ふりかえってみると,私はいままでに,私が書いたり,かかわったりした本の「まえがき」を,いくつか書いている。
それらを,ならべてみると,この『世界と日本の歴史』の「読者のみなさんへ」に到達した経過があらわれているので,ここに書きならべておくことにする。
研数書院
◇はじめに◇
◆あなたは20世紀の後半に生まれた。そして気がついてみたら,そこは日本という国であった。あたりをみまわすと,あなたよりまえに生まれた人たちが,あなたのために用意しておいた社会があった。
◆あなたは生まれたとたんに,この世の中の構成メンバーになった。といっても社会は,自分とは関係のないところで動いているようにみえるかもしれない。しかし,社会を動かすのは,その構成メンバー以外にないのだから,人間である以上,何かをすればしただけ,何もしなければしないなりに,社会のなかで,ある役割を果たすのである。
◆そういうなかでわたしたちは生きている。そしてどう生きようかと考える。そう考えるなかに,高校生活もあり,大学受験もあり,就職もある。世界史というのは,そういうことを考えてみようという科目の一つなのだと思う。
◆社会は,過去からつながり,未来に続いている。その中のいまにわたしたちは生きている。いまという時代がどんな時代なのか。現在は,過去から未来に向かってどんな方向に動いているのか。それを考えてみないことには,「どう生きるか」などといっても見当もつかない。
◆社会は複雑である。人びとはいろいろと考え,個々に動いている。父祖代代,何を求め,何を願い,苦しみ,たたかい,喜びながら,「これだけは子孫にのこしたい」と思い続けてきたものは何であったのか。わたしたちは,何をひきついで未来に向かっていけばよいのか。どれがこれから発展し,成長していくものなのか。何がこれから消滅し,衰退していくものなのか。そういうことを世界史の勉強の中で考えてみたいのである。
◆社会は人間が構成するといっても,人間がでたらめに固まっているわけではない。構造がある。人間と人間がどんなかたちで結びついて社会を構成しているのか。その人間関係を分解し,整理し,構造を明らかにしないと,自分がどこにいるのかがわからない。いまの社会は,過去からなぜ,どのように変化しつつ今日の構造となっているのか。そして,そのなかで自分はどんな役割が果たせるのか。果たしたいのか。
◆人間と人間の関係といっても,自分のまわりの人間だけをみてわかるものではない。日本だけをみていてわかるものではない。あなたやわたしは世界の平和にどんな役割を果たしているのか。どんな役割を果たすべきなのか。遠い国々でおこっているできごとが,かかわりあい,結びつき,刺激しあって動いていることを世界史の勉強のなかに見いだすであろう。
◆むさぼるような知識欲,どこまでも追求してやまない研究欲,未知のものへの探究心,何でもやってみたい冒険心,自分で発見し,他から吸収し,力いっぱい働き,何かをつくりだしたい創造欲,それは人間が,特に若者たちが本来もっているものだ。そのすがたをわたしたちは世界史の中に発見する。
◆この地球上で,そのような営みを続けてきたのは,わたしたち日本民族はもちろん,ヨーロッパ諸民族,アジアやアフリカや中南米の諸民族,そして太平洋諸島の諸民族のすべてであることも,世界史のなかで見いだすであろう。
◆わたしたちは,いつか,どこかで,なんとなく身につけてしまっている不確かな知識や,見方・考え方をもっている。無意識のうちにもっている見方・考え方を掘りくずし,きたえなおし,違った観点からもういちど整理しなおしてみたとき,世界史のなかに,多くの発見をすることができるにちがいない。
これは,大江一道さんにもおねがいして二人で書いたいわゆる学習参考書である。初版は1967年11月に発行された。この本も出版社もいまはもない。
研数書院のものと,つぎの日本書籍のものとの間に,『世界史学習の方法』(岩崎書店,1976年)の「世界史はあくの方法」が入る。これは,「まえがき」というのではないので,「まえがき集」からははずした。
この本は絶版なので,別に再録する。
「世界史はあくの方法」と前後して,教科書『高校世界史』(実教出版,1979年から使用)の「はじめに」がある。
これは,「世界史教育のあゆみ」の本文のほうに書き込む予定である。
日本書籍
おもしろい世界史
世界史ばなれがすすんでいるという。ほんとうだろうか。もし,それがほんとうだとしたら,それにはさまざまな理由があるにはちがいないだろうが,もしかすると,それは,世界史教師,歴史教師のせいではないだろうか。
じぶんは,果たして,生徒たちをひきつける世界史の授業をやってきただろうか。反省することしきりである。“おもしろくなければ世界史じゃない”という。生徒にとって,おもしろいとはなんだろうか。
それは,とりあげられた事実が語っていることが,生徒たちのもっている問題とどこかで出会って,生徒の既成の世界史像が呼びさまされ自覚化されて,じぶんのあたらしい世界史像をつくろうとする刺激を受けたとき,生徒は,おもしろいと感じるのではないだろうか。
意味のある世界史
これが,現在を生きる若者たちにとって,意味のある世界史であろうか。この世界史は,生徒たちの,現代や未来を見る目を開くうえで役に立っただろうか。このせ界史を学ぶことで,生徒たちのアジア認識・世界史認識・日本史認識は深められただろうか。
世界史の授業のなかで,教師や生徒の世界史認識の自覚化と点検を行うことができたかどうか。そして,生徒じしんがみずからの世界史認識や世界史像を創造しようとする意欲をもつようになったであろうか,とふりかえってみる。
だいいち,教師は世界史をおもしろがっているか。意味のあるものと思っているだろうか。教師がじぷんでおもしろいと思わないことを授業でとりあげないことだ。教師じしんが意味があると考えもしないことを,授業でやらないことである。その意味をひとつひとつあらいなおしてみる必要がある。
現代に生きるわれわれ日本人にとって,それはどんな意味があるのか。なぜいま,それをとりあげるのか。安易に,これは世界史の「基礎知識」だなどときめてしまわないように用心しなければならない。かならず,なにかにかかわっての「基礎知識」なのである。
世界史全体の構造
そもそも世界史とは何か。世界史は,なんのためにあるのか,どうして世界史は必要なのか。なぜいま世界史なのか。つねに,ここのところにたちかえりながら授業の内容を考えないと,惰性的に教科書をなぞり,進度のみを追いかけ,ただ単に,なにがしかの知識を与えて世界史の授業は終了したということになりかねない。
世界史教育が始まって40年たち,みんなで,ずいぶんいっしょうけんめいにつとめてきたつもりだが,もしかすると同じ手のひらの上でもがいているにすぎなかったのではないか。
これはただ,個々の事実の見直しだけの問題ではなく,世界史全体の構造,世界史の組み立ての問題にかかわっている。そこのところをなんとかしないものだから,いつまでたっても,ヨーロッパ中心の世界史から脱け出すことができないのではないのだろうか。
学生・生徒たちとともに
長いあいだ高校教師をやって,大学へ送りこむ立場にいた者が,向こうにまわって,こんどは大学生たちといっしょに,高校までの世界史教育をふりかえってみると,あらためてざまざまな問題点を発見する。
そのなかで学び,あちこちに書いたり,しやべったりしたものを含めてまとめ,ここに書きおろしてみた。たくさんの方々の文章や考え,また高校生や大学生たちの書いたものの数々を引用させていただいた。ふかく感謝するしだいである。それらは私にとってなによりのはげましとなり,勉強になった。
難波達興さんが『世界と日本の歴史』(大月書店)第1巻の書評をしてくれたとき,私の考えを示すものとして,この「まえがき」をとりあげた。
この本はまだ絶版にはなっていないはずだが,ちまたでみかけることはほとんどない。
石渡延男,梅津通郎,鈴木亮,二谷貞夫
日本書籍
ひとが知らないことを知っているというのは,楽しいものである。わるい趣味だと叱られるかもしれないが,考えてみると,われわれの日常会話のそうとう部分は,あいてが知らないことを出しあうことでなりたっているのではないか。
ニュースなどというのも,ひとよりいちはやく手にいれた知識のことだ。だいいち,教師などという商売は,生徒よりいくらかよけいに知っている,あるいは生徒がまだ知らないことを先んじて知っていることでなりたっているともいえる。
いまの世の中,知識のあるものと知識のすくないものとでは,知識のおおいほうがつよい。自分の知らないことをあいてにいわれると,くやしいがひきさがらざるをえないことがある。
知は力なりであって,そのことを知っていることによって,すばらしい結果を得ることができる。無知は罪悪であって,知らないがゆえに「罪」をおかして,しかも気づかない。
だから,知らないということは,おそろしいことだ。しかし,知るということもまた,おそろしいことだ。楠原彰さんにアフリカについて学んだ学生が,「アフリカのことなんて知らなければよかった」といったという。
知らなければ,しあわせに生きていられたのに,知ったばかりにのんきにしていられなくなる。「おまえさん,よけいなことを知り過ぎたようだ。死んでもらうよ」は,やくざのせりふだが,地動説が正しいことを知ったために命をかけねばならなかった天文学者たちがいた。
知ったために迫害されたり,弾圧されたり,命をおとしたりした,たくさんの人びとがいる。命をかけないまでも,知るというのは,やっかいなことでもある。
では,たくさんいろいろなことを知っていればよいのかというと,そうでもない。何をどう知るかが問題だ。手にいれたおおくの知識をどう生かすかが,かんじんである。知識と知識をどうくみたてるかによって,知識は生きたり死んだりする。いや死ねばまだいい。
ゆがんで生きつづけるのだからやっかいだ。
「世界史必修」とか「国際化」とかいう声が高い。けっこうなことである。だが,問題はそのなかみだろう。どんな内容の世界史を必修にしようとするのか。西ョーロッパ先進国中心の世界史が批判されてから久しい。国際化とは,まさか西洋化のことではあるまい。われわれの世界史は,どこまですすんだろうか。
この『世界史のとびら』は,なにを,どう知るか,その知識をどうくみたてるかについての,ひとつの試みである。ご批判いただければさいわいである。
この本は,「授業に役立つ話」として,78項目の問いや事項について,事実やとらえかたをのべたものである。いまも出版されているかどうか,さだかではない。
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パスポートをもっている日本人は,いまや,1400万人をこえるという。海外渡航者は1年間に1000万人に達する。まことに“国際化”の時代だ。世界とのつきあいがますます重要になってきている。
高校で「世界史」は必修科目にするという。わたしたちは,世界とうまくつきあっているだろうか。世界についての必要な知識を身につけているか。世界とつきあう国際感覚をもっているだろうか。
「韓国は,日本のとなりだよ」と,先生に教わったある小学校一年生は,「え−ッ,日本のとなりはアメリカじゃないの?」と,大発見をしたという。子どもをとりまく日本の環境が,この子どもの国際感覚を育てた。
世界文学全集をひらいてみると,中国文学が1冊であとの20何巻は全部欧米文学ということがある。世界とは欧米のこと,外国語といえば英語,外国人とは西洋人をさすという状況は,いまもある。国際化は欧米化のことだったりする。
それなら,欧米理解はゆきとどいているかというとこれもどうも心もとない。イギリス人と出会って,私はイングリッシュじゃない,ウェールズ人だといわれてめんくらった学生もいる。アジアやアフリカ理解となると,もっと心ぼそい。「韓国併合」の責任は韓国の側にもあったと言って,非難をあびたえらい人もいた。その答えはいずれも本文をみていただきたい。
江戸時代に,日本が正式に国交をむすんでいた国はどこか。これも答えは本文を見ていただくとして,知っているようで,きちんと知らないことが案外多い。知っていても知り方がうまくないために,国際感覚がゆがんでしまっていたりするからやっかいだ。
歴史教育者協議会の会誌『歴史地理教育』では,1987年3月臨時増刊号で「教室の常識を問う 世界史50問50答」を特集したところ,発売後数か月で売り切れとなるほどの大好評であった。「教室の常識」が,かならずしも正しいとはかぎらない。歴史学の研究はすすみ,常識も変化する。本書では,108の問いにたいして,それぞれの専門家が最新の研究の成果で答えている。
この本では,時代を大きく二つにわけてみた。現代の諸問題のはじまりの時期を,1900年前後において,20世紀以前と以後にわけた。
20世紀以前を,アジア世界,中東・アフリカ世界,ヨーロッパ世界,アメリカ・大平洋世界の四つの地域世界にわけて,地域世界ごとにほぼ年代順にならべた。アジア世界には,もちろん日本がふくまれる。これでほぼ,全世界をカバーしたつもりである。
ここに示された問いは,単に知識だけをきいているのではないものが多い。答えを知るのも楽しいが,何を知りたいと思うか,何を疑うかを発見することはもっとおもしろい。これらの問いと答えがひとつのヒントになって,世界史理解がふかめられ,あらたな「問い」がみつかるなら,編者としてこんなうれしいことはない。
編集委員は,岡百合子,河合美喜夫,鈴木亮,鳥山孟郎の4人である。
以後,「中東・アフリカ編」と「アメリカ・太平洋編」がでた。
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高校生や大学生に,世界地図のりんかくを描いてもらったら,いちばんあいまいなところは,東南アジアと中東のあたりだったという調査報告がある。
アフリカ大陸は,大きいから,その存在を忘れるとうことはほとんどない。かといってアフリカ大陸があることを知っているから,アフリカについてゆたかな認識をもっているかというと,そうとは限らない。
私たちの中東イメージやアフリカイメージはどんなものか。アフリカといえば,何を思いうかべるか。アフリカの歴史といえば,何を知っているだろうか。知らなくても,私たちにはそれぞれアフリカ史像はあるからやっかいである。
そのアフリカ史像が世界の動きを判断するときのものさしとなる。それは,いつ,どのようにして自分のなかに定着したのか。
いま必要な中東像・アフリカ像はどのようなものなのか。それは,本文を読んでいただくなかで,うかびあがってくるにちがいない。
アフリカや中東とよばれる地域は,中学や高校で世界史を習うとき,いちばんはじめの方に必ず登場してくるところだ。世界史のそもそものはじめから,世界史をつくることに参加している地域であり,人々である。
「人類の誕生」とか,「文明の発祥」とかいうことで,いちはやく世界史にすがたをあらわしたこれらの人々は,そのあと,どこへいってしまうのだろうか。どうも印象がうすい。なぜか。それを本書が明らかにしてくれるだろう。
印象がうすいだけでなく,ゆがんだイメージが残っているのではないか。そこへ突然,湾岸戦争がおこる。アメリカがこの戦争のために使った費用73億ドルをはるかに越えて日本は100億1200万ドルも金を出した。
湾岸戦争とは,いったい何だったのだろうか。イラクはなぜクウェートに侵入したのか。アメリカはどうしてイラクを攻撃したのか。イラクがイスラエルを攻撃したのに,イスラエルは反撃しなかった。どうしてか。イスラエルとはどういう国なのか。わかりたいことはつきない。
さきに出版した『100問100答世界の歴史』は大好評で,版をかさねている。世界史についての疑問はつぎつぎにうかんでくる。100問でつきるものではない。1冊で満足できるはずもない。ひとつの答えは,つぎの問いを呼ぶのである。
今回は,中東・アフリカ世界だけで一冊を編んだ。もちろん,中東・アフリカ世界の問題は,他の地域世界にかかわり,全世界に関連し,日本の問題につながる世界史である。
100の問いは多岐にわたり,今回も,実に多くの研究者の方々の協力によってできあがった。とくに小川英雄,後藤明,鈴木董,宮本正興の四氏には,助言をいただくなど全体的に御協力いただいた。記して感謝の意としたい。
「中東・アフリカ編」につづいて,「アメリカ・太平洋編」がでたが,そのまえに,歴教協は,『あたらしい歴史教育』全7巻にとりくんだ。
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歴史を,遠いどこかのできごととしてではなく,身近なものとして子どもたちが感じる,そんな歴史教育ができないものか。子どもたち一人ひとりが,白分で,世の中の動きを判断する力をつくることをうながすような,歴史教育の内客と方法はどのようなものだろうか。
子どもたちに教えることよりまえに,教師自身,おとな自身が,自分の問題として歴史を感じているだろうか。自分たちが歴史をつくっている,歴史をつくることに参加しているということを,どうしたら実感できるだろうか。
歴史上有名な人がいる。名を残すことなく死んでいったたくさんの人びとがいる。有名でも無名でも,歴史がそうなったのは,そのとき,そこに,その人が生きていたからにちがいない。私たちは,歴史のなかに生き,歴史とともに歩きながら,歴史をつくっているのである。
世界はいま,大きく動いている。世界が変わり,日本も動く。日本が動いて,世界も変わる。日本はどのように世界とかかわっていけばよいのかが,いま問われている。
いろいろな世界がある。多元的な世界からのさまざまな働きかけのなかで,私たちが自己を見失うことなく,主体的・自立的に生きていくためには,どのような歴史認識,世界認識をもてばよいのだろうか。
そのために,歴史教育はどのような役割を果たしてきたか。これからどんな段割を果たしていくことができるだろうか。どういう歴史の勉強なら,21世紀生きる子どもたちのために役立つだろうか。
第二次世界大戦が終わって,やがて半世紀になろうとしている。ついこのあいだのことと思うできごとも,どんどん歴史になっていく。そのあいだに多くの教師があらわれて,たくさんの生徒たちに歴史を教えた。いまも教えている。
子どもたちは歴史のなかに何を発見して育っていっただろうか。人びとは,後の人たちのために,何を残したいと思い,何を残したくないと考えてきたか。そのあいだに私たちは歴史認識・世界認識をどれだけ深めることができただろうか。
教えることは学ぶことだ。いま歴史学・歴史研究は,さまざまな角度から見直され,深められている。歴史教育は,たくさんの実践・経験をかさねてきた。子ども・若者の状況も変わってきている。授業の方法も,創意工夫をめぐらし,その結果を出しあい,検討されてきた。
私たちは,学校の教室のなかの歴史学習だけではなく,地域のなかで,暮らしのなかで,歴史を掘り起こし,地域の人びとといっしょに学んできた。外国と交流し,世界の歴史教育からも学んだ。
私たちの歴史教育はいま,どこまできたのか。どこへ行けばよいのだろうか。ここに,私たちは『あたらしい歴史教育』全7巻を編纂し,半世紀にわたる歴史教育の到達点を整理しながら,21世紀にむけてのあたらしい歴史教育のあり方を,あらためて考えてみようとした。
いま私たちは,何をしなければならないのか。何をしてはいけないのか。歴史研究と歴史教育の,歴史と問題点を明かにし,その克服の方法を,最新の研究の成果とゆたかな授業実践をもとに,具体的に示そうとするものである。
「あたらしい歴史教育」全7巻は,歴史教育・歴史研究にたずさわる人びとはもちろん,将来歴史教育者・歴史研究者をこころざす人ぴと,歴史に関心をよせる多くの方がたに読んでいただきたいと思う。
大きな曲がり角にいると思われる日本と世界のなかで,歴史教育の今日的な課題が投げかけるものを,それぞれに受けとめてほしいと願うからである。
この本の編集にたずさわったのは,石井重雄,石山久男,岩本努,臼井嘉一,佐藤伸雄,鈴木亮,二谷貞夫,根岸泉,宮原武夫,である。
この,「刊行にあたって」も,もちろん編集委員会の検討の結果である。
1996年
歴教協編『100問100答世界の歴史 アメリカ・太平洋』河出書房新社
1992年に,スペインで「新大陸発見」500周年の「祝賀」行事が行われた。アメリカ大陸の先住民はこれに反発して各地で反村運動を展開した。
いまどき,コロンプスがアメリカを「発見」したなどとは,日本の中学校の歴史教科にも書いていない。
ヨーロッパからコロンプスが来るはるか以前から,アメリカでは,5000万人を超える先住民,ネーティヴ・アメリカンが2万年以上の歴史と文化を築いていた。
一般に北米ではインディアン,中南米ではインディオと呼ばれる人々だ。アメリカの歴史はここに始まる。
そしてヨーロッパ人がやってきた。「インディオはコロンプスを歓迎したのか」は,本シリーズ『世界の歴史』にすでに載っている。
イギリス人は自由を求めてアメリカヘ渡ってきた,と学校で習った気がするが,本当にそうなのか。
ヨ−ロッパ人はアフリカ人を奴隷としてアメリカに運んだが,それだけでなヨーロッバからアジアから,世界中から人々はアメリカに渡った。
そして今日のアメリカの諸国・諸文化・諸歴史を創っていった。
日本でアメリカといえば,もっぱらアメリカ合衆国を指すが,合衆同はアメリカの一部だ。カナダがある。カナダはどうやってできたのか。
ケベック州で独立問題がなぜ起こるのか。カナダの北に合衆国のアラスカ州があるのはなぜか。そのアラスカやカナダにはエスキモーと呼ばれる人たちがいる。この人びとも先住民だ。いまどうしているのか
北アメリカだけではない。中米諸国があり,南米諸国がある。そしてカリプ海にあるたくさんの国のこと。サッカーとかバナナとかコーヒーとか音楽とかで頭をかすめる程度にしか知らないことが多い。
大平洋の諸国・地域・民族・文化・歴史となると,われわれの知っていることはもっと貧弱ではなかろうか。
1995年の11月,大阪でAPECが開がれた。アジア太平洋経済協力会議だ。加盟18カ国とその地域を見回して,太平洋地域からどの国が参加しているかと見れば,オーストラリア,ニュージーランド,それにパプアニユーギニアの三つだけだ。
太平洋の諸独立国は入っていない。
フランスの核実験で,モルロア環礁が浮かび上がった。タヒチはまだフランスの植民地なのだ。
太平洋で核実験をとっくに済ませたのはイギリスとアメリカである。かつて日本の植民地だったミクロネシアはどうなっているのだろうか。
今回は,アメリカ・大平洋編である。知りたいことは山ほどある。知っているつもりのことがある。知りたいとも思わなかったことがある。読んでいただいて,どうしてこういうことを知ろうとしなかったのかと,思つていただければ幸いである。
編集委員は,まえにあげたのと同じメンバーである。
続編として,「アジア編」「ヨーロッパ編」と出るはずであるが,いまのところ,すすんでいない。
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