1976年


世界史学習

目標と方法
鈴木亮『世界史学習の方法』岩崎書店より>

1.「授業とは,問題提起ではないか
2.世界史はあくの方法
1.「授業」とは問題提起ではないか
世界史学習のねらいをつぎのようにおいてみた。
世界(史)にたいする正しいみかた・考え方を,子どもとともにさぐり,発見し,感じあい,その把握方法をきたえあっていくこと。
ながねん,教師とか先生とかよばれる職業にたずさわっているあいだに,どうしても,「教える」という習性が身についてくるのを感じないわけにはいかない。
これだけはなんとしても,とか,オレがいまここでなどと気負うほどに,教師根性がおをだす。
教師はおとなで,生徒は子ども。先生はよくわかっていて,子どもはよく知らない。だから,教師のわかっていることを,わかっていない子どもにやさしく解説し,よくわかるように説明してやる。
それがうまくいくように,子どもの実態や反応をつかむ。これだけでは,すくなくとも歴史教育とはいえないのではないか。
おしつけはいけないし,誘導尋問もよくない。それと気づかぬまに,うまくはめこむのはもっとわるい。
歴史教育とは,問題提起ではないだろうかと思う。生徒は,いつ,どこで学ぶのか。いろいろなところで,あらゆる機会に学ぶのだが,いま,教師と生徒という関係だけで考えてみる。
教師が教えただけ生徒が学ぶということはまずないと思われる。どんなに上手に教えても,どれほどそのとき徹底的におぼえさせてもである。
上手に教えることやおぼえさせることが意味がないといっているわけではない。
教師と生徒の関係は,一方通行ではなく,学び合いだと思われる。生徒は教師から学ぶ,そのとき教師は生徒から学んでいるという関係である。
教師が生徒から学んだときだけ,生徒は教師から学ぶのではないだろうか。教師と生徒が,問題をはさんでぶつかりあう,その一瞬に,たがいに学びあうことがあるのではないかと思うのである。
となると,教師はたえず問題にたち向かっていなければならない。つぎからつぎへとあたらしい発見をしていなければならない。常に学習を深めていかなければならない。
そのようなときだけ,生徒はなにかをつかみ,同時に教師は生徒からさらに学びとるのだから。これはたいへんである。
教師になりたてのころ,その内容の貧弱,未整理,やり方の末熟にもかかわらず,かえって生徒の反応が強かったように,ふりかえって思えるのは,自分なりにそのとき発見があり,それをはさんで生徒と向きあっていたからではないだろうか。
だから,教師が停滞したとき,生徒は何も学ばないのである。子どもにたいして問題提起ができるとき,問題をはさんで子どもとむかいあえたとき,たがいに発見しあったとき,はじめて,「楽しくわかる授業」となりうる。
それは,きびしく,苦労の多い学習であり,かんたんにわかってしまうようなものではないであろう。「わかる授業」とは,けっしてひくい水準のところにおりていくことではない。
世界史教育の目標は,研究の成果をやさしく解説するというたぐいのものでもないし,「世界史発展の法則」をすでにあるものとして教えこむことでもない。
世界史の学習は,世界史をすでにできあがったものとして,そのワクの中でどう教えるかをさがすのではなく,子どもの・われわれの世界(史)認識の創造と形成を目ざすものである。
とすれば,問題提起以外に世界史教育への迫り方はなさそうである。

2.世界史はあくの方法

世界,世界史把握の方法として,現在のところ,未整理,不十分ながら一応,四つの方面からの迫り方を考えてみた。

(1)日本(史)と世界(史)を統一してつかむこと

@現在の日本人・日本の民衆にとって,どんな意味があるのかを問うこと。
A世界の中の日本・日本がつくる世界をさぐること。

まず,世界史を,日本史以外の外国史としないことである。日本を含んだ世界,日本史をふくんだ世界史であろう。
日本史は世界史の中に解消してしまうのでもなく,世界史は日本史の補助でもない。世界史をぬかした日本史はなく,日本史をぬかした世界史はない。
日本史といっても世界史といっても,日本人にとっての日本史・世界史は,最終的には同じものであろう。
日本史,世界史の区分は,学習上,教育上の分類,あるいは過度的なものだと思う。日本史と世界史を統一してつかむということは,一方にできあがった日本史というものがあり,もう一方にできあがった世界史というものがあって,この二つをどうやっていっしょにするか,まぜていくかを考えることではない。
いっきょに世界史(日本史)をとらえようとするのである。
世界のうごきの中で日本のうごきがあり,日本のうごきの中で世界のうごきがある。それは,世界のうごきと日本のうごきが直接むすぴついていることをみつけることでは,かならずしもない。
その日本のうごきを可能にした世界のうごきをとらえること,世界のうごきがそのようであったことは,どんな日本のうごきの故であったかのかかわりをつかむことではないか。
世界が日本をつくっていること,その日本が世界をつくっていること,日本が世界の中で役割を果たしているという構造をさぐっていき,自覚化していきたいのである。
日本の中に世界をみつける,世界の中に日本をみつける作業といいかえてもよい。
相互の関係がとらえられねばならない。
とくに,「世界が日本を」より,「日本が世界を」という認識がむずかしい。
@現在の日本の民衆にとって意味のある世界史とは,という問は,(1)の@というより,全体をつらぬくテーマとすべきかもしれない。
70年代(後半)に生きる日本の民衆にとって意味のある世界史とはどんなものかを常に問うていかなければならない。
逆にいえば,世界史のはあくのしかたは,1920年代でも40年代でも,また50年代,60年代でも同じではないし,イタリアと,中国と,日本とではちがうということである。世界史全体としての意味と,世界史を構成する個々の事実やとらえ方について,それが日本の民衆にとってどんな意味があるのか,どうとりあげることが自分にとって意味のあるとりあげ方なのかを,問いなおしてみる。
自分で,その意味を感じることもできないことを子どもに語りかけて,なにかが生まれてくるだろうか。
「世界史」という教科は,第二次大戦後に登場してきたものだとはいえ,25年たつと,いつのまにか,ふみならされた道ができ,〃常識的〃なあつかい方や,きまってとりあげられる事実なりができあがっている。
そんな〃常識〃や事実やとりあげ方の意味をひとつひとつ問うのである。

(2)それぞれの地域世界が対等の立場で構成している地球的全世界の歴史像をつかむこと

@個性ある独自性をつかむこと。
A構造的にはあくすること。

世界文学全集といって西洋文学全集であったり,世界史といえば外国史で,日本史以外の外国史は東洋史と西洋史で,東洋史は中国史とインド史で,西洋史は西ヨーロッパ史であったりする時代ではないはずである。
世界史といって,西ヨーロッバ史の「発展」を典型とみて,それにほかの地域の歴史をあてはめてとらえようとしてもとらえきれない。
西ヨーロッバや東ヨーロッバや,アジアやアフリカや中南米や,太平洋や,すべての地域の人びとが,世界の中で,それぞれの役割をはたしてうごいている。
「主要国」中心,「大国」中心,「中央」中心で,今日の世界がとらえきれるだろうか。キューバに革命があれば,キューバをおいかけ,ベトナム戦争がおこれば,ベトナム民族の歴史を・…というのでは,日が暮れてはじめてとびはじめるミネルバのふくろうである。
「ヨーロッバ中心」のうらがえしとしての「アジア中心」ではなく,ヨーロッバ世界,アメリカ世界,ソビエト世界,アフリカ世界,太平洋世界等々,それぞれの地域世界が対等に構成している地球的全世界の歴史像をとらえていく立場でなければ,今日の世界はとらえきれないだろう。
これは同時に,ヨーロッバ中心の世界史や近代化論に対抗するものである。
このことは,具体的な世界史の学習や叙述で,すべての地域・民族を,ひとつひとつ,網羅的にとりあげなければならないことを必ずしも意味しない。
たとえば,太平洋なら大平洋の島々のことが視野にはいっているか,位置づけようとしているかどうかということであろう。
対等の立場で,それぞれの地域世界をみていくということになると,それぞれの地域世界に個性のある,独自性をもった歴史があるという面をつかむと同時にその個性ある地域世界が,どのようにかかわりあって全地球的な世界をつくってうごいているかをつかまねばならない。それを構造的はあくといった。
それぞれの地域世界のもつ風土,生活,生産,言語,風俗,習慣,宗教,神話,民話,音楽,文学,美術,考え方,思想,政治,経済,社会の全体像をえがきだす力をつくりたい。
構造的はあくというのも全体像の把握である。日本史と世界史の統一的把握でのべたこととかさなりあう。ひとつのできごとを孤立してとらえるのではなく,全体のひとつとして,かかわりのあうもの,構造的にからまっているものとしてとらえようとするのである。

(3)「古代」・「中世」と現代とを統一してつかむこと

@歴史の長さ・厚みの実感
A「未開」から「文明」へ,に対する疑問

このごろのいろいろなうごき,たとえば,ベトナムの勝利,あるいはアフリカのうごきをとってみても,近代主義の見かたではとらえきれない。
つまり,「古代・中世というものは,克服されるべきもので,それをはやく克服したところが進んだ国となったとされてきた。
たとえば,民族のエネルギー,あるいは民族の伝統というべきものを考えていこうとするとき,「古代・中世」をはやく否定しさったところが進んだ国となるという考えかたでは,見おとしてしまうもの,とらえきれないものがあるのではないか。
「古代・中世」と現代との統一的はあくとでもいうべきことをしていかなければならない。その中に,歴史の長さ・厚みをみつけ,実感し,脈々と生きて現代につながるものの存在をつかむべきではないかと思うのである。
これは,(2)の対等の世界・個性ある世界のはあくとかさなるのだが,「優・劣」「高・低」「野蛮・文明」で歴史を,地域をみていく姿勢からなかなかぬけだせないことが,世界(史)はあくを困難にする。
「先進」のあとを「後進」がおいかけ,歴史は「未開」から「文明」へとあるきつづけるものという,繁栄中心,先進中心の世界史からぬけださなければならない。
たとえば,「シャーマニズム」「アニミズム」を原始的な宗教とし,多神教よリ一神教のほうが進んだ宗教だとする,近代主義あるいは「宗教進化論」の観点にたってしまったら,もはやみることのでさない世界ができてしまう。
文宇の記録をのこさないことを未開ときめつけてしまったら,アフリカ世界など,もう見えなくなってしまうだろう。

(4)民衆・地域住民・民族の立場からとらえること

@民族の実感・階級の実感
A動かせるものとしてのはあく

いちばんはじめにかいた,現在の日本民族にとって意味のある世界史ということと重なりあう。
「すべての地域世界が対等の立場で構成する世界史ともかさなる。大国中心,中央中心,繁栄中心,強者中心,支配中心の世界史をぬけださねばならない。
民衆―いわゆる指導的・前衛的民衆とともに,いわばあたりまえの民衆,あるひとつのきっかけをつかめば,大きくうごきだすカと工羊ルギーをもった民衆・民族が歴史をうごかし,さりひらいてきたことを実感できる世界史の構成・内容をくんでいく。
そのことは,民衆そのものが,たえず前面に登場していなければならないことをかならずしも意味しない。
だいいち,記録は常には,民衆のすがたをとどめず,支配者の記録であることが多い。支配者を語っても民衆の立場でということであり,支配者のむこうに民衆を感じとれるものであることだ。
ことに古い時代はそうである。支配者のうごきがそのようであったのは,民衆・地域住民の動きに応じるものであり,支配するものとされるものがいるのではなく,支配を破る民衆がいて,破られる支配者のうごきがある。
民衆のうごきをもっとも気にし恐れている支配者のうごきなのである。そこに階級を意識した両者のたたかいがある。
民衆のたたかいは,民族的,地域的特色をもってあらわれる。そして,「対等に構成す地域世界」「民族の独自性・個性」「歴史の長さと厚み」を実感することなしに民族問題がわかることは困難だろう。
民族の問題はまた,日本民族としての自らの実感なしには,わからないものではないだろうか。
もはや,歴史教育,社会科教育のワクをこえた問題ともなる。
(1976.6.10)
『世界史学習の方法』の「あとがき」に,つぎのように書いた。

「これが,いまのところわたしの到達点である。
1975年4月の,東京歴教協教研集会の高校分科会で報告し,のちに,『東京の歴史教育』9号(76.7)に掲載された。
十分整理されてない文章だが,25年かかったことになる。
といっても,ほとんど,すでにいわれていることである。いたるところに,先学の方々のつかわれたことばそのまま,あるいはにたようなことばがつらねてある。
ひとつひとつ,そのことばの出所を記すべきだろうが,たとえ同じことばをつかっていても,もその意味・内容をとりちがえているのではないか,つかみ方が浅いのではないかとおそれる。
かってなりくつのようだが,ここでは,わたしの自分勝手な解釈にもとづく意味・内容をもつことばとしてつかっているという意味で,あえて,”引用 ”のかたちをとらずにかいた。」

「25年かかった」とは,私が「世界史教育」をはじめてから25年ということだ。

この後,教科書『高校世界史』(実教出版,1979年から使用)の指導書に,この「世界史学習の目標と方法」に補注をくわえたものを,掲載した。
私の主張が,誰から,何から,学んでいるかを,示した。
これも,いまは手にはいらないから,ここに書きとめておこうとおもったのだが,いずれ,同じようなことが,本文に出てくると思って,割愛する。

『高校世界史』は,
石渡延男,槐一男,大江一道,鬼頭明成,鈴木亮,二谷貞夫,吉田悟郎の7人で,1974年から,78年にかけて,学習し,討議し,執筆した。
そして,”文部省検定済教科書”として,ひのめをみたものである。
この教科書のことも,本文に登場するだろう。6年間だけつかわれた教科書である。いまはない。
私の「世界史学習の目標と方法」は,この教科書編纂のなかから生まれた。

1982年に,吉田悟郎は,私のこの文章について,つぎのように書いている。

「74年から77年までかけた「世界史」の発想・構成・叙述についての討論の結論を整理したかたちとなった鈴木亮氏の「世界史学習の目標と方法」は,よく整理され説明されているが,
語句といい方法といい,50年代から60年代にかけて提起され,主張されてきたものの集約であって,とくに新しいオリジナルなものはないといってよい。」

(歴史教育の現状と教科書叙述」『現代歴史学の成果と課題』U 1歴史学と歴史意識,青木書店,1982年)

まことに吉田の言う通りだ。というより実は,50年代〜60年代に言われていたことを,70年代になってようやく,私がわかるようになってきた,ということなのである。

これについても,本文でかくことになるだろう。

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