生活日記6月

2002年06月18日

 ついに帰国の日が迫ってきました。(こちらの19日)短いようで長い3ヶ月でした。最初は体調不良で、ボロボロでしたが、その後は元気に過ごすことが出来ました。仕事に関してはホームページに書いていない(書けない?)、いろいろな問題がありましたが、今はすべてのことが比較的順調で、大きな筋皮弁も任されるようになりました。日本で一度鋭気を養って、またイタリアでの生活を再開したいです。
 ところでアパートをついに見つけたので、7月からはアパート生活の開始です。生活面でも新しい発見があることと思います。
 ホームページはしばらくお休みします。帰国時の荷物を減らしたいのでコンピューターは持っていかないこととしたからです。順調であれば、7月から再開です。ただ、電話線が入るのにしばらく時間がかかるとのことですから、ちょっと遅れるかもしれません。



2002年06月17日

 今日は日本への一時帰国の準備が済んだら、ベローナに車で行ってきました。ミラノからは約200km離れていて、むしろベネチアに近い町です。高速道路で約2時間かかりました。以前から誰に聞いても「ベローナは美しい町だから一度は行くべき」と聞かされていたので、今回の帰国前に行って、留学第一幕を完結させようと思ったのです。ここのところものすごく暑く、今日も30度くらいはあったと思います。暑くて観光をする気も失せてしまいますが、車は冷房が良く効くので気を取り直していってきました。
 なぜかスターバックスのコーヒーに「ベローナ」という名のものがあり、名前だけは知っていました(そういえば、ミラノではスタバは見ません)。また、シニア助手のガルージもベローナ出身(実は産休明けから彼女は助教授に昇進していました)ということで、なじみがちょっとはありました。大きさは正確には分かりませんが、旧市街はフィレンツエを小さくしたような感じで、アディジェ川沿いに広がっています。旧市街の外側にはたくさんの現代的な産業地が広がっています。ベローナは、本当は実在しなかったのかもしれませんが、ロメオとジュリエットで有名な町で、さらにローマ時代のコロッセオがあり、現在ではそこでオペラを上演することで有名です。言われていたほど「美しい!!」というほどの感動はなかったのですが、全体的にたくさんのモニュメントがよく保存されていて、こじんまりとしていてこぎれいな印象でした。(生活風景に写真掲載)



2002年06月15日

 日本中がサッカーの決勝トーナメント進出を喜んだに違いない今日、僕は兼ねてからの楽しみであったコンサートに行って来ました。「フジ子ヘミング」という最近人気の出たピアニストのコンサートです。どうして最近かと言うと、NHKの特集で注目を浴びてそれ以来人気が出たからです。彼女の十八番はリストで、「ラ・カンパネラ」が有名です。彼女の初のヨーロッパ公演の最初の地がミラノだと知り、二週間前に既にチケットを購入していたのです。
 会場のTeatro Dal Vermeは新しくてきれいで、あまり大きくなく2000人規模くらいではないでしょうか。僕はミーハーなので常に一番前の席を買うのですが、今回も一番前の席を確保していました(30ユーロ)。ステージが30cmくらいの高さしかなく、一番前の席からだと目線と同じ高さでした。見上げる高さを想定していたのでとても快適でした。彼女との距離は5メートルもなかったと思います。残念なのはピアノの陰で、指の動きが見られなかったことです。後半のアンサンブルでは、バイオリニストの鼻息が聞こえるほどでした。
 会場には大量の日本人がいて、見る限りミラノ駐在の日本人とその家族という感じで、盛んに挨拶をし合っていました。子供もかなりの数がいました。
 内容は、ショパンなどははっきり言って普通だと思ったのですが、噂のラ・カンパネラはまったく別次元の演奏で、ものすごく力強く、まさに圧巻といった感じでした。演奏後には「ブラボー!!」とさかんに声援がありました。



2002年06月11日

イタリア交通事情1:運転の鉄則
 ここイタリアで車を運転する機会を持ち、初めのうちはどきどきモノでしたが、今ではすっかり慣れて、旅行に行ったり、通勤に使ったりしています。そこで、こちらで運転する上で気を付けなくてはいけない点を以下に挙げて見ました。(イタリアでの運転の鉄則)

1:いつでもどこでも追い抜かれる可能性があることを忘れるな
2:黄色信号では必ず止まれ
3:高速道路では常に後ろに注意を払え

 1に関しては、初めは驚きます。一車線道路でもちょっとでも遅く走っていると(とはいっても60kmくらい)、後ろの車は躊躇することなく一気に抜いていきます。さっきまで後ろにいた車が、気がつくと横を走っているのです。そういう時、完全に反対車線にはみ出ています。抜かれるときは一定の速度で走る(出来れば少々右によってスペースを空ける)のがルールになっています。横に出たもの勝ちといったところでしょうか。間違っても加速して追い越しさせないようにするようなことはしてはいけません。危険です。また、これは自分が抜かれるときだけに限らず、対向車線の車にもいえるので、いつ何時、自分の車線に対向車がはみ出てくるか分かりません。バスやトラックの後方から突如小さな車が出てきたりするのです。田舎の一本道などは初めからそのつもりで気を付けて運転する必要があります。遅く走っているときは少々右寄りに走り、抜きやすくしておいたり、反対車線の車の流れも気にかける必要があります。
 2に関しては、こちらの交差点では、一方が赤になるとほぼ同時に一方が青になるので、すぐに交叉している道から車が出てきます。ですから、日本の感覚で黄色だから行ってしまえ!とやると衝突の危険が高くなります。よく見ていると、こちらの車もどんなに飛ばしていても、黄色信号でピタッと必ず止まっています。
 3に関しては、高速道路、特に追い越し車線では猛烈なスピードで迫ってくる車が必ずあるからです。おそらく200kmくらい出しているのではないでしょうか。ちょっと遅い車を抜こうと思い追い越し車線に出たりすると、次の瞬間にはぴったり後ろに車が張り付いていて猛烈なパッシングをされたりします。そこで右に譲って見ていると、今度は自分を激しくパッシングしていた車が更に速い車にまたまたパッシングされています。よく見る風景です。なるべく追い越し車線は走らないほうが無難です。
 ただ、個人的な印象ですが、こちらの運転者は全体的にうまいと思います(各人が分をわきまえているという意味で)。上記のような注意点はあるものの、他の車に対して一種の「信頼」のようなものを持って運転することが出来ます。



2002年06月11日

 ガルージ。今月からシニア助手の(日本では講師に相当すると思います)が復帰しました。女の子と男の子の2人の子持ちで、2人目の産休明けです。彼女は胸の手術ももちろんしますが、むしろ頭頸部の癌の切除後の再建を得意としています。いわゆるマイクロサージェリーです。日本では形成外科といえばマイクロサージェリーが出来なくては一人前ではないといわれるくらいマイクロが進んでいますが、イタリアでは必ずしもそうではありません。当形成外科では彼女がマイクロ担当です。彼女は産休を利用してグラスゴー(マイクロで非常に有名な病院がある)に短期留学して更に研鑽を積んできたようです。身長は150cmくらいととても小さいのですが、常に落ち着いていて静かなので、話しかけやすく、僕にとってはプラスの存在です。
 後から分かったことですが、産休明けから彼女は助教授になりました。



2002年06月10日

 サッカー。イタリアでは、昨日イタリアがクロアチアに敗れたために、決勝トーナメント進出が出来るか否かが最大の関心事となっています。審判のジャッジに対する批判も盛んにされています。
 僕のほうは日本の第2戦の勝利をリアルタイムで見ることができました。日本の選手達のたのもしい活躍は、停滞気味の日本全体に勇気と活力のようなものを与えてくれるのではないでしょうか?今回初勝利を挙げたことから、サッカーは長い間世界から見ると遅れていましたが、これからはワールドカップに出場することだけに喜ぶのではなく、対戦相手を倒す快感のようなものを日本国民は覚えたと思います。少なくとも僕はそうです。フランスやブラジルなどの強いといわれる国に勝つことを目標として臆することなく堂々とやってもらいたいものです。人口だけをみたら日本は間違いなく大国なのですから。(アルゼンチンなどは3400万人しか人口はいない!)
 ちょっと熱くなってしまいましたが、サッカーの活躍をみると僕自身も頑張ろうという気にさせられます。ところで、稲本はよく活躍しています。こちらイタリアの実況では、「この大会は間違いなく彼の広告になっている!」といっていました。更に稲本のインパクトが相当強いらしく、鈴木も中田浩二も時々「イナモト!」と呼ばれていました(金髪だからか?)。ワールドカップ後、彼にはイタリアのクラブから絶対いいオファーが来るに違いありません。



2002年06月10日

 来週帰国するのに合わせ、空港で車を乗り捨てる予定でまたレンタカーを借りました。
 去年アルプストレッキングの旅行で、マッターホルンやモンブランを見たり、氷河の中に入ったりとアルプスの魅力にすっかり取り付かれてしまった僕は、機会があればまたアルプスを見に行きたいと考えていました。
 そこで、勢いでアルプスを見に行って来ました。autostrada(高速道路)のA26を北上するとマッジョーレ湖を横に見ながらどんどん山道になり、約2時間走るとスイスとの国境です。パスポートを見せるとすぐに通してくれました。シンプロン峠を過ぎると一気に山を下り、Brig、Vispを過ぎて、国境から1時間半でスキーリゾートのSaas-Fee(サースフェー)に到着しました。約250kmのドライブでした。予想より簡単に、しかも早く着きました。道も空いていて快適でした。東京から箱根にでも行く感覚です。 
 Saas-Feeはマッターホルンで有名なZermattの反対側にあるといえば分かりやすい小さな村で、夏はトレッキング、冬はスキーリゾートとして知る人ぞ知るというところです。夏のシーズンは7月からということで、やっていない店やホテルもたくさんありましたが、個人的には静かで逆に良かったと思います。車は町の中に入ることは出来なく、町の外れの駐車場に止めます。本当に小さな村なので、駐車場から歩いて5分ほどで町の中心部でした。
 今はホテルは一番安い価格で泊まれ、豪華なディナーと朝食付きの4つ星ホテルが129スイスフラン(約95ユーロ)でした。部屋もすばらしく、ベネチアでの悲劇とは大違いです。スイスはいたるところがきちんとしていてきれいなので好きです。思い出の時限式電灯(省エネのために、廊下の電気などはスイッチを押すと点灯するしくみで、しばらくすると消えてしまいます)もありました。スイスで嫌な思いは今まで一度もしたことがありません。
 空気もひんやりとしていて最高でした。10時くらいまで山の姿が見えていたので、いつまでも窓を明けて心地よい空気を吸っていました。恒例の早朝散歩は人っ子一人いなくて寂しかったくらいです。Saas-Feeはトレッキングというより、スキーリゾート色が強いと感じました。今度はスキーできたいと思います。
 ちなみに高速道路は片道5.4ユーロでした。日本であったら何千円もかかるところです。そのあたりが気軽に遠出できる理由の一つではないでしょうか。生活風景に写真を載せます。



2002年06月08日

 今週は学会続き。今週の前半はEIOで、「Global Summit Meeting on Mammographic Screening」というマンモグラフィーの学会があり、後半は、近くのホテルで、「4th Milan Breast Cancer Conference」という乳癌治療全般を扱う学会がありました。どちらの学会にも無料で参加できました。後者にいたっては、受付で名前を言うだけで既にバッジやカバンなどが用意されていて、resistration(登録)をしないで飛び込みで行ったつもりだったのでいたく感激しました。EIOのstaffやfellowにはそういうメリットがあるようです。裏を返せば出席しなさいということかもしれませんが、、、。
 ただし、仕事の合間(手術の合間)にしか参加が出来ず、正直聞きたいと思ったところは残念ながら聞けませんでした。(詳細は他のところで書きます)イタリア全土、ヨーロッパ、南米各国から出席者があり、Breast Conferenceのほうは日本人も2人程いたようです。イタリアの中で、ミラノは経済、産業の中心都市で、医学においても中心であることを再認識しました。以前に触れましたが、ミラノで癌センターというと有名なのは2つあるのですが、どうやら最近はEIOがナンバー1になったようです。というのもベロネージがミラノ国立癌センターからEIOに移り(設立し)、それとともに名声も移ったとのことです。経済的なバックアップの違いが大きいようです。そういう施設にいることはやはり誇らしく思います。



2002年06月08日

 名前を覚えるのは大変。EIOに来てはや2ヶ月が経ちますが、なかなか人の名前が覚えられません。形成の同僚は当然覚えましたが、手術室や病棟の看護士、麻酔科をはじめ他科の医師の名前まで手が回りません。というのも、イギリス人や、アメリカ人にあるようななじみのある名前だけではなく、もっと変な名前(思い出すのも困難!)が結構多いのです。通称も含めて覚えている人の名前を試しに挙げてみると、イントラ、ヴィヴィアンナ、アンナ リタ、スザンナ、ルチア、ルッジーナ、アルバ、ギアナ、ファービー、ダビデ、マウロ、アンドレア、ファウスト、ピエーロ、トンマーゾなどなどです。挨拶の時に相手は必ず、「チャオ!サトル!」と言ってくれるのに、僕のほうは「チャオ!」だけしか言えなくて少々悪い気がしています。僕の頭は、医学とイタリア語で手一杯のようです。じきに覚えられるだろうと楽観的に構えてはいますが、、、。



2002年06月06日

 ワールドカップ。いよいよ始まりました。今年は日本と韓国で行われるということで、日本では大いに盛り上がっていることでしょう。こちらイタリアでも盛り上がっています。食事の時は必ず話題に上りますし、テレビでrai uno(日本のNHKみたいなもの)が毎日試合を生中継しています(一日3試合)。EIOの手術室内にある、通称bar operatorio(手術室バール)には水とエスプレッソコーヒーと食べ物やジュースの自動販売機があるのですが、そこに突如テレビが出現し、毎日ワールドカップの試合を流しています。手術の合間にたくさんの医師や看護士が集まり観戦しています。中には手洗いをしながら見に来る医師もいるほどです!「日本でワールドカップが行われているのに何故ここにいるんだ?」とよく言われます。このワールドカップは日本と韓国の宣伝効果は抜群です。おそらく世界中の人があらためてこの2つの国の存在を再認識することでしょう。
 僕はEIOではたったひとりの日本人、アジア人ですから、結構有名(?)です。時々中国からか?韓国からか?とまだ聞かれたりしますが、手術室のスタッフはみんな日本からきている形成の山口のことは覚えてくれていて、(まだ時々タマゴッチと間違われますが、、、)日本の試合も気にしてくれています。日本の初戦は、僕は手術があったので最後の10分くらいだけ見られたのですが、ベロネージ助教授が「2−2だよ」と声をかけてきて、日頃はクールな先生に気さくに声をかけてもらえてうれしかったです。日本代表の中ではなんといっても中田が有名です。知らない人はいないほどです。また、初戦に関して言えば結構いいプレーをしたのか、「イナモトはすごい!ペレのようだ!」という人がいました。また、「どうして日本人選手はみんな髪がbiondoブロンドなんだ?」とも訊ねられました。「気分を高揚させるためと、目立つことによって自分を欧州に売り込もうとしているのではないか。」と答えておきました。
 EIOにはいろいろな国から医師や看護士が集まっているので、ワールドカップは格好の話題の種です。僕は6月下旬に一時帰国するので、かなり厳しいですがその時に日本が残っていたらいいなと思っています。



2002年06月03日

 週末は、兼ねてからの夢であったミラノーパリ間を結ぶ寝台列車でパリに行って来ました。パリにはたしか5回目くらいなので目的ではなく、ヨーロッパの寝台列車に乗ることが目的でした。日本でも寝台列車はちょっとしたブーム(僕だけか?)で、カシオペア、北斗星など、東京ー札幌間の寝台や、大阪ー?の、トワイライトエクスプレスなどがあります。日本では時間がなく果たせなかった寝台列車の旅にいきなりですが行ってきました。
 ミラノ中央駅の出発は21時55分。かなり遅い出発です。トリノ経由でアルプスの西端を通り、パリ・リヨン駅には午前8時48分到着です。寝台の旅としてはちょっと短いでしょうか。近いわけではありませんが、もうちょっと長い時間乗っていたいところです。
 結果ですが、なかなか快適な旅というのは難しいもので、トイレとシャワーはありますがあとはベットだけという感じで部屋は恐ろしく狭く、まさに寝るための部屋でした。実用的な印象を強く持ちました。それでも夜の列車はとても涼しくて気持ちよかったです。昔、昔、茨城から東京に行った帰りの夜の列車を思い出しました。ずっと起きていようと思いましたが、いつのまにか眠ってしまい、途中で寝ぼけながら何回か起きましたが、ああ走っているなと思うだけで明るくなるまではなにも見えずよく分かりませんでした。ただ、進行方向が何回か変わったように感じました。詳細は分かりませんが、多分牽引車が変わったのだと思います。後で調べます。いつも感じることですが、イタリアでの列車の旅は北海道の旅に似ています。広々とした景色が広がるからです。フランス国内はもっと北海道チックで、見渡す限りの平原でした。小さな町が点在していますが、小さな町の作りは、現代的かさもなければひどくみすぼらしく、イタリアの小さな町の方が趣きがあるような気がしました。こんな感じで夢は果たしました。
 列車でパリに行くのは初めてでした。ヨーロッパは陸続きであることを再認識させてくれます。ただ、パリではフランス語しか話せないとか、英語がちょっとしか分からないとかいう人に逢いました。最近はイタリアが世界の中心じゃないかと勘違いしてしまうほどイタリアそしてイタリア語の中に浸っていたので、英語よりもイタリア語が先に出てきてしまいます。イタリア語が通じない環境に久しぶりに来て、イタリアは小さな国で、世界の標準語は英語、フランス語だということを思い出しました。
 帰りはフランスが誇る高速列車TGVで一気に帰ってきました。それでも7時間かかりました。列車の旅は、車と違って車中でいろいろなことが出来るので好きです。たっぷり勉強できました。これでやりたいことはだいたいやったので、これからは仕事に集中します。
 生活風景に写真をたくさん載せました。



2002年06月03日

 週末は同僚たちと町のピザ屋に行きました。うまいピザ屋があるというので、正直言ってピザは飽き飽きしているのですが行ってみました。なかなか人気の店らしく、人でごった返していました。そこで僕はお勧めのナポリ名物というピザ?にチャレンジしました。名前はpanzarottoといい、チーズなどをはじめいろいろなものをピザ生地?かなにかで包んで油で揚げたもので、大きな揚げギョウザみたいなものです。見た目からして普通のピザとはまったく違うのですが、味のほうもどうやら違ってものすごく油っぽく、残念なことに半分も食べられませんでした。仲間のうちで結局一番おいしかったのは一番シンプルなマルゲリータだったような気がします。いい天気で、その後はgelateria(アイス屋)にも行き、アイスを食べながら語り明かしました。





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