生活日記8月(2年目)

2003年08月27日

 ミラノに帰ってきました。ミラノは暑いです。12時間のフライトと乗り換えで18時間かかりました。結構遠かったです。まだ時差ぼけがありますがまた仕事を始めたいと思います。今回のアメリカ体験は非常に貴重な体験でした。



2003年08月25日

 無事研修も終わりました。イタリアに帰ります。そして最後の仕上げをして日本帰ります。



2003年08月23日

 アメリカ移民事情。ここにクリーブランドの地元の新聞の記事があります。最近のアメリカの移民事情についてのものです。1995年から2000年の間にアメリカに移住した24歳以上の人でどれくらいの人が大学教育を受けていたかという調査結果です。それによると、まず、総数で560万人が移住したのですが、その中で24歳以上の移住者のうち34%が大学教育を受けていたとの事です。アメリカのそれに匹敵する人口層では大学卒業者は25%であり、それを大きく上回っていたのです。
 そのうち、例えば、バーモント州はわずか4000人の24歳以上の移住しかありませんでしたが、その内なんと87.1%が大学教育を受けていました。全米一の割合です。カリフォルニア州は約3分の1。クリーブランドのあるオハイオ州は50.8%でした。
 要するに、最近のアメリカへの移住者は高学歴者なのです。アメリカこそが世界中で大学教育がもっとも浸透した国であることを考えると、移住者は他の国のまさにブレーンと呼べるような優秀な人たちであるはずです。要するに、アメリカは自国育ちの人材に加えて、今尚、たくさんの優秀な人材を点滴のように世界中から集めて注入し続けているのです。やはり他の国には出来ない芸当だと思います。
 クリーブランドクリニックでも外国人は当たり前の存在であり、というより、多くの主導的立場のスタッフが外国人(元)です。となるともう多国籍軍の様相を呈しています。良し悪しは簡単には判断できませんが、とにかくこの国は強力です。



2003年08月22日

 さすがに毎日、毎日顕微鏡とにらめっこは疲れました。



2003年08月18日

 看護師。帰国に向けて最近インターネットでいろいろな日本のサイトに訪れて日本の現状をチェックしているのですが、以前看護婦と呼んでいた職種を「看護師」と扱っていることに気付きました。「カンゴシ」という呼称自体は僕も知っていたのですが、僕はてっきり、「看護士」と綴るのかと思っていたのです。実際には「看護師」であることを知ったというわけです。今後気をつけたいと思います。



2003年08月16日

  BLACK OUT。期せずしてアメリカの北東部を襲った世紀の大停電に巻き込まれました。木曜午後4時11分。マイクロサージェリー講習で、血管縫合をしていて、最後の一針を結ぼうとしたその時、真っ暗闇になりました。講習をしているところは窓がないため、本当の真っ暗でした。ありとあらゆる制御が電気に頼っているため、病院内の出入りに使うIDもなにもかも機能せず、早々に全員帰宅となりました。ゲストハウスもエレベーターが動かなく、5階まで階段を歩かなくてはいけませんでした。早い復旧を祈り部屋で休んでいると、ゲストハウスは予備電源がないため、近くのインターコンチネンタルに全員移動を告げられました。ゲストハウスとインターコンチは経営がいっしょなのです。身の回りのものを急いでまとめインターコンチへ。大勢の人が列をなし、まるで難民になったような気分でした。幸いにも部屋はゲストハウスよりはるかに豪華で、慰めになりましたが、電気なし、水なし、トイレの水なしというただ寝るだけの部屋でした。ラジオなどの情報もまったくなく、ひとりでかなり不安でした。窓からみる道路の信号も真っ暗。明るいうちに用を済ませてしまおうと思い一階のレストランに行きました。ただのサンドイッチに1時間以上かかりました。たったひとつのキッチンで全ての客のオーダーにこたえていたとのことです。9時を過ぎ、本当に真っ暗になるともしかしてテロではないかとか、万が一何日もこの状態が続いたらいったいどうなるのだろうかとかいろいろ考えてしまいました。その夜は電気が戻った夢を見たのですが、朝目を覚ますとまだ電気は戻っていませんでした。午前8時頃、どこからともなく歓声が聞こえたかと思ったら、電気が復旧。その30分後くらいに水が復旧。その後シャワーをおもいっきり浴びられた時の気持ちのよかったこと。電気のある幸せをかみしめました。CNNではニューヨークの混乱振りを一日中伝えていました。とにかくこんな体験はなかなかできないと思います。これを反面教師として、日本も対策を怠らないようにして欲しいです。
 それにしても、昨日は突然信号が機能しなくなっても車のクラクションひとつ聞きませんでした。極めて冷静にみんなが落ち着いて帰宅していました。僕はとても感心させられました。アメリカは強い。そんな印象を持ちました。
 今日金曜日は電気の復旧のおかげでクリーブランドブラウンズとグリーンベイパッカースのアメリカンフットボールの試合(プレシーズンマッチ)も予定通り行われました。こういう事の後だからこそいつも通りに行うのがアメリカです。その模様を生活風景に載せました。



2003年08月12日

 危険な街。このクリーブランドは大きすぎず、小さすぎずといった感じでなかなかいい町だと思ったのですが、クリニックのあるエリアは町の中でももっとも治安の悪いところだそうです。そういえば、しょっちゅう前の駐車場にパトカーが止まっています。夜は常に止まっていて、昼も頻回に巡回しています。どうやら、それくらい厳重にしないと犯罪が起こる場所のようです。僕は講習から帰ったらまったく外に出ないようにしています。アメリカはやっぱり怖いですね。なんといってもアメリカでは「銃」がでてきますから。危険といってもレベルが違います。死ぬ可能性があるということですから。こんな生活じゃ息も抜けません。ここに比べたらイタリアはまだ治安がいいほうだったとしみじみ思います。もっとも日本はその上をいくと思いますが。
 とにかく最後まで気を抜かず生活します。



2003年08月10日

 雑感5。ここアメリカのクリーブランドクリニックは心臓外科だけでなく、消化器系や泌尿器科系など非常に広範囲にわたり、アメリカのトップクラスのレベルを誇っています。先日発売されたUS News & World Report誌のAmerica's Best Hospitalsの各部門で上位につけ(心臓部門1位)、総合で全米5位になっています。僕は日本の病院を今まで5箇所経験し、イタリアのEIO、そして短期間ながらここクリーブランドクリニックをはたから見て比べてみた時、アメリカ型の病院あるいは研究所の特徴をはっきりと認識できました。前の雑感にも書きましたが、絶対的に国民が裕福でなければ現時点での最高水準の医療は受けられないといいました。それに変わりはありません。更にアメリカには、2つの際立った特徴があります。まず、50億円くらいをポンと寄付できる超裕福層の存在。多くの大学や病院の建物には名前がついており、それらは寄付をした人の名前であることはよくあることです。彼等超裕福層が名だたる有名病院に建物や高価な診断機器などを寄付することによって、有名なところはますます発展するという構図があります。さらに、もうひとつの特徴は、黒人やヒスパニックの低賃金労働者層の存在です。多くの病院の業務の内、清掃をはじめ、舞台裏は彼等が支えているのです。つまり、「箱」は寄付によって間単に実現。「ソフト」の大部分は低賃金者層の存在により、労働者の頭数が多く出来る。そして、要所要所の運営は白人中流階級の人達が行うという構図です。もちろん病院運営(経営)には、世界的に見れば裕福な患者層も欠かせません。
 この構図があってこそ、たくさんの人と物を要する医療が実現しているように僕には思えます。医療の発展にとって重要な基礎研究分野でも、「箱」は同様に、「ソフト」には中国人やインド人、あるいは南米人研究者のやはり低賃金で頑張れる人達が支えています。病院の構造と変わりません。
 このような構造は日本にはありません。土地がない、金がないで「箱」すらままならず、「ソフト」に関しては賃金問題で人員増が出来ないでいます。これではアメリカ型には太刀打ちできません。
 とはいっても、日本の医療レベルは世界的に見ればかなり高く、あまり悲観的になることもありません。例えば内視鏡をはじめとする診断機器の普及度はずば抜けて高いです。これは日本そのものが裕福であるから出来ることです。ですから、日本型のベストを模索していけばよいと思います。構造のあまりに違うアメリカ型とはまったく比較ができないといいたいのです。
 ちなみに外科の分野、特に形成外科は、最終的には一人の医師の技術力が一番問題であり、上記のような大局的な影響の少々外にあると僕は感じています。
注:かなり独断的意見です



2003年08月09日

 一週間が終わりました。コースは順調にこなし、来週からはadvanced courseになります。更なる技術力向上に頑張りたいと思います。
 アメリカに来る前は、少々やせ気味だったのですが、ここでは毎日ファーストフードのような物を食べているせいか太ったような気がします。2キロくらいはついたような、、、。なにせ、院内にもマクドナルド、スターバックスなどがあり、食堂の手を加えた食べ物もほとんどファーストフードのようなものばかりです。唯一、毎朝食べている目玉焼きと絞りたてオレンジジュースが体に良さそうな食べ物なのです。イタリアでは日本食を特に食べたいと思うことはありませんでしたが、ここでは早速日本食のようなあっさりしたものが食べたくなっています。



2003年08月08日

 今日はメジャーリーグの試合を見に行ってきました。幸運にもイチローのいるシアトルマリナーズとクリーブランドインディアンズとの試合があったのです。生まれて初めてのメジャーリーグ観戦でした。噂どおり国歌から始まり、バックネットが最小限のため、フィールドが近く感じられ、試合中は芝生と土の匂いがしてまさに「フィールドオブドリームス」の世界ですばらしかったです。観客はみんなグローブを持ってきていました。スポーツというより普段バラバラのアメリカ人が一致団結するアメリカの文化のようだなと感じました。残念ながらイチローのバッティングはぱっとしませんでした。
 それにしても人々の肥満には目を引くものがあります。さらに子供達の肥満にも驚かされます。小さい子供がコーラをがぶ飲みしているのを見るのは少々心苦しいです。
 生活風景に写真を載せます。



2003年08月06日

  二日目。ほとんど問題なくプログラムをこなしています。この調子でいろいろな形態の縫合(僕の希望)も試したいと思います。
 クリーブランドは朝夕も涼しく過ごしやすいです。冷房をガンガン効かせているので、かえって寒いくらいです。いかにもアメリカらしいです。イタリアでは病院内でさえもときどき暑かったくらいですのでえらく違います。



2003年08月05日

 初日終了です。ビデオ講義とラットを使った実習です。はじめは基本的なことなので問題ありません。これからどんどん内容がエスカレート(変化に富んで)して、できれば最後には血管付き神経移植までやって帰りたいと思っています。
 クリーブランドクリニックの標語は「World Class Service」です。実に印象深く、気に入りました。



2003年08月04日

 昨日は疲れて何もしないで眠りました。今日日曜はこちらは雨です。昨日も曇だったので、この辺はあまり良い天気にはめぐまれないのではないかと思ってしまいます。世界中から患者さんが集まるこのクリーブランドクリニック敷地内のGuest House Hotelに3週間の滞在です。クリーブランドといって思い出すのはメジャーリーグのインディアンズくらいのものです。昨日空港の広告で、大きな動物園があることも分かりました。
 黒人の多さに驚かされます。ほとんど町で見かける人は黒人です。また、部屋掃除の人がなんとオカマでした。初めてオカマの部屋掃除人を見ました。服装は女性ですが、髭を生やしていました。立派に市民権を得ているのですね。あと、アラブ系のあの頭に何かを巻いた人も多いです。
 アメリカはコンセント形式が日本と同じであり、ホテルの階数表示も日本と同じ、店も日曜も平然とやっています。ヨーロッパより感覚的に日本にかなり近く(日本がアメリカに近いともいえるか)、違和感なく感じます(逆にはじめは違和感がありました)。
 僕の滞在しているGuest Houseはこのクリニックエリアの道をはさんですぐ外側にあることが分かりました。ここはちょうど筑波研究学園都市のような感じで、平坦な広いエリアに関連機関が集まっています。アメリカの多くの有名な医療センターがこんな感じなのではないかと思います。敷地内に3つのホテルがあり、その内でもっとも廉価なところがGuest Houseなのです。ちなみに他の二つはインターコンチネンタルです。
 一階のレストランでベンケーシーサンドイッチをオーダーしたところ、パンと、ターキーとポテトの上からシチューを「ぶっかけた」ものがでてきてびっくりしました。一歩間違えれば残飯のような感じだったのです。まあ、観光目的ではないので、目的のマイクロの鍛錬に励みたいと思います。



2003年08月03日

 行きの飛行機。今回はロンドン、シカゴ経由でクリーブランドまで来ましたが、はじめてブリティッシュエアウェイズの飛行機に乗りました。旅行会社にお任せで出来るだけ安いチケットを手配してもらい、8月のこの時期にしては恐らく日本の格安チケットに当たるような値段だと思うのですが、嬉しい事にロンドンーシカゴ間(8時間)がビジネスクラスでした。ブリチィッシュ御自慢のフルフラットシートは快適そのものでした。進行方向と逆に座り変な感じでした。それにブリティッシュは座席が革で僕好みの「いい感じ」でした。



2003年08月03日

  急な話ですが、アメリカのクリーブランドに来ています。この時期は世界中の人々が旅行で移動するので、クリーブランドまでの航空券がまったくまったく手に入らなく、唯一見つけたのが8月1日出発の便だったのです。そこで予定を変更してマイクロサージェリーのコースを3週間取ることとしました。
  ブリティッシュエアウエイズでミラノからロンドンへ。ロンドンからシカゴ、シカゴからアメリカンエアーでクリーブランドへ来ました。本来は一日(見かけ上)で着くはずでしたが、シカゴへの到着が遅れ、シカゴで一泊してからのクリーブランド入りとなりました。シカゴではどこでも列また列で、疲れ果ててしまいました。航空会社の用意したホテルに着くためにも列、ホテルについてからも列と、本当に参りました。この時期アメリカの空港は人がごった返しており、セキュリチィーチェックも猛烈厳しく、僕はラップトップとデジカメを持っていたのでまったくもって危険な人物に見えたことでしょう。国内便に乗る際は靴まで脱がされチェックされました。
  とにかく、世界の心臓外科のメッカのクリーブランドクリニックに着きました。僕は心臓外科医ではないですが、マイクロサージャリーのトレーニングにはもってこいと思ってここまで来ました。これはまったく突然の思い付きではなく、実は先日行ってきたドイツのハイデルベルグの学会で気に入った発表をしていた先生のところなのです。この週末はゆっくり休み(来るだけで疲れました)月曜からのコースに備えます。



2003年08月03日

  雑感1。僕がせっかくのイタリアからアメリカへ来たのには理由があります。今回のイタリア留学も終わりに近づいていますが、今まで十二分にいろいろなことを吸収しました。手術のテクニックから研究の仕方まで満足度は高かったです。しかしながら不満足なこともありました。それは手術の技術的なことです。結論からいうと、現在患者さんに提供しうる乳房再建手術のうちで、マイクロサージェリーを使う種類のものが不足していたのです。EIOでは毎日非常に多くの手術をします。日本では想像も出来ないようなペースで次から次へとです。EIOはベット数ではそれ程大きな病院ではありません。全麻用の手術室は7部屋です。それで脳外科以外のほとんどの科が毎日手術をし、乳腺外科は年間3000件以上の手術をします。それが何を意味するのか?要するに、一人の患者さんにかけられる時間が少ないのです。ある意味僕にとっては経験がたくさん積めて良かったのですが、一方で、苛立ちを覚えることも数え切れないほどありました。例えば午後になると、5時までに終了できそうな部屋には乳腺外科医が出没し、自分たちの手術を後から入れられるかどうかを探し始めます。恒例の風景ですが、自分たちの形成の部屋でありながら無言のプレッシャーがあるのです。時間に追われる手術というものは良くありません。もちろん時間をかけさえすれば良いというものでもありません。各々の手術には適正な時間があるといいたいのです。変な話に、その日の予定の全ての手術を3時に終わらすのと4時に終わらすのとでは、一見3時に終わらすほうがいいと思われます。しかし、手術室の看護士にとっては4時のほうがいいのです。どうしてかというと、3時に終わると、乳腺外科の手術が間違いなくその次に入り、結局6時くらいまでかかったりするからです。4時であれば、5時に問題なく帰れるというわけです。夏ともなると、夜の10時11時に町中を歩き回る習慣(パッセジャータ)のイタリア人にはとても大事なことなのです。5時、6時は本当にみんなイライラしています。みんながみんな早く帰りたいのです。このような時間の話を皆が皆朝から晩まで話しているわけです。いい加減嫌気がさします。特に形成外科の特性上、乳腺外科の後に再建を行うので彼等の手術に大きな影響を受けます。乳腺外科が遅い手術をしたせいでこっちまでせかされるなどというのはよくあることです。誰が悪いのか?たくさんの患者さんを予定に入れる誰かが悪いのです。いい加減上限をつくるべきだと思います。そうでないとひとりひとりの手術の質が落ちる一方です。偏見を言わせてもらえれば腫瘍内科医だけは喜んでいるでしょう。彼等は多くの症例からデータを引き出せれば満足なのです。しかし、患者さんや外科医(まともな)は満足できません。ここEIOで規模に見合った手術数の限界を見た気がします。そこでどうして規模を大きくしたり医師、看護士を増やせないのでしょう?保健です。イタリアでは症例ごとの保険金が決まっており、病院経営の面から多くの症例をやらないと苦しくなるのです(注:最前線を目指して旗揚げしたこのEIOでは一流の医師や統計学者、それと本当に大勢の研究者を抱えています。そのような特殊な性格上、特に苦しいのではないかと思います)。最近はEIOもいつもお金の話が出てきます。使う糸を安いものにしたり、ドレーンを安いものにしたり、、、。
 雑感2に続く。



2003年08月03日

 雑感2.。EIOの乳腺外科には、手術の延期というのがあります。予定した手術日に手術が出来ないことがあるのです。ある患者さんの手術の前に4件も5件も手術があると、その患者さんの手術を5時までに終わらすことができなく、やむなく延期となるのです。患者さんは前夜から飲まず食わずで待った末に延期が告げられます。相当な負担でしょう。こんな患者さんが毎日3,4人います。要するにオーバーブッキングです。どうしてそこまでするのかと僕なんかは思います(前述の保健の関係上だと思われます)。こんな感じですから、同時再建といっても時間を食うことは許されません。その結果、最近はインプラント再建が増え続けています。診療レポートに書いていますが、同時再建には保健は払われません。病院にとってはただで手術をすることとなります。ですから、時間のかかる自家組織による同時再建やマイクロサージェリーで行う同時再建は必然的に出来る件数は少なくなります。病院としては時間と場所と人員を要する乳房再建がまったくのただということは大きな問題なのです。そこで単なる4分円切除や乳房切除の患者さんのほうが早く、更に収入にもつながるのでいかんせんたくさんの患者さんを手術することになるのです。こう考えると、同時再建術が病院にとっては負担であり、全て二期再建でやるか、一期的には拡張器をいれ、その後に再建をするという方法のほうがよくなってくるのです。実際、現在拡張器再建が増えています。幸い金銭面以外に、拡張器再建は大きなメリットがあることもそれに拍車をかけています。乳房再建には乳房の膨らみだけではなく、乳頭乳輪再建もあり、それと合わせて考ええればペイすると考えることもできます。乳頭乳輪再建は乳房再建とくらべて遜色ないくらいの値段が決められています。ですから、極端な話が、DIEPによるマイクロ再建と一回の乳頭乳輪再建があまり値段が変わらないというような事態になるのです。こんな変な話はありません。笑い話として、乳房再建は他の病院にまかせて、乳頭乳輪再建だけをやろう、そのほうがはるかに病院のためになるなどという話が出てくるのです。話を戻しますと、一般的にマイクロでの再建は技術的には一期再建のほうがよく、二期的であると難易度が上がります。となるとEIOでは二期再建では一般的な有茎皮弁法(TRAM,広背筋皮弁など)か拡張器再建となるのです。マイクロが選択されることはほとんどありません。このようにマイクロが浸透しないようになっているのです。こうした事情は決して他人事ではなく、乳房再建を行う全ての国、病院で問題です。日本でも似たような話はあります。
雑感3に続く。



2003年08月03日

 雑感3。先日のマイクロ学会で、最前線を感じてきました。そこで、乳房再建におけるマイクロの役割というのは議論が分かれるところであり、少なくともEIOのような病院では不可能であり、他の病院に役割を譲るほうがいいという考えに至りました。そこで、誰がどのような症例に行えば良いのか?そこが問題です。かかる時間と費用、お金と労力は天から降っては来ません。その国の裕福度や、患者さんの理解度や要求度を考慮にいれなくてはいけません。例えばブラジルなどでは、貧しい患者さんが遠隔地から通ってくるために乳房切除こそがスタンダードであり、その他の再建を行いたくとも、通院が必要になるためそれがネックで再建をしない人もいるわけです。僕はイタリア、アメリカ(3年前にニューヨーク大学関連病院見学)、日本を比べてみてつくづく思うことがあります。アメリカはすごい金を医療に使っています。働いている人員も桁違いに多いです。しかし、その分の患者負担は大きいのです(任意の保健をかなり払っています)。このような国ではマイクロ再建は受け入れられる再建法であり、先日の学会でも大変な症例を多くの病院がおこなっており、改めてアメリカという国のパワーを感じました。大前提として、国民一人一人が裕福であるから出来ることだと思います(あるいは裕福な層が広い)。(注:ただし、同時に黒人層をはじめとする単純労働者層が多い必要もあると思います)アメリカのやり方を全ての国に導入するわけには行きません。貧しい国の場合はブラジルのようになります。治療もひとつの商品であり、買えない人もいるのです。特に形成外科が扱う再建術というものは必要不可欠かといわれれば、二種類あり、不可欠なものと不可欠でないものに分けられます。乳房再建は明らかに後者です。ですから、このような議論が起こるわけです。
 乳房再建をマクロ的にみれば以上のような見方ができます。しかし、ミクロ的に一外科医としては、目の前の患者さんに最高の医療を施してあげたいと思うのが人情です。もっと患者さん一人一人に適したテーラーメイドの再建法をしたいと思うのです。再建法の適応には絶対というものはなく、医師の好みなどによって大きく適応が曲げられることはありますが、少なくとも時間やお金のことを抜きにしたいのです。自分が提示出来るレパートリーは用意しておきたいのです。例えば、近いうちにもっとメジャーになるであろうSIEAflap再建術(マイクロ)などはうまくいけば、お腹の筋肉に触ることすらなしに乳房再建が出来ます(実質肥満のひとに美容目的で行う腹壁形成術と同じ)。このような大きな利点を持つマイクロの手術法もあるのです(解剖学的に無理な人が多かったり技術的に難しかったりして万人には向きませんが、、、)。
雑感4へ続く。



2003年08月03日

 雑感4。それでは僕は何を用意したら良いのでしょうか?どのレベルまで己の技量を上げればいいのでしょうか。医師も完璧ではあり得ません。常に成長過程であり、その時その時で出来得る最良の手術を患者さんに施し、手に負えないような手術が最適と判断されたときは他院をすぐに紹介したいものです。その原則の上に立ってもなお、出来るだけ多くの人を自分のこの手で幸せにしたいというのが願望です。またはたとえ数は少なくても自分の能力の最大値を出せたらそれこそが幸せなのです。一般的に医師は死ぬまで技量は向上すると思いますが、マイクロに関しては肉体的限界があります(他のことより顕著であるというべきか)。出来る時に出来るだけ施してあげたい、、、。それは普通の願望だと思うのです。その時に「最良の手術」の判断はその時代時代の他の国の技術や国内でも他のグループの技術が参考になります。そこで出てくるのがアメリカです。本当にこの国は現在、世界のお父さんのような存在です。常に牽引となり、常に参考となり、常にリードをしています。経済的な豊かさ、言語の普遍さ、他民族が故の科学的アプローチ、などなど理由はたくさんあるでしょう。とにかく結果として今現在のこの国の存在は医療の分野に置いてなくてはならないものであり、もしなかったとしたら、発展のスピードは間違いなく遅いでしょう。そんな事を漠然と考えていて、今回の短期講習につながっています。きっと僕の一生でもまれなこの自由な時期に、もう一度アメリカを感じたい、マイクロの出発点を築き次の弾みにしたい、そんな思いでクリーブランドにいます。
 EIOの助教授はマイクロをやりません。通常の手術法ではズバ抜けて安定したうまさを誇っているにもかかわらず、マイクロには手を出しません。彼の病院EIOではそれを許さないという背景があるにしても、彼が言うには、「マイクロに手を出せば、確実に家族との時間が減る、だからやらない。実際マイクロなしでいい結果を得られる症例が大多数であり、少数の必要な症例はその専門家に任せればいい。」といいます。それは確かに一理あります。そこまで割り切れれば問題はありません。しかし僕は、、、。イタリアで自分のQOLについて考えさせられました。帰国後は改めて自分のQOLを考え直し、必要とあれば、出来るだけたくさんの同士を探し、負担を分担し、将来的にはプロジェクトを組まなくてはならないと思ったりしています。 





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