八年間のゼミナール

西嶋定生
岩波書店『図書』133号、1960年10月

「まず現在の日本の直面している危機の分析からはじめましょう。」
わたくしはこの上原専祿先生の最初の発言を聞いて、率直にいうと「しまった」と感じた。
それは世界史の編集をはじめるというのに、そのような心がまえを迂闊にも失念していたからである。
最初の編集会議だというので、いくらかは内容構成のことなど準備して出席したわたくしは、このことばによって完全にふりだしに戻らざるをえなかった。
そしてその日から、われわれの仮称する「上原ゼミ」が開始された。それはいまから八年前、昭和27年(1952年)の真夏のころのことであった。

世界史を学ぶということはどういう意味をもつことなのか、われわれはどういう立場で世界史を学ぶべきなのか、日本国民の立場から考えるべき世界史というものはどのようなものであるべきなのか、というような根本的問題が、現実の社会情勢と結びつき、国際関係と関連して、とめどもなくひろげられていった。
そして宿題が与えられて次回にはそれが検討された。
一回の会合時間は5−10時間、年間平均20回。必ず全員7人出席。それが8年間つづいた。
文部省との問題で紆余曲折をたどりながら、そして今度ようやく『日本国民の世界史』として出版されるのであるが、この「上原ゼミ」は今後も終了することはないであろう。そうであってほしいと思う。

正直なところ、わたくしはこのゼミで、歴史を学ぶということのきびしさを身をもって学ぶことができた。
問題の討論、整理、原稿作製、プリント印刷、一字一句につき検討、書きなおし、ふたたび検討、書き直し、という具合に、わずか数行の段落の本文が最終決定されるまでには数回の「ゼミ」が必要であった。
出来上がったものをみるとあっさりしたもののようであるが、われわれには感慨なきをえない。
たとえば第一編の「元寇」の叙述、「江戸時代」の叙述のところなど、何回書きなおしたことか覚えてもいない。

岩波書店から出版することが決定してからがまた大変で、数頁の序文と現代史の最近一年間をつけ加えるために、とうとう20回会合し、検討のうえようやく完成したのである。


文中「全員7人」というのは、上原専祿、江口朴郎、太田秀通、西嶋定生、野原四郎、久坂三郎、吉田悟郎である。

『日本国民の世界史』は、実教出版の『高校世界史』の改訂版が文部省検定で不合格になり、これの改訂原稿が『日本国民の世界史』として岩波書店から出版された。

西嶋は、1997年からはじまった、戦後2度目の『岩波講座 世界歴史』の「月報」3
(1997.12)で、「世界史像について」という文章をよせている。
ここでも西嶋は、実教出版の『高校世界史』『日本国民の世界史』の体験を書き、その延長線上に、前回の『岩波講座 世界歴史』があったはずだが、今回の講座は、それからどれだけすすんだろうか、と疑問をなげかけて
いる。
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