世界史 の はんらん

”高校に,世界史が設置される”
ときまると,雨後のたけのこのように,
<世界史の本>があらわれた。

3.世界史の氾濫

(1)最初のはんらん
この50年のあいだに,世界史はなんどか氾濫する。
いまも,その第何期かだろう。
その最初が,49年から50年代はじめにおこったものである。
「戦後の最初」といわねば,正確ではない。
世界史ブームは,戦前にもあった。これはべつに書く。

49年9月21日の『日本読書新聞』(509号)には,
尾鍋輝彦の「ぞくぞく生まれる世界史概説書―総合書評―」がのる。
『歴史学研究』の50年3月には,
井上清が「世界史の氾濫」と題する「時評」を書く。
50年8月の『日本歴史』には,
有賀貞也が,「世界史の氾濫」という「時事と時評」を書いている。
有賀貞也という人がいたのかどうか,「アリガテェーヤ」というペンネームくさい。
私は,内容からみて,これは故・高橋F一ではないかとにらんだ。高橋をよく知る二人の方に鑑定を依頼した。
松島栄一は,高橋F一とはちがうようだといい,佐藤伸雄は,そうだと思うという。
いずれと決定しがたいが,有賀貞也の「世界史の氾濫」を引用する。
当時の状況をうまくつたえていると思われる。
「……『世界史』という新しい教科が生まれたことは教師たちにとっては,ちょっと困ったことであった。…」
「あたえられているのは,中等教科書会社で前に出ている『西洋の歴史(上)』と,文部省の名で出ている東洋史と西洋史の指導要領(コース・オブ・スタデイ)とだけである」
「世界史の授業はどうしたらよいか,ということになるのである。
ここに街頭に『世界史概観』・『世界史概説』がハンランする原因があるわけで,つまり,おぼれるものはワラでもつかむ,の諺のとおりなのである。
東大西洋史研究室の大御所の今井登志喜氏が監修して,東大助教授の林健太郎さんが中心になって作った『世界史概説』上・下が公にされたとき,ソレッ!と飛びついたが,多くの教師たちは,それが今までの西洋史概説とほとんどちがわないのにあきれてしまって,看板に偽りのあることを知るようになった。
そうしたとき二つの権威が『世界史』の概説書を出すという声がきこえ,人々はこれこそ!と待望した。それも道理である。
一つは文部省内世界史研究会の『世界史読本』であり,もう一つは東京大学史学会の『世界史概観』がそれである。……」
「とくに東大史学会のごときは,刊行があやぶまれていた史学雑誌も,この『概観』の印税数十万円で無事に再刊し,50年以上も縁のある富山房から,この『概観』の発行所山川出版社に乗りかえ,さらに『日本史概観』まで刊行するという好調ぶりである」
「しかし,これらはどちらにしても簡便な参考書以上のものではない。…そこでもう少し大きなものを待望する。……それはそれ“ジャの道はヘビ”,生胆をぬくことで名高い,かつての欧文社=旺文社赤尾某の手で,新制東大教養学部の助教授の吉岡力さんが,戦時中から『蛍雪時代』に連載していた講座をまとめて,戦争色のかわりにデモクラシーとリベラルで盛りあげて『世界史の研究』というのを出したから,これもまた大穴をあてた,ということになったわけである。……」
(私の注=元の名は欧文社。戦争中,「欧文」などという「敵性]
のコトバをつかうなという政府当局の干渉のなか,「旺文社」と文字をかえた)

「中等教科書会社(中教出版)にいたっては,北海道大学の板倉勝正さんに『世界史・西洋篇』を,東大の三上次男さんに『世界史・東洋篇』を,それぞれ,まとめてもらって,検定用に準備してあった『西洋史』『東洋史』の教科書をおくればせながらテキスト風の教材・参考書として出版するといういうようなことになつてシニセのノロマさをしめしている。
しかしこの二つはそれぞれ特徴をもったものであるが,両方の連絡をかいているために,『世界史』のうちの両篇というのには,どうもなっとくがゆきかねる」
「だからといって京都ででている『新制世界史』のように,世界史を区分してしまって,それぞれ有名人に執筆させて,はい,これで出来上がりました,といわれても,そういう,寄せあつめでは読む方が苦労してしまう。
したがってますます現場の教師は,悩み・迷い・苦しむこととなるのである。
しかも,文部省では,まだコース・オブ・スタデイを公にしないし,教科書は検定にする方針であるそうだから,ここしばらくは『世界史』は,出版社が大穴をあてようとして試みる道はのこされているかもしれない」
「こうしたなかでは,さすがに東大の村川堅太郎の編修にかかる『世界史提要』が,西洋史の分野だけではあるが,堅実な構成と内容をもち,また叙述も浮薄ではない」
「それにしてもなお『世界史』がいかにあるべきか,についての論議はもっともっとまきおこって然るべきではないだろうか。
それらの一つとして,尾鍋さんが編集して『きけわだつみの声』で有名な東大協組出版部から出た『世界史の可能性−理論と教育−』はさしあたってのこれの材料を豊富にあたえてくれる。
尾鍋さんを中心に13人の学者,教育家による座談会と8人ほどの人の論文を集めている本で,「世界史とは何か」の問題を提起している。
しかし各人各様のニューアンスはついに何らの結論も,まだわれわれにあたえてくれないようである。
ことにホッテントット人は世界史に入るべきか否か,の議論を山にしたような座談会は,尾鍋さんがくりかえしてよむとよくわかる,と説明してくれても,もう一度読む気になれないようである」
”世界史のはんらん”の状況は,ざっと以上のようなありさまである。
ここに登場するほかにも,同じようなたぐいのものもあるし,伊豆公夫の『人民の世界史』(正旗社,49年)や羽仁五郎の『百万人の世界史』(思索社,50年)などもでている。
有賀貞也が俎上にあげたなかで,『世界史読本』を書いた文部省内世界史研究会というのは,その「あとがき」によれば,ただ「文部省のなかで,世界史に関心と興味をもつ同好者があつまって組織した」ものとか。
尾鍋によれば,このグループには,「歴史専門家は一人も加わらず,かつ社会科関係責任者の知らぬまになされた仕事」だという。
(『日本読書新聞』49年9月21日号)
『世界史概観』のほうはどうか。

(2)「詳説世界史」ここにはじまる

第1回でもふれたように,49年夏におこなわれた座談会「世界史の基本問題」(『世界史の可能性』)で,『世界史概観』が問題にされ,執筆者である村川堅太郎がこたえている。
質問したのは,倉橋文雄だ。
倉橋 「このごろ『世界史概観』とかなんとかいう本が沢山出た。
そういうものは以前には割合少なかったので,これは今度新制度で世界史という科目が出来たためかとも思われるのですが,その場合,従来の東洋史,西洋史という扱いから世界史という扱いに出ていった理由があろうし,いずれにしても何かの内面的な抱負,構想がなければならない筈だと思う。
村川先生は『世界史概観』という名のものとして出されるために著者としてどういう……(笑声),著者としてその構想を語って頂けると,これからの話を進めるのに都合が
いいとと思うので,このところをお話して頂きたいと思うのです」

村川 「それはちょっとここでは……(笑声),著者として非常に責任があるわけです。この『世界史概観』には山本さんも御関係ですが,実を申しますと私が企画したことではなく,まったく史学会を復興させる手段として,科目あって教科書は無いというところを狙って書くように頼まれたわけです。
そういうわけで非常に短期間に出来たものですし,こういう研究会を持つ機会も無かったのですからこれは問題外だとおもいます」

このように言いながらこのあとに村川は,自分の「世界史」についての考えを述べている。中・南米のマヤ,インカの文明をとりあげる。

村川 「[マヤ,インカの文明は]在来の東洋史,西洋史の何処に入るかというと,どこにも入らないで在来は無視されていたものではないか。
しかし今日の世界史はそれを無視することは出来ないと思います。それが高校の教科目に入っただけでも非常に意味があると思います。…
これを西洋中心,あるいは東洋中心の文化交流の世界史のなかに入れようとするのには非常に大きな仮説を立てねばならない。
…なんらかの条件で類似の社会が出来て,類似の文明を生んだと見るのが宜しいと思う。
そうなると文化交流上からは,東洋文化圏にも西洋文化圏にも入らないことになると思います。
もちろん多元の世界史を認めれば,中・南米世界史というものになるかもしれませんが,地中海世界史,インド世界史,日本世界史,中国世界史,それらを単に総和したものが世界史の叙述ということになる。
それでは世界史の全体にまとまりがついてこないという問題があります上に,青銅器迄しか知らなかった中・南米文明の世界史に占める位置が問題です。
そこで自己運動による発展段階という問題が,統一の原理として考えられねばならぬと思います。……
自己運動と影響の双方を考慮しながら世界史を考えて行くべきだと思いますが,世界史の記述の形式,授業の順序をいかにすべきかについては私はここになんら成案をもっていないのです。……
[『世界史概観』は]私がプランを立てたというわけではなく,多勢の執筆になる上に,先にお話したような事情でできたもので,その点は遺憾ながらまことに不十分です。
ランケ派のそしてその後現在の外国教科書のような西洋中心のものでなく,東洋や新大陸の社会も人類史的に普通の立場から対等に扱うという考えをとったことは事実ですが,今後全面的に改訂すべき点が多いと思っています」

この座談会出席者のうち,『世界史概観』の関係者は村川と山本達郎だが,山本はこれについては,直接ふれる発言はしていない。
山本 「これまで東洋史というとなにか一つにまとまった歴史があるように考えられ勝ちであったのを,一応精算する必要があると思います。…
教科目としての東洋史がはじまったのは日清戦争のころからです。
東洋における日本の位置が自覚されるようになったので,先ず中等学校の学科目として東洋史という名前が採用されました。
だから日本と関係深い東アジアが中心なんです。アジアを東の端に立って日本の国家的発展という立場から見ている。
世界史としての普遍的な立場に立ったのじゃない。
東アジアに注意が集中していてインドだの西南アジアになると,ピントがぼけてかすんでいる。各地の歴史をそれぞれ注意してみれば,とてもシナもインドもイスラム国も一緒にしてまとめた歴史は書けないですよ。
東洋史がまとめて扱うことが出来るのは,西洋の勢力が東方に発展してから以後,ことに資本主義が高度に発展してから後にはっきり出てくる。
それ以前の東洋を一つにまとめて考えることは不可能なことだと思うんです」

一見,世界史の可能性を否定しているような発言である。

村川,山本,林の『世界史概観』の第1版(1949年4月発行)の章立て構成は,以下の通りである。

第1章 文明の発祥
第2章 古典文明の生成
第3章 中世世界の展開
第4章 近世市民社会の形成
第5章 近代的世界の展開
第6章 帝国主義とその結果

翌50年5月,改訂版がでる。その構成はつぎのようになる。

『世界史概観』目次
1章 文明の発祥
2章 ヨーロッパ古典文明
3章 インド及びイラン文明の展開
4章 東アジア文化圏の形成
5章 イスラム世界の発展
6章 ヨーロッパ封建社会の成立
7章 アジア諸民族の活動
8章 西欧中世世界の変化
9章 近代ヨーロッパの開幕
10章 アジアの専制国家
11章 絶対主義国家の克服
12章 ヨーロッパの変革
13章 自由主義と保守主義との闘争
14章 西力の東進とアジアの近代化
15章 帝国主義と第一次世界大戦
16章 第一次大戦後の世界
17章 全体主義の台頭と第二次世界大戦
18章 現在の世界


高校教科書『世界史』(山川出版社)目次
1章 先史の世界
2章 文明の発祥
3章 西洋の成立
4章 インド・中国の古典文明
5章 東亜文化圏の形成
6章 イスラム文化圏の形成
7章 ヨーロッパ封建社会の成立
8章 中国社会の変化と蒙古民族の発展
9章 西欧中世世界の変化
10章 近代ヨーロッパの誕生
11章 ヨーロッパ絶対主義の成立
12章 中国民族の再興と北方民族の再制覇
13章 資本主義の発展と民主主義
14章 市民社会の成長
15章 自由主義と国民主義
16章 ヨーロッパ勢力のアジア進出
17章 帝国主義と第一次世界大戦
18章 全体主義の台頭と第二次世界大戦
19章 われわれの時代


下は,山川の文部省検定済教科書の史学会編『世界史』の最初のものだ。51年に提出,52年4月から使用された。
これが,教科書センターなどにもなくて,山川出版社に保存されているものをみせていただいた。
これは,やがて今日の『詳説世界史』となるのである。
教科書では,1〜9章までを第1部,10〜16章までを第2部,以下第3部としている。

内容についての検討は,別の機会におこなうとして,例えば,1998年の歴教協大会で鳥山孟郎が問題にした,現行の『詳説世界史』の「ペルシア戦争」の記述,
「この勝利は,東方の専制政治に対して,ギリシア市民の自由と独立をまもったものとして意義ぶかい」
は,『世界史概観』では,
「ペルシア戦争はオリエントと西方との,即ち専制政治に対する市民団の自由・独立の戦いであったから,世界史の上で最も意味の深い戦いの一つと言えよう」
であり,ここにはじまっている,というか,50年変化はない。

(ここまで98/11/20)
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