6.世界史教育の模索

(1)歴教協世界史部会の誕生(前回まで)

東京の歴教協高校部会のなかに世界史部会ができたことと、ほぼときを同じくして実教出版社の世界史教科書の編纂がはじまったことは、世界史教育の歴史のうえで大きな意味をもっていた。
実教出版の『高校世界史』の編纂のなかから、「上原世界史」が生まれ、その編纂メンバーには、久坂三郎と吉田悟郎(当時東京都立本所高校と都立広尾高校)がい
た。二人は、歴教協世界史部会のメンバーでもあった。



(2)第4回歴教協大会で


予告のとおり、1952年7月7日、第1回世界史教育研究会が開かれた。
「高校部会世界史教育研究会」が当時の名称である。第1回、2回、3回の報告が、まとめて『歴史教育月報』14号(9月10日)に載っている。

「世界史教育は歴史教育の盲点であるといわれていた。殊に中学、小学校の先生達には社会科の中で世界史に関係のある単元をどう扱うか、世界史的な観点をどうつらぬくかが問題になっている。どうしても世界史教育の問題を私達が解明し具体的な展開まで考えていこう、というのが研究会のはじまりであった。」
と、小学校・中学校での世界史の扱い方が問題にされている。

「7月7日、お茶大に集まった者十数名、主として高校の現場の教師達が、教科書の批判や、何を教えるか、どうしたら生徒に興味をもたせられるか等、様々の現場での問題を話合い、研究会をつづけて行こうということになった」
集まったのは、阪東淑子、石川澄雄、三木亘、植木敏郎、米川哲夫、豊島静男、野沢豊、荒井信一、久坂三郎、吉田悟郎らであり、さらにこの会には当時朝鮮人学校の朴慶植、梁承孝がくわわっていた。

「7月21日、第2回目は石川氏の世界史のカリキュラムの原案を検討した。世界史教育の目標がはっきりしていないために、東洋史をどう教えるかなどという問題もはっきりしない。朝鮮史をぜひとりあげよう等、個々の意見がのぼったが何かもの足りず散会。参加者十四、五名」
とある。
問題をいっぱいにかかえて悩んでいる世界史教師たちのようすが見える。世界史教育の目標の問題が自覚され、朝鮮史が問題にされていることもうかがえる。

「8月25日、第3回には20名近い人々。西嶋定生氏らのとび入りもあり、理論的問題は活気をおびてきた。世界史教育の目標は日本民族の実践的な課題にこたえるものでなければならないということが、満場一致で基本的目標とされた」
「民族の課題」が歴史教師たちをとらえていた。

「具体的に世界史の構想について検討され、東洋史のほうが西洋史より生徒には身近な問題である。いままでの概念的公式的な扱い方を排して、スペースを多くするだけでなく、東洋史の構成をやりなおすことが重要である。特に東アジア史の中での中国、朝鮮、日本を関連して扱うべきであるという重要な発言があった。」

東アジア史という概念、その東アジア史全体のなかに中国・朝鮮・日本の歴史を位置づけていく必要が考えられていた。
この発言を契機に、具体的な構成案として、

「東洋史を通して古代から植民地化までの東アジアをやり、さらに帝国主義がでてくるまでの欧米をやり、現代史で統一して日本をめぐる現代の世界をやるという案が出された。
バラバラの世界史教科書に生徒も先生も手をやいているので、高校の現場からウーンと賛成の声が上がった。
しかし、これには、教科書も副読本も参考書もない。まず本をつくってほしい。今後具体化のために研究をつづけていこうということになった」(記録は山脇学園の阪東淑子)。

世界史の問題を考えていたのは、東京の教師だけではない。
この年、1952年10月25日(土)午後と26日(日)に、第4回歴教協大会が東京のお茶の水大学でひらかれた。4回大会の記録は、『月報』にも載っているが、歴史教育者協議会編『平和と愛国の歴史教育―1952年度歴史教育年報―』東洋書館(1953
年)にくわしい。

テーマは「平和と愛国の歴史教育の具体的展開」だ。
総会での一般報告で「昨年度の大会を契機に、小学校部会、中学校部会、高校部会を強力に発展させ、特に高校では、世界史を日本人としての立場からどう教えなければならないのか、を研究している」と報告している。

前年51年の第3回大会では、東京の港区桜川小学校の金沢嘉市が「小学校における体系的歴史教育の実践」を報告し、第4回大会では、千葉県富里小学校の相川日出雄の地域にねざした実践報告「農村生活と歴史教育」がおこなわれている。
「地域に根ざした実践」という位置づけがされている。歴教協がのちに提唱する「地域に根ざす歴史教育」の最初のものといってもよいだろうか。それは、歴史教育と生活綴方の結合でもあった。

活動方針の討議のなかで、北海道の小学校教師山下国幸は、「国際理解は遠いところよりも、近い国に目をむけよ。新中国より朝鮮をよく理解することだ。
かれらはわれわれが何十年の長い間圧迫してきた。われわれが教えられてきた歴史にの中には許南麒の『火縄銃の歌』(1952年8月、青木文庫)、ああいうものは一つもなかった。朝鮮民族の抵抗というものをいまの子どもたちに教えてやりたい」と発言し、東京の中学教師佐藤光子がこれに賛成して、そういう研究会なり機会をつくってほしいと要望している。

この大会で、「小中高を通ずる世界史教育」を報告したのは、京都の梅田勇(松原中学校)だ。51年7月に京都歴教協が結成されていた。数回の討議をかさねたうえでの梅田の報告である。

「高校生が世界史を学んで、結局日本というものが小さい存在で、日本史の歩みと世界史の歩みとは全然別個のような感じがするという。中学校の場合も世界史と日本史がつながっていない。日本は日本、所詮しかたがないといった意識、これは生徒というより、われわれおとなの言動がそうなのではないか」
という反省から報告ははじまった。

「今高校で行われている世界史教育は、東西交渉史の形をとっている。そのために統一することが非常にむずかしい。諸民族の活動が述べられているけれども、諸民族自体の問題としてとりいれられていない。現場の実践は、古代・中世・近世くらいまでは比較的くわしくやるが、19世紀以後の歴史が非常に簡略に扱われている」
「アジアの問題が簡略にあつかわれている。その結果、例えばルネッサンスやフランス革命は、自分たちの身近な問題として受け取られるが、中国革命は非常に遠い別の世界という感じを生徒はもっている」
「われわれの世界史にたいする考え方が、十分に統一されたものになっていない。なかには、外国史として西洋史・東洋史としてやったほうがいい、東洋史・西洋史・日本史としてわけてやってほしいという意見をもつ教師や生徒もいる」

「中学校では世界史というまとまったものはないが、世界的教材はもりこまれてい
る。しかしこれも東西交渉史という形である。例えば、古代世界を説いたあとで、結局はヨーロッパの力がアジアに及んだのであって、先に進んだ国家がおくれたアジアの目を開いていくという構成で説かれている」
「小学校でも日本と世界をつなぐものは単なる比較あるいは対比で、非常に進歩したアメリカの機械化農業と日本の一般のおくれた農村ということで扱われる。子どもは家でやっている農業はつまらない、アメリカだったらよいのにとなる。世界的な事情というものは、単にながめられているだけで、自分がどうやってゆくか、そういう主体的な問題がつかまれていない。ここに社会科ないし歴史教育が子どもたちを育てていく推進力となることをはばむ原因がある」
と現況を報告して、これをどう打開していくかをこの大会で学びたいと、京都でとりくんだこと、考えたことをつぎのように示した。

朱雀中学の文化祭で、「国際理解」というテーマで展覧会や劇や研究会を生徒たちがおこなったこと。この学校の20%は朝鮮人の子どもたちで、「朝鮮の子ども」とい
う、演劇の公演がおこなわれた。社会科や歴史の枠のなかだけでなくさまざまな機会をとらえての実践の必要がだされた。

「日本史をやるときに、先祖の歩んできた道、現在われわれの苦しんでいる事実は、日本だけの問題ではなく、世界の人たちが共通に悩んできた道、問題であることを考え、自分たちの生活の問題と取り組んでゆく、そこから社会科教育の第一歩が見出されてゆくのだと思う」

「『世界に学べ』ということは、日本と切り離して世界を見ることではなくて、日本そのものの中に世界を見ることでなければならないと思う。中学校の世界史的教育もこの観点にたって構成される必要がある」

「一般社会では、身近なアジアの理解が最も重要な問題となる。中国やインドの民族がつくり出したすぐれた文化や力強い民族運動の歴史が生き生きと取り扱われねばならないし、朝鮮の問題は最も切実な問題として学習の対象になるだろう」

「地理的な教材では、世界の諸民族がそれぞれどのような風土や歴史的諸条件のもとで彼らの生活を高めたか、どんな努力を今しているかを具体的に理解させる必要がある。これまで閑却にされているソ連の社会主義国家建設やヨーロッパの小国における平和と独立への努力などが、歴史的に扱われなければならない」

「日本史の学習でも世界史的な把握が必要だが、なによりも近代史に重点がおかるべきだ。日本の近代史で世界史的な取り扱いはいままでもいわれてきたが、不十分だった。例えば明治維新にしても日露戦争にしても、もっと根本から見直す必要があろう」

「中学の世界史的教育は、独立した世界史の形で教えるよりもむしろ日本史の中
で、あるいは一般社会における個々の問題の中で取り扱われるのが最も適当なのではないか」

「小学校では、例えば国語の教材の中でガリレオのことが出てくる。子どもは、望遠鏡で星を観測して地球が動くということを発見したことが、どうして裁判になるようなとんでもない問題になるかという疑問をなげかけてくる。ここに世界史的な取り扱いの機会がある。このように、小学校の世界史的教育は各教科において、個々の現実の問題を通して行う必要がある」

「高校の世界史的教育では、日本史及び世界史を必修にすることが必要だ。その
際、世界史を学んでから日本史を学ぶという順序が適当ではないだろうか」

「要するに世界史的教育は、単なる教養としてではなくて常に現実の生活基盤の上にたっていなければならない」

以上、たくさんの重要な問題が提起されていた。
合計4本の報告をめぐる討論が行われているが、相川実践に質疑は集中して、世界史の問題はとりあげられていない。

つづいて、総合討論のまえに、勝田守一による総括提案がなされた。
歴史教育の目標として、勝田は、
「第一に世の中が変化発展してゆくものだ、という認識が国民大衆にはっきりつかまえられることが望ましい。
第二に、変化発展の必然的法則性の認識が大事である。その裏側に歴史を動かす主体としての認識、国民大衆の一人として歴史をうごかしていくのだという認識、態度を追求すること。
この一般的目標に加えて、日本民族の一人として、現在の歴史的・政治的課題をになって、歴史教育を具体化していくには、世界の平和と民族の独立という課題が、子どもたちの中に、知的に、感情的に・意欲的に成長していくかが、歴史教育の目標になるだろう」

「中学校では義務教育の最後の3年ということを考えて、日本史すなわち日本国民の歴史、それと関連せしめて世界史、すなわち人類の歴史、先ほどもでていたように、ルネッサンスとか、フランス革命とか、その他人類の民主的な発展にとって重要な意味をもつ世界史的な発展の連関を把握する機会を子どもたちに聞かせたい」

「高校では、日本史の問題と世界史の問題をより有機的に把握するような措置がどうしたらできるか、こういう点に根本的な疑問を私は提出するだけでお許しをねがいたい」

世界史の問題にかかわる勝田の総括提案は以上であって、梅田のだした問題がうけとめられているとはいえない。

総合討論がおこなわれた。世界史にかかわっての討議は、京都からの発言のみであった。なかで、京都の上田正昭(鴨沂高校)が重要な発言をしている。

「日本史をぬきにした、またアジアの問題をおそえもの扱いにした現在の世界史的教育が、国際的理解といわれるものを、どんなに一方的にし、形式化せしめているかということは、既に総会で問題ににされた朝鮮をめぐる質疑の中にも明らかだと思います。
これは京都の市内の中心部にある府立高校の場合ですが、かなり進歩的といわれる本校で、昨年世界史を選択履修した生徒96名の中、20世紀について学んだものは、僅か4%、他は大体19世紀で終つておることが調べた結果明らかになりました。しかも教室では、アジアの歴史は10分の3ぐらい―西欧に対して―しか学んでおら
ず、生徒自身はてんでんばらばらにアジアとヨーロッパの歴史を暗記し、その時代的関連や発展のしかたについての具体的な把握がしつかりとなされていないことがはっきりしたのです。
ですから、そこでは朝鮮の問題はせいぜい楽浪郡を覚えているくらいで、いたずらにアジアの停滞性をつくづくと味わされ、遂にはアジアの屈辱史を当然視するという甚だしい歴史の錯覚を生じてくるわけです。二年で世界史をとり、日本史を三年で学習しつつある生徒が、まず日本史について「つまらない」と考えたり、「おくれている」と思っていたといういつわらない声は、この際十分に考え直してみる必要があるのではないでしょうか。
それはひとり、大学入試における世界史の重視のみの問題ではないようです。だからこそ“ルネッサンス”の歴史を、日本の近代化の問題よりもかえって身近に生徒が感じると率直に表明するわけなのです。このことは昨年も問題になった点なのです
が、われわれの祖先の歩みに何ら学ぶところなしときめつけて、やたらに崇拝する人物が西欧的になったり、また或時は全然歴史への興味と関心を喪失したりする傾向とも、決して無関係ではないと思われます」

「いままで日本史担当の先生がこれは世界史の分野だとしてとりあげなかった事項も、また逆に世界史担当の先生が日本史の部分としてとりあげなかった史実も、実は民族教育を正しく展開してゆくためには、きわめて中心的問題である場合があります。
例えば古代朝鮮をめぐる唐帝国と、日本古代国家の侵略及びその国際関係等はその一例でありましょう。そうした事項をぬきにして、今日の朝鮮問題を『時事問題』だけにまかしておいてよいという理由は、少しもなりたちません。ここにもまた現在の社会科教育のバラバラ教育の姿と他教科への責任のなすりあいをさせる欠陥があると思われます。
六・三・三・四制を通じての世界史教育が、高校教育においてしめる位置は非常に大きいものがあるわけですが、ただ現行制度への不満や、教科書批判によって実践が終わったとするのではなくて、自らプリントによってその欠陥を補い、生徒の作文や感想と調査研究をとりいれた副読本を作成して、民族問題を主軸とする単元の設定と展開を早急に実施すべきだという意見が最近の京都高校教員の有志の間から起っています」

「『相川氏の尊い実践と抱負は、われわれをこよなく勇気づけました。相川さんのやり方を世界史教育の場にも、具体的に応用し、かつ違った形で展開していくべきではないか』と京都のある高校の先生が話しておられましたが、指導要領を与えられたものとしてうんぬんするだけでなく、職場の具体的実践によってこれを克服し、われわれのものとしていくことが肝要だと考えます」

「民族の課題」にこたえる日本史教育・世界史教育のもんだいとともに、のちに、「日本史と世界史の統一的把握」と表現される問題や「ヨーロッパ中心の世界史の克服」の問題が、ここにだされていたといえよう。 (1999.5.3)

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