
7.世界史教育の胎動
─1953〜56─
1953年から57年にいたるまでの歴教協世界史部会の経過については、『歴史地理教育』29(57.11)に、吉田悟郎の整理
「歴史意識の自立を求めて―世界史・日本史の統一的把握を考えるに至るまで―」
がある(のちに『歴史認識と世界史の論理』勁草書房、1970年所収)。
(1)アジアのくさむらの中から
第4回歴教協大会がおわり、52年11月28日、京都市教研集会がひらかれた。日教組の第1回全国教育研究大会(教研集会)は前年11月に日光で開催されていた。
京都歴教協の小学校部会は、共同研究「小学校における歴史教育の諸問題」を京都市教研で発表した。その会場で、つめかけた全員に「平和と愛国の歴史教育の確立のために」を提唱するビラを配布した。
そこには、「国際理解のための世界史的教育」があげられている。
「1.小・中・高を通ずる新しい歴史教育の樹立。
2.国民の立場を基調とする科学的な歴史教育の展開。
3.正しい国際理解のための世界史的教育の拡充。
4.生活の現実に根ざす綴方教育、生産教育と歴史教育の結びつき。
5.民族教育の基礎としての郷土研究の重視。」(『月報』17、53.1.10)
53年1月、第2回日教組全国教研大会が高知で開かれた。
この大会に沖縄教職員会の屋良朝苗会長が出席したこと、この集会に参加した京都と東京の歴教協会員が、「民族の課題」を意識し、自覚したという報告が『歴史教育月報』18(53.2)に掲載されていることは、
『歴史教育50年のあゆみと課題』の第5章「民族の課題と歴史教育」に書いてある。
1953年は、世界史教育が具体的内容をもって動き出そうとした時期だといえるだろう。(⇒成瀬治『世界史の意識と理論』)
東京の歴教協世界史部会は毎月例会をつづけていた。
実教出版では、『高校世界史』著作へ向けて仮称「上原ゼミ」がつづけられていた
(西嶋定生「八年間のゼミナール」『図書』133号、60.10→吉田悟郎『世界史の方法』青木書店、1983年)。
三木亘、荒井信一らによる、上原専祿、江口朴郎、尾鍋輝彦、山本達郎監修『世界史講座』全8巻(東洋経済新報社、1955、56年)の編纂がはじまったのも、1953年頃10月ころだった。
それは、西洋史学科出身の高校教師たちのサロン的集まりからはじまったという
(三木亘「世界史のつくりかた方」『歴史学研究』172号、54.6)。
上原専祿は、雑誌『教育』の53年1月号に書いた「現代日本における歴史教育」で、「現代における日本国民に望ましいものは歴史意識一般、歴史的自覚一般ではな
く、現代にふさわしい歴史意識であり歴史的自覚である」
といい、歴史教育の内容のなかで、特に注意がはらわれなければならないのは、
「国史教育と世界史教育との有機的関連の問題」だと書いた。
53年秋の歴教協第5回大会に向けて、吉田悟郎は「大会に要望する」と、つぎのように書いた。上原の提言をうけたものである。
「歴史教育の内容についても、“平和と愛国”から一歩進めて、今世紀の東洋、20世紀のアジア・アフリカの運命と結びついた日本史・世界史はいかなる構成、内容、記述であるべきか、それと緊密に結びつくべき歴史以外の社会科がどういう内容をとりあげるべきかという問題をほりさげていかねばならぬ。
そこで必ずすぐ出てくるのは、日本史教育と世界史教育との有機的関連をどうつけるかという問題であろう。この問題は、歴史教育者の側からもっと活発に『歴史学』に要求すべき問題をうみだしてくることであろう。この問題がもっと討論されねば、一般歴史学者の歴史教育への関心の喚起・『学風』の反省は望めぬのではないか」
(『歴史教育月報』21、53.7.10)
つづいて吉田は、「大会討議のために――歴史教育の基本的態度と克服すべき私たちの欠陥――」を次号に載せる。
「世界の諸国民と提携して、世界平和と民族独立と日本社会の民主化とを実現することが、今日の日本国民の課題となっている。歴史教育は、国民の歴史意識を自覚させ、深めることを通じて右の目的に奉仕する」
「私たちの歴史教育には正直いって、世界史的認識が非常にかけている。歴史教育といえば、すぐに日本史教育が思い浮かぶ一般の傾向の中にもこのことがあらわれている。
今日の国民的課題にそった歴史教育は、本来は、東欧、アジア、アフリカ諸民族と同じ後進国の運命に苦しみながら、極東の番犬となることによってアジアの“奴隷の主人公”として上からの歪んだ近代化を行った近代日本の立場をはっきり自覚した歴史教育でなければならない」
「歴史教育は、当初から世界史の中での日本を発見することである。これは単に従来の世界史の予備知識を低学年においても教えねばならぬというようなことではない。私たちに欠けている世界的認識を徹していけば、当然現在の日本史・世界史の概説はすべて書きなおさねばならぬような問題である」(『月報』22、53.9.30)
歴教協第5回大会の1週間前の10月24日、歴史学研究会主催で「歴史教育をめぐって」の、歴史教育懇談会がおこなわれた。
『歴研』が「歴史教育の問題」をとりあげたのは、49年に歴教協が成立してからはじめてのことだろう。
本郷の学士会館に60名が集まった。司会は松島栄一。上原専祿が「歴史研究と歴史教育」を提起した。
第一に歴史教育と歴史研究の相互交流の必要性。とくに
「歴史学研究のテーマや方法が、歴史教育の方から出されてくる問題を汲みあげるような仕方で規定されていく必要がある」
第二に、教育の目的や使命を考えるとき、
「現代世界における今の日本という歴史意識において、考えられねばならない」「歴史教育の問題は教育全体の基礎をなす問題である」「全教育目標の核心に歴史教育というものを考えていかねばならない必要が、今の日本にはある」
第三に、その歴史教育の内容を考えるとき、
「従来日本の学界では世界史研究というものは専攻の部門ではなく、日本史・東洋史・西洋史というふうに分けていたが、戦後教育界で世界史・日本史というふうに分けて来た。あれは一体どういう意味のものであったのか」
「歴史教育の方面で、なにかまとまりのある歴史知識を与えるとしても、それはどのような内容、どのような構造をもつものだろうか。歴史教育では日本史だけをやるのか、或いは世界史もやるのか、或いは世界史だけをやるのか。その日本史とか世界史というものは、どういう構造のどういう内容の日本史であり、世界史であるの
か」
第四に、いままで日本では、歴史教育を日本の中だけで考えてきたが、
「アジア地域全体の諸国民との協力による歴史教育というようなことを考える必要がないか」
第二次大戦後、アジアの国々が独立した。
「一旦政治的独立をやると、今後、各国民の政治的、経済的、文化的自主性と主体性を確立していくときの糧になるものはやはり歴史教育であろう。そういう国々でどういう歴史教育がなされているのか、アジアの平和や世界の平和の問題はそれぞれの国の教科書ではどういうふうに扱われているのか、そこには、相互に相談し合う問題はないのか」
「国際的視野における歴史教育という問題は、たいへん大切な問題だと考える」
以上、私が勝手に第一、第二と抽出したものだが、討議のなかで、山本達郎は、
「日本史が世界史の中でどう位置づけられるのか。中学の場合、日本史と世界史にわけないで全体の位置づけを考えるようにしたい」
とうけとめる発言をしている。
いまあらためて、京都歴教協の提案、上原の提案、吉田の提案を読みかえしてみると、1953年前後にすでにいわれていたことが、90年代になってようやく現実のものになりつつあることを感じる。たとえば、
「小学校からの世界史的教育の必要性」
「ヨーロッパ中心の世界史の克服」
「歴史研究と歴史教育の相互交流」
「日本史教育と世界史教育の有機的関連」あるいは「世界史と日本史の統一的把握」
「歴史教育は当初から世界史の中での日本を発見していくことである」
「アジアの諸国民とともに歴史教育を考える」
などがそれである。
この歴史教育懇談会の直後に歴教協世界史部会(東京)が正式に発足した。
1953年10月31日から11月2日までの三日間、歴教協ははじめて東京を出て、京都で第五回全国大会をひらいた。
世界史部会の問題意識を代表して吉田悟郎が、高大部会で要旨つぎのような問題を提起した。
「世界史を観念や個人の立場でうけとめさせるのではなく、……世界(とくに隣近所のアジア)の諸国民・諸民族につながっているという世界史的自覚をどうしたらつかめるだろうか」
「いままでの日本観・アジア観・世界観や奴隷根性からぬけでて、アジアの叢(くさむら)の中から世界史をとらえるにはどうしたらよいだろうか」
「国籍を失わされたような子どもたち、そして教師や親の魂にしみいるような世界
史、不幸な日本人の肌にあった世界史はどうしたらつかめるだろうか」(『月報』bQ3、53.10.30)
第5回大会の記録は、歴教協がはじめて自力で発行した機関誌『新しい歴史教育』2号(54.1)にある。(『新しい歴史教育』は53年11月に創刊され、54年6月の4号までで、『歴史地理教育』にかわる)
これによれば、
「高大部会では、京都・荒尾利就氏、東京・吉田悟郎氏が、歴史教育をさまたげているものとして受験準備教育があること、その他の困難さにもかかわらず生徒のうちの健全な歴史意識の芽生えには信頼し得るものがあること、歴史教育は最初から世界の中で、日本はじめ諸民族の歴史を全面的に発展的にとらえなければならぬこと、その場合、特に植民地従属国の歴史を重要視すべきこと、その中で近代日本が一面従属、一面侵略という歪んだ道を歩んだことがはっきりと浮きぼりされるこ
と、そこから脱却する繁栄の道は、東欧・アジア・アフリカ・中南米とのつながりの上で歴史的に自覚する必要のあること、そういう歴史教育を通じてはじめて、今日の国民的危機の自覚をさまたげている支配者根性、植民地保有国家の精神を脱却しうること、系統的歴史教育の骨となるべき科学的歴史教育とは何か、科学的歴史教育の前進のために集団的学習が重要であることが問題として提起された」
てさぐりのなかからようやく、世界史教育の目標、内容、方法について、その具体化にむかって、歩みはじめた人びとが、あらわれたのである。
つけたしていえば、池田・ロバートソン会談の「日本側議事録草案」が朝日新聞に載ったのは、歴研主催の歴史教育懇談会の翌日、歴教協5回大会の6日まえの10月25日だ。歴教協は敏感にこれに対応した。
この第5回大会で決定された53年度「歴教協活動方針」は、
「日本教育の危機の正しい把握を共通にもつことは、歴史教育運動前進の第一歩であり、つねに運動を進めるエネルギーである」
とはじまる。会談議事録の“さわり”
『会談当事者は日米両国民の防衛に対する責任感を増大させるような日本の空気を助長することが最も重要であることに同意した。日本政府は教育および広報によって日本に愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助長することに第一の責任をもつものである』
を引用して、「文部省を動かしている原動力はMSA受け入れをめぐる池田・ロバートソン会談の日本側議事録草案にきわめて露骨に要約されている」
と、「歴史教育運動の今日の立場」を位置づけている。(⇒鈴木亮「池田・ロバートソン会談から四〇年」『歴史地理教育』510、93.11)
(以上1999.5.12)
おことわり
5月初旬より、食物がじゅうぶんに食べられなくなりました。
胃癌のため幽門(胃の出口)狭窄と診断されました。
私の胃癌はすでに、1997年12月に発見され、これについては、私のホームページ・アドレスのあとに、igan.htmlとつけくわえて、開いていただくと、
「胃癌物語」
として、駄文が書いてあります。
今回、自覚症状があらわれ、担当医師は、「あと2ヵ月もすれば、幽門はふさがるだろう」といいます。
2ヵ月かどうかはともかく、いずれは食べ物がとおらなくなることは確実のようです。
これは、私のかってな予想より、1年半くらいはやく、到来したという感じです。
このまま自然死をまつか、手術をするか、迷った末、もうひとあがきしてみることにしました。
高齢者ですから、どうなるかは、やってみなければわかりません。
というしだいで、かってながら一時?「世界史教育の50年」は中断させていただきま
す。
「世界史教育の50年」の今後の予定(つもり)だけ、書きとめておきます。
いまやっと、1953から54年あたりまできました。
57、58年あたりまで、年代を追って書いて、あとは、問題別に書くのはどうかと思っています。
57,58年あたりまでで、世界史教育で問題にされてきたことがほとんど全部、出そろうと思っています。
たとえば、そのキーワードは、
世界史とは何か
世界史教育の目標
世界史の方法と世界史教育の方法
民族の課題 国民の独立・自立・主体性の問題
民族と階級の問題
世界史と日本史の統一的把握
世界・アジア・日本・地域・自己の一体的把握
世界史発展の法則の問題
社会主義の問題
世界史における地域と地域区分
世界史の時代区分
ヨーロッパ中心の世界史の克服
大国中心・強国中心の世界史の克服
強者・支配者中心の世界史の問題
民衆の視点、歴史をつくるもの
中心主義の問題
近代と近代の克服
などです。
では、復帰をねがいつつ、行ってまいります。
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6月
30日、どうやら退院しました。再開します。99/09/09
胃癌の経過と結果に着いては「胃癌物語」をごらんください。
「胃癌物語」は、http://home.att.ne.jp/wave/natsu/ryo/igan.html
をごらんください。
更新9月18日