエール
    1990年8月17日(金)19:00
    ディアーフレンズ、ジェントルハーツ、 横浜 相鉄本多劇場、ハーフプライスチケット1200円
    1990年8月25日(金)18:30
    ディアーフレンズ、ジェントルハーツ、 新宿 シアターモリエール
    1990年12月22日(土)14:30
    不思議なクリスマスのつくりかた 新宿 シアターアプル
    1991年3月23日(土)20:00
    ハックルベリーにさよならを、シアターモリエール
    1991年9月2日(月)19:30
    ナツヤスミ語辞典、青山円形劇場
    1991年12月8日(日)
    ブリザード・ミュージック、新宿 スペース・ゼロ
    1992年4月11日(土)20:00
    広くてすてきな宇宙じゃないか、シアターアプル
    1992年4月13日(月)20:00
    銀河旋律/広くてすてきな宇宙じゃないか、 シアターアプル、通路席1500円
    1992年8月18日(火)19:00
    カレッジ・オブ・ザ・ウインド、新宿 紀伊国屋ホール
    1993年4月21日(水)19:00
    四月になれば彼女は、シアターアプル
    1993年8月17日(火)20:00
    グッドナイト将軍、紀伊国屋ホール
    ロビーでザ・ミスフィッツの山口かおりと和久井しほに会う
    1993年10月
    ジャングル・ジャンクション、六本木 俳優座劇場
    1993年12月22日(水)19:30
    キャンドルは燃えているか、竹芝 ニューピアホール
    1994年2月18日(金)19:00
    オリジナルミュージカル「シンデレラ迷宮」、東京芸術劇場
    脚本 成井 豊、主演 酒井 いずみ
    1994年10月8日(土)18:30
    俺達は志士じゃない、聖蹟桜ヶ丘 アウラホール
    1995年9月10日(日)14:00
    また逢おうと竜馬はいった、シアターアプル
    「銀河旋律」、「広くて素敵な宇宙じゃないか」、 「ディーアフレンズ・ジェントルハーツ」、 「四月になれば彼女は」などは素晴らしく、 あの頃のキャラメルボックスは期待を 外すことはなかった。

  6. 1990年6月30日(土)19:00, ザ・ミスフィッツ・バトルミュージカル 「それ」, シアターVアカサカ

    「これも、ユニークなとこだ。 無尽蔵の衣装、小道具、おどる、うたう。 タップはやるし、バンド演奏まで、なんでもやって まるごと楽しんじゃお。 役者はみなかわいいし。 じゃあ、すごいか、というとそうでもない。 ”公演”というより”発表会”という感じ。 何が足りないんだろう。見せる、という感覚かなあ。 これだけのパワー、レッスン、時間、物量を投入しても、 それを自分達だけで楽しんでしまって、 観客に見せると、いう一点に向いていないのかも知れない。」

    しかし、再び劇場に向かっても 期待が満たされることは2度となかった。 これ以降落ちる一方。 1995年には遂に解散してしまった。 変な漫画家を入れたのが良くなかったのかしらん。 一発屋だったとしても、いや、それだからなお、 その一発に立ち会えたことの幸せを思え。

    その他の観劇記録

    1990年7月2日(月)19:00
    それ、シアターVアカサカ
    1990年12月1日(土)
    マリーが好き、シアターVアカサカ
    1991年7月21日(日)20:00
    Mama, I Love You!、シアターVアカサカ
    1991年9月6日(金)22:00
    カレンダー・ガール、シアターVアカサカ
    1992年8月16日(月)20:00
    マリーが好き、渋谷 BEAM HALL
    1993年7月23日(金)19:30
    リベンジ・オブ・ザ・ジューンブライド、新宿 ルミネホールACT
    1993年12月24日(金)14:00
    クリスマス ライブ、新宿HEAD POWER
    1994年3月25日(金)18:30
    フーリル島、新宿HEAD POWER
    1994年7月25日(月)19:00
    THE BEAST、新宿 シアターモリエール

  7. 1991年1月20日(日)14:30, 東京パフォーマンスドール, DANCE SUMMIT, 原宿RUIDO

    「fj.rec.idolをのぞいたら、DANCE SUMMITというサブジェクト が目についた。 当日行くと、結構女の子が多いのに気づく。 とんでもないオジサンも沢山いるけど。 ドリンク券のコーラは今まで飲んだことのないほど まずかった。 音はディスコサウンド。 はじまった時は、なんか、振りが小さいというか、 指先まで神経がいっていない感じで、 もっとビュンビュンと切れ良く動いてほしいと思ったけど、 だんだん気にならなくなった。 パンフを見て誰が誰だか見ようとしても、 パンフの写真はさっぱり分からない。 みんなちょっと幼い感じだったけど、 結構かわいい子もいたようだ。 歌も、思ったよりうまいし、振付けもちゃんと頭にはいっている。 これで1000円は安いが、時間が45分と短いからかな。 通う人の気持ちも分かる。 終って階段を登り、外へ出た瞬間、顔が綻んでしまった。」

    この時は「平成花見ダンス」ではじまる Version 3だった。 当日券で入れた。 早朝並んだりチケットぴあの一番乗りを競うようになったのは 5月頃からである。 この頃は実力を養ってレビューとして楽しめるものを つくろうという雰囲気があり、ただキャストが10代の 女の子だというだけだったように思う (志田の一方的な期待に過ぎなかったかも知れないが)。 それがアイドルのり「あない〜」、 「篠原〜」 になってしまったのは、客層が悪かったのだ。 因みに志田はDUNSUMMI CLUB Gold会員No. 129で、 メンバーと撮った写真もある。 10回ライブに通うと、金色のカードがもらえ、 一度開演前の舞台に呼ばれてメンバーと握手が できるのがGold会員である。 合計何回行ったかは、恐いので数えない。

    Photo with TPD
    左から櫃割香菜子、穴井夕子、八木田麻衣、篠原涼子、 志田、木原さとみ、川村知砂、 米光美保、市井由理、木伏夏子
    歌のうまいのは米光美保、 美人なのは二軍の木伏夏子で、 篠原涼子は歌は木原さとみと同じ位だったが、 腰つきがえっちだった。 市井由理は音程が怪しく、「お茶目なジュリエット」 でラップに転向して今はEAST END X YURIで売れている。

    この頃構成・振付けの中村 龍史のアシスタントだったのが 青地 泉先生で、志田は青地先生のレッスンを3回 受けたことがある。 つまりTPDとは相弟子に当たる!?

    その他の観劇記録

    1991年1/27, 2/3, 2/9, 2/10, 2/16, 2/23, 2/24, 3/9, 3/14
    Version 3
    1991年3/21, 3/23, 3/27, 3/30
    春休みバージョン、3/23日にゴールド会員になる
    1991年4/29, 5/4, 5/5, 5/18, 6/9
    Version 4
    1991年7月20日(土)
    夏休みバージョン(Ver. 5)
    1991年8月9日(金)19:00
    A mid summer night's dream-DANCE SUMMIT at 青年館、
    青山 日本青年館
    1991年8月27日(火)
    夏休みバージョン
    1991年11月2日(土)18:30
    DANCE SUMMIT in WASEDA、早稲田大学15号館301教室
    1992年4月6日(月)19:00
    1992 Spring Tour、日本青年館
    1993年4月5日(月)18:30
    1993 Special "CATCH"、東京厚生年金会舘ホール
    1993年12月28日(火)18:30
    TPD DASH!! & TPD-木原さとみ・市井由理+LIVEメンバー、
    渋谷公会堂