N. Y.行きNH10便にて
敵将、あっさり発見
2度目の発作
ICUの眠れない夜
お薬あれこれ
手術室へ
ビバ!サイバーパンク!!
本手術へ
3cmの忘れ物
つながった瞬間
断髪式、サラバ金髪
寝たきり生活は続く
放射線治療と
やがて訪れる退屈

退院を前に

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退院を前に

 

 4月2日、お試し外泊をしたら、体調を崩してけいれんを頻発する状態に逆戻りしてしまい、退院延期に。問題がなければ週明けにでも退院と言われていただけに残念だ。無理は禁物。逆に言えば、この程度で体調を崩していてはとてももたないということが判った分だけ、試した甲斐があったというものか。

 

「神経膠腫(グリオーマ)」
1)星細胞腫
 一般に脳腫瘍の症状は、徐々に増強する頭痛と片麻痺などの神経症状を特徴とします。悪性度の高い星細胞腫では、症状の発現から重篤な意識障害をきたすまでの期間が短く、数週間〜数カ月ですが、悪性度の低いものでは数年におよぶこともあります。また、突然の痙攣(けいれん)発作で発症する場合もあります。一般に悪性度の低い星細胞腫は、CTでは黒くはれた画像として映ります。造影剤を静脈注射してもほとんど変化が認められないため、脳梗塞と区別のつきにくいものもありますが、多くは症状の出現のしかたで脳血管障害と区別されます。悪性度が高い星細胞腫は、造影剤により辺縁がリング状に白く造影され、内部は壊死をおこしているため黒く抜けたままです。また、周辺には広範な脳浮腫が認められます。MRIにより、腫瘍の拡がりや周囲の正常脳との関係はよりいっそう明瞭になります。治療法については後述しますが、正常な脳との境界が不明瞭なため、手術のみでは腫瘍全部を摘出できないために、術後に放射線治療や化学療法が行われます。予後はグレードによって異なります。比較的おとなしいタイプのグレード2の星細胞腫であれば5年生存率は60〜70%ですが、最も悪性のグレード4では10%以下です。
(http://www.ncc.go.jp/より引用)

 以上は、国立がんセンターのホームページからの引用であるが、医学は日々進歩している。CTが国内で初めて導入されたのがこのJ大の脳神経センターで、1975年のこと。MRIの本格導入が始まるのは、80年代に入ってからになる。それから20年以上。今では手術中にMRIを撮って、もう数ミリ削っておくか、などギリギリまで判断できる術中MRIなる装置も導入されている(原理として磁気を使うMRIでは、これは容易なことではない。手術器具すべてを非磁性体にしなければならないからだ。自分の手術でも、これが使われたそうだ)。



 入院中のある日、パラパラと週刊誌をめくっていると、元日本代表のJリーガーでガンバ大阪に在籍していた今藤幸治さんが脳腫瘍で亡くなった、との記事が出ていた。自分が病気になってからは、脳腫瘍やガン関連の記事は気になってしまう。しかも彼は自分と同じ72年生まれ。21歳の時に腫瘍が発見され、3回手術を重ねたが、03年4月17日、闘病やむなく永眠したとある。享年30歳。
 腫瘍の部位やグレードまではさすがに書いてなかったが、言葉が出にくかったり、右半身が不自由だったとあり、位置も近かったように思える。もし彼の発症が10年遅く、今の医術だったなら、結果は違っていたかも知れない。この10年の重みを考えるキッカケとなる記事だった。

 M先生曰く、「(機材の発達で)頑張った手術ができるようになったのが、ここ10年足らず。5年生存率、10年生存率はまだまだ統計的には語れない」。つまり現時点での生存率は、あくまで“今まで”の治療を受けてきた人の統計であって、躍進著しい脳外科の分野において、決してあてにはならない数字。新しい数字は、自分らが生き抜いていくことで作っていくものなのだ。

 幸い今回の自分の場合、生死に関わる部位ではなかったとはいえ、一歩間違えば社会復帰できない可能性は十分にあった。再発の危険性も少なからずある。薬は欠かせないし、退院後も化学療法は継続する。

 最初は正直、「あ、そこにいましたか」程度にしか考えていなかった脳腫瘍。入院して3カ月が過ぎた頃、ようやく事の重大さに気づき、一生つき合って行かねばならない病気だと認識した次第である。



 最後に、ほとんど毎日通院し身の廻りの世話をしてくれた父母、下宿の引き上げから編集長との連絡まで取り仕切ってくれた兄、毎日のように仕事の行き帰りに立ち寄ってくれたM子、お見舞いに来てくれた皆さん、心配して下さった方々、本当に、本当に、ありがとう。
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