1 胃癌の“発見”
1997年12月8日,真珠湾ならぬ「人間ドッグ」に行った。
胃の中をのぞいたら,潰瘍があるのでと,胃壁から3ヶ所ばかりをつかみとった。
テレビでみんな見える。
結果は2週間くらいあとに郵送されるが,もし結果がわるいようなら,そのまえに電話がいくという。
タケプロンという薬をわたされた。あとで聞いたのだが,強い制酸剤だとか。30mgのカプセルを1日1錠のむ。
12日夕刻,電話が鳴った。わるい予感。
検査の結果,血圧が多少高いほかはとくにわるいところはないが,胃の状態が問題なので,病院に来てほしい,あなたの担当医は○○先生にきまった,と。
電話の主は看護婦らしい。
「ガンですか」と聞くと,きまったわけではないが,そんなようなものだから,診察の日を予約するようにという。
世間ではガンを「告知」するのが,いいとかよくないとか話題になっているというのに,これが,私への“ガン告知”であった。
電話口で問い返したのがわるかったのか。もうすこし,おごそかにやってもらいたかった。
“とくにわるいところはない”どころではない。
さっそく,わが配偶者に報告する。
この病院で,配偶者の母は死んだ。10年もまえのことだ。
そこで死んだのはしかたがないとして,死ぬとき,母の心臓マッサージをやった若い医師は,胸を押しながら,若い看護婦と目をかわし,ニッコリしたという。胸を押すのは,人が死ぬとき,あるいは死んでからおこなう行事だとか。
やっているほうは,何の役にもたたないと思いながらやっているのだろう。
いろいろと会話があって,東京の病院へ行くことにした。
なんてったって東京でなくっちゃというわけでもないが,たしかそうなところ,痛くなったらたすけてくれそうなところがいい。入院するときのことを考えていた。
12月15日,これこれのしだいでと説明する。問診のあと,内視鏡検査の日を予約。
すぐにとはいかず,来年の1月13日だという。
前の病院でこれをもらいましたと,薬をみせる。同じ薬の,こんどは15mgの処方箋をもらい,門前薬局で購入してかえる。
購入といっても,1種類の薬だから,70歳以上の私はタダである。
来年まで,じっと待っていたってしょうがないと,予定どおりスキーにでかけた。この年の暮は雪が少なく,滑れはしたが,状態がよくなかった。

胃ガンについて,にわか勉強をはじめる。
たしか,岩波新書に何冊かあったはず,と本屋に行く。てはじめに岩波新書の2冊。やや古いが,榊原宣『胃がんと大腸がん』(92年,97年10刷)と小林博『がんの治療』(93年,96年7刷)。
榊原は消化器外科,小林は病理学専攻である。
もう1冊は,おりしも出版されたばかりの,いまをときめく慶應大学放射線科講師,近藤誠とそれぞれの専門家との対談集,『「がんと闘うな」論争集』(日本アクセル・シュプリンガー出版)である。
これは新聞広告でみかけた。
おもに『メディカルトリビューン』という医学新聞に連載されたものがもとになっている。スキー場に持参する。
年があけて約束の1月13日,内視鏡検査。
初診のときの先生とはちがう先生だった。
つぎにCT撮影,つぎはバリウムを飲んでのレントゲン撮影。それぞれちがう日だ。
ふつうは,レントゲン撮影がいちばんさきだが,私の行った人間ドックは,その病院おすすめの内視鏡検査をいきなりやったから,レントゲン撮影があとになった。
診断結果を聞きにいったのは,1月23日(金曜日)だった。
あとから考えると,「発見」からこの日までの期間は,貴重な1ヶ月半だった。
スキー場の町立図書館にあったガンに関する本も読んだ。
胃ガンについて多少なりとも知識を得て,人にも聞き,思案し,多少の心がまえをもって,結果を聞きに行くことができた。
保護者? 同伴。
いっしょに来いと医師にいわれたわけではない。ずいぶん待ってやっと番がまわってきた。

「“早期の胃がん”だと思う。胃の3分の2くらいを切り取る手術をおすすめします。内視鏡で切り取るのは,むりでしょう」
侵されている深さは,わからないという。
私は聞いた。
「このままで,ほっておいたら,半年とか,1年で死ぬということになりますか」
「命がなくなるという意味ですか。それはありません。数年はだいじょうぶでしょう」
数年はふつう,3・4年から4・5年のこと。2・3年かもしれない。
切れば,ほぼ100%まちがいなく治ります。
切ったとうざ4〜5ヶ月は,体力はおとろえますが,じょじょに回復してもとにもどりますと先生はいい,1%に入らないという保障はありませんが,ともつけくわえた。
20分くらいも話していただろうか,来週の月曜日,26日に電話で返事をすることにし,その時間を予約して診察室を出た。
胃のなかの酸はむしろ少ないと思うので,いままでの薬はだしませんと先生はいい,以来薬は飲んでいない。
もう2時半をまわっていた。
まだあとに外来患者4〜5人はいただろう。朝の9時から昼飯も食わずに,1日に何人くらいをあいてにするのだろうか。
勉強もしなければならないだろうし,医者もたいへんだなぁと,じぶんのかつての職業をつい思い出した。
担当の先生は,ていねいで、おちついた感じの,信頼できそうな先生だった。
“そうな”は失礼だが,“感じ”でしか判断できない。名前はかねて知る大病院だが,はじめて訪ねた病院の,はじめてお会いする先生である。
とくにこの先生とおねがいしたわけではない。おたがいに偶然の出会いである。
あたるか,あたらないか。患者はふつう,病院は選べるが,医師まではえらべない。いやなら病院を選びなおすしかない。
生徒・学生が学校や教師を選ぶのと,どっちが保障されているだろうか。
「ことしの担任は当たったわねぇ」
という母親たちの会話は4月になると毎年かわされている。

二つの大きな病院で“胃ガン”だというのだから,まずまちがないとしなければならないだろう。
大病院信仰かもしれないが,このへんで観念することにする。
さてどうするか。
先生が手術をすすめることも,だいたい予想していたことだ。内視鏡検査のあとで,病状を説明したのではないが,先生はカルテに記入しながら,
「手術することになると思いますよ」
と,それとなく言っていた。
<胃を切ることなく,ガンをかかえていこう>と,私は考えていた。
私は今年,74歳になる。さいわい74年間も生きのびてきた。
やがてなにかで死ぬだろう。
脳か心臓か,肺か,どこかの癌か,痴呆か,老衰か,それとも交通事故か,地震か,爺い狩りか,……。
何で死ぬかをえらべるわけではないが,私のばあいは,幸か不幸か胃ガンをみごもった。
いったいいつごろから,私のからだの中にガン細胞がくらすようになったのか。きのう・きょうのことではないらしい。ガン細胞は言うだろう。
「いまごろ見つけて,なにが発見だ。ずっとむかしからいるんだぞ」
コロンブスのアメリカ「発見」ではないが,アメリカには先住民がいた。
ガン細胞は先住民なのか。
つぎへどうぞ