N. Y.行きNH10便にて
敵将、あっさり発見
2度目の発作
ICUの眠れない夜
お薬あれこれ
手術室へ
ビバ!サイバーパンク!!
本手術へ
3cmの忘れ物
つながった瞬間
断髪式、サラバ金髪
寝たきり生活は続く
放射線治療と
やがて訪れる退屈

退院を前に

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2度目の発作

 

 帰ってくると、まず兄に相談した。自分には3歳上の兄がいるのだが、なかなかのしっかり者で、すでに結婚し一児の父でもある。

 最初は病院決めからだったが、N.Y.の先生からは「東京だったらT大かJ大だね」という程度の予備情報は得ていた。帰国してインターネットで検索してみたら、脳神経外科外来の担当一覧が最初に出てきたのがJ大だったので、取りあえず行ってみることにした。

 帰国日の翌日は土曜日。念のため兄貴に運転を頼み、下宿先の目黒から車を出す。
 余談になるが、この下宿はちょうど1年前から住み始めた所で、神社仏閣が多いだけに緑も多く、ぼちぼち馴染みの店もでき、非常に気に入っていた。この翌日に緊急入院し二度と帰らないことになるとは、想像もしていない。

 J大の外来で診察を受ける。診察結果はN.Y.の医師と同じく、左前頭葉の脳腫瘍。色から見ると良性で、薬を処方して来週あたりから検査入院かねぇ、という判断であった。こちらも出張の後始末やら仕事の引き継ぎやら荷解きやらをこなすのに数日必要だったので、願ったりである。

 とにかく編集長に1本電話連絡を入れ、月曜までの連休だったので「火曜日には顔出しますよ。その時に打ち合わせしましょう」と軽く伝えた。

 ところが翌日曜日。朝から予兆はあった。10:30起床。50分頃には舌のもつれがあり、11時には右腕がバタバタ、顔面の右半分も思うように動かない。取りあえずN.Y.でもらった薬を飲むと、15分後ぐらいに収まる。

 朝食はリゾット。彼女であるところのM子が作ってくれた。用心のため、食後にもまた薬を飲む。歯を磨こうとした時に、持とうとした歯ブラシを落として右手が震える。けいれんはすぐに右半身全体に広がった。これはいかん。M子に「救急車を呼んで!」と頼む。念のために、電話の近くに家の住所をメモしておいたのも幸いし、彼女は冷静に対処してくれた。

 数分後、救急車が到着する。ストレッチャーに乗せて運ばれる。
 「かかりつけの病院は?」、救急隊員が聞く。
 「一応J大です」と応えるが、肝心の診察券がサイフごと見あたらない。
 「ここからだとちょっと距離もあるんで、J大の方で受け入れてくれるか確認してみます」と救急隊員が言い、連絡を取る声が切れ切れに聞こえる。
「ええ…診察券は見つからないんですが、そちらの患者さんということで…」
 結果受け入れOKということになり、後は全速力で飛ばすのみだ。M子が、「ほら、お兄さんのウチの前あたりだよ」と言った。そこから信濃町の慶応病院のあたりまでは辛うじて覚えているが、それから後の記憶はない。

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