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N. Y.行きNH10便にて |
ICU(集中治療室)の眠れない夜
目を覚ますとここにいた。見知らぬ人たちが自分を取り囲んであれこれ言っている。
その数日の記憶は極めてあいまいで、2〜3日ほど抜け落ちている。つきそっていたM子や家族によると、その間も意識はあり受け答えもしていたらしいが、けいれんを抑えるために強い薬を使った影響か、どうしても思い出せないのだ。なので、初めの内は不信感があった。「あなたたち、誰?」というわけだ。ところがあちらにしてみれば、もう何日も必死で世話をしているという状況。あらためて名乗っている場合ではない。 この人たちが自分を救ってくれる人たちで、自分が置かれている状態を正しく認識できるのには、さらに数日を要した。ベッドを窓側に移してもらい、昼と夜が数えられる様になってからのことだ。こんな些細なことでも、薬で朦朧とした頭にはかなり効く。 この間の治療は、手術に向けて、収まらないけいれんをいかに落ち着かせるか、に終始していた。 ICUにはいろんな患者さんがいた。隣にいたおばさんは、自転車に乗っていて事故に遭い、2カ月ぶりに意識を取り戻したそうだ。毎朝、ここは病院で、2カ月ぶりに目覚めたのだという説明を受けては驚いていた。
この頃のことで覚えているのは、とにかく何をするにも不自由だったこと。尿道や栄養ルート確保のための太股内側の静脈など体中至るところに管を刺されている。腕には血圧計が巻かれて30分ごとに勝手に締め付けてくるし、指先には体内酸素の濃度モニタが挟まれ、ちょっとずれただけでもピーピー鳴りやがり、胸には心電図の電極が取り付けられている。口には酸素マスクだ。
そして大便。小用の方は管が入りっぱなしだからいいのだが、大はそういはかない。どうするかというと、ベッドの上で、腰の下に便器をあてがって用を足すのだ。さすがに成人男子として抵抗があったので、ワガママを言ってポータブルトイレを用意してもらった。1回目はどうにかそれで用を足した。だが2回目、夜中に出し抜けに便意をもよおした時には、そうも言っていられなかった。 ICUは術後の患者さんを一晩だけ入床させて様子を見たり、自分のようにいつ発作を起こすか判らない患者が集まるところで、いろんな装置がピーピー鳴り、いろんなうめき声が聞こえる。とても安眠どころではなかったが、それはお互い様だったろう。 |