生活日記4月

2002年04月30日

  今日はレジデンスの部屋を変更しました。夜の10時から11時にかけてごそごそと引越ししました。理由は今までの部屋は湯船がなかったことと東向きで日差しがほとんど入らなかったからです。値段が同じで、湯船付きで南向きに変えられるということを聞いたので、満室だったために1週間待ちましたが、とうとう今日無事に変更できました。部屋の総面積は同じようですが、家具が新しく、絨毯張りで、なんと言っても日差しが多く明るいのでとても満足しています。以前と同じ5階ですが、このレジデンスは最も高いところは11階なので、もうちょっと上だったら文句なしといったところでしょうか。
 それにしても欧米にくるといつも思うことですが、言ったもの勝ちのことが多いのです。ホテルでも自分の主張(希望)をはっきりいうと結構得したりするものです。なされるがままだと満足できないままで終わってしまいます。今回の部屋の変更のことも、いままでいろいろと言わないでなんとなく損したような経験がいくつかあったのを教訓にして、今はどんどん主張していることのおかげで実現したと思っています。



2002年04月28日

 今日は車を探しに行ってきました。大学に入ってから今までずっと車の生活だったので、こちらに来て公共の交通機関だけでは不便な印象が拭えなく、だんだんと欲しい気がしてきました。また、郊外にEIOは位置しているので、実際何かと車があると便利なので、買うこととしました。以前教授のアウディに乗せてもらった時結構良かったので、単純に僕もアウディがいいと思い、トラム沿いの車屋(アウディ、ワーゲン)に行ってみると、なかなか魅力的な車がありました。しかし、2年間程度の限定使用であることと予算的なことを考え、小さな新車か中くらいの大きさの中古車をターゲットとしているので手が出ませんでした。そこで中古車を多く扱っている系列店を紹介してもらい、はるばる市内を縦断し案内されたところに行ってみました。何台(何十台?)かの車があり、日本で売られているものより同じ車種でも排気量が小さかったり、ディーゼル車であることが多く、またなんといってもほとんどがマニュアル車(オートマチックは1台だけ)がほとんどであることが分かりました。日本で、一時左ハンドルのマニュアル車に乗っていたことがあるので問題はないだろうと思ってはいても、イタリアのような狭くて混雑したところではさすがにオートマチックにしようかと迷っています。アルファロメオやサーブなど結構欲しくなるような車がありましたが、結局即決はせず帰ってきました。同僚の友人の親がベンツのディーラーであるというのを聞き、昨日彼にいい車を探してもらってくれと頼んでおいたので、いい情報に期待して待つこととしました。なんといってもイタリアはコネの国ですから、そのほうが安心できるのではないかと思うからです。



2002年04月26日

 今日は乳腺外科の同じフェロー仲間達と町に食事に行ってきました。乳腺外科にはシシリア、ナポリ(南部からのフェローが多い)、南米ブラジルなどからの20代のフェローが結構いて、食事の後には彼等とミラノでも人気というクラブへ行ってきました。10時頃は全然人がいなかったのに深夜12時頃には隙間もないほど人で埋まってしまいました。ほとんど食べずにひたすら話をして、ちょっとはダンスをして時が過ぎました。僕にとっては話をするのはいいイタリア語の練習になるので良かったです。ダンスは僕は問題外、イタリア勢もなかなかでしたが、ブラジルからの連中は踊りが本当に板についていて圧倒されてしまいました。たまにはこういうのもいいかな。



2002年04月25日

 イタリアに渡って苦節1ヶ月、道具の名前を覚えるところから始まり、第2助手を務めるのがやっとの日が続き(鉤を引いたり、糸を切ったりするような仕事をします)、言葉の壁や流儀の違いに大きくつまずきました。それでも毎日毎日手術があるので、徐々に信頼を勝ち取っていき、今日ついにメスを握りました。術者デビューです。一ヶ月半ぶりのメスです。始めはちょっと手が震えました。医療行為ですからスポーツとはまったく違いますが、あえてサッカーに例えて言えば、始めは補欠(見学か第2助手)でした。ベンチにも入れないような状況で、自分が情けなくて仕方がありませんでした。そこから、ベンチ入りを果たし(第一助手)、そしてついにスタメン(術者)になったようなものです。言葉の壁はまだあるものの、気持的には共済病院の時に近づきつつあります。つまり、自分がイニシアチブを取りながら手術に当たる充実感です。今日は本当にハッピーです。イタリアに来て良かったと思えるようになりました。



2002年04月24日

イタリア語の印象1:buon
 イタリア語の挨拶の言葉にはbuon giorno!, buona sera!, buon pomeriggio!, buona notte! などどんな教科書にも載っているような挨拶表現があります。病院の中では患者さんや患者さんの家族と、特に朝は誰とでもbuon giorno!と声を掛け合います。日本では、会う人会う人に声をかける習慣はなかったので、始めは戸惑いました。また、実際の会話では出会った時だけでなく、別れ際にも同じ言葉を言うことが多いのにも戸惑いました。つまり、別れ際にもbuon giorno!, buona sera!という訳です。エレベーターで乗り合わせた見知らぬ人からももしその人が先に降りる時はbuona sera!と言われたりします。
 いわゆる一日の挨拶以外にもbuonで始まる言葉があります。上記の別れ際に言うbuon〜に近い感覚だと思いますが、buon viaggio!(viaggioは旅という意味)やbuon appetito!です。旅立つ人や食事に行く人にかける言葉です。、buon appetito!は、店の人が食事を給仕したときに言うものだと思っていたら、友人同士でも食事に行く人にはbuon appetito!と声をかけるのです。かなり頻回に耳にします。buon appetito!といわれると、これから食事をするんだなという意識がはっきりして、不思議と食事をエンジョイしようという気にさせられます。
 また、留学前に僕が知らなかった表現があります。それはbuon lavoro!(lavoroは仕事という意味)です。先に仕事が終わる人がまだ残っている人に声をかけたり、休暇の人が出勤の人に声をかけたり、これから明らかに仕事に行く人に声をかける時に使います。要は良い仕事を!とか仕事頑張ってね!というような意味になると思います。いままで数回声をかけられましたが、これがなかなか響きが良く、仕事を頑張ろうという気にさせられます。
 buon〜!という表現は話す人の思いやりが込められた心に響いてくる暖かい言葉だと思います。日本語に同じような言葉はあるでしょうか?



2002年04月22日

 週末はフィレンツェに行って来ました。ミラノ在住の者としては、普段の海外旅行であれば絶対使っていたであろうユーロスターのような贅沢な手段は控え、インターシティーで行きました(2等で往復50ユーロ程度)。日本の特急のようなもので、316km離れているそうですが、3時間強かかり疲れました。実はフィレンツェは初めてだったので(イタリアは過去にローマ1回、ミラノ3回のみ行ったことがありました)、今回はきままに散歩するのを目的にしていました。駅で予約したホテルもなかなかよく、満足できるものでした。ただ、観光地らしくかなりの人がいて、落ち着く感じではまったくなかったです。どこへ行っても行列です。有名なUffizi美術館は今週は無料ということが影響してかいつもそうなのかどうかは分かりませんが、大変な行列で、行列に並びにきたのではない思い次回に来ることとしました。中世の町並みを残す美しい町であることに変わりはないのですが、道が細く、圧迫感があり、僕個人としては住んで働くにはミラノのほうが断然いいと思いました。フィレンツエは観光で来るところです。それにいかんせん人が多すぎます、、、。幸運にも月2回だけの教会での管楽器のアンサンブルが夜にあったので聴きに行きました。教会のためか音の切れが悪かったですが、無心で聞き入ることができとても良かったです。ありきたりですが、duomo周辺、アルノ川などの写真を撮ってきました(生活風景参照)。



2002年04月20日

 今日は週末の小旅行のために電車のチケットを買いに仕事が終わったら中央駅へいってきました。中央駅の目の前には、昨日(こちらの4月18日)飛行機がビルに衝突して世界的ニュースになっていたのでついでに見てきました。実際の状況は新聞などより生々しく、よくもビルの真ん中に突っ込んだものだと思いました。テロではなく事故であることを祈ります。僕も含めて野次馬がたくさんいました。ちなみに僕は病院も、住んでいるところも市の中心部よりはるかに離れているので、まったく問題ありませんでした。
 病院にも少々慣れてきたので、これからは週末はしっかり休息を取ろうと思います。



2002年04月18日

 昨日、こちらの4月16日は、20年に1回という大きなストライキがありました。(sciopero generale)事前にはバスもトラムもメトロもすべてストップするといわれていたので、病院にはタクシーで行くしかないなと考えていました。朝になってみるとバスの走る音が聞こえ、外を見てみるとバスがちゃんと走っていました。おかげでバスで無事病院に行けました。ただ、バスは中の電灯を消して暗くしていました。意味は良く分かりません。詳しい状況はテレビも録画で生放送は相当少ないようだったのでよく分かりませんでした。
 手術もその日はプライベートの患者さんだけということで少ないのかと思ったら、ほとんどいつもと変わりませんでした。ただ、使用する手術室がいつもの半分になっていて、回転が悪く、結局最後の手術が終わったのは夜9時になっていました。バスはないだろうからと教授に送ってもらうことになりました。そうしたら突然自宅でご馳走してくれるといわれ、僕は夜中に教授宅に初めて行くこととなりました。教授はフランス人で、週末は可能な限りパリの自宅に帰っているという生活を何年もしています。病院のすぐ側のアパート郡に住んで、20歳になる猫を一匹飼っていました。部屋は結構広くてきれいでした。まれに奥様が来るとの事でした。
 ご馳走といってもこれ以上簡単にはならないといえるほどのもので、パスタをゆでて、トマトペーストを絡めたものと、パンと生ハムと果物それにワインだけでした(教授は昼でもワインを飲むことがあります)。それでもひとりでしゃきしゃきと作っていてたいしたものだと思いました。ちなみに教授宅を訪れた医局員はほとんど誰もいないと同僚が言っていました。部屋のほんの一角を写真にとって生活風景に載せました。



2002年04月16日

 テレビを見ていて思うのですが、すべての番組で見事なまでにイタリア語の吹き替えがされています。生放送の中継でもそうです。日本でも吹き替えは盛んだけど、字幕なども同時に盛んだと思います。こちらは字幕はほとんど見ることはありません。こちらで買ったDVDなども吹き替えです(英語などのオリジナルの音声も選べますが)。ある意味で母国語の保護になっていると思います。
 ちなみにEIOではグランドラウンドと呼ばれる早朝ミーティングが週一回あります。全科の医師を参加対象とした各科持ち回りの最新の知見の発表会です。そのような類の大きなミーティングは英語が使用言語になっています。それでも、ちょっと小さな各科単位の集まりはイタリア語です。



2002年04月13日

 奇妙なサッカー中継。こちらのテレビをイタリア語の勉強がてら常につけているのですが、面白い番組があります。サッカー中継のようでいわゆる中継でない奇妙な番組があります。どういうことかというと、サッカーの中継権がないのか、ひたすらレポーターの顔だけを映したり、スタジアムのサポーターの様子を映したり、電話でのスタジアムからの声のレポートをやったりして、試合の映像がないのです。はじめは、いつになったら試合の映像を映してくれるんだと待っていましたが、最後まで実際の試合の模様はなし。ひたすら、レポートとスタジオのおじさん達の討論で終わってしまいました。試合の臨場感だけは味わえました。
 要するにテレビがラジオのような内容の番組を放送するような感じです。見たい映像はないのですから。ある程度は視聴率をとっているのか、日曜の試合日はもちろん、カップ戦の水曜や木曜にもやっています。ちょっと日本では考えられないのではないでしょうか。サッカーがみんな好きなんですね。後で「QSVS」という番組だと分かりました。



2002年04月09日

 不思議な日本人集団。こんな田舎にあるリパモンティレジデンスのレストランに日本人の集団がいました。2、30人のどちらかというと高齢な日本人がいっぱいいました。みんなで一丸(一塊?)になってレストランの一角を占拠してして楽しそうに食事をしていました。レジデンスの隣のホテルに滞在しているのだと思います。僕はレストランの外を通りかかったのですが、みんなどうしてこんなひどい町外れに来ていのでしょうか?ミラノの中心部ならいざしらず。でも1週間前も同様の集団がいたので、おそらくどこかのツアーの宿泊施設に入っているのでしょう。レジデンスの支配人に聞いたら確かに日本人だといっていました。それにしてもやはり日本人集団は目立ちます。というより異様です。いい年をしてみんなで仲良く一緒にかたまっているなんて、、、。自分も過去に1、2回はそういったツアーに入ったことがありますが、なんといったらいいのか個人単位では何もできないことを露呈しているような、恥ずかしいような、情けないような、はたまた逆にはるばるアジアから大挙してやってこられる経済力を誇っていいような、ツアー客を見るとなんともいえない感情がわき上がります。でも今は僕はひとりぼっちなので基本はうらやましいのかもしれません。自分でも分かりません。



2002年04月08日

 EIOのself serviceは驚異的安さ!!
前にも触れたEIOのself serviceの値段に驚きました。10枚で1束のチケット(bighietti)を15ユーロで売っています。1回の食事でなにを食べても一枚でいいのです。つまり、プリモ、セコンド、付け合せ、飲み物、果物、デザートまで食べて、200円弱。飲み物はコーラや水など数種類あり、何本取ってもOK。観察していると、みんな2、3本は取って、残りを持ち帰っている!!日本での金銭感覚からするとほとんど持ち帰る飲み物代くらいで食事ができてしまうのです。もちろんイタリアが異常に物価が安いというわけではありません。レジデンスで上記のものを食べると15ユーロくらいかかりますから。要するに病院のself serviceが異常に安いのです。どうしてかは分かりませんが、もともと病院は教会でしたから、万人が腹いっぱい食べられるようにするような考えがベースにあるのでしょうか?それともEIOが太っ腹なのでしょうか?同僚に聞いても分かりませんでした。
 ちなみに僕はそこではめったに食べられそうにありません。朝から晩まで手術室なので。



2002年04月06日

 今週は最初の週だった為いろいろと分からないことばかりでとまどってしまいましたが、徐々に分かってきたこともあります。手術(1日7、8件)の3分の1は乳腺外科との共同作業で、乳腺外科(こちらではsenologyと呼んでいる)が終わった後に形成外科が担当するというパターンです。その時に乳腺外科の先生達と会うわけですが、乳腺外科のほうがかなりinternationalです。主に南米とヨーロッパからの留学生が多いのですが、10人くらいはいるようです。というのも手術の件数は一日15件くらいあるようで、3つの手術室を占拠して1部屋で1日5件くらいあるのです。ですから、人出も欲しいという側面もあってか留学生も多いようです。そうすると必然的にイタリア語がわからない医師も多く、言葉は英語でも結構大丈夫そうに見えます。驚いたことに、あるsenologyの医師なんかは、日ごろはNew YorkのMemorial  Sloan Kettering Hospitalという超有名な癌のメッカに勤めていて、2週に1回、古巣のEIOにきて手術をしているそうです。そのような猛者もいるのです。
 それに対して形成外科はちょっとdomesticな印象で、前回の日記にも書いたようにイタリア語はかなり必要とされます。それでも日本と同じで一緒に手術をする医師次第で(教授や助教授はまったく問題なし)、言葉の壁は大きいけど致命的ではないということが分かりました。良かったです。



2002年04月06日

 今日は警察署に行って、ついに滞在許可証を手にしました。泣く子も黙るという感じの滞在許可証。イタリア留学を志すものは絶対に避けては通れないものです。手続きに時間がかかり数ヶ月待ちは当たり前のものです。しかし、なんと僕は1日でできたのです。理由は良く分かりませんが、銀行口座など事前に準備しておいた事が功を奏したのは事実です。それにしても運がいいのかもしれません。申請したその日に滞在許可証を手にできるなんて!!本当にすごいことなのです。実際EU、アメリカ、オーストラリア出身者とアジアでは日本出身者だけは他の国の人よりかなり優遇されている(例えば隣の国韓国の人などは相当時間を要するらしいです。日本人はいい意味で差別されている)のですがまさか当日にもらえるなんて!!うれしさがこみ上げてきます。これで病院側にも正式な登録が出来、白衣、IDカードもろもろの手続きが完了できます。もうこんなところ(警察署)になんか二度と来るもんか!!本当に、旅行で短期間来るイタリアと、留学などで長期で来るイタリアはまったく別の表情を呈するという印象を拭えません。もっともどこの国でもそうなのでしょうかね?



2002年04月05日

イタリアの不思議3:立つ文化
 イタリアは立つ文化です。どういうことかというと、人はよく立ったままでいるのです。barでも立ちながらコーヒーを飲み、昼下がりには近所の主婦達が立ち話。子供達も何を話しているか分からないがとにかく立っている。夕方や週末は男達も立ち話。実は手術患者の家族も患者の手術中立ったままで手術室の前でずっと待っています。(手術室から出てくると圧倒されてしまいます!)すごい体力というかやはり文化というべきか、立っているのが普通になっているのです。慣れない日本人には疲れそうです。



2002年04月05日

 前に書いたティッシュペーパーがない事件は実は僕の間違いでした。ナプキンのようにみえるのが実はティッシュでした。みんなそれで鼻をかんだりしているのを目撃したのです。模様が付いていたりして豪華なティッシュです。
 遊んでばかりいると勘違いはして欲しくないですが、今日もサン・シーロに行ってきました。日本の小野が所属するフェイエノールト(オランダ)がインテル(ミラノ)とUEFA杯というトーナメント戦で当たり、その1試合目が行われたのです。こんな短期間で海外で活躍する選手を生で見れるなんてサッカーファンが聞いたらきっとうらやましがると思います。とにかく、小野も一度は見ておきたかったのでいそいそと出かけました。試合は午後9時からという遅いものでした。フェイエのサポーターが行きのトラムを占拠してしまい、大合唱をしてトラムをどんどん揺らして大変でした。すごい数のサポーターが押しかけてきていました。オランダ人は暇と金をたくさん持っているのでしょうか。僕を見ると「小野、小野」と話しかけてきます。小野はそんな熱狂的なサポーターに支持されて幸せだと思います。その試合の応援もすごかったので小野の写真と共に、サポーターのほうも生活風景にまたまた載せました。



2002年04月03日

 今回イタリアに来て手術を中心にいろいろな経験ができればいいなと考えてきたのですが、早速困難にぶつかりました。今は形成外科に所属していますが、形成外科独特の(ほとんどの外科に共通だとは思いますが)手術のリズムにまず慣れなくて、それに言葉の壁が追い討ちをかけて慣れるのを困難にしています。英語だったらまだなんとかなるものの、イタリア語で早く言われてもまだ返事に困ってしまいます。慣れれば、使われる言葉は限られているはずですから大丈夫だとは思いますが、今はまだまだ大変です。恥ずかしい話ですが2人だけの手術に入るのは今は不可能です。つまり、多くのことを相棒と十分にコミュニケートして手術を遂行するのは難しいです。だから、しばらくは2人+1人とか3人+1人の1人になろうと思います。いずれ2人やあるいは自分ひとりでできるようにしたいと考えていますが(そういう予定になっている)、始めは仕方がありません。頑張るしかないようです。



2002年04月02日

 レストラン(ristorante)はあるにはありますが、ここレジデンスではself service(イタリアでも英語名でこう呼んでいます)が主役です。ただ、コーヒーはバール(bar)じゃないと飲めません。EIOにも同じようなself serviceがあり、職員と患者さんの家族はそこを使います。要はお盆を持って自分で欲しいものを伝えて欲しいだけもらい、最後に会計をするというシステムです。日本でも馴染みのシステムです。一応付け合せとしてのサラダ類、プリモとしてのパスタ類、セコンドとしての肉か魚が選べます。ここがちょっと違うかもしれません。
 このレジデンスに限った事なのでしょうが、実はその会計が結構いい加減なのです。昨日はちょっと高いような気がした(正当な計算だとそうなることが判明)けど今日は非常に安かった。会計をおばさんがする時は高く、コックがする日は安いようです。コックは多分計算ができないんじゃないかと思います。(いい人ですが、、、)いつも高いと頭に来てクレームを言おうと思うけど、こういう風にバランスがとれるならそれでもかまわないかなと呑気に考えています。



2002年03月31日

 こちらでは4月1日がイースターで、この一週間は特別らしく、テレビでは教会ばかり映しています。何もすることがないのでサン・シーロに行ってきました(生活風景参照)。去年ミラノに来たときも見にきましたが、今回はACミラン対パルマで、中田が見られるかもしれないと思い、いそいそと出かけました。この一週間のアパート探しで、ミラノ、特に南側は地理的にほとんど理解してしまったので、トラムで行きました。ミラノの交通機関は慣れると便利かもしれないとしみじみ思いました。これでミラノの交通機関はすべて制覇したことになります(電車、トラム、バス、タクシー)。
 試合は、ACミランが3−1で勝ちました。ミラノ市民の熱狂ぶりには驚かせられました。僕的には中田を始めて生で見てよかったです。かなりミーハーですが、やはり彼はイタリアでよくやっていると思います。一番の先駆者は三浦カズでしたが、イタリアサッカーに溶け込んだという点では中田はすごいと思います。サッカーは世界共通とはいえ、中田が他の選手に示指を出しているのを見ると、言葉はやはり大事だと思いました。自分と比較してみると、分野はまったく違いますが、技術がまず必要という点では共通でもあると思いました。最低限の意思疎通はイタリア語で僕もできます(結構話せるということに自分でも驚いた!)。更なる言葉の習得を医学と同時にやらなくてはいけませんが、なんとかなると思います。毎日囲まれているのですから。



2002年03月28日

イタリアの不思議その1:アパート
 郊外のレジデンスからバスで移動すると良く見えるのですが、町があっても一戸建ての集合ではなく、必ずアパート形式なのです。アメリカや日本のように、郊外だったら戸建てにすればいいのにと思うところですが、畑の真ん中にアパート地帯ができていて、そこで身を寄せ合うように暮らしています。お決まりのバール(bar)とタバッキ(tabacchi)などがあり、小さな中心部(centro)を作っています。これも文化なのでしょうか。
イタリアの不思議その2:ティッシュペーパー
 ティッシュペーパーがない!!僕は日本にいるときからティッシュマンで、なんでもテイッシュで拭いたりして大量に消費してましたが、スーパーでティッシュが見当たらないのです!これだと思って買ったものも食事時のナプキンでした。(2回同じ間違いをしてしまった)どうやらないようなのです。本当かな?更なる探索が必要そうです。



2002年03月28日

イタリアの不思議その1:アパート
 郊外のレジデンスからバスで移動すると良く見えるのですが、町があっても一戸建ての集合ではなく、必ずアパート形式なのです。アメリカや日本のように、郊外だったら戸建てにすればいいのにと思うところですが、畑の真ん中にアパート地帯ができていて、そこで身を寄せ合うように暮らしています。お決まりのバール(bar)とタバッキ(tabacchi)などがあり、小さな中心部(centro)を作っています。これも文化なのでしょうか。
イタリアの不思議その2:ティッシュペーパー
 ティッシュペーパーがない!!僕は日本にいるときからティッシュマンで、なんでもテイッシュで拭いたりして大量に消費してましたが、スーパーでティッシュが見当たらないのです!これだと思って買ったものも食事時のナプキンでした。(2回同じ間違いをしてしまった)どうやらないようなのです。本当かな?更なる探索が必要そうです。



2002年03月26日

 今日はきのうのおじいさんがわざわざ銀行と不動産に問い合わせをした情報を朝持って来てくれました。彼は僕と同じフロアのすぐ近くに住んでいます。ついでにお願いして僕が翻訳できなくて悩んでいたいくつかのフレーズをイタリア語に翻訳をしてもらいました。これからもイタリア語を教えてくれるそうです。またまたありがたいです。また、午後からEIOに行って、先生たちに挨拶をしてきました。僕の今回の留学は、厳密には広告募集に応募して採用されるという形をとっています。その申請書を書きに行ってきました。とはいってもイタリア語の文章がかけないので、秘書に書いてもらいサインだけをしました。イタリア語の壁は相当厚いです。院内の週一回の全科ミーティングは英語で行うなど、医者同士では英語で問題ありませんが、同僚が猛烈な勢いでイタリア語を話しているのをみたりすると先が思いやられます。



2002年03月25日

 今日は滞在許可証を申請に市内の警察署(questura)にいってきました。イタリア留学をする人は必ず行くことになる場所です。相当迷ってたどり着いた末に書類が足りなくて帰ってきました。実は東京の大使館でも門前で帰ったのが2回ありましたから、もう慣れっこです。週末に出直します。警察署はイタリア語は堪能な申請者(移民か、単純労働者か?)があふれかえっており、僕も難民のようなものだとしみじみ感じました。風邪のせいだけではなく気分が悪くなったのですぐに帰ってきました。ただ、今日はレジデンスに住むあるおじいさんに想像以上に親切にされびっくりしましました。彼は行きのバスで出会ったのですが、英語が堪能で、普段はミラノ市内住んでいるが、自宅近くが工事中らしく、騒音から逃れるために一次的にレジデンスに住んでいるといっていました。地下鉄の乗り方、お勧めの銀行や不動産事情も教えてくれました。ありがたかったです。



2002年03月23日

 ついにやってきました。長い飛行機の旅も終わり、空港からタクシーで研究所近くのレジデンスへ直行しました。結局アパートは見つからず、はじめはレジデンスからとなりました。レジデンスとは日本で言うところのウィークリーマンションのようなもので、月単位で契約します。広さは申し分ないのですが、寒々しく寂しい感じは否めません。日本にいるときから風邪をひいていて、体調的には絶不調ですが、日本から持っていったCDでも聞いて元気を出そうかと思います。





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