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N. Y.行きNH10便にて |
放射線治療とやがて訪れる退屈
2月13日。家族全員で今後の治療について説明を受ける。自分も立ち会う。この時点で主治医は、マッピングチームから、腫瘍担当のM先生に引き継がれることになった。 脳腫瘍のレベルには何段階かあり、良い方からグレード1→グレード4となっている。術前では、CT、MRIで見る限り良性寄りのグレード2でしょう、という話だった。そもそも腫瘍の周辺では、正常組織との境界があいまいなので、完璧に取り除けるわけではない。再発予防のための治療を行うかどうかの判断は医療機関ごとに微妙に異なり、ここJ大では、グレード2までなら、あえて経過観察にとどめる場合が多いとの説明だった。 ところが実際に組織を取って培養してみたところ、3cmほどのグレード2に囲まれて、1cmほどのグレード3と判断される部分が発見されていた。 結局オススメに従って取った手段は『放射線治療』。毎日少しずつの放射線を頭に照射して、育ちたがっている異常細胞を前もって叩いてしまう、というものだ。照射自体はものの10分もかからないのだが、30日間浴びせなければならないという。土日は治療はお休みなので、週5日x6と言うことで、退院が6週間も延びてしまうことになった。
併せて化学療法も開始した。後から理解したのだが、要するに抗ガン剤である。抗ガン剤と言ってしまうとショックを受ける人も多いだろうし、本人に告知しないで治療する場合にも差し支えるだろうから、こうしてぼかした表現が一般化してきたのかも知れない*。 照射による副作用はまぁいろいろあるのだが、なにしろ髪の毛が抜けてしまうのが切ない。友達が帽子を買ってきてくれた。
照射の時間は、初めの頃は呼ばれ待ちだったが、やがて毎日午後2時に来てください、ということになった。昼食を終え、1時にけいれん予防のセルシン錠剤を飲む。この頃はまだちょっとしたことでけいれんを頻発していたので、移動もストレッチャーを使用。酸素マスクを装着、点滴を落としながらの地下道経由だった。車椅子で地上経由が許されるのはかなり後のことになる。 3月に入ると段々とけいれんも落ち着き、日課の放射線照射とリハビリ、たまに入るCTやMRIの検査をこなすと後はやることがない。こうなると襲い来る退屈との闘いだ。見舞客がある日はいいが、誰も来てくれないと少々寂しい。 3月31日、ようやく照射が終わる。顔面固定・位置決めに使っていたマスクを記念にもらってきた。
*追補:「化学療法」は英語の"chemotherapy"の直訳で、複数の抗ガン剤を組み合わせて間歇的に投与する治療行程全体を指すようだ。自分の場合はACNU1剤なので、「化学療法=抗ガン剤」とほぼ同義に捉えていた。英語で「抗ガン剤」に当たるのは"anti-cancer drug"。ここでトリビアをひとつ。抗ガン剤の歴史は、第一次大戦中のマスタードガスに端を発しているそうな。 |