生活日記10月

2002年10月28日

 週末は風邪をひいてしまい寝込んでいました。どこにもいけなくて残念でしたが、日本語の本を借りてきて読むことができたので、まったく無意味な週末ではありませんでした。
  ちなみに、日曜日からサマータイムが終わり、日本との時差が7時間から8時間になりました。これで朝はだいぶ明るくなると思います。そのかわり夜はかなり早くに暗くなってしまうようです。



2002年10月26日

  イタリア語の不思議。こちらでイタリア語を聞いたり話したりしてはじめに気付くのは、国名や都市名の英語や日本語との違いです。イタリア国内の都市名はオリジナルのイタリア語優先でむしろかまわないと思いますが、他国の都市名はもっとオリジナルの名前を尊重したらいいのに思うことがあります。はじめは今までなじんだ名前との違いに少々戸惑いました。日本人はみんな同じような印象を持つのではないでしょうか。以下に例を挙げます。

 初級編:アメリカ合衆国(The United States) →Stati Uniti(スタティ・ユニティ)
      イギリス(The United Kingdom, England)→Inghilterra(インギルテッラ)
      ドイツ(Germany)→Germania(ジェルマニア)
      ロシア(Russia)→Russa(ルッサ)
 中級編:スウェーデン (Sweden)→Svezia(スヴェッツィア)
      スイス(Switzerland)→Svizzera(ズビッツエラ)
 上級編:ウェールズ(Wales)→Galles (ガッレス)
      ミュンヘン(Munich)→Monaco (モナコ)

 特にミュンヘンは特筆しておかなくてはいけません。ドイツ語でミュンチェンと呼ばれる町が、なんとイタリアではモナコになってしまうのです。フランスの隣のいわゆるモナコ公国はPrincipato di Monaco と呼ばれます。先日サッカーのバイエルン・ミュンヘンというチームがイタリアのテレビでバイエルン・モナコと呼ばれていて大変違和感を覚えました。



2002年10月21日

 日曜日はビチェンツアに行って来ました。北イタリアのミラノーベネチア間の主要都市はこれで制覇したことになります(写真は載せていませんが以前ブレシアにも行っています)。はじめから特に見たいという場所はなかったのですが、この町は「建築家パッラーディオの町」といわれるほど革新的な彼の建築物がいたるところにあり、それなりに面白かったです。テアトロオリンピコが個人的には一番印象深かったです。1584年完成ですが、現役の劇場で、舞台上の町の模型が一番の見所です。生活風景に写真を載せます。



2002年10月19日

  シロッコ。10月に入って急に寒くなったと思ったら、このところ暖かい日が続いています。この天候はシロッコ(scirocco)というアフリカからの風のせいだということです。時に温かい風がアフリカの砂までも運んでくるのだそうです。部屋の暖房(riscaldamento)も快調で、部屋の中はまったく寒くなくなりました。



2002年10月15日

  疲れている手術道具。こちらの手術室は規模としてはそれほど大きいものではないのですが、手術の数はものすごい数です。例えば乳腺外科は年間3000件の手術をこなしますし、形成外科も1000件くらいです。それに一般外科が同数程度と続きます。そうすると手術道具はフル回転で、バルバと呼んでいる皮下を照らす筋鉤件照明の道具などは使い終わったらすぐに滅菌して暖かいままで次に使うと言うようなことが日常茶飯事です。持針器やピンセットは、針をよくつかめなかったり、先が磨り減って丸くなっていたりします。ここまで使われて道具のほうは本望かもしれませんが、時に使いづらく、忍耐が必要です。「僕達も疲れているけど、道具のほうも疲れている。」とよく言い合ったりします。



2002年10月14日

 手術料金の問題点。保険請求の仕事をして明らかになったことは、手術の値段の設定の難しさです。例えば、局所麻酔での乳頭再建という簡単な手術と、全身麻酔でマイクロサージェリーまで動員して行う乳房再建術のDIEP FLAP(何時間もかかる手術)の値段がほとんど変わらないのです。日本円で両方とも20万円くらい。こちらの料金は入院費も込みですから、後者は間違いなく赤字だと思います。日本でも保険の点数で不合理な思いをしたことはありますが、これほどではありませんでした。大きな手術はやりづらい環境になっています。システムの問題点はどこにでもあるものです。



2002年10月13日

  ベルガモ。日曜日は恒例のショートトリップです。近い町にも関わらずなんとなく行っていなかったベルガモに行って来ました。丘の上の城壁都市(旧市街部)で、中世の面影を強く残すという町です。電車で1時間くらいです。車だと30分くらいで着くことを知っているので少々じれったかったです。町はアルタ(丘の上)とバッサ(丘の下)に分かれていて、今回はアルタが目的でした。タクシーでイッキに中心部のベッキオ広場までいき散策してきました(多くの観光客はバスとケーブルカーを乗り継いでアルタに上がってきます)。今日は町のイベントがあり、中世の衣装をまとったたくさんの団体が、歌ったり踊ったりしていてとてもにぎやかでした。アルタは非常に小さく、あっという間にめぼしい観光スポットは見てしまいました。町並みはまさに中世と言う感じです。ただ、もうちょっと大きければなあというところです。帰りはケーブルカーとバスで駅まで帰ってきました。生活風景に写真を載せます。



2002年10月12日

 日本語の本屋。日本人向けの新聞「ハローミラノ」の10月号の特集がミラノ市内の図書館を取り上げていて、その中に日本語の本やビデオの貸し出しを行っている店の存在を知り、いっていきました。イタリア語の新聞や雑誌も読みますが、どうしても拾い読みになります。日本語で本をイッキに読みたいという衝動にかられたのです。
 店は中央駅の側で、家からは地下鉄さえ使えば楽に行けます。日本語の文庫本、ハードカバー、ビデオ、日本のテレビの録画ビデオがおもな商品です。ただし、一切販売はなく、全て貸し出しで、雑誌でさえも貸し出しです。勢いに任せて5冊も本を借りてきました。そのうちの一冊は、伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」というもので、今週末でこれを読みきりました。彼がむかし俳優としてイギリスで活動した際の話やその他の機会でヨーロッパを訪れたときの観察日記のようなものです(時代背景がまちまちで少々まとまりがないのですが、、、)。30年以上前の内容を含む本ですが、彼の観察眼の鋭さに驚かされ、また、ところどころ同感するようなところがあり、非常に面白かったです。
 今後もこの店にはちょくちょく行くことになりそうです。



2002年10月11日

  保険適用。先日盗まれてしまった物が、僕の加入している滞在者保険でカバーされることが判明しました。時価換算ということでどれくらいバックになるのかは分かりませんが、一円もおりないよりはましなので、とてもうれしいです。
 アパートのほうは、tapparellaという窓の外側の木製のシャッターにまで鍵をつけて、厳重にしています。もっと大きな構造的な改善のほうは時間がかかるようです。
 僕のほうは、先週は靴とジャンパーを買いました。鞄は修理中です。



2002年10月09日

 今朝のグランドラウンド(全科ミーティング)は少々不快なものでした。日本の大腸癌のデータが出てきた際に、非常に結果がいい(世界一)ことに関して、腫瘍内科のゴールドヒルシュ教授が、「日本のデータはrandamised trial(大量無作為試験)ではなく、おまけに癌ではなかったケースも含まれているからだ。」と酷評され、自分のことを批判されたように気分が悪かったです。きっと彼の言う事は正しいのでしょう。僕は分野が違うので事情を正確には把握できませんが、randamised trialをほとんど実施してこなかった日本医療界の弱さを突かれてしまいました。乳癌の分野でも同様です。日本のこの土壌をなんとか変えなくてはいけません。世界に発信できる医療を実現しなくてはいけません。



2002年10月07日

 今週末は空き巣の余韻が残り、外出する気もしなく、ずっと部屋にいました。先週は空き巣の後処理や仕事がかなり多く疲れがたまっていたので良い息抜きになったと思います。こちらはバルコニーの葉もすっかり赤くなり、秋になりました。朝夕は寒いというほうが適当なくらい冷え込み、家の中でもジャンパーを着ています(盗まれなかったナイロン製)。10月15日からアパートのスチームが使用可能になるそうなのでそれまでの辛抱です。



2002年10月05日

 空き巣の続報です。当日は気づかなかったのですが、2組の靴とジャンパー(フィレンツエで購入した革製のもの)も盗まれていました。靴は日本で2年前に吟味に吟味して購入したもので、思い入れが大きかったので、そのショックが一番大きいです。かわりの靴を買いに行ったときも、買った後もどうしても気が晴れません。「人の靴を、しかも中古をいったい何に使うんだ?」という疑問と、憤りがおさまりません。



2002年10月01日

  10月は残念な日記から始めなくてはなりません。日曜日コモから帰宅すると、なんと盗難にあっていたのです。空き巣に入られていたというのでしょうか?初めての体験で日本語も分かりません。鍵が空いていて、部屋の中の引き出しや扉がもののみごとに全て開けられていて(トイレや台所もです!)、物色の後がありました。犯人は上の階のバルコニーから僕のバルコニーに飛び降りて、台所の扉をバールのようなものでこじ開けて侵入したようです。一瞬絶望感に襲われましたが、落ち着いて盗まれたものをチェックしていくと、以下の如くでした。

 現金 300ユーロ
 MDプレーヤーと大型ヘッドホン
 ズボンのベルト
 モップ(ほうき)の先端部分
 お気に入りの革のバックがこじ開けられて鍵の部分が破損(修理に数百ユーロかかりそう)

以上でした。パスポートや滞在許可証、それにカメラやビデオ、コンピューターなどはまったくそのままで置いてありました。ベルトとほうきはどうして盗まれたのか見当もつきません。多分犯人は相当若く、おつむのほうはきっと弱いに違いありません。もしかしたら薬中毒かもしれません。目の前の高級カメラなどには目もくれず、ベルトを盗むようなやつですから。同じ階のもう一人の人の部屋もやられていて、ドアを破壊されて入られていました。鍵の構造が部屋ごとに違い、僕の部屋の鍵はものすごく強固なので玄関からの侵入に対しては大丈夫だと信じますが、とにかく荒っぽい手口でした。
 今日は午後から大家といっしょにcarabiniere(警察)にいって事情聴取をしてきました。とにかく実際に盗られた物より精神的なダメージが大きいです。見ず知らずの人間が部屋に入り、ぐちゃぐちゃにしたという事実が腹立たしく、また恐怖でもあります。イタリア生活半年でこんな体験をしてしまい、本当にNon ci credo!(信じられない!)です。今後は構造的な欠陥の改善を急がなくてはなりません。





トップへ
戻る