生活日記8月

2002年08月31日

 送別会。こちらではfesta d'addioと呼んでいます。イタリア語ではパーティーのような人が集まるものは全てfestaと呼ぶので、送別会であってもfestaです。お別れの場である送別会もfestaというのは日本語に浸透している「フェスタ」とはなんとなくニュアンスが違うような気がして戸惑います。別れを喜んでいるような印象を持ってしまうからです。
 そのfestaですが、ここEIOは人の出入りが非常に多いです。8月いっぱいで同僚のウンベルトが他の病院に行くこととなり、今回で3回目のfestaとなりました。仕事の後に医局でケーキ(dolce)とワインやプロセッコを飲むという簡素なものです。どんなdolceを選ぶかが見せ所のようです。こちらには教会にいった日曜日は家族でdolceを食べる習慣があるので、教会の側にはだいたいケーキ屋(pasticceria)があり、日曜でも開いているのでdolceを買うことは簡単です。
 これらのfestaが日本と大きく違う点は、送られる人が費用を持つという点です。お世話になった感謝の気持ちなのでしょうか。もっともだいたいその後、もっと気の会う仲間同士でホテルのバールなので飲みます。先日は、屋外のクラブとでも行ったような場所(音楽がガンガン鳴っている屋外でビュッフェパーティーをやるような感じ)でやりました。こちらは割り勘です。



2002年08月30日

 目の疲れ。最近目が異常に疲れます。かなりの時間手術室で無影灯の下で手術をしているためだと思われます。こちらの人の肌の色は日本人より白いので、無影灯の反射が強く、初めの頃はまじめにまぶしいと感じました。もっとも、イタリア人の肌の色はいわゆる白人白人していなく、日本人のように黄色っぽかったり、時にはもっと褐色です。特に今の時期は日焼けをして良く焼けているので(とにかく日焼けをすることは良く休んだ証として一種のステータスなのです!)、「白人」と言う印象とは程遠い人もたくさんいます。肌の色が黒っぽいために、再建皮膚の血流が悪いのかと勘違いしてしまう程です。話はそれましたが、それでも無影灯の肌での反射は目にはあまりよくないと思います。手術以外の多くの時間はパソコンと向かいっきりで、患者さんのデータべース管理と自分の研究をしているので目にはよくないことばかりです。なんとか解決策を探したいです。



2002年08月29日

 3週間のバカンスから教授が復帰しました。これで今までの生活に戻ります。病院に勤務する他の人の中には9月に休みを取る人も多いのですが、ミラノの町はだいぶ人が戻ってきたようで、路駐の車の数がぐっと増えてきました。近くのちょっと有名なbar(というより日本の喫茶店に近い)も再開して賑わっています。静かなミラノにちょっと慣れてしまったので、なんとなくこのままだったらいいのにと思ってしまいます。不便ではありますが、8月のミラノも悪くなかったです。



2002年08月26日

  なんと今週末もドロミテにいってきました。これで3週連続で行ったことになります。完全にはまってしまいました。なんとしても美しい景色が見たくて、今回はトレント(Trento)という町経由で、またボルツアーノに行き、そこから西側のルートを回ってきました。今回は雨はないものの雲が多く、山がなんとか見れたという感じでした。まだ完璧ではありません。ロープウェイにも2回乗り、山の上からも景色を見て、ドロミテのめぼしい地理は完全に理解しました。写真集に何枚か新しいのを載せます。ドロミテは観光地としての歴史が長く、冬はほとんどの場所がスキー場と化し、全体が巨大なリゾートとなります。12月にはスキーのワールドカップもあるようです。夏は十分に堪能しました。あとは冬にまた来ます。



2002年08月26日

 ドロミテに行く途中で、ガルダ湖というイタリア最大の湖の中に突き出した小さな町シルミオーネ(Sirmione)にも寄って来ました。昔から温泉がわき、ローマ時代から保養地であった町で、遺跡が残っています。現在はバカンスの人であふれかえっていました。湖(といっても海のようにでかい)にはヨットが浮かんでいたり、小さいハーバーがあったり、とてもきれいで、いつも思うことですが長期滞在で来たいと思いました。



2002年08月26日

 イタリア夏の高速道路事情。今月はずっとレンタカーを借りていて、週末は山へ行くために高速道路を多用しています。そこで、高速道路事情をまとめてみました。

1:安い(160kmで7ユーロ=800円くらい、350km強で1800円くらい)
2:道がほとんどまっすぐで北海道のよう(北イタリアは平野が多いためと思われます)
3:高架があまりない(周りの土地とほぼ同じ高さの道です)
4:ライトを点けなくてはいけない(日本ではバイクはそうだと思いますが、一般車も昼間でも点灯が義務づけられています)
5:ほとんど渋滞がない(一度だけ経験しましたが、混んではいても大体流れています。おかげでドロミテまでの350kmも苦になりません)
6:キャンピングカーが異常に多い(日本の比ではありません。一番遅いレーンはキャンピングカー専用といってもいいくらいです。ヨーロッパ文化の一環ともいえるのではないでしょうか)
7:トラックが走っていない(これはバカンスの時期であるということと、僕は週末しか高速道路を運転しないためと思われます)
8:高級車は年配者が運転している(エッと思うくらい年配に見える人がポルシェやフェラーリを平気で運転しています)
9:すごい車は他国のナンバー(スイス、ドイツナンバーの車は全体的に高級で、モナコやサンマリノにいたってはスーパーカーです)
10:ドライブインの店員が若い(日本では年配のおばちゃんが多いような気がしていましたが、こちらは10代か20代前半くらいの若い人しかいません、逆にガソリンスタンドは年配者が多いです)
11:お茶がない(これは道路事情ではありませんが、運転中に飲むものに困ります。日本であれば様々な種類のお茶があり飽きることはありませんが、こちらは水かコーラくらいしか飲めるものがなく、コーヒーといっても例のエスプレッソなので運転しながらという感じではありません。その他は甘ったるい変なジュースばかりです)
12:料金所で道が分かれることがある(日本では僕個人は経験がないのですが、料金所に入るその時点からその先の道が分かれていて、後から変更が不可能な時があります。今まで2回間違えました)
13:助走がないドライブインがある(全てではありませんが、助走レーンがなくいきなり本線に合流しなくてはいけないドライブインを経験しました。ドライブインの中から猛烈なスピードを出さなくてはいけませんでした)



2002年08月23日

  今日は手術した患者さんが皮下血腫というちょっとした合併症にあってしまい、再手術を余儀なくされました。普段順調に手術をこなしてやっと居心地の良くなった手術室も、こういう時はなんとも居心地が悪いです。この程度の合併症は日本でも体験したことが何回かあり、大騒ぎすることではないのですが、こちらでは日本の時より余計に気分が落ち込みます。周りがみんな自分の悪口を言っているような気がしてしまうのです。外国人はうまくやって当たり前、わずかな失敗(失敗ではなく合併症ですが)でいっぺんに信用を失って、針のむしろになってしまいます(多分僕だけの思い込みでしょうが)。今日はこたえました。



2002年08月22日

 モンテローザ。この間、手術室の窓からスイスのモンテローザ(Monte rosa)という山が見えました。マッターホルンの近くにある山でごつごつしていて印象的な形の山ですが、なんとミラノからも見えてしまうのです。もっとも毎日ではなく、僕は今回が初めてでした。モンテローザとは「ピンクの山」の意味ですが、去年スイスに行って見た時、ピンク色ではなかったのでどうしてそういう名前なのか不思議に思っていました。しかし、ミラノからのモンテローザはまさにピンク色でした。まっピンクではありませんでしたが、冠雪が淡いピンク色に輝いていて、名前の由来を納得できました。アルプスの山が見えてしまう程ミラノはアルプスから近い町です。
 ちなみにフランスにある有名なモンブランはイタリアではモンテビアンコ(Monte bianco:白い山)と呼ばれています。



2002年08月20日

 昨日は夕飯を食べ終わってテレビを見ていたら、ACミランとユベントスの試合がサン・シーロであるというので、フラッといってきました。僕のアパートからはトラムで1本なので、トラムに乗ってしまえば終点まで乗るだけです。30分くらいで着きます。試合は夜の9時からで、ちょっと遅めです。毎週日曜の午後にあるリーグ戦以外はだいたいこの時間からです。終わるのは11時くらいになるわけですから市内に住んでいないとなかなかいけないかもしれません。話はそれますが、先日、夜中の11時半くらいに花火がドンドンと上がっていました。日本では考えられません。夜の時間感覚が日本とはちょっと違うような感じです。話を戻すと、ACミランには今シーズン、ブラジル代表のリバウドという超大物選手が新加入し、彼のミランでの初試合だったのでミラノのサッカーファンは大注目していました。スタジアムはメインスタンドは閉鎖されていましたがそれ以外は3階席までほぼ満員という状態で驚くべき人気です。ただ、リバウドのプレー自体はまだなじんでいない印象でこれからといった感じでした。存在感だけはすごくありましたが。僕はシードルフという黒人プレーヤーが最近気に入っていて(正真正銘の黒人という感じで本当に真っ黒)、テレビでも結構注目して見ていたので、本物を見て満足しました。ユベントスのエースプレーヤーのデル・ピエロがボールを持つとすごいブーイングで、「merda!=クソッタレッ!」とみんなで合唱していました。初めてメインスタンド以外のいわゆるサポーター席で試合を見て盛り上がりを初体験しました。いよいよサッカーシーズン到来です。



2002年08月18日

 週末は、懲りずにまたドルミテに行って来ました。今回は東側を中心に見てきました。Cortina d'Ampezzo(コルティナ)という高級リゾートの町に一泊して、早朝から見所に行ったり、ロープウェイに乗ったり(山の麓は暑く、一気に上る山の頂上近くは5度くらいと寒く、服を着たり脱いだりで忙しかったです)、また2時間位のハイキングをしてきました。天候が良かったので、本物のドロミテを見た気がしました。コルティナは小さな町ですが、独自にリゾートやファッション、車(9月にクラシックカーのイベントがある)の雑誌を作ってしまう程であなどれません。スイスのZermatt(マッターホルンの町)などとはまた違った印象で、高級感を前面に出しています。写真を別枠で載せました。



2002年08月16日

 今日8月15日はカトリックの祝日(聖母マリア被昇天の日)で休日です。この時期はみんなバカンスで、病院のほうも仕事の密度がかなり薄くなっていて、僕も働く気はかなり低下しています。そこで、午前中は病院にいって患者さんの包帯交換などをして、午後からマントバに行って来ました。マントバはちょっと中途半端なところにある町で、車で行くのがちょうどいいような町です。電車だとクレモナの先になり、ミラノからは2時間かかります。車ではいろいろな行き方がありますが、今回はパルマまで高速(6ユーロ弱)で行って、そこから一般道で合計2時間くらいかけて行きました。湖が3つあり、それに囲まれるような形の町で、中世の町並みを多く残しているというふれこみの町です。僕は北イタリアで、中世からまるで変わっていないような町を探しているのですが、マントバにはかなり期待していってきました。
 イタリア旅行で、ミラノ、ローマ、ベネチア、フィレンツなどは初級、コモ、ベローナ、パドバ、クレモナ、マントバなどは中級になると僕は思います。上級は名も無き町になるのかもしれません。
 とにかく、期待を裏切らない町でした。はじめはやたら一方通行が多く、同じところをぐるぐる回ってしまい戸惑いましたが、車を止めて歩き出してからは快適で、中心部(centro)は今まで見た町の中で一番石畳が古い感じで、ボコボコしていました。ところどころにいかにも中世っぽい(?)町並みがあり、未開という点で、フィレンツエやベローナよりももっと中世らしさを感じさせてくれました。結構お勧めの町です。いくつかみたいところが休みで残念でしたが、半日旅行としては十分楽しめました。生活風景に載せます(満足度に比例して写真の数も増えるものですね)。



2002年08月16日

  マントバの帰りに、サッビオネータという小さい町に寄って来ました。この町はマントバを支配していたゴンザーガ家の王子が理想を抱いて作った町で、完全に六角形の城壁に囲まれていました。今でもほとんどの城壁が残っていることで有名です。パルマとマントバの間にあります。噂の城壁は想像よりは小さかったです。町自体は現在骨董品の店が多くあり、祝日の今日もいくつか開いていました。見所は三箇所だけで、「骨董の回廊」と、当時の劇場(オリンピコ劇場)、ドウカーレ宮殿です。マントバ以上の古さを期待していましたが、そんな感じはほとんどなく、城壁以外はそれほど強烈な印象はありませんでした。



2002年08月15日

 コップの汚れ。こちらで一人暮らしをして台所を預かっているとコップの汚れが気になります。普通に洗って置いておくと、底や側面に石灰分が付着してして白くなるのです。はじめは良く洗わなかったから汚れが残っているのかと考え洗い直してみたりしました。しかし、何度洗っても同じようになってしまいました。そこで、原因は水にあるということに気付いたのです。こちらの水は周知のように硬水で、石灰分が多く含まれています。そのために水分が乾いたときに溶けていた石灰分が析出してくるわけです。コップを逆さまにしておくといくらかはいいのですが、完全に取り除くことは出来ません。別に毒ではないのでしょうがなんとかしたいところです。



2002年08月14日

 イタリアテレビ事情1:こちらならではの特徴がいくつかあるのですが、今回は日本のマンガ(アニメ)ついて書いてみます。
 僕の知る限りでは現在イタリアの地上波で見られるアニメで日本のものは4つあります。「あしたのジョー」、[キャプテン翼」(サッカー大国で弱小国の日本のサッカーアニメをやっているというのが興味深いです)、「スラムダンク」、それと僕は名前も知らないのですが見覚えのあるアニメがあります。もちろん完全にイタリア語に吹きかえられています。ただ、出てくる町並みや、スラムダンクにいたっては高校名がそのまま日本の名前で、湘北だの、海南台だのと出てきてイタリア人はいったいどういう風に理解するのだろうかと不思議に思います。またこの漫画のおかげで日本でバスケットブームが起きたようにイタリアでもブームが起こるのでしょうか?あしたのジョーは「矢吹ジョー」から「ロッキージョー」と名前が変わっています。主題歌のほうはそのまま日本語が流れていて面白いです。イタリアに限らず、日本のアニメは現在世界中に輸出さていて、これが日本の文化輸出の一環を担っているというのを実感しました。興味深いのはこれは今に始まったことではなく、少々歴史があるということです。「アルプスの少女ハイジ」は既に子供たちのアイドルですし、先日は看護婦さんと「ヤッターマン」の話題で盛り上がりました。僕と同世代の看護婦さんで知らない人はいないくらい有名でした。「ヤッターマン」というのはなにか成功したときに発する言葉と「マン」を組み合わせた名前だと説明しておきました。顔かたちは違っても共通の体験をしているというのは興味深いところです。もっとも日本のアニメなどはささいな共通体験で、考えてみればアメリカのテレビや映画、歌などのほうが世界中に広がっていますね。手術中に流れてくるラジオで僕の好きな80年代のアメリカンロックにこちらの同僚も「いい曲だ!」とか「最高!」と喜んでいますから。
 ちょっと話はそれますが、こちらにきてアメリカという国自体はあまり意識しなくなりました。日本にいる時は外国といえばまずアメリカで、テレビのニュースでもアメリカのことは多く流れていると思いますが、こちらでは話題に上ることは滅多にありません(僕のまわりでは)。ヨーロッパ人というのはこういう環境で生活しているのですね。



2002年08月12日

 今週末はドロミテ山塊を見に行って来ました。ドロミテは、アルト・アディジェ州の北部、オーストリアとの国境近くに位置します。州都であるボルツアーノ(Bolzano, Bozen)から行きやすい西側と、コルティナ・ダンペッツオ(Cortina d'Ampezzo)などから行きやすい東側に分けられます。今回はBolzanoにまず行き、それから西側の山を巡ってきました。ミラノは土曜日は朝から雨で、Bolzanoに確認の電話をしても雨ということで今週末はあきらめようかと思ったのですが、山の天気は変わることもあり得るし、一度行こうと決めたら他のところに行く気がわかなかったので迷った挙句の末に、出発は午後2時頃になってしまいましたが出発しました。今週末からレンタカーをまた借りていたので、高速で行きました。スムーズであれば3時間半くらいで着くはずの距離でしたが、Bolzanoまで約5時間かかりました。バカンスの時期のせいか、ベローナを過ぎたところからまったく車が動かなくなり、延々と渋滞が続きました。Bolzanoに着いた頃はくたくたです。ドロミテを車で回るのはいい案だと思ったのですが、裏目にでました。Bolzanoの町は小さく、僕にとってはこれといって見たいものはありませんでした。イタリア国内とはいえ、ここは既にドイツ語圏にもなっていて、聞こえてくる会話はイタリア語であったり、ドイツ語だったりで、道路標識もイタリア語とドイツ語が併記してあります。たまたま見つけた一番いい(と思われる)ホテルに泊まりました。空きがあったらしく、シングルの価格でツインの大きな部屋に泊めてもらいました。イタリアではよくあることです。交渉次第で結構いいことがあります。翌朝目がさめると相変わらず雨が降っていました。散々悩んだ挙句、近くの魅力的な小都市や城を訪れる案もあったのですが、天気が悪ければ人が少なくていいかもしれないと考え、山にアタックすることにしました。長雨の後の山道のドライブは油断できないと気を張って運転し始めました。スイスの山道のように小さな山村を細い道で延々と抜けていくのかと思ったら(実際そういうところもありますが)、想像とはまったく違い、山の中で車の大渋滞にあいました。道はかなり整備されていて運転に支障はなく、建物という建物はホテルかお土産屋で、人が少ないと考えたのは間違いで、山塊の中に既に大量の人が泊まって滞在していたのです。冬はスキー、夏はハイキングや避暑に来る人でいっぱいになるようです。特にカナツエイ(Canazei)という山塊内の中心の町は日本の軽井沢状態で、通過するだけにも時間がかかり、交通整理の警察官がいる程でした。もともとはイタリアとドイツの交通路であったというのも良く整備開発されている一因だと思います。とはいってもかなりつづら折の道が続き、天候も一時前が見えないほどの大雨となり、ガスもかかってしまい、大変でした。今までの経験(福島で山道に慣れていたこと、左ハンドルのマニュアル車にもかなり慣れていたこと)のおかげで無事に帰ってくることができました。肝心の景色の方はセッラ山という山だけがちゃんと見られた気がします。スイスアルプスとは違ったなにかを期待していたのですが、ほとんど見えなく残念至極でした。お土産の絵葉書のすばらしい景色はまったく見ることができませんでした。東側を見るのも兼ねてまた来たいと思います。



2002年08月06日

食生活紹介2:パスタ
 当然の話ですがちらはパスタの本場なので種類が多いです。日本で有名なスパゲッティはロングパスタに分類され、それ以外にもパスタにはショートパスタというカテゴリーがあります。スーパーでも様々な種類のパスタが置いてあり、すべての種類を列挙すると100種類以上あるそうです。元来北イタリアは生パスタ、南イタリアは乾燥パスタが有名ですが、実際自宅で料理するには乾燥パスタが簡単で向いていると思います。僕は日本でもまれにスパゲッティは料理していましたが、スパゲッティ用に底が十分に深い鍋がなく、茹で始めに少々苦労していました。ですから底の深い鍋が欲しかったものです。日本ではいわゆるショートパスタは使ったことがありませんでした。ところがこちらでは、病院食堂でもそうですが、コース料理のprimo piatto(第一の皿)のパスタはショートパスタが実に多いのです。ですから僕も自分でショートパスタを買って試す気になったのです。使ってみると実に料理しやすくて驚きました。スパゲッティのように長くないのでどんな鍋でも料理できますし、それと同時に食べやすいのです。これは大きな発見です。
 僕の買い置きしているパスタを挙げてみますと、日本でもおなじみのspaghetti(こちらでは1.6mmのものだけをそう呼ぶ)、farfalle(蝶の形をしたもの)、fusilli(短くてネジのように渦巻き状のもの)、penne(太くて短くななめにカットしてあるもの、刻み線入りのペンネ・リガーテというのもある)です。特に僕のお気に入りはfusilliで、渦巻きのところにソースが絡んで実においしく食べられます。是非お勧めです。偉そうに書きましたが、僕のソースはトマトベースのものにあらかじめマグロ(tonno)、アサリ(vongole)、バジル(basilico)や唐辛子(arrabbiata)などがブレンドされて売っているもので、茹でたパスタにただ混ぜるだけです。特にarrabbiataがお気に入りです。4月に教授宅でいただいたものと同じ種類のものです。教授のまねをして買い置きしています。非常食としては便利この上ありません。



2002年08月04日

 土曜日にクレモナに日帰りで行って来ました。ミラノから88kmで電車で約1時間で行けます(1等で片道7.5ユーロ)。
 クレモナは17世紀からバイオリン製作で有名な町で、現在の一流バイオリン演奏者の愛用しているバイオリンはこの時代のクレモナの作品がほとんどです。といってもただクレモナ製というわけではなく、とりわけAntonio Stradivarius(通称ストラディヴァリウス、1648?−1737)、 Bartolomeo Giuseppe Guarneri del Gesu(通称グアルネリ・デル・ジェス、1698−1744)という2大製作者の作ったものが飛び抜けてすばらしい音色を奏で、価値があるものと見なされています。
 僕は幼少時にバイオリンを習ったことがあり(触っただけといっていいくらい短期間ですが、、、)、イタリアに関心を持ったころからバイオリンの町クレモナには是非行ってみたいと思っていました。そして町ではどこからともなくバイオリンの音色が響いてきて、たくさんの楽器屋が軒を連ねているというような町を想像していたのですが、そんなことはまったくなく、少々期待はずれでした。典型的なイタリアの小都市という感じで、時期的にも町は静まりかえっていて、楽器をおいた店は一件見つけるのが精一杯でした。ストラディヴァリウス博物館も期待を裏切るほど小さいもので残念でした。むしろ、「Torrazzo(塔)の町」といわれるくらい有名な塔とドウオーモが印象深かったです。しかし、塔のほうは改築中で上に登れなかったのでこれもまた残念でした。事前にいろいろ調べていくのが苦手なので、僕の旅にはよくこういうことが起こります。最後に市が所有するストラディヴァリウスとグアルネリ・デル・ジェスの作品を見てきました。



2002年08月01日

 バカンス。いよいよバカンス(Vacanza)の時期がやってきました。既にバカンスに行っている人もいますが、8月から本格的なバカンスに突入です。ミラノのほとんどの店は閉まってしまい、多くの人は海へ行き、ひと夏を過ごします。東海岸のアドリア海、サルデーニャ島。そしてシシリアのいずれかにみんな行くようです。中には山に行く人もいるようですが海に行くほうが一般的で、「今年はどこの海に行くの?」というのが挨拶がわりになるほどです。期間は三週間ぐらいが一般的で、その間町は機能を失い、観光客だけが残るという状況になります。。
 病院では3週間休みをとる人はあまりいなく、10日から2週間くらいが一般的です。帰ってくるとみんなよく日焼けしていて(焼きすぎといってもいいくらい)、一目でバカンス帰りというのが分かります。Petit教授は今週末から3週間休みを取ります。どこにも行かないでパリに留まると言っていました。グランドラウンドという週一回の全科のミーティングも8月はありません。イタリア語学校も休みではありませんが時間割が大幅に縮小されます(前述)。8月はバスの便数もやや少なくなり、時刻表が変更になります。近くのクリーニング屋も休みなので、先日まとめてクリーニングに出しました。町のインフォメーションでは「Milano aperta」という8月中にやっている店のガイドブックが出るほどです。アパートの管理人までもいなくなってしまうので、非常時用の鍵を自分で預かるはめになりました。万が一鍵をなくしたら部屋に入る術はまったくありません。ですから、病院に鍵を一つ置いておくこととしました。バカンスに行かない僕はこの特別な時期をなんとか無事に過ごしたいと願っています。





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