7.世界史教育の胎動・その4
(4)『高校世界史』と『世界史講座』
上原専祿監修の『高校世界史』(実教出版)は、1955年から使用された。
「世界史を学ぶために」という16頁にわたる“まえがき”がのっている。
この教科書を、当時わたしも使ったが、この堂々たる論文を、生徒には難しいと思って、生徒といっしょに読むことをしなかった。いまおもえば、もったいないことをしたものである。実は、生徒にとってむずかしいよりまえに、教師である私にむずかしかった、というより、理解するちからがなかったのだ。
「この世界史はどの時点からかきはじめられているか」では、
人類史と世界史の区別を述べる。
この世界史は人類の発生から説き起していない。それは、
「何十万年にわたる人類の悠久な歩みを展望しようという意図と、現代日本の生々しい生活現実について、その発生経過と歴史的特性を明らかにしようとする意図とは、何か別のものである」
からである。
このことについて、上原は、『世界史講座』の「月報1」(54.10)の「世界史像の新形成」に、より明確に述べている。
「新しい『世界史像』は、人類の発生や文明の発端について注意を払う『人類史像』である必要はないだろう。従来の世界史像においては、しばしば、人類の発生や文明の発端についても記述が行われた。この記述様式は、超越的にまた先験的に一つのものと考えられた人類の運命を、その起源から終末にかけて見通そうとするキリスト教の歴史観、そのまた影響下に構想されたヨーロッパの歴史哲学に由来することが多いだろう」
「第二次大戦後の現代世界の問題状況と、それとからみ合った日本の歴史的境位を解明したいという実際的要求に対応し、そこから出発して世界史像の新造形を意欲する立場からは、人類の起源のごときものは、その終末と同様に、あえて問題にならないだろう。
世界史像と人類史像とは、どうかすると混同されるが、その混同をさけることが、現代への問題意識から出発して世界史像を新しく形成する試みにおいては、とくに望ましいのではないかと思う」
「明確に述べている」と書いたのは、いまだからそう思えるのであって、当時そう思ったのではない。
「世界史」といえば、「人類のはじまり」から始めるものときまっていたし、「世界史」と「人類史」は、ちがうなどということは、問題にもしなかった。一般にはいまもそうであろう。
世界史にかぎらない。「日本史」のはじまりもまた、現在でも、人類の起源から説き起さなければ落ち着かないという状況はつづいている。そこでは、一見世界史的に日本史がはじめられているようにみえて、そこだけの話におわってしまう。
この問題は、今日にいたるまで、歴史教育の場でまともにとりあげられたことはないように思う。
『高校世界史』の「まえがき」にもどる。
「この世界史はどの文明圏からかき始められ、どう書きつづけられているか」では、
世界史の実態は、すぐさま一体をなしている「人類史」というようなものでなく、相互に多少とも独立した「東洋文明圏」と「西洋文明圏」の歴史の二つの部分から成り立っている。
ここでいう「文明」とは、「民族の歩みとあり方の中でつくり出されるところの、一定の歴史的特徴をもった政治・経済・社会・文化の構造と内容の全体を総称するもの」である。
一体性と共通性をもっていた西洋文明圏にくらべて、東洋には、東アジア文明圏、インド文明圏、イスラム文明圏が存在した。三つの文明圏は相互に交流はあったがそれぞれ独自の世界だった。
この世界史は、「東洋文明圏」のなかの「東アジア史」から書き出す。
それは、「われわれ日本人の歴史が東洋文明圏の歴史だからだ。われわれの祖先たちがつくり出した日本文明が、中国を中心とした東アジア世界の歴史の動向のうちに形成されたものだから」である。
「世界史像の新形成」では、つぎのように書く。
「ヨーロッパ的秩序としての一体化された世界が出現するまでに、少なくとも東アジア世界、インド世界、イスラム世界、ヨーロッパ世界の四つの世界が、それぞれ固有の文化と生活様式を作りだし、それぞれ独自の歴史を展開させていった」
「それらのあいだの交流は決して軽視さるべきではない」が、「結局別個の世界であった」
「地理上の発見によって準備され、資本主義の発展によって動機づけられた、ヨーロッパによる諸世界の統括と支配というかたちの下に一体化された世界の形成という事態は、人類の歴史に新しい、根本的に重大な事件と判断されなければなるまい。人類は、このときから、一体化の密度を高めてゆく『世界史』において生きはじめたのである。また人類はこのときから、共通の問題として、特に資本主義の問題というものをにないはじめたのである」
したがって、
「叙述の第二段にいたってはじめて、一体化された世界の歴史について記述が行われるべきだろう」
「そして最後に、その展開の新しい形として、現代が考察されなければならない」
第4部の「現代世界」においては、大体第一次世界大戦以後の全世界が観察されるであろう」(『高校世界史』)
「『現代』ということばは、ふつう、われわれにとって過ぎ去った時代ではないところの今の時代、われわれ自身がその中で生き、それへと働きかけ、それをつくり上げているその時代を意味する。
しかしながら、第一次世界大戦以後の現代は、単にそういう意味の『現代』ではな
く、世界史上の一つの新しい時代をも意味するものと考えられる」
では、この世界史は、どのような時代区分を考えているのか。
今日もっともひろく行われている「古代」「中世」「近代」という時代区分は、ルネサンス期のヒューマニストたちの生活意識や問題意識に起源がある。
彼らは、「キリスト教会の絶対的権威に服していた数世紀にわたる昨日と、その権威から解放されなければならないと考えた今日とを、違った『時代』として意識して、今日の時代を『新しい時代』として自覚した。
彼らはその『新しい時代』に対して、生活理想を教示し、その模範をなしている時代が、昔のギリシア・ローマであったと考え、それを『古い時代』とよんだ。そして彼ら
は、その『新しい時代』と『古い時代』との間に介在した期間を『中間の時代』と名づけた。
これが古代・中世・近代の三区分の起りである」
その後
「19世紀の40年代以来、おもにドイツで、経済法則としての発展段階説というもの
が、いくつか考え出された。そのうちの一つが、カール‐マルクスの学説である。彼は生産様式を基盤とした経済構造の発展に注目して、
『アジア的・古代的(すなわち奴隷制の)・封建的・近代市民的(すなわち資本主義
の)生産様式の諸時期』を、経済が発展してゆく場合に必ず通る道であると主張し
た。
また彼は、生産様式を基盤とした経済構造の発展に基づいて、社会と文化の全構造も発展すると考えたので、ある経済発展の法則的諸段階は、そのまま歴史発展の法則的諸段階を意味するものとなった」
『高校世界史では、ルネサンス期のヒューマニストたちの立場も、マルクスの立場もとらない。
過去20〜30世紀では東洋文明圏の歴史と西洋文明圏の歴史は独立して平行的に展開していた。ついでヨーロッパで近代化が行われた時期に、ヨーロッパ諸民族を中心に東洋と西洋とが密接に交渉を始め、ついで西洋が東洋を従属させながら、ヨーロッパ諸民族を中心とした全地球的世界秩序を形成してきた。
さらに進むと、「第一次大戦以来、とくに第二次世界大戦以後、ヨーロッパを中心とした世界の秩序が崩壊し、東洋諸民族が自己の主体性と自主性とを確立しはじめたという段階に到達する。
現代日本の生活現実と諸問題は、ことごとく世界史におけるこの基本的な動きに促されて生じた」
このような世界のうごきに基づいて時代区分するのが適当だというのが、この世界史の時代区分である。
『世界史講座』の構成はつぎのようになった。
第一部 歴史的世界の形成
東アジア世界 第1巻
インド世界 第2巻
イスラム世界 第2巻
ヨーロッパ世界 第3巻
第二部 世界史の成立と展開
資本主義的ヨーロッパの制覇 第4巻
帝国主義 第5巻
ロシア革命・第二次世界大戦 第6巻
第三部 現在の世界
平和への道 第7巻
第四部 世界史の理論と教育 第8巻
西洋はギリシア・ローマからはじめ、古代オリエントはイスラム世界の前提条件として叙述するという方法などは、もうこのときにはじまっていた。
『高校世界史』と『世界史講座』の編纂と叙述がおこなわれているのとおなじころ、あらわれてきたのが、歴教協世界史部会による「同時代的・全地域的把握」という仮説であった。参加したメンバーは互いに重なり合っていた。
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